鬼婆
「では、ごゆるりと」
母と同じ位の年齢であるとおぼしき女性はそう言い残し、ゆっくりと障子を閉めた。
陣太郎は緊張した面持ちで広い部屋の奥、着物を着て胡座をかく少女にゆっくりと近付く。
部屋は百畳はあろうかという広さで、畳が敷き詰められ、特に少女が座る場所は上座であるのだろう、框が設えられていた。
一段高くなったそこはまるで時代劇のお殿様が座るような作りとなっており、少女の背後に見える床の間と書院がやけにアンバランスと思えた陣太郎である。
いや。
アンバランスというか、場にそぐわぬ存在でいうならば自分こそがそうだ。
住んでいる場所の隣県、山奥の鄙びた村の風習と言う名の土着宗教にて“神の住まい”とされる場所で暮らす、“神の化身”とされる和装の少女に只一人で邂逅しているのだから。
なぜこのような事になったのか?
いまだ状況に心がついて来ない陣太郎は、幾度目かの自問を繰り返す。
始まりはそう、彼の幼馴染みである天之麻甘菜から手渡された、一枚の地図だ。
それは学校からの帰り道。
「とてもいいアイディアだと思うの」
幼馴染みはそう言いながら、陣太郎にその日の朝にプリントアウトした地図を差し出した。
地図は十字の印が書き込まれており、そこには丁度隣県のとある山里にある神社が記されていたのである。
時節は十月、陣太郎達が通う高校の中間テストの全日程が終わった日。
帰り道、陣太郎を呼び止めた幼馴染みは「祟り祓い」の方法が見つかったかも知れないと不機嫌に口にした。
陣太郎をわざわざ学校から随分離れた場所で呼び止めたのは、甘菜の気遣いなのだろう。
なぜならば、学校一のアイドルと恋仲の噂になった折、陣太郎はふとしたキッカケで柄の悪い生徒に呼び出され“制裁”を加えられていたからだ。
勿論噂を直接的な理由としての呼び出しではなかったが、しかしその理由は言いがかり同然で誰が見ても甘菜との噂が原因であると見て取れた。
果たして陣太郎は暴行を受けてしまうのだが、暴行を加えていた生徒の一人が肌身離さず持ち歩いていた竹刀ケースを足蹴にした時である。
どこから湧いたのか、服の中に複数の大きな黒いムカデが潜り込み、手ひどく噛みつかれてしまったのだ。
突如悲鳴を上げのたうち回る仲間の様子に気が付いた不良達は、亀のように地に蹲る陣太郎に蹴りを入れる作業を中断してどうした、と声をかけたのだが。
ムカデは直ぐにどこからともなく彼らの衣服の中にも湧いて、結局は複数の絶叫を聞きつけやって来た教員が救急車を呼び、病院に運ばれる騒ぎとなったのである。
以来、甘菜は学校では極力陣太郎と距離を置くようになり、その代わりにこうして帰路などでは意図的に“ニアミス”を行い接触するようになっていた。
「しかし、よく正直に話せたね、陣ちゃん。普通、仕返しされるかもって思っちゃって“呼び出し”の事とか先生に話さないよ?」
「うるせ。俺だって本当は話したくなかったよ。だけどな、俺、停学食らったばかりだったし。流石に仕返しを怖れて退学になる訳にはいかねぇよ」
「ま、そうよね。その竹刀ケースの件は父さんが学校に“関知しないように”って釘を刺してくれたけど、ああいうのは防ぎようもないし……」
「ほんと、お前の親父さんすげぇよな。生活指導の広瀬でさえ、コレには見て見ぬフリしてんだもの」
「父さん、顔だけは広いから」
少し不機嫌な声。
幼い頃もそうであったように、父娘の関係は今も良くは無いらしい。
「で、この地図も親父さんのコネ?」
「そ。ムカつくけど、父さんが私より先に祓える“かも”しれない方法を見つけてきたの」
「ふうん。で、具体的にどうすりゃいいんだ?」
