眼帯を手に入れる
書きましたよ。
6.眼帯を手に入れる
現在の自宅に戻ったアーロネスが、まず最初にしたのは、官舎付き秘書にツイス・ワウター家への引っ越しを頼む事だった。
帝国、特に『帝都』は官吏の数があまりにも多い。特に重要職の異動や移籍、配置換えには、庶務課の専用引っ越し部門を利用するのが決まりとなっている。秘匿度に応じてランク付けされるが、近衛官はaから特A扱いとなる。今回は、退官に伴う引っ越しなのでaランクだ。
秘密と呼ばれるものは、他愛ない日常の変わり目にタンポポの種が風に舞うように散っていく。
それをしないためには、公的な部門を構えて一括化する必要があるのだ。
アーロネスは、紋章科から借りた資料を軽く纏めると、秘書室に入っていった。
中には三人の男女が暇そうにしている。奥に座るのは秘書室長のマルアノ・ラーティン、怖いような赤髪の美女。第一秘書はカノア・サーク・アウレット、この中では異色の経歴で皇女付き侍女頭であった。最後の秘書は、肩身の狭い男として官舎中からは哀れみをもって視られているシーズ・ナヴ・冬・コーディシア。
この官舎は、宮中付き官吏のものなので、秘書も特別ではある。
「こちらを紋章科に返して於いて欲しい」
「片付けは済みましたか?」
資料をシーズが受け取るのを見ながら、カノアが年上の女性特有の目線発言で聞いてきた。
もっともソレは、彼女の経歴に必要以上に強力に裏打ちされたものなので、官舎の誰もカノア・サーク・アウレットの威光には逆らえない。
「これからですよ。ハウスキーパーは誰か空いてますか?」
「アーロネスの部屋に入りたいキーパーは多いからな、どうだ、誰か持って行くか?」
秘書室長のマルアノは、とても美人顔でありながら下世話な存在なので、男の機微というか、ちょっとした暗い部分をニヤニヤと突いてくる。そういうところが、若い官吏たちからは畏れられていて、彼女マルアノ・ラーティンの枕詞は『美人なのは間違い無いんだけどなあ』
「ルーネット・スカルジャーが空いているでしょう」
「あの娘に、そんなことさせたら泣くんじゃぁ…」
その瞬間、カノアに冷たく睨まれて、シーズはムニャムニャと言葉を濁す。
「空いているなら、三時間程、借りるとしよう」
「運び出しは、最終日でよろしい?」
「あぁ、変わらない。昨日は実家に行っていたので、受け入れて貰えるように家宰には話は通してある。荷物は運ぶだけでいい」
「今度の勤め先は、何処に決まったんですか」
シーズが哀れみをもって視られる原因、状況を読まない発言が繰り出される。
女性陣に冷たい空気が流れる。
だが、彼女たちに質問を遮る気はない。噂話ほど楽しいものはないからだ。
「子爵家への家庭教師だ」
「えー、近衛官の悠々足るべき次の就職先としては、パッとしないすね」
「まあ、仕方が無いだろう。この時期に職を失う近衛は『訳あり』だからな」
流石のシーズも気まずい顔になる。
公務上の負傷といえば、一般的には『名誉負傷』と思われがちだが、近衛官にとっては違う。近衛官というものは、皇室を過不足無く警備し、不測の事態の際にも、何事も無いように守護する存在でなくてはいけないと教育されている。そして、それは、なによりも皇室の方々の心身の負担にならないということなのだ。
最後の任務に於いて、アーロネスは失敗した。
思春期を迎えたばかりの、一番下の皇女殿下の目の前で、片眼を失うという失態を犯してしまったのだ。
しかし、あの場面に於いて、アーロネスに他の手段はなかった。
相手にもっと腕力が無ければ、あるいは自身の判断が少し早ければ、魔法効果の発動に手間取らなければ、立ち位置があと半歩。
近衛官として、悔いることはあれど、皇女殿下に身体に傷一つ無く事を治めたのは僥倖というほかはない。
魔法が、子供向けのお伽話の様であれば、皇女殿下にご心配を頂くなどという失態を無かったことに出来るのだが、現実は変えようもなく、ただ結果『在る』のみ。
「アーロネス、その傷はちょっと目立つな」
マルアノが、少し思案顔をして「家庭教師先にそのままとはいかんだろう」と出してきたのは、鉢金式の眼帯である。
「この前の『隻眼一刀士 ボールヴァン男爵』をやった時のものだ。よかったら使ってくれ」
「あら、あの役は、もうやらないの?」
「なんか、人気が出過ぎちゃって、脚本家が、もうやらないって」
「室長、未だ辻劇士をやってるんすね」
アーロネスは、芝居の小道具にしてはお金の掛かっていそうな、それを手にして感心した。
「その本物との触れ込みで、骨董店に有ったのを買ったのだ。…良く出来ているだろう?」
「ボールヴァン男爵の本物って、」
「全くの創作上の方ではありませんよ、基は北龍島の地方執政官とのこと。そののち、ルーヴァンヌ女性子爵の盗賊退治が合わさって、似たような劇には事欠きません」
「アーロネスは、顔が小さい方だから女性用でもサイズは合うはずだ」
「いいのか?」
「まさか、使う気ですか、芝居の小道具ですよ」
「どうにかしなくては、とは考えていたのさ」
こうして、強面の鉢金眼帯の家庭教師が生まれた瞬間だった。
我ながら、下手くそですが書きたい世界なので。