写真と釣書と
カレンツ嬢は未だ出ません。
5.写真と釣書と
カレンツ嬢は、写真で見る限り大人しそうなお嬢様である。
頭抜けて美しいわけでも、聡明そうでもない。
だからと言って貶す様な事は、勿論何一つない。貴族であれば、ある程度以上の存在であるのは至極当たり前の事なのだ。
が、まあ、彼女カレンツ・ナクターは、なんと言っても千年続くような家に生まれた境遇である。普通で在るはずもない。
「ネス、この娘は、本当に良い子なの」
アーロネスは、母へとチラリと視線をあげて、直ぐに釣書に眼を落とす。
釣書に不自然な点はない。
ないとうことは、本当にないのか、極めて周到に用意された嘘なのかだが、彼は珍しく判断のしように困っていた。物事というのは、大抵は不出来なもので、完璧な文書などはないのだ。
「疑っているのね」
「近衛として、鍛えられましたからね。色々と読んでしまうのですよ」
「それは、頼もしい事だ。先方の先代ラーディル卿は、有名な人嫌いだ。気に入って貰え」
「父上、流石に意味不明ですが」
「会えば解る」
アーロネスは、また視線を釣書に戻す。
この釣書はナクター家が用意したものの筈だ。必ず意図がある。だが、本来、こういう釣書というのは、地位の保全に齷齪する絹縒り貴族達の分野なのだ。
絹縒り貴族とは、帝国に金を納めて地位を買っている貴族のことだ。
帝国では、然るべき金額を納めれば、誰でも貴族になれる。
例えば帝都では税として金一枚を納めるのが基本である。それは『衛生』や『防災』そして何より『地位』を保証するものだ。その『地位』は帝国爵位法によって、月に金五枚から貴族爵位を買える。
一例として地爵という爵位は、貴族法最下の地位だが月単位で買える。結婚式や葬式で箔付けに良く用いられ、普段に使えない教会や会館が使えるようになるのだ。
こうした納金を五十年続けると、その地位の権利を買い上げとなり、爵位に付随する正式な帝国爵位『法』上の権利を手に出来る。
その後、監査官の審査を経て、はじめて月皇陛下の『臣下』としての爵位が下される。そうして絹縒り貴族は、石火貴族と呼ばれる皇帝臣下、貴族の仲間になる。そうして正式な貴族になれば、紋章科に正規となる紋章を創起登録し、その氏族は高等公務が認められる。
帝国とは、徹底した実利によって廻っている。
国家に貢献しない貴族は、貴族とは見做されない。
貴族とは、帝国を廻していく者。内務、外務の官吏、内騎、外騎の兵士、勿論、近衛官に諜報官、内宮、外宮の執事係。数多ある帝国の奉職の数々は貴族の特権であり責務。
無能など有り得ない。
まあ、そうでもなければ、帝国が千年も続くわけは無い。たとえ七度の滅びに晒されても、その度に蘇ってきた。そうした公理を整えたのは、古い月下貴族達なのだ。
カレンツ嬢は、そのなかでも古い千年の息女。
「はあ…」
我知らず、アーロネスがため息を漏らす。
どこにも不備はない。
まあ、近衛の仕事で、頻繁に釣書を見る機会が有るわけでは無い。
近衛見習いの参考書類に二式、実物が二回。
実物も、精査したわけではない。
彼が、ため息を漏らしたのは、何か解らないながらも疼く勘だ。それは近衛官の十年が、きっとそれを感じているのだが、今の彼には理解出来ない。
「母上、カレンツ嬢に会うには、何を手土産にすれば良いですかね」
「あら、会いに行くの?」
「どうも、会わずに済む事態ではなさそうなので」
彼は、未だ両親にカレンツ・ナクターの不確定保護任務について話すべきか、悩んでいた。父も伊達に華薫貴族の要であるわけではない。何かを知っているだろう。
だが、何を聞くべきか。
曖昧な事態を確定するのは、いつかの局面で問題となるかもしれない。
そうした彼の思案を他所にして、少し夢見るような仕草の母は「そうですね、花、…薔薇が好きだとか聞きましたわ」と伝えてきた。
「昨今では、いい品種があるみたいですが、シーズンでしょうか?」
「まあ、花を贈る甲斐性を持つようになるとは、成長してますね」
彼は内心の苦さ隠して、
「ありがとうございます。何度か、痛い目をみましたから」
「あらあら、そんな好いことが。よく近衛の硬い仕事で覚えました」
くすくすと、上品に笑う母に不思議な感情を覚えながら、久しぶりの対面になって申し訳ない気になるアーロネスであった。
久しぶりに、彼は懐かしい自室に泊まった。
その翌朝、帰りの路面電車から、流れゆく眩しい街並みに、アーロネスは両親との遣り取りを思い返していた。
近衛官の習性で、会話はかなり正確に繰り返される。
仕事として不審者を選別する以上、場に相応しくない状況や会話は注意を向けなくてはならない。新米の頃であれば、何が間違いであるかを判別出来ないため、上司から会話の再現を求められる。
『あら、会いに行くの?』
不意に、脳裏に蘇る母の台詞。
“会いに?”
それは有り得ない。
貴族の『見合い』に、勝手に会いに行ける筈もない。
『何を』仕組まれてるのだろうかと、アーロネスは思考に沈む。どうにも事態の当事者である筈なのに、疎外感が否めない。
あと三日あるうちに、何を準備しなければならないのか。
テウンタの日差しは、未だ重い。
本人の登場は暫く掛かります。




