魔術環処の医師
ご無沙汰しております。
いろいろあり、復帰する気力になりました。
18.魔術環処の医師
ほどなくして、シアーナともう一人、妙齢の女性が入ってきた。
「目覚めてくれた…良かった…」
「…、」
二人は対照的な表情を浮かべていた。
シアーナは窶れながらも、ほっとした顔で敬虔な笑みを浮かべていた。
もう一人は、例えるなら保母、幼年家庭教師といった、優しい顔だった。
二人の容姿の美点は、シアーナが青味がかった黒髪ならば、もう一人の彼女は翠色のかかった黒髪をしていた。
ただ、その新たな黒翠の彼女が特徴的であるのは、眼を閉じているということだ。
【アリエス、アリエス、】
キラキラとした“翼の幼公女”は黒翠の彼女の額に座った。
どう考えても、それは座れる位置ではないのだが、明らかに座っている。チョンと…。奇跡の体現者には造作もないのだろうが、不思議で落ち着かない光景だった。
【お役目、ご苦労様です】
【褒めた?】
【はい、褒めましたよ】
【うー、うー、たー、たー、】
幼女の姿の割には、長い手足をバタバタさせる。
【でー、でー、なに、なに、する、する、】
【じゃあ、自由時間を五分上げます】
【おー、おー、】
小さな薄羽根の妖精は、窓辺の太陽を浴びにいった。
キラキラの羽根が太陽の光を吸収しているようだ。
『魔法にあんな術理があった?』
アーロネスは愕然としていた。
【あの、ひょっとして、聞こえてます】
“は、っ、っっ”
生涯において、そう吃驚するという事がなかった彼が、今日は特異点なのか連々としている。
「多分、聞こえている」
【「ああ、やっぱり」】
黒翠の彼女アリエスは、ちょっとと不器用な口調で喋った。ちょっとハスキーで甘い声だ。そして、薄羽根の妖精と喋っていた声は、妖精よりは大きなベルの様だ。
それは、彼には二重になって聞こえる。
【「視線が、私と“テテ”とキョロキョロしてましたから」】
彼女は眼を閉じたまま、和やかにそう言った。
【「まずは、謝っておきます」】
今度は、少し違ってアーロネスに届く。
実際に耳に届いたのは「謝罪」という単語だった。
【「ほとんど初めての経験ですけど、多分“テテ”との言葉は、あまり難しくは出来ないので、変な感覚がついて回るかもしれません」】
「あ、ああ、大丈夫だ、気にならない。そういう職場にいた」
【「あとで“テテ”を褒めてあげて下さいね」】
「喋れないんだか、妖精語は」
【「大丈夫。“テテ”には嘘は通じません」】
すると、ソワソワした様子の“テテ”がチラチラとこちらを見ている。自分の名前を呼ばれると落ち着かないらしい。
【来た、呼んだ、来る、】
我慢が出来なかったのか、パァーと喜びの舞をしてアリエスを見ている。
【呼ぶ、来た、呼んだ、】
【「テテ、私の前にいる方の診察をします」】
【そうなの、うむ、うむ、】
「部長、始めても宜しい?」
シアーナ部長は、軽く肩を竦める。自分の性に似合わないシーンだと考えているらしい。“出来る女”仕様の出で立ちでは“翼の幼公女”と戯れているのは、確かに合わないかもしれない。
「いいわ、…最初からコレが可能だったら良かったんだけど。さあ、やって」
「はい」
「まて、目覚めて、いきなり何をするつもりだ」
「何って、診察です。機関長に報告は、そのあとです」
シアーナはアーロネスが最後に見たときからは、随分と窶れている。が、彼には時系列が判らないままなので、感覚的に納得がいかないのだ。
勿論、死にかけていた自覚もない。
「さあ、何もかも納得するのは、診察のあとです」彼女は、先程までの敬虔さが喪われている。ギリギリと何か堪えているようだが、無理もない話である。
なにしろ一歩間違えていれば、大貴族の子息が失われる寸前だったのだ。
目覚めるまでの心労は、察するに余りある。
「あ、あぁ…」
「彼女は、ここの患者、兼医者、兼技能者です。ご心配なく」
『?』
ここは、歴戦の近衛官だったらしく抵抗しようとしたが、あまりの迫力に言葉が切れ々々になる。我に返ると、とんでもない単語が混ざっていた。
「始めます」
「やって」
『“患者”ってなんだ』そう反応した。
医者に患者などと混ざって良いものではない。
もちろん、医者とて人間である、病くらい得ることはあるだろう。
しかし、医者より患者の紹介が先なのは、普通ではない。
流石に抗議の声を上げた。
「まて」
もちろん、それは間に合わない。
そして、
アリエスの両眼は開かれた。
そこには、有り得ないモノが視開かれていた。
ヘテロクロミア。
《相違虹彩》
その異形だった。
一つは『魔法眼』
これは、十人に一人くらいには、その症状は現れる。ただし“利得”が7で無ければ、だ。それは瞳にある虹彩形状が、高考度立意魔法陣になっているという奇跡。
圧倒的な魔性の圧力。
その“利得”とは。
例えば、汎用魔術式の風の魔術を起動したとする。これには、2の魔力構成式力が要るのだが、“利得”が7もあれば、無意識下でも起動する。そして発動すらしてしまうだろう。