「さあ? 知らないわよ。父さん、『陣太君を某県の千早神社に行くよう伝えてくれ』ってだけ言い残して、またどっかに出かけちゃったもの」
「……俺、天之麻さんの家じゃ陣太君って言われてたんだ……」
「ううん、違うよ。父さんが名前を覚えてないだけ」
「それはそれでなんか、凹むな。ま、良いけどさ」
そこで言葉を切ると、二人の会話は何故か途切れてしまった。
夕暮れ、某県某市郊外に伸びる天之麻神社への道。
道路は舗装されていたが車や人の姿は無く、辺りに見える物といえば田んぼと点在する自動販売機がちらほら。
沈黙は気まずかったが、虫の音と降りて押す自転車の回るギアの音、美しい夕日と隣の幼馴染みの姿は、陣太郎の目と耳に強く焼き付いた。
正に何気ない一瞬ではあるが、不思議と何十年も後に思い出すのだろうと思える景色がそこにあったのである。
陣太郎はしばしその光景に居心地の良さを感じてから、徐に先程手渡された地図を思い返した。
地図は隣県の某村を指しており、陣太郎が住む場所から来るまでおよそ三時間はかかる距離だ。
丁度中間テストが終わったこの日は週末で、泊まりがけでこの村に行くには好都合ではある。
いや、もしかして甘菜と二人でプチお泊まり旅行に……などと妄想が一瞬よぎった陣太郎であったが、流石に現実はそう甘くは無い。
「早く帰ろっか、陣ちゃん。多分、おじさんが準備して待ってるよ。昨日父さんが陣ちゃんとこに電話していろいろ説明してたから」
甘菜はそう言って、降りていた自転車に跨がり力強くベダルをこぎ始めた。
成る程、流石は厳しさでは定評のある現実、ということか。
健全な男子高校生の妄想通りにはいかないらしい。
果たして陣太郎が帰宅すると彼の父親が待ち受けており、早々に着替えを済ませるや駅まで陣太郎を送り届けたのである。
その後目的地に着くのは深夜になりそうだと言う事で、最初の電車の乗り換え駅で降りた陣太郎はビジネスホテルに宿泊し、翌日の夕刻、目的地である某村の千早神社にたどり着いたのであった。
夕刻となってしまったのは父親に手渡された“旅費”が思いの外高額で、最初の乗り換え駅となった某県の地方都市で遊んでしまった為である。
普段小遣いすらまともにくれない父親が多額の“旅費”を手渡してきたということは、すなわち“ゆっくりしてこい”と言う意味であり、ひいては“なるべくゆっくり帰ってこい”という意思がこめられていると陣太郎には伝わっていた。
今頃はきっと、夫婦水入らずの時間を楽しんでいる事であろう。
「どうした?」
「うぇ?! あ、いや、えと、その……はは、緊張しちゃって……」
少女の問いかけに陣太郎は我に返った。
いささか、緊張をほぐす為の回想が長すぎたらしい。
「ふふ、俺のようなカタワを見るのは初めてか?」
「え? あ、えっと……いや、別にそうでは無いですけれど」
「へぇ? じゃ、身近に片足隻眼の女の子がいるんだ?」
「……いえ。そうでもないんですが……」
「どっちだよ」
「えっと、その……障害を持った人を見るのは初めてじゃないって意味でして……」
「なんだ。ま、いいや。そんな事より、悟郎さんの紹介にあった刀、みせてくれるか?」
悟郎とは天之麻甘菜の父親の名前である。
一見、同年代にも見える少女は粗野な言葉遣いでそう言って、陣太郎に向けてやたら白い手を差し伸べた。
そんな少女の姿に気圧されながらも、陣太郎は背負っていた竹刀ケースを降ろしてジッパーを外し、中から鬼目一“蜈蚣”を取り出す。
しかし緊張の為か取り出そうとした指先は震え、ケースの中にあるはずの刀をうまく掴めなかった。
何故陣太郎がこれ程までに少女に圧倒されているかと言えば、それは少女が“神”であるからである。
勿論、それが本当かどうかは陣太郎にはわからない。
