01
自殺についての描写があります。ご注意下さい。
「今日の夕飯、ハンバーグなんだよね」
変な人だな。――と、まず思った。
私は今、放課後の屋上でフェンスによじ登った状態だ。そしてその上から外へ向かって、片方の足を突き出している。
そんな事をやらかしている私が言うのもどうかと思うが、この場合、もっと他にあるだろう。分かんないけど。スカートからパンツ見えてるぞ、とか。
屋上に出るためのドアの横、コンクリートの外壁にもたれて男子生徒が座っていた。
こちらから見ればその存在はすぐに分かるが、校舎から出てくる視点ではちょうど死角になる位置だ。実際、ついさっき通った時は全く気付く事ができなかった。
「僕、好きなんだよね。ハンバーグ」
そう言う彼の手の中で、チロチロリンと陽気な音程でスマホが着信を告げている。
ハンバーグが好きなのは分かった。今日の夕食を楽しみにしてるのも分かった。しかし今、何の関係があるのか分からない。
フェンスの上にまたがった格好で、私は困り果てた。
もう飛び降りても構わないのか、それとも話し終わるまで待つべきだろうか。そもそも、この話はまだ続くのだろうか。
それに、さっきから彼が見ているのはスマホばかりだ。もしかすると、私に話しているのではないのかも知れない。
どうしよう、と悩む間に気が付いた。ハンバーグを愛するこの男、よく見れば知った顔だ。一方的に、と言う意味だが。
渡真利颯介。二年生のはずだから、あちらが一つ先輩になる。愛想もよければ頭もいい超絶級のイケメンで、友達のいない私でも噂くらいは耳にするこの高校の有名人だ。
なるほど。それならチロチロリンも鳴り止むまい。際限なく届くメッセージに延々返信し続けるとか、何それ恐い。リア充ってホラーの一種だったのか。
高い所から見下ろして、いわれのない同情を向ける。まさか、それを察知した訳ではないと思う。だが彼はスマホから目を離さずに、しかし今度は間違いなく私に言った。
「知ってる? 飛び降り死体って、すげーグロいんだって。そんなの見たら挽き肉とか食べらんなくない? 僕、ハンバーグ好きだって言ったよね。どう責任取るつもり?」
……いや、責任って言うか。
話の流れとそのトラウマレベルだと、私はすでに死んでいる。聞くところによると、人間死んだら終わりだそうで。多分だけど、死後に取れる責任はない。
「まあ、無理でしょうね」
「だから?」
肩をすくめる仕草と同時に、やっと顔がこちらに向いた。向いたまま、動かない。
初めて知った。見るにはいいけど、イケメンに見られるとストレス凄い。太陽はもう沈み掛けているのに、肌をじりじり焼かれるみたいな感覚があった。
だから? って、何だろう。これ、返事待ってんの? いやでも自分がひき肉になったあとの事までは、やっぱり責任取れないな。
うん、取れない。
だから、ああ、と思う。分かったかも、と。
またがっていたフェンスからすごすご足を引っ込めて、コンクリートの床へ下りた。
これでよろしいでしょうか、と言う気持ちで渡真利颯介に視線で問う。と、勝ち誇ったような顔がドヤッとこちらを見返していた。
やはりそうか。
俺様にグロいもん見せんじゃねーよ、この底辺ふぜいが! って話だったようだ。
言われてみれば私のように根暗な女が、ひき肉となってイケメンの御前を汚すのは申し訳ない。かも知れない。この件に関してはまた後日、改めてと言う事にしよう。
内心でうなずきながら仕切り直しを画策していると、イケメンのすぐ横でドアが壊れそうな勢いで開かれた。
「落ち着け! 武谷! 先生と話そう!」
短い髪。黒ぶちメガネ。よれよろのスーツ。そして叫ぶ私の名前。これ多分、担任だ。
正直、担任の事は飯出って名前と、顔がぼんやり分かるくらいだ。しかし明らかに慌てたこの感じから察するに、大体のところを見られていたのだと思う。
さっきまで登っていたフェンス越しに確かめると、そこから思いっ切り職員室の窓が見えている。ぬかった。
完全に自殺を止めにきたテンションの教師に、私は挙手するように手の平を見せた。
「あ、違います。今なら何か、飛べる気がしたんです。アイキャンフライ」
真顔で言い切る。
無理かなー。とは、自分でも思った。
――で、だ。何がどうなって私は今、超絶イケメンと仲よく一緒に下校する事になったのか。いや、別に仲よくはないか。一緒の方向へ一緒に歩いてるってだけで。
担任も、面倒は嫌なのかも知れなかった。なぜかさっぱり分からないが、アイキャンフライがなぜか通った。多少怒られはしたが、無罪放免うやむやだ。
