どんな願いも一つだけ叶えてやろう、だがその代わり就職してもらう
「すみません、我が結社に入りませんか?」
スーツ姿の差し出した男の名刺にはこう書かれている。
秘密結社『親愛なる悪役諸君』 人事部 人材発掘課 課長 交差点の悪魔
新手の宗教にしても、もっとましな勧誘方法があるのではないだろうか、俺は断りの言葉と愛想笑いを浮かべながら静かにドアを閉めようとする。
「その代わりあなたの願い事をなんでも一つ叶えます」
「すごい神様ですね」
あまりのビッグマウスに思わずツッコんでしまう
すごいな、何やかんや来世で救われるだの天国に行けるだのしてくれる神は数あるが、何でも願いを叶えることができるなんて太っ腹な神なんていればブッダだろうがキリストだろうが余裕で超えるだろ。
「いえ叶えてくれるのはうちの社長です」
あっ……マルチの方だこれ
「そういえばあなたは少なくない借金をお持ちでは?」
これは事実だ。しかし、そんなことまで調べて勧誘してくるとは油断できない、俺は警戒心を強めて会話を切り上げようとする。
「あなたが望めばお金も出しますし、他の願いも叶えますよ」
俺は冗談めかして断ろうと思いつき、ならば俺の顔を優しい顔のイケメンに変えてくれと話した。
「もうしわけございません、それだけはできないのです」
予想通りだったが少し傷ついた。どうせ入会しないと願いは叶えられないとかいう奴なんだろう。
「他にはありませんか」
真面目に答える気のないので『今すぐ一兆億円を現金でくれれば入ります』と言い捨ててドアを閉めようとする。
「一兆億円とはつまり1京円ということでしょうか」
瞬間、ドアの前に立っていた男がドアに足を差し込んで会話を無理やりつなげようとしてくる。
「現金はお勧めしません、口座で分割での方法がよろしいかと」
「今すぐ払えないならこの話はなしということで……」
そんな1京円なんて単位は昼のニュースでも聞いたことはない、俺はいい加減に扉をしめたいのだが、男はものすごい力でドアをあけ放つ
「ならば仕方ありませんね、こちらがあなたの望んだものです」
男の手から何かが吹き出し、俺に襲い掛かる。それが大量の一万円札だと気付く前に玄関から吹き飛ばされ、リビングの窓を破って外に押し出される。
俺の住む家は二階のボロアパートである。
俺は受け身もまともに取れぬまま体を強く打ち、胸と足の骨を折る重傷となり病院へと搬送された。
こうして俺は住んでいたアパートは全壊し、住む家を失った。
個人資産一億兆円という金はすさまじいインフレを引き起こし日本の経済を崩壊へと導いた。
俺は実名をさらされ、日本の敵としていつ民衆に殺されてもおかしくはない状況に陥ったため逃亡生活、この世に俺の居場所はない
ちなみに借金はまだ払えていない
「それでは約束通り、我が結社に入ってもらいます」
追っ手を振り切り、浮浪者のふりをして身を隠す俺に、スーツの男はいけしゃあしゃあとそういった。
ここまでが俺がこの会社に入社したいきさつである。
「理不尽すぎやしませんか」
俺は入社式参加後に自販機の前で項垂れる。長い逃亡生活で喉が渇いていたのだ。ちなみに自販機で一万円は使えないので買えなかった
いったい俺が何をしたというのだろうか、俺は信号無視だってしたことはない、喧嘩だって、真面目に生きようと必死に努力してきた。これがその結果か
人の目に怯えながら俺が連れてこられたのは大きなオフィスビルの部屋の一つ、その扉を開くと想像よりさらに大きなホールにつながっており、いきなり謎の演説が始まった。
演説で拳を振り上げていたのはこの会社の社長だという、話もそうだが見た目もかなりキマってる。
とにかく目立つどぎついピンクのスーツにハット、そこにニコちゃんマークの仮面と来ればもはやどこから突っ込んでいいのかわからない
様々なことがおきて脳がパンクしそうだ。
そんなときである。
「おぉ、ここにいたのか」
急に話しかけられて俺は顔を上げる。
「あなたは?」
「お前が配属されるとこの上司だ。早速今日から頑張ってもらうぞ」
そこにはスーツを着た普通のおじさんがいた。彼は俺の上司らしい、いかにも会社勤めといった姿に少し俺は安心した。
何をさせられるか分からないので、ヤクザな商売でもさせられるのではないかと心配ではあったがようやく話が分かりそうな人でよかった。
「俺はヤクザ、よろしくな」
いったい俺はどんな反応を返せばいいか分からない。
アイアムヤクザ、近年さらに取り締まりが厳しくなっている暴対法に真っ向から抵抗した自己紹介である。
「はい、自分の名前は……」