事前に手渡されていた天之麻悟郎のメモには、彼女は千早神社の氏神の化身と考えられ、幼い頃より生き神として祭られてきたのだと説明が書かれていた。
実際の所は事故か何かであるのか、それとも先天性であるのか、とにかく彼女は何らかの理由で片目片足をなってしまい千早神社で神の役をしているだけなのだろう、と陣太郎は見ていたのだったが。
それでもやはり、彼女の尋常ならざる雰囲気は陣太郎にもしやと思わせるには十分なものであった。
少女は着崩した着物の奥から一本、にゅっと白い足で胡座をかき、片目を瞑らせたまま手を差し伸べ続けて居る。
短く切り揃えられた白い髪と開いた大きな右の瞳、そして凛々しく整った顔立ちが更に神の美貌に凄味を持たせていた。
「どうした?」
「あ、いえ。ちょっと、こういった雰囲気に弱くて」
「なっさけな。お前だって“神”の眷属みたいなもんじゃねえか」
「え?」
「しかも取り憑いてんのが天之麻比止都禰命縁の品ときたもんだ。丁寧に左目まで潰しちゃってまあ……。お前の片足をもいだら、さぞ強い力を宿した神になろうな」
「そんな……はは、冗談はやめてください。それに、なんで片目片足になったらその……“神”になるんですか?」
陣太郎は引きつった笑いをうかべつつ、ケースから鬼目一“蜈蚣”を取り出して少女に手渡す。
どのような事が切っ掛けであったのか、震えは止まっていた。
少女と交わした気安い会話が功を奏したのだろう。
少女は框の側まで身を乗り出して重い刀を受け取り、変わらず胡座をかいたまましげしげと眺めた後徐に鬼目一“蜈蚣”を抜こうとした。
が、鬼目一“蜈蚣”はビクともせず、ん、ん、と乙女の甘いうなり声が部屋に響くばかりであった。
「ふぃー、これ、すごいな」
「はぁ」
「流石は悟郎さんの依頼って所か。どうやら“俺”に何とかして欲しいって事じゃないらしい」
「あの……どういう事、でしょうか? 俺、天之麻さんに言われその刀の祟りを祓えるかもしいれないって事でここに来たんですが」
「はぁ? お前、ここがどんな――“俺”が何なのか、なんも知らずに来たっての?」
「え? ええ、まあ」
気のない陣太郎の返事に少女はあんぐりと口を開いて、顔を右手で覆った。
陣太郎の返答は予想外であるらしい。
少女はしばしその格好のままうなり声をあげていたが、やがて陣太郎に鬼目一“蜈蚣”を差しだし、頭を振るのであった。
「……なあ、君。名は?」
「あの……臼木陣太郎といいます」
「じゃあ、臼木氏。君は一つ目小僧とか、一つ目入道とか、一本多々良とかは知っているかい?」
「……一応、名前だけは」
「じゃあその姿やどんな存在か、とかは?」
「いえ。ごめんなさい」
つい、なんとなく謝ってしまう陣太郎であった。
隻眼片足の神や鬼、妖怪はわりかしポピュラーな存在であったが、そういったものよりもゲームの発売日やアイドルの動向にしか興味が沸かない男子高校生には無縁ともいえよう。
少女はすんと鼻を鳴らしそうであろうなと口角を歪めて吐いたのは、言葉ではなくため息を一つ。
しかしそれは陣太郎を嘲るものではなく、天之麻悟郎の手際の悪さ、あるいは悪辣さに呆れてのものである。
「じゃあ、教えておこう。知らずにここへ来たのなら、少し可哀想だからな」
「はあ……」
「はあ、じゃないよもう。全く、悟郎さんには困ったもんだ。いいかい? 君のその祟りはすごく強い鬼……というか、神の怨念から来ているのはわかるね?」
「ええ」
「一応言っておくが、鬼も神も似たような物だ。わかるかい?」
「はい。この刀に祟られた時にその辺は聞かされています」