このあたりの関係性は理論値化されているのだが、学者間では、ほぼ空想扱いである。
少なくとも公式には、四まで。いや、左右でも五までだ。それ以上は無い筈だった。それでも、それは破格の『魔法眼』なのである。学会にでも発表しようものなら狂人扱いされるのは、疑いない。
そして、その対になるは『妖精眼』だ。
正確を記すならば『精霊眼』が正しいだろう。が、これも百人に一人くらいは資質はあるものだ。精霊蔡が近付くと十人に一人になったりする、案外とあやふやなモノだ。
それも、仕方の無いことではある。
なにしろ妖精や精霊の恩寵なのだから、気紛れに付与され、悪戯に剥奪される。
そういうものなのだ。
彼女の精霊眼は、通常『猫目』と呼ばれるモノ。
動物の精霊信仰には、よく起こりえる奇跡であって、その生物の特徴を授かるコトがあるのだ。他には犬歯が伸びたり、爪が頑丈になったり、耳が良くなったりする。これらの症状は物理的なモノもあれば、精霊的、端的にいうならば魔法的に在るだけのこともある。
猫目は割と一般的であり、驚くほどではない。
だが、彼女に発現している猫目はある種の先祖返り的な虎瞳だった。それは普通にしているだけで、人を射竦めてしまう。
これだけで、まず普通の生活は難しい。
虎は、圧倒的強者だ。
強者は、争わない。
そうさせない存在なのだ。
普通に生きる庶民は勿論、貴族であっても関係ない。なにしろ“只”の人間に過ぎないからだ。人間ごときに従うような魂の虎は居ない。
そういうモノが二つ揃っている。
特別な相違虹彩
『魔法眼』
『精霊眼』
ここまで、奇跡の乱発である。
彼は愕然としていた。
もちろん、全てを読み取った訳ではないが、小賢しい理屈を超える圧倒的、力の奔流だ。
間違えようも、疑いようもない。
『魔術環処』は、普通ではない。
それを彼、アーロネス・ツイス・ワウターは思い知る。前職、近衛官として『レセーテ機関』には聞き覚えはあった。
王室相関図の隅に小さく描かれていた。
近衛官の職務に、そうは関わる筈もない部署。
それでも『レセーテ機関』それは皇妃殿下の名前を冠した医療魔術機関だ、との知識はあった。近衛官として憶えておくべき、基本の基本。
だが、こんな秘密があるのだとは思いもよらなかった。
これは奇跡。
そう、そうとしか呼べない。
誰が帝都の片隅に、こんな奇跡が在るなんて想像もし得ないだろう。
そういう、代物である。
【「何か、『魔術』を展開してくださいな」】
「何?」
両眼の開かれた影響か、彼の本能と修練が防御態勢を取ろうとする。
彼女の台詞を一度で飲み込めない。
【「『魔法』でも構いませんよ」】
内心の混乱と溜め息を堪えて、アーロネスは「庸備ではダメか」と問うた。
魔法や魔術は、実際に発動までしてしまうのは、やっかいで、習練にもならないコトが多い。
だから、『庸備』という漢禄帝国で開発された習練があるのだ。庸備は発動を仮定式で行うモノなのだが、これは安全装置式で、書き換えた一部を正式にすれば発動する。
だからこそ、軍では『庸備』を重要視する。
剣や盾の型の訓練と思って良い。
魔術も魔法も、結局は早さと力がモノを云う世界なのだ。
【「展開の方が確かですので」】
「では『水』を展開する」
アーロネスは何の気なしに選択したが、これを基礎に育ったので、無意識の選択だった。
こういう瞬間に、貴族の本質というか、資質が滲み出る。
何が良くて、悪いという話ではなく、そういうものなのだが、今の語りではない。
魔法に於いて『水』は歴史的にも、技術的にも、また物理的でも、特別である。それは『生命』と『物の理』による『魔法』的手段が無限と言って良いほど溢れているからだ。
だが、彼が『水』を意識した途端、
「なんだ、、、」
【「そっと、何気なく、ありのままで、」】
【ん、ん、】
薄羽根の妖精は、人らしさを喪い、妖精として『世界』に融けている。でも繋がりはあるようだ。
「何が、起こった?」
【「ここは、特殊な病室になっています。患者が暴れたり、苦しんだり、悶えるような事が無いように“禁地魔術式”が仕組まれています」】
「戦地で使われる“鎮静魔術”か」
【「そのようなものです」】
そうと解れば、アーロネスに無理な事ではない。
両手で掬う様に、掌の上の『世界』を魔法下に置く。
そこにある『世界』に『水』を『精製』する。
それは『完全水』
水素と酸素の純粋な化合物。混じり気は無い。
コレが『物の理』による『魔法』
人の思惟、或いは私意は、『魔』にて元素をも生み出し化合させる。
【「あの、そこまで高度なことをされても、困ります」】
カレンツ、十三歳の子爵令嬢。
薄い胸を気にしているが、この歳で判断するのは難しいだろう。
従姉妹たちは、基本大きい。
しかし、三姉妹だったりすると一人は、見事に薄いのだ。
それが、目下、狂おしい一つである。
「でもでも、でもでも、う、薄いほうが、良いって、なったら」
ベッドで悶え苦しむ日々である。




