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エッセイ

ウォークマンを外したら

作者: 仲山凜太郎

 最近、ウォークマンをあまり使わなくなった。

 ウォークマン。ソニーの誇る携帯式の音楽プレーヤーである。最近はスマホなどに押されて少々影が薄くなっているらしいが、私の世代ではそれ自体携帯式音楽プレーヤーの代名詞として使えるぐらい馴染のあるものである。

 ちなみに愛用のウォークマンはNW-S766という奴だ。メイド・イン・マレーシアである。買ってから一度も不具合がない。すごいぞマレーシア製。

 半年ほど前までは、普通にそれを愛用していたものだ。歩く時はもちろん、長時間の移動にはなくてはならないものだった。常に鞄やポケットに入れておき、いつでも聞けるようにしていた。

 中に入っているものは主に落語、朗読、クラシック。この3つでおそらく容量の8割を超える。無理もない。これらは時間が長い。落語は演目にもよるが20~60分、朗読はCD4枚組のものだったりすると2時間を楽に超える。クラシックも40分を超えるものは珍しくない。とにかく、これらは容量を食う。

 他には映画のサントラ、J-POP、アニソンや昔の特撮ヒーローソング、漫画や小説のイメージアルバムなども入っている。

 何でもありだ。

 それは今でも変わらない。しかし、実際にそれを取り出して聞くことがめっきり減った。


 きっかけは小さな耳の疲れだった。

 普段は何でもないメロディが不快になった。聞き慣れた声や歌が雑音にしか聞こえない。

 これなら無理して聞くことはない。

 そう思ってイヤホンを外した途端、心地よい解放感が広がった。

 今まで意識しなかった風の音、鳥や虫の声。そばを歩く人の足音、子供達のはしゃぐ声、地を駆ける自動車のタイヤ。通り過ぎた店の前での店主と客のおしゃべり、客を呼ぶ声。

 車のクラクションやパトカーのサイレンすら気持ちいい。

 まるで疲れ切った時に我が家に帰り着き、窮屈な服を脱いでベッドに倒れ込んだ時のような安心感だ。

 ただいまと言いたくなった。

 

 それからウォークマンを使う機会がめっきり減った。

 音楽より、町に流れる生活音の方が聞いていてリラックスできるのだ。

 イヤホンで音楽を聴く。その音楽に浸るということは、それ以外の音をシャットダウンすること。防音の部屋は中の音が外に漏れないかわり、外の音が中に入ってこない。

 それは自ら音楽という牢獄に閉じこもることではないか。言い方は悪いがそう思うようになった。だからこそ、イヤホンを外した時に開放感が溢れる。一気に耳の世界が広がる。

 音の世界を聞くか、世界の音を聞くか。

 音楽を聴いている時も楽しいが、生き物たちの生きる音を聞くのも結構楽しい。


 とは言え、時折、無性にあの歌が聴きたい。あの朗読が聞きたいという気持ちが湧き出てくる。

 先日、桂歌丸師匠が亡くなられた時には、「おすわどん」「質屋蔵」「鍋草履」などを立て続けに聞いた。

 その時は落語だったが、普段、聞きたい衝動に駆られるのはほとんどが懐かしのアニソンだ。先日は白黒時代の「怪物くん」の歌が無性に聴きたくなった。本編は一度も見たことがないのに。

 イヤホンは外せても、まだまだウォークマンは手放せそうにない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 音を通して、普段忘れていた事を 想い出したのでしょうか? たまに・・・ 偶にですよっ!! いつもじゃありませんよ! 公園とかで、もにゃぁ~んとしていると 風の音とか草木の音とか遠くの電車…
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