「じゃあ説明はいらねぇな。薄々感じてるかもしれんが、そいつをどうにかできるのは人なんかじゃない。それこそ、神や鬼でなくてはだめなんだ」
陣太郎は少女の言葉に強く頷きながら鬼目一“蜈蚣”を受け取った。
祟り刀はその怨念の質量を纏っているかのようにズシリと重い。
そのまま竹刀ケースに仕舞おうと考えた陣太郎であったが、少女との会話を切ってゴソゴソとするのも失礼な気がした為、そのまま框の所で座り脇に刀を置く事にしたのである。
少女は陣太郎が目の前の框の側で座った事を確認してから、話を続けるのであった。
「だけどさ? 今の世の中、神や鬼なんかにそうそう逢えるわけない。精々、金が大好きなインチキ教祖様に騙されるのが関の山だろう?」
「まぁ、その通りでしょうね」
「だから悟郎さんはね、臼木氏をこの地で、この場所で、この部屋で“神”にしようって腹づもりなんだと思う」
「はぁ?! あ、ごめんなさい。でも、なんでまた俺が?!」
「そりゃ、その祟りを祓う為に決まってんだろ?」
「それは俺でもわかりますけど……でも、“神”って誰にでもなれるもんじゃないでしょう?」
「そりゃそうだ。だが、資格なら十分あるぜ? おあつらえ向きにも今の臼木氏はかつての俺と同じだからさ。なあ、俺、幾つだと思う?」
唐突な少女の問いに陣太郎は困惑した。
“神”となる資格と彼女の年齢に一体なんの関係があるのか。
陣太郎はしばし考えて、とりあえずは話を進めるべく無難に見たまま、答える事にした。
「ええ、と……十八……いや、十六歳?」
「はは、嬉しいねえ。若く見られた時だけ“神”で良かったと思うよ。正解はな、二百三十二だ」
意外な答えに陣太郎の戸惑いは更に深まる。
冗談で嘘を話している雰囲気ではない。
――もしや、この娘……すこし頭なイってる系?
いや、不思議っ娘ってやつなのか?
宗教関係者だしあり得るとは思うけど……
にわかに不穏な空気を感じた気がした陣太郎は、引きつった笑いを浮かべせめて冗談であって欲しいと回答を否定してみる事にした。
「またそんな……はは、からかわないでくださいよ」
「それが本当なんだな。どれ、面白い昔話をしてやろう。昔はここらだけでなく、そこら中の村々で行われていた祭りの話さ」
「祭り、ですか?」
「ああ。なあ臼木氏。鬼ごっこ、ってやった事あるだろう?」
「ええ」
「あれの原型みたいな祭りだ。いいか? はじめに村の男達が旅人を一人攫ってくるんだ。旅人が居なけりゃ、村の者から誰か一人選ぶ。そんで、そいつの片目と片足の先を潰し、一年間その土地の氏神が祭られている神社の座敷牢で“祭る”のさ」
少女はそう語り始めて、徐に懐から小さなカッターナイフを取り出しポィっと陣太郎に投げ渡した。
陣太郎がぎこちなくカッターナイフを受け取ると、それは確かに何処の文房具屋にでも売っている折刃式のカッターナイフである。
ますます意味がわからなくなった陣太郎は、事なかれ、少女の言葉尻を反芻することにした。
「……祭る、ですか」
「そ。で、その一年間はその男は神になるわけ。今と違って昔の神社の巫女ってのは体を売ってなんぼの時代だからな。男は毎晩、若い巫女さんを日替わりで抱いて暮らし、うまいもんも喰わせて貰えるって寸法だ。なんせ、神なんだから」
「へぇ」
「で、だ。一年経ったその日、男は外に放たれる。予め興奮作用のある香をたっぷり嗅がされてな。男を待ち受けるのは村の者達だ。皆、口々に男を罵倒して挑発する。で、激高した男が逃げ惑う村人を一人捕まえようとする。そいつが次の年の“神”ってわけだ。男はそこで晴れて自由の身になれる――人に戻れるんだ」
「それが鬼ごっこ、ですか」
少女の“祭り”の話と“鬼ごっこ”が繋がった事を理解した陣太郎は、会話の体をやっとなせるとばかりに結論を取って口にした。
