持ち込まれた奇妙な事態
続きです。
3.持ち込まれた奇妙な事態
狼狽から立ち直るべく、アーロネスは取り敢えずの質問をした。
「その、情報はいったい何処から?」
「人事院や紋章科の娘たちの間では、一昨日の時点では不確定でしたけれども、昨日、ワウターさまの退官に伴う、最期の仕事先の判明で確定されていました」
彼は、痛む気のする、こめかみに指を当てて暫く黙り込む。
昨日の、彼の間諜に対する警戒や、何もかも、すべてが台無しだった。
「人事院には、近衛の方から、苦情を入れて貰おう」
「あの、このような、おめでたい情報の規制は、人事院では入れないようにしているみたいですが…」
「そうなのか、かなり昔からの慣例なのか、」
「いえ、ここ十年に満たない間だと・・・」
アーロネスは、官長の顔を思い出してしまう。
『多分、そういうことなんだな』と納得し、珍しくも喚きたくなった。
「あのう、・・もしかして、間違っているのでしょうか?」
「まってくれ」
言葉を絞り出して、一つ息を吐く。
あの長官の許で働いた経験上、アーロネスの感覚だと『規則の緩い上司』と感じていたが、最後の最後にそんな証明はいらなかった。あんなに見た目は強面であるのに、油断が出来ない冗談を放り込んでくるとの話は聞いていた。
「…この件に関しては、暫くは広めるのは容赦してくれ」
「あの、間違いなのでしたら、人事院の方にも言っておきますから」
「正直、今、私の状況が、どこまでが正しいのか明示できない」
だから、と一息つき。
「悪いとは思うが、商談を始める前に、君の知っている現状を教えてくれないか」
彼は、久しぶりの実家へトラムに乗っていた。
帝都をくまなく走る便利さではあるが、貴族北区画の便利は少し悪い。路面電車創業時に、当時の有力貴族との利権争いが酷かったせいらしい。
その所為で良くか悪くか、北の貴族街は静かで不便だ。
帝都の貴族の中堅高位である、ツイス・ワウター家は、なかなかに古い家だ。なにしろ本家のワウター家から五百年も前に分離したワウター家の雛なのだから。
北の新興貴族住宅地だった頃、随分と無理をして買ったと自慢出来るほど、帝都に構える邸宅としては大きい。そろそろ許されると期待される月下貴族社会でも、恥じ入るほどではないくらいだ。帝国の貴族というものは、古い血脈を大事にする。さすがに千年続く血脈の貴族は七星候でも四家のみだが、五百年以上の血脈に限っても百家ほどしかいない。
そんな実家の次男であるアーロネスは、勿論、家督を継がないが、近衛になるのを非常に反対されるほどには、両親との関係も悪くはない。むしろ『愛されすぎている』と、彼が感じてしまう程に、彼にとっては重いのだ。
一年振りに見る、門扉の古い魔導ベルを鳴らして、家宰のウェーデックが出てくるのを待った。
「あぁ、坊ちゃま、お労しい」
彼の、失われた左眼を見るなり嘆いた。
アーロネスの産まれたときからの付き合いである。どうにも彼はウェーデックには頭が上がらない。
「奥様も旦那様も、昼間に魔導応喚の連絡があって以来、落ち着かない様子で」
魔導応喚というのは、まだ電話網が敷かれる前の産物で、親しい間柄だけで持つ魔力認証付きの電話のようなものだ。
「ふたりとも、揃ってるのか」
「旦那様は、どうにもお仕事をすっぽかして、お帰りになったようで」
「何をしているんだか」
長い長い間、貴族であるということは、金廻りが良いということでもある。霞や苔にて、家というものは成り立たない。詰まるところ、責任ある地位に居るということは遊びではないのだ。
「兄上は、最近?」
「ラトリエールさまに、すっかり夢中で」
「人は、ほんとに変わるものだな」
ラトリエールというのは彼の姪にあたり、三歳を迎えたばかりのかわいい盛りらしい。アーロネスは、まだ会ったことはない。こんなことになるなら、少しぐらいは会っておくべきだったとほろ苦い後悔にて、家族用の居室のドアに立った。
「只今、戻りました。母上、父上」
「ネス、・・・ホントに、よく生きて帰ってきました」
「なんとか、身体の方は無事ですよ」
父親である、当主サンドローク・ツイス・ワウターは、彼と視線を合わせると少し目を潤ませて、しっかりと頷いた。
アーロネスは、ちょっとばかり感慨に耽る。
『この程度の遣り取りで、軽く意思が通じ合うのだな』
彼は、自分が器用に感情の表現が出来る方ではない事を知っている。人間というのは、生きているだけで変わっていけるのだと、初めて、そう実感した。
しかし、今日の目的は『もっと、面倒な事』なのだ。
なにしろ、表向きには近衛官ではないのだから、ここからの話は慎重に、『普通』の帝国人として振る舞わなくてはならない。婚約話の持ち上がった人間は、どのように振る舞うのか?




