婚約者の心構えとは、
書きました。
4.婚約者の心構えとは、
アーロネス・ツイス・ワウターという近衛官だった男は、非常に堅い男であった。本当に堅く、月皇陛下からは、妙な信頼を置かれるほどであった。
廻りからは月皇陛下の『不思議なお気に入り』とも称されていた。
そんな男は、学生時代から何故かしら女性からの人気は非常に高かったが、本人にはついぞ自覚が芽生えることは無かった。
彼の人生に於いて、女性と付き合った事が無いわけでは無い。
古くからの友人である、同じく近衛官マイウス・バル・シー・ワックは、こう証言する。「ネス?、あー、あれを落とせる女ってのは、此の世に居るのかねえ」その顔は、悪戯っ子そのものので、それからこう言ったらしい。「きっと、稀代の悪女か、無垢である天女の、どっちかに捕まるんだよ。ま、どっちにせよネス自身が変わることはないね」
帝都の娼館の売れっ子と付き合っていたときは、勿論、監査局が念入りに調べて、珍しく結婚までの許可印があったというし、女人の運は悪くはない。
まあ、ただ、近衛官の間に結婚するというのは、余りない。
それは、仕方の無いことではある。貴密の中枢に近い以上、近衛の家族になるというのは、弱みになるということだから、滅多に無いのは当然なのだ。
花屋の娘と付き合ったときは、彼女の方が、ひと月持たなかった。
普通の人間が、近衛官のような人間と付き合うのは、揺れる心を越え得る何かが必要なのだ。それ以来、彼は特定の女性とは付き合っていなかった。
で、今回の事だ。
「母上、今回、帰ってきましたのは、人事院に流れている噂の確認にきました」
「あら、なにかしら」
「私の婚約が内定したという、私の知らない話が」
「ほほ、ようやく、かしら」
「では、事実なので?」
「三十を越えた男が独り身でいるなんて、恥ずかしいじゃありませんか」
アーロネスは溜息を堪えて、
「そういうことは、前以て、伝えて下さい。近衛は、基本、身内を増やさないが鉄則です」
「まあ、ネスの云うこともわかるが、母さんの気持ちも考えてやれ」
「父上、事は思ったより大きくなっていまして。…昨日、玉縁商会、御次男の婚約者からの挨拶が来ました。皇室御用達が動くなんて、どういう情報が流れているのか、ゾッとしましたよ」
「はは、物事に動じないお前でも、ゾッとすることがあるのか」
「日常では、私は平穏を愛してますので」
「でも、ホントに良い娘なのよ」
「ですから、母上、話が飛びすぎています」
アーロネスは、頭を内心抱えて母メルネイーイットを窺った。
彼女は、貴族らしく見たいものしか見ないが、そこに優しさが無いわけでは無い。華薫貴族の女流会では筆頭に立って、バザーやチャリティを行うし、どこからかの不思議な情報網を持っている。父サンドロークは華薫貴族の穏健派の中心で、立場的には頂点に立ってはいる。しかし月下貴族社会に所属することになれば、一番下の地位となる。流石に五百年を超える血脈となると皆鷹揚だが、考え方は古くからの帝国主義、憲法を規範としているから、昨今の風潮には簡単には沿わない。
彼の代では移行しないかもしれないが、長男であるマクイエスの代ではほぼ確実に所属する社会が変わってしまう。だから、これぐらいの華薫貴族になると、長兄には徹底して古い帝国貴族の教育が施される。それは帝国の歴史と、いま現在の帝国立脚を睥睨し、自在に話が出来るようになるということだ。
だからなのか、兄とアーロネスは幼い頃から社会人になるまで、あまり仲は良くなかった。しかし、そのマクイエスは結婚したあたりから少しずつ変わり、長男が産まれ穏やかに、長女ラトリエールが産まれてからは劇的な親バカに変わってしまった。
学生当時の兄と同級生だった、コーネアス・ディイル近衛官と新人三年目のアーロネスが皇宮警備の最中に、貴族の子女の顔合わせ会ルームス・エルグレスに来ていた兄家族を見かけた時に暫く驚愕していたぐらいである。
その後、コーネアスはそれはそれは、酒在る毎に持ち出しては、嬉しそうに肴にするのだ。それにアーロネスは、苦笑いで付き合っていた。
きっと、彼はこの件を知ったら、破顔して酒を飲むだろう。
「では、母上、カレンツ・ナクター嬢のコトは良いです。会ってみるまで話しの仕様はないですから…。まだ十三歳の娘と婚約など冗談のようですが、母上が進めようとするだけの事柄ではあるのでしょう。それでも、最終的に断る権利は戴きますよ」
「あら、生意気を言うようになりましたね。良いことです。あなたは、どうにも口数が少なくて、厭なことは黙ってしなくなる様な子でしたから」
「そうだな、私も、マクイエスの事に気を入れすぎていたせいで、お前の教育は疎かにしがちだった。だが、いつも、お前が最終的にはちゃっかり権利を確保をしていたのを知っていたから、先々代のような気質であるとみなして、放置していた。まだ御存命だったので、たっぷり助言を戴いたものだ」
彼は、そのとき初めて父が、あまり干渉してこなかった理由を知った。
宜しく、御愛顧のほどを