それは物の教えを受ける身としては失礼な行為であったが、陣太郎よりもすっと年上だと言う少女は咎めもせずみじかく「そ」とだけ返したのである。
「でな? この地方にもあった“ソレ”は少し、毛色が違うんだ」
「といいますと?」
「“祭り”ってのは片目片足の神に近付く為の行事だったんだ。だけど、ここらのソレは常軌を逸しててな? まず、生まれつき無いし事故かなにかで片目がつぶれた者を探し出す。俺のコレは小さい頃、木登りしてて落っこちて目をやったんだ」
そう説明を続け、少女はニカと笑いペチペチと閉じた左目を叩いた。
笑顔は愛らしく、TVに出てくるアイドルもかすむであろうと思える程魅力に満ちていた。
「で、条件が揃った奴が見つかるとそいつを霊山の上に立てた社……ようするにここだな。ここに監禁して、片足を潰すんじゃなくて斧でぶった斬る。大概の者はここで死んじまうが、俺は若かったしな、助かったんだ」
「そ、そう、ですか」
笑顔は愛らしいまま、話はにわかに血なまぐさくなった。
黙って話を聞くつもりの陣太郎ではあったが、思わず相の手をいれてしまう。
少女の話がその後、どのような展開を迎えるのかわからなかったが、不穏なものであろうと予想がついてしまったからだ。
「でもな? そいつを潜り抜けた後にも地獄は待っているんだなこれが。神域と一体化させるって名目で、ソイツを村総出で犯すんだ。男だろうが女だろうが関係ねえ。そんな生活が一年続く。するとどうなると思う?」
「……わかりません」
「狂う。心が壊れるんだ。村の連中はその状態を神が宿ったっつって喜ぶんだからお笑いだな」
少女はそこで言葉を切った。
さも、陣太郎に何か感想を言えよ、と言いたげに。
笑顔は相も変わらず愛らしい。
嘘か誠か、そこに凄惨な過去があったなど感じさせる陰は全く見えない。
陣太郎には話を信じないという選択肢もあったが、祟りがもたらしたこれまでの経験がそれを選ばせなかった。
しばしの沈黙の後、果たして陣太郎は絞り出すように無難な言葉を吐く。
「そんな事が……」
「んだよ、もうちょっと気の利いたコメントくれよ」
「い、いや……流石にそれ、重いです」
「つまんねぇな、お前。ま、いいや。それで、だ。不幸なのか幸運なのか、俺は気が触れなかったんだ。どうしてアレを耐えられたのかはしらねえがな。ともかく、気が触れなかったもんで、俺はその先がある事を知る事ができた」
「その先?」
「そいつが儀式のお陰か、それともここが本当の霊山だったのかはわかんねえがな。とにかくこいつを耐え抜くと本当に“神”になっちまうんだ。“俺”のようにな」
ここで少女の笑顔が変質した。
形はそのままであったが、どこか人外のもののように歪んで見えたのである。
陣太郎はとうとう言葉を無くし、ゴクリと生唾を飲み込むしかできなかった。
気が付くと一種異様な空気が広い部屋に立ちこめて、嫌な汗が背に垂れる陣太郎である。
が、そんな空気も次の瞬間には笑みを消し、肩をすくめた少女によって元に戻るのであった。
「とはいっても、何でも思い通りに出来る程力が備わるわけじゃねえ。精々、ちょっとした神通力と長寿が手に入った位だ。神通力の方は一年もしたらほとんど消えちまったけどな」
「そう、なんですか」
「今じゃどこそこに温泉が出そうだっつー位のことしかできねえな。老ける事のねえ体になったのはいいが、端からみりゃ地元の妖しげな教祖様だ。嫁にいこうにも金目当ての野郎しかよってこねえし、そもそも籠の鳥だしな、俺は」
「なんていうか……大変ですね」
「んだよ、もっと気の利いた事言えよ。きっといい人が現れますよ、とか僕が貴女を連れ出しますよとかさぁ。色々あんだろうが」