「あぁ、そうだ。今日から君、僕の奴隷ね」
すっかり暗くなった帰り道で、渡真利颯介はスマホを見ながらそんな事を言った。ついでのように。
「は?」
「助けてあげたでしょ? 恩返しくらいして貰わないとね」
「助けられましたか?」
いつだろう。背中に尋ねる。こちらに歩調を合わせるつもりはないらしく、彼はさっきからずっと私の前を歩いている。
「アイキャンフライはないよね。あれでごまかせるとか、本当に思ったの?」
え、嘘。分からないなりに、冴え渡った捨て身ネタで乗り切ったと思ってたのに。
考えてみれば、黒メガネとイケメンが頭を突き合わせて審議している瞬間はあった。屋上で、私がアイキャンフライって言ったあと。
やけにあっさり帰されたとは思っていたが、この人が担任をごまかしていたのか。
これはお礼的な事を言うべきか? 首をかしげて考える間に、駅に着いた。
その駅の構内で、なぜか私はじっくり怒られる事になる。互いの家が、全くの逆方向だと判明したためだ。
「引っ越しなよ。今すぐ」
口調は静かだったが、表情は完全にキレていた。これが渡真利颯介、一度目の激怒だ。
愛想のいい人間の、珍しい部分を見てしまった。と、思ったこちらも甘かった。
一通り怒ったあとで彼が私に要求したのは、携帯電話の番号とメアド、ID類の提出だ。スマホを片手で操りながら、当然のように。
「僕がメール送ったら、一分以内に返信ね。電話は十秒以内に絶対出て」
「渡真利先輩。私、携帯持ってないです」
その瞬間、超絶イケメンの整った顔が化け物でも見たかのように青ざめて歪んだ。
これが、渡真利颯介二度目の激怒だ。
「何で持ってないの? それでも女子高生なの? 高校入って、まず親にねだるのが携帯でしょ? 友達いないから必要ない? 馬鹿? 連絡取れなきゃ友達なんかできないよ!」
家路を急ぐたくさんの人が行き交う中で、こうも遠慮なく怒鳴られたのは初めてだった。
キレたイケメンってマジ恐い。
確かに、怒ってる間も渡真利颯介が手にしたスマホは着信を告げていて、この小さな機械でつながっていると言う事が現代に生きる私達にはとても重要な事なのかも知れないとか思いながら怒鳴られた内容は全く覚えていない訳だが。
人間、怒られ過ぎると逆に頭に入ってこない。これ新発見。
最終的に、何を言っても響かない私にヤケになってイケメンは言った。
「……解った。ノロシで連絡するから、君は家から北の空見てて。ずっと見てて」
私の自宅からすると彼の家は北の方向にあるらしい。電車の方向で自宅の位置関係まで把握するとは、さすが勉強もできるイケメンは違う。顔は関係ない気もするが。
しかし現代日本でのろしを上げると、色んな意味で騒ぎになるのは間違いない。今日のところは、自宅の電話番号でご勘弁いただく運びとなった。
番号を教えたのは確かに自分だったので、驚く理由はないのかも知れない。
しかし普段、自宅の電話はめったに鳴らない。それが帰宅し、玄関に入った瞬間くらいのタイミングで鳴ると言うのは心臓に悪い。
慌てて出ると、当然のように渡真利颯介。やはり、リア充はホラーの一種かも知れない。
「……武谷ですが」
『知ってるよ』
耳にあてた受話器から、あきれたような声が答える。それもそうだ。
「どうかされましたか」
『明日、朝イチでメロンパン食べたいから買ってきて』
「ご自宅まで?」
『……君、僕を何だと思ってるの? そこまで酷い人間に見えるの? 学校だよ、学校。僕の教室まで持ってきてよ』
後輩にパンを買わせる時点ですでに酷い気がするが、その辺はいいのか。それに、渡真利颯介は二年生だ。一年の自分が先輩の教室を訪ねるのはあまり気が進まない。
「失礼ですが、先輩のご自宅周辺にコンビニは存在しないのですか? パンの専門店も? 朝一で、と言う事でしたらメロンパンは朝食だと思われるのですが、私が学校までお持ちするよりご自分でお求めになった方が迅速かつ確実に朝食を……」
『武谷』
「はい」
『話長い』
不機嫌に言って、通話は切られた。
長かったか。受話器を見つめて反省する。
普段めったに人と話さないから、一度の会話で許される文字数に制限があるとは知らなかった。勉強になる。
仕方ない。今日は早く寝よう。そして明日は早く起きて、献上メロンパンの捜索のためにいつもより余裕を持って家を出る。
――変なの。
暗く誰もいない家の中、自分の部屋へ向かいながら思う。
一時間くらい前まで、死のうと思っていたはずなのに。私は、明日を捨てたはずなのに。
今は約束ができてしまった。
明日の朝、メロンパンを買って届ける。それだけの事だったけど。