「お前の名前はゴロツキだ」
「いえ違いますが」
「いいやその悪人顔、間違いないな」
衝撃の連続だった。
自己紹介をされる前に自分の名前を指定されながら顔の造形を罵倒されるという体験が俺の人生にはなかった。
固まっていると俺の上司を名乗るヤクザは名札を渡してくる。反射的に何が書かれているか覗き込む
秘密結社『親愛なる悪役諸君』地球型支社 業務部 悪役課 不良係 ゴロツキ
「入社した時のルールなんだ。ここでは自分の名前じゃなくて決められた名前を使うんだよ」
なにやらスパイ映画のコードネームのようなものだと前向きに俺は捉えることにした。
しかしここで気になることがあった。秘密結社だの意味不明な会社名や役職、いじめに近い自分のあだ名み気になったが、とりあえずは現実的なところである。
「自分はなにをすればいいのですか? そもそも、一体この会社は何をしている会社なんですか」
「しらんのか、会社ってのはつまるところサービスを提供するってことだ」
「どんなサービスでしょうか」
「悪役だ」
「なるほど」
なるほど、分からん
あまり質問攻めにするのは失礼だと思うが、後々になってはさらに聞きにくくなるだろうと質問を重ねる。
「お給金はいくらほどでるのでしょうか」
大事なところだ。住む場所もなければ自由に使える金もない俺にとっては生きるか死ぬかの問題である。できれば日本円ではなくドルがいい
知っているだろうか地球にある株式その他資産を含めたお金の総量の合計は17京円ほどらしい、その17分の1である1京円が日本銀行券で突如世界に現れたとき、日本円の価値はちり紙と化した。俺の手配写真と並べて何度もテレビで解説していたから覚えている。
「金は特に出ない」
俺は死ぬらしい
「貰えるのはポイントだ。仕事で活躍したら貢献度と言われるポイントが計上される。それとは別に衣食住は結社で保障されるから安心しろ」
やりがいが給料とかブラックもいいかげんにしてほしい
俺が不服そうな顔をしていたからなのかヤクザさんが取り繕う様に俺を励ます。
「ポイントを使えば買いたいものもやりたいことも何でもできる。そして貢献度を1億ポイント貯めれば社長にどんな願いだってかなえてもらえる、そう悪い話ではないさ、お前も叶えたい願いがあるからここに入ったんだろ?」
どんな願いでもと聞いて俺は一兆億の件を思い出す。
そんなものはない、しいて言うなら俺の顔を優しいイケメン顔にしてほしいと訴える。
「お前の凶悪な顔は悪役向きだ。この会社でやっていきたいなら変えない方がいいぞ」
「それが無理なら辞めたいです」
「帰る場所があるのか?」
たしかにそうだ、俺に帰る場所なんてもうない、もう俺の顔はお札の肖像レベルで有名で、何処に行こうと安息はなかった。
いやこの会社のせいですけどね
黙り込んだ俺にヤクザさんは着いてくるように促すと振り返りもせずに歩き出してしまう。
仕方なしに後ろをついて歩いているとなんの変哲もないドアの前につく、そこには受付嬢の人がいて、その人に何か行き先を伝えているようだ。
ドアは開かれ、そのままヤクザさんが歩いていく
あけられたドアの向こうは逆光で見えない、まるで光のカーテンのようにさえぎられた向こう側、ヤクザさんが一足先にドアの枠に足をかけると振り返る。
「ゴロツキもはやくこい」
その名前はやめてほしい、そう思いながらついていくと扉をくぐる。
扉をくぐるとそこは町中だった。
後ろを向けばそれは小汚い中華料理屋の裏口だ。
いやいやいや、俺が連れてこられたのはオフィス街だったはずだ。いくら何でもこれはありえない
俺が混乱しているとヤクザさんが声をかけてくる
「これも結社の力だ。ボスのことは神か悪魔ぐらいに考えた方がいい、ここはお前のいた世界とは違う世界だ。比喩じゃなく本気でな、あれを見てみろ」
中華屋に置いてある型落ちのテレビにはニュースが流れている。
そこで流れていたのは全く聞い覚えのない有名人のスキャンダル、良く知らない総理大臣の名前、勉強したことのない大国の政治問題などが流されている。
というかここは日本という名前ですらない国らしい
「俺たちの仕事は世界中を回って悪役を提供する。すべてはボスを楽しませるためにだ。そして貢献度を貯めて自分の願いを叶える」
良く分からないが、その悪役とやらをすればボスが喜んで、俺に給料代わりのポイントをくれるらしい、俺はもはやただ口を開けるひな鳥のように口を開け、呆然としながら話を聞いた。
「というわけで仕事だ。今からここを通るカップルに絡む不良になれ」
「いやです」
それで喜ぶとはボスとやらは頭が飛んでいるのだろうか