凄惨な儀式の被害となった当事者にそう言われ、陣太郎は苦く笑った。
少女は同情が欲しい訳でない事はよくわかっている。
しかし、どのような言葉を掛けるべきかを理解するには、陣太郎は若すぎた。
陣太郎自身、祟りの被害者ではあるのだが少女同様にそれ程気にしては居ない為、余計他人の不幸には立ち入るべきでないと判断している事も曖昧な回答の一因である。
少女はそんな陣太郎にもう一度ため息を吐いて、話題を戻す事にした。
「ったく。君、モテないだろう? ……まあいい。話を一番最初に戻すぞ? 恐らく悟郎さんは臼木氏の足をここで切り落とさせ、一時的に“神”へと押し上げてその厄介な祟りを祓うつもりなんだろうと思う」
「うげ!」
「で、どうする?」
ずい、と胡座を組んだまま身を乗り出す少女。
一瞬、着崩した着物の胸元から谷間が見えてしまい、陣太郎は内心慌ててしまう。
一方、どうだとばかりに突き出した少女の顔には、悪戯っぽい笑顔が貼りついている。
対する陣太郎の答えは、迷う必要の無いものであった。
「どうするって……足を切り落とすなんてイヤですよ!」
「俺にいわせりゃ、そんな厄介な代物を持ち歩く方がよっぽどおっかないぜ? それに……」
「それに?」
「臼木氏がここで“神”になってくれたら、俺はそこで解放される。二百年ぶりにせいせいした気持ちで外に出られるようになるんだ」
少女の瞳はそれが冗談ではないと語る。
そこに期待がありありと見えて、陣太郎はわかりきった答えを口にする為、刹那に苦しみもがく事になった。
「その……ごめんなさい」
「そうか。くっそ、そうだよな! ……ま、いいさ。今は昔と違って関所なんてねえしな。その大百足がイヤになったらいつでもこいよ。俺も最近は今の生活に結構気に入ってるんだ。ぱそこんって言うの? アレ、すっげえ便利だし。俺みたいな引きこもりの鬼婆には丁度良い代物だ。いや、便利な世の中になったもんだよ」
「はは……鬼婆だなんてそんな……」
「鬼婆だよ。だってよ? “神”なんていや聞こえは良いが、その実“鬼”となんらかわらねえ。こぶとり翁や“阿阿”や“阿与”でもいつだって人の欲望を満たしてやるのは“鬼”さ」
「でも、願いを叶えて貰える人には“神”ですよ、多分」
「俺ぁヤだね。神よ仏よっつってこんな山奥に封じられてよ? あんだけ散々体をもて遊びくさったのに、今度は二百年も男日照りだ。外に出るなんざ夢の又夢。そりゃ、最近は“あまぞん”ってのや“ついったあ”ってのがあるが、結局は文通と変わりやしねえ」
「えっと、その……ごめんなさい」
少女の愚痴に陣太郎はバツが悪くなってしまい、もう一度謝罪を重ねた。
そのような意図はないとわかってはいたが、彼女の望みを絶ったのも事実であったからである。
「いいよ、きにすんな。こりゃ、愚痴だ。若いモンが年寄りの愚痴に付き合うのは世の慣わしだろ? この村も過疎化が進んでてな。最近はガキ所か、勃ちもしねえ爺ばっかになっていけねえ」
「はぁ……。あの、そろそろお暇します。今日はありがとうございました」
「んあ? もう帰るのか?」
「ええ。学校もありますし」
「そうか。いや、俺も久々に若ぇもんと話ができて楽しかったぜ。これに懲りず、ちょくちょく遊びにこいや。バッチリ当たる恋占いとムカつく相手をチビっと呪う事位は出来るからよ」
そう言って少女は可可と笑った。
陣太郎も彼女の笑いに合わせてはは、と気も無く笑ったが、竹刀ケースを置いた所まで戻り鬼目一“蜈蚣”を仕舞おうとした所である事に気がついた。
手の中に先程投げて寄こされたカッターナイフが未だあったからである。
――そういえばこれ、何の為に?
