第32巻
第39章 誕生日会 前編
9月7日になると、突然、電話がかかってきた。
「はい、伊野岳です」
「あ、俺なんだけど…」
幌はその相手に言った。
「俺だけじゃわからないんで、名前を言ってください」
「雅です、陽遇雅」
「あ、雅か。どうした?」
雅は、軽く間をあけてから言った。
「言ってなかったか。明日、俺の誕生日なんだ」
「そうか、初耳だが、おめでとう」
「ありがとう。それでな、明日、誕生日会を開くんだが、来れるか?」
幌はカレンダーを見ながら言った。
「明日は空いてるな。どこなんだ?」
「近くに、公民館があるだろ?そこの2階にあるホールだ。簡単なものだから、ラフな服装できてもらってかまわない。行けるか?」
「大丈夫だ。俺と姉の二人で行くよ」
「ありがと。じゃあ、また明日」
そして、電話は切れた。
幌は受話器を置くと、桜の部屋へ入った。
「姉ちゃん、おきてる?」
「グー………」
寝ていた。
幌は、そっと桜が寝ているベッドに近づいて、耳元でささやいた。
「太古より戴く悪の化身。その者が言った。「そなたは何処より来た」。彼の者は答えず、ただ一言。「我が魂の内側より」。悪はそのものに近づき、一撃を加える。剥がれ落ちる皮膚。徐々に光沢を失いし其の者の眼より、悪に問いた。「そなたは、なぜ居る」。剥がれ落ち行く魂より、悪に問う。悪は、一言。「我の存在は、人がいる限り続くもの」。彼の者は、何処へと向かい、また、去り行く者。深々と刺さるは、悪の刃。鮮血が迸り、あたりを血で染め抜く……」
延々と続くそのような話に、桜は徐々に顔を青ざめた。
数分後、ゆっくりと眼を覚ました。
「おはよう」
「悪夢を見てた……」
みると、冷や汗が、ほほを伝っていた。
「大丈夫さ。それよりも電話。雅が明日誕生日会を開くから、一緒に来てくれって」
「わかった…」
いまだに、呆然としている桜をほっといて、幌はそのまま部屋を出た。
そして、昼食を食べ終わると、早速町へ出かけた。
家の近くにある電車に乗り、行くこと数十分。
繁華街へ到着した。
「ここだったら、誕生日向けのプレゼントも買えるでしょう」
復活した桜をつれて、幌たちは『阪急うめだ本店』にいた。
「かなり高そうだけど…やっぱり『阪神百貨店 梅田本店』のほうが庶民向けじゃないか?」
「『大丸梅田店』もあるけど、ちょっと高級感を演出したかったから、ここを選んだのよ」
桜は、さらっと言った。
「それに、プレゼントは、お金をかけたいし……」
ただ、それ以外の思惑がありそうだったが、幌はあえて聞かなかった。
「じゃあ、何買う?」
幌は、桜に聞いた。
「言っておくけど、二人で1万円までだからな」
「わかってるって」
そういうと、二人は建物の中に入った。
「雅のほうからプレゼントを買いたい」
桜はそういうと、幌を引っ張っていった。
「やっぱり、こんなのかな…」
その眼は、真剣そのものだった。
「何でもいいけど、二人で1万円だって言うことは忘れないように」
「わかってるって」
そういいながらも、見ているのは、1万円を超えている商品ばかりだった。
十数分かけて、結果的に決めたのは、『コンフォートQ』に置いてある『[Rorstrand]Teacup & Saucer』だった。
お値段は、税込み5250円。
「残り4750円か…」
幌は、財布の中に残ったお金を見ながらつぶやいた。
「いいじゃん。要は気持ちなんだよ」
すぐ横で、プレゼント包装をしてもらった箱を持った桜がいた。
「とにかく、女の子がもらって喜びそうなものを探さないと…」
幌は、座っていたベンチから立ち上がり、颯爽と歩き出した。
向かったのは、『RMK』だった。
化粧品を主として取り扱っている店で、幌は、ここだったら、琴子が気に入りそうなものがあると思ったからだ。
「えっと…これがいいかな?」
手に取り、じっくりと見る。
すぐ横では、琴子の友人である桜が意見を言っていた。
「どうだろう…それよりかは、こっちのほうがいいかな?」
そんなこんなで、30分以上をかけて、幌が買ったのは『ハーブミスト N』の『リフレッシングイタリアンレモン』だった。
「これで、喜んでくれるかな…」
帰りの電車の中で、プレゼント包装をしてもらった箱を抱え込みながら、幌が考えていた。
「いいんじゃない?」
桜が言った。
「女の子って言うのは、好きな人からもらったものなら、とても強く印象に残るものなんだからね」
「それって…」
幌は桜のほうを見たが、桜は寝ていた。
幌は、首をかしげながら、前をぼんやりと見ていた。
すぐ横で、桜が細めで見ているのにも気づかずに。