第18巻
第25章 夏休み 〜別荘編 首相訪問〜
その日の午後、日も落ちつつあるころに首相は来た。
車で玄関まで乗り付けると、鈴の父親である山口之貴が出迎えた。
「ようこそおいでになられました」
「そんな硬くならなくてもかまわんだろ。どうせ、いとこ同士だしな」
「そうですが…さすがに、一国の首相であるあなたとなれなれしくするのは、この場では相応しくないと思うので…」
「それもそうだな」
首相はそれだけ呟くと、さっさと別荘の中に入った。
首相が入る瞬間は、幌たちは一番上から見届けた。
玄関は吹き抜けになっているため、最上階から下が見ることができるのだった。
「すごいね。中川さんが来た時と同じかそれ以上の待遇」
「同じぐらいだと思うよ。とりあえず、全員が出迎えるっていうのは、賓客ぐらいしかやらないからね」
千夏が驚いている桜に説明した。
そのころ、幌は下を見ずに宿題のプリントの一枚を見ていた。
「…だめだー。やっぱりわからん」
「どうしたのよ」
文版が聞いた。
「学校の宿題なんだけど、最後の2つになってわからないんだ」
「どんなの?」
文版と幌は、首相来訪そっちのけでその問題を見た。
文版が読み上げた。
「1578924577=0、11=1、91=9とする。この場合、98764321はどのような数に収束、または発散するか。答よ」
周りの人たちは、その問題を聞いて考え始めた。
「そもそも、どのようなことかを考えないといけないね。1578924577がどうしたら0になるか、11と1、91と9の間も同じようにね」
氷ノ山が言った。
「せやったら、ヒントとかないんかい」
琴子が聞いた。
「なんか、文章が並んでるけど、これがヒントらしいんだ。だけど、よくわからないヒントで…」
「どれ、みせてみ」
琴子に幌はプリントを渡した。
琴子はそれを一通り読んで一気に言った。
「わかったわ。この問題はな…を……して………とくんや。せやから答えは0や」
「よくわかったわね〜。私さっぱりだった〜」
桜が言った。
「でも、このヒントの文章。なんだか読んだことがある小説の登場人物っぽいんだけど…」
「気のせいじゃない?既視感って言って、なんだか見たような感じがするっていうこと、よくあることだから」
桜が首をかしげたのを見て、雅が言った。
「そっかな〜…ま、いいか」
桜はそれだけ言うと、再び下の光景を見た。
首相はその場にはいなかったが、後のあわただしさだけは残っていた。
荷物が次々と上に運ばれている間、首相と鈴のお父さんは広間で少し早目の夕食を食べていた。
「ところで、政治のことはどうなっているんだ?」
「円高による輸出減衰、世界各地での景気減速。それらをまとめあげてないって言って、なかなか難しい局面だよ」
首相は熱燗をお猪口で飲みながら言った。
目の前には、日本食が並んでいた。
「国民目線から言わせてもらえば、しっかりと景気対策をしてほしいっていうことだな。バラマキ行政って、あちこちで聞く言葉になってるぞ」
「それはこまった。どうするべきなんだろうな」
そして、首相は快活に笑い飛ばした。
「だが、どうとでもなろうよ!これまでも、日本はそうやって過ごしてきたんだ。石油危機の時、世界中があたふたしている間にも日本は技術革新を進めて、世界を席巻した。その技術力をもとにすれば、再び世界に飛躍することも不可能じゃないと思うんだ」
首相は、タイの焼いたものを箸でつまみながら答えた。
「とにかく、世界に対して日本ができることを、一つずつ考えていくべきではないかな。そう考えているよ」
そう言って、二人は談笑し続けながらご飯を食べた。
子どもたちは、幌の部屋に集まって、勉強会をしていた。
ただ、だんだん別の方向に進み始めているようだった。
「ねえ、思ったんだけど…」
桜が、ぽつりと言った。
「この中から誰が一番最初に結婚すると思う?」
だれかが噴き出した声が聞こえた。
「何を言い始めたんだよ」
雅が答えた。
