ルーネット・スカルジャー
ヒト月、気力が足りませんでした。
7.ルーネット・スカルジャー
ルーネット・スカルジャーは愛くるしいが勇敢な仔犬である。
毀れそうな大きな瞳と、意思の通った鼻筋。ちょっとダラシナイ口許に、丸くて小さな頤。後ろ髪は頸元でしばり、小さな躰を弾ませて歩く。
そんな彼女は、スカルジャー雨爵家の末の娘である。帝都最大商社スカルジャー・カンパニーの息女でもあるのだが、帝国の奉職とはいえハウスキーパーなどを何故かしている。
ここで、少し帝国の爵位について前置きする。
帝国では『地位』を必要なときに買うことが出来る。下から順に、地爵、鋼爵、雨爵、男爵、子爵、伯爵、侯爵、七星候、そして公爵となる。公爵は、月皇陛下のご兄弟で、優秀さ惜しまれる声が高いときのみ置かれる特別爵、別名を百年爵ともいう。
この『地位』を買うと言う行為は、下の三つまでの『地位』なら事実として買い切った者がいる。
スカルジャー家は、その実績を造った一族だ。家格としても石火貴族を終え、華薫貴族の新進として活躍し勢いを待たない。
「ワウターさま、何をすれば宜しいのですか」
その容姿から、それ以上の有能さが覗くのを、アーロネスは不思議に思いながら指示をする。
「昼装と夜装は、そこの堅紙箱に上下を確認して入れてくれ」
宮中に於いて使用される『官制式服』は、原則、持ち出せない。それは過去の事例に於いて、幾度も近衛官の制服を利用する悪事が尽きなかったからだ。もちろん、その制服の偽造、類似は厳罰である。
ただ、近衛官は緊急時に応じて、最低限の制服を所持している。
それが昼と夜の『官制式服』
近衛の制服には、最新の魔法識別と魔法防式が織り込まれていて、その身を盾に出来るように工夫が凝らされている。
つまり月皇陛下、及び直系族の、もしもの際にして、皇宮機監の到着まで時間を稼ぐのが近衛官の役割。
暫くは、会話もなく黙々と作業を繰り返す二人であったが、やがてルーネットが作業の区切りに合わせて切りだした。
「あの、ご婚約、おめでとうございます」
「ん、ああ、一応は礼を言っておくが、正式なものになるかは、…どうかな」
実のところ、アーロネスの婚約が成立したわけではない。
しかし、彼の知らないだけで、ツイス・ワウター家とナクター家の間では、ある程度以上の約束が交わされているようなのだ。
「え、でも、それじゃあ」
「ふーむ。言いふらさないで貰いたいが…、昨日、初めて相手のご令嬢の写真を拝見した」
アーロネスに写真の記憶が蘇る。
これ以上無く、普通の写真だった。
釣書に添えるべき写真にしては、あまりにも素っ気ない。
「私とは、倍以上も歳が離れている。戦時中や中世なら普通だったかもしれないが、いかに貴族の婚姻といえど今どきではない」
十年も住めば、小さな一室といえど、それなりに物がある。それらの選択しながら、アーロネスは感慨に思考を浸らせ、昨日の記憶を辿る。
「まあ、婚約に至るかは、相手次第だ」
「そうなんですか?」
「そうだろう?…私が、浮かれて乗り気に見えるかな」
実際、家格としてツイス・ワウター家はナクター家の半分にも満たない。
ナクター家は、帝国初代帝王に爵位を頂いて、それを無二の誇りとして保持し続けている。一昨日の徹夜の限りに於いても、三度の昇爵があったはずだが、悉くを拒否して子爵を貫いている。
骨太の貴族というより、筋金入りの貴族。正に月下たる貴族。
千年も貴族である。
帝国が、まだ大陸における小さな一国家だったころから、覇権を唱え終えた現在に至るまで。七度の滅びに接しても節を変えず、義を守り、地を守った。
ツイス・ワウター家も長いとはいえ、五百年の華薫貴族。帝国の滅びも四度しか見ていない。
本来、それほどに家格に差があれば、婚約という話が持ち上がることもない。まして、ツイス・ワウター家は月下貴族への格上げが控えていて、立場は微妙である。
なにより、問題となるのは、カレンツ・ナクター嬢は一人娘であるという点だった。
こういった古い爵位家は、本家の血筋と『家』を残すことが基本だ。
つまり、アーロネスは入り婿ということになる。
「ふうーっ、」
彼は、まだまだ終わらない片付けと、近くの展望が見通せない状況に溜め息を吐く。
「…、」
その様子を見ていたルーネット・スカルジャーは、可愛くも諦めたようなコッソリとした溜め息をつくのだった。
帝都郊外。
そこに、ナクター家の本宅がある。
嘗て帝国の版図が一番小さかった頃、子爵の位爵とその領地を授かった。今となっては冗談のように思われるが、そこは帝国の隣国との境のある重要地だったのだ。それが、千年を経て帝都のちょっと外れた郊外という扱いに成るほど、帝国は大きくなった。
その子爵家は、然程には経済を重視していない。
しかし、帝都の近郊という地の利を活かして、食料の供給地としての地位を確立している。とても堅実ではあるが、それは子爵家にとっては所謂、副職のようなもの。代々は宮廷職、つまり内宮騎士や宮廷次官、近衛官等の上級奉職を選び長く勤めてきた。
ところが、近年になり、ひとつの問題がおきる。
生まれる子供が、息女ばかりなのだ。
当代の姉妹は、婿をとり、三女がナクター子爵家を継いでいる。しかし、その姉妹の子供が全て娘なのだ。これは、遠縁の血族を探しても限度といものがある。
そして、これが、アーロネス・ツイス・ワウターを巻き込んでいるのだ。
頑張ります。