「だってさ、なんだか気になるじゃない。私も誰かの結婚式に出たいし〜」
「いずれ出られるだろうよ。人生長いんだからな」
雅は、桜にそう答えた。
「そうよね〜」
そう言って、再び桜は女子同士の話の中に紛れた。
幌は、ずっと考え事をしていた。
星井出がそんな幌を覗き込んだ。
「どうした?」
「あ、いや。宿題最後なんだが、なかなか解けなくてな…わかるか?」
「どれどれ…何これ。国語の問題?」
「そうらしい」
二人は、その問題を見ていた。
そこに、琴子が現れた。
「どないしたん?二人して、しかめっ面で」
「この問題なんだが、わからないんだ」
「えっと…なるほどな。とりあえず、読み上げてみよか」
そして、琴子は、その問題を全員の前で読み上げた。
「以下の文章を標準語に訳しなさい。なお、問題の都合上、句点を一部抜いてある。
A『あれちゃうちゃうちゃうか?』
B『いやちゃうちゃうちゃうんちゃう?』
C『ちゃうちゃうちゃうやろ』
A『ちゃうちゃうちゃうんか』
B・C『ちゃうちゃう』」
みんなは、頭の上に?マークが浮かんでいるようだった。
その中で、琴子がすらすらと標準語に戻した。
みんなは、まじめにすごいと思った。
「なんでわかるんだ?」
「わてな、小さいころ大阪におったんや。せやから、中途半端な方便がまじっとるやろ?」
「…そういうことか」
幌は琴子の説明にうなづいた。
そのとき、だれかが扉を開けた。
「鈴お嬢様。千夏お嬢様。お客様の方々。ご夕食の準備が整いました。どうぞ、広間のほうへおいでください」
燕尾服をびしっと着こなした、初老の男性が言った。
「わかりました」
鈴はそう返事をして、その人を先に下に戻した。
永嶋は、鈴に聞いた。
「あのさ、さっきの人は?」
「あの人は、この別荘の管理人をしてくれている、執事の多井祥汰さん。けっこう有能なの」
「へえー、さすが大金持ち。執事とか居るんだ」
鈴は返事をせずにそのまま部屋を出た。
日暮れが迫っていた。
下に降りると、首相がちょうど上へあがるところだった。
「おや、君たちもいたのか」
「之貴さん、こんばんは」
「こんばんは」
鈴が代表したような形になり、あいさつを交わした。
「そうだ、君たちにも聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょうか」
鈴が聞いた。
「君たち、今の政治をどう思っているかね?」
「そう唐突に聞かれましても…考えるに、政治自体が興味、関心を失っているのと思います」
「それは、どういうことかな?」
首相は、その話に食いついてきた。
「今の政治は、若者やいわゆる弱者といわれる人々は、政府に無視されていると感じています。妊婦が病院をたらいまわしにされたり、格差社会が固定化しつつあったりしています。そのような状況で、政府に対して関心を失いつつあるのは、仕方がないことだと思います」
「だとすると、鈴はどうすればこの状況を改善できると思っているんだ?」
「まず、富める者から税を取り、貧しき者に対して振り分けます。道路特定財源やその他さまざまな無駄を削除し続け、国債の償還を進めます。さらに、中小企業に対して財源を給付したり、技術者の育成に力を育てていく必要もあります。それによって、日本経済は一時的な停滞期に入るでしょうが、中長期的な視点から見れば、必ずや日本経済を力強く育てていくことになるでしょう」
鈴は、ほとんど一息に言った。
首相は、黙って聞いていたが、ふと口を開いた。
「わかった。すべてできるわけじゃないが、9月に入ってからの臨時国会の時に審議をしてみよう」
それだけ言うと、礼を言ってから首相は上へと消えていった。
「何をしたかったんだ?」
幌がつぶやいた。
「若者の意見を聞きたかったんだろうよ」
すぐ横にいた雅が答えた。
そして、広間に入った。
夕ご飯を食べ終わると、幌たちは再びそれぞれの部屋に戻った。
そして、これからのことを思い浮かべながら、それぞれ友人たちと話をして、眠りについた。