そう思いながら少女へ向き直ると、同じくカッターナイフに目をとめた少女が思い出したかのように一つ、話を追加したのである。
「ああ、そうだった。臼木氏が帰る前に一ついい事を教えてやろう。なに、土産の代わりだ」
「何でしょう?」
「そのカッターナイフで足の何処でもいい、傷を付けて見ろよ? 片目を神威に潰され“鬼”に取り憑かれた生け贄である臼木氏だ。多分、ほんの少しの間“神”に近付けるぜ?」
「え?」
藪から棒、とはこの事かもしれない。
否、棚からぼた餅と表現すべきか。
突然舞い込んだ話に陣太郎は、喜ぶよりも戸惑いを更に深くしてしまう。
「よっく考えろ? そこまで強い祟りを祓う事は無理だろうが、ちょっとした願いを一つ位を叶える時間は得られるはずだ。小金持ちになるも、好きなあの子の心を得られるのも自由自在だぞ?」
白髪の少女はそう説明し、ニヤリと笑う。
笑みはやはり華やかで、最近は美少女に見慣れてきていた陣太郎でさえ心をざわめかせるに十分な魅力である。
しかし、その瞳の奥には得体の知れぬものが潜み、じっと生け贄となる少年がどのような欲望を吐き出すのか注目をしている事も知る陣太郎であった。
「じゃあ……」
果たして、陣太郎が出した答えとは。
◆
「はぁ? あんたバッカじゃないの?!」
幼馴染みはそう言いながら、心底呆れたような表情を浮かべた。
時節は十月、陣太郎達が通う高校からの帰り道。
帰路、いつものように“ニアミス”を行った甘菜が、千早神社での顛末を聞いての反応である。
「もっといろいろあるじゃない。宝くじで当たりますように、とか陣ちゃんが好きなグラビアアイドルの清花ちゃんとお付き合いできますように、とか」
「そりゃそうだけどさ。可哀想だろ」
「あっきれた。何カッコつけてるのよ」
「つ、つけてねえよ!」
「その子、よっぽど美人だったのね」
「だから! 違うって!」
嘘である。
陣太郎としてはそんなつもりはなかったが、それでもあの少女はかなりの美人であった。
故に、心のどこかでは甘菜の主張を完全に退けられない、悲しい男のサガが陣太郎を否定し心を惑わす。
「じゃあ、その子がよぼよぼのおばーさんだったらどうしてた? やっぱり彼女の“自由”を望んであげるの?」
「あっ、当たり前だろ!」
「一等賞の宝くじや清花ちゃんのナイスバディを蹴ってまで?」
「……ぅん」
「小っさ! 声、小っさ!」
「うっせえ! 大体、足斬って神になれば祟りを祓えるってなんだよ!」
「いいじゃない、足一本で済むんなら。……ちょっと、ハードな選択だとは思うけど」
「やだよ俺!」
「……まあ、気持ちはわかるわ。そうよね、助けて貰っといて足の一本位何ともないじゃないってのはひどいよね」
突如、甘菜は陣太郎の否定に声を小さくして、憂いた雰囲気を出しそう言った。
てっきり命と足の一本を天秤に掛けてくると踏んでいた陣太郎は、予想外の反応にドギマギとしてしまう。
甘菜は自転車を押して歩く速さが低下させ、肩を落としながら陣太郎を見つめた。
学校のアイドルがする上目遣いは凶器も同然であり、陣太郎は以後のやり取りにおいて、甘菜に抵抗ができないだろうと予感してしまう。
「お、おう」
「ごめんね、陣ちゃん」
「わか、わかってくれたらそれでいいさ」
「で、どうなの?」
「ん? なにが?」
「その子、そんなに可愛かった?」
――そっちが目的かよ!
飲み込んだ言葉は、複雑な想いを伴った。
甘菜は嫉妬をしている?
それとも、可愛い女の子に目が眩みチャンスを棒に振る男かどうか、見極めようとしている?
健全な男子高校生が妄想するならば、当然前者を回答とするだろう。
その場合、模範解答はこうだ。
――俺には甘菜がいるし。
お付き合いするつもりはなく、ただ良い格好をしたいだけならこう。
――べつに。ただ、可哀想なだけだったから
陣太郎は素早く思考を巡らせ、回答を選び取った。
そして、口を開いた時。
突如、背後から派手なクラクションを鳴らされ、肩を跳ね上げてしまうのである。
振り向くと狭めの道路に見たことも無い白いオープン・スポーツカーがそこにあり、ゆっくりと二人の隣まで進んでくる所であった。
その、スポーツカーに乗っていたのは――
「おう! 臼木氏」
「えっ? あ、えっ?」
「ははー、その子が悟郎さんの娘さんか。天之麻の姫だけあって可愛いな! 憎いぞ臼木氏!」
つい先日、“神”として陣太郎と対峙したあの少女である。
白い髪は風になびき、サングラスを外した片目もウインクするように瞑っていたが、その美貌は夕日の茜に良く映えた。
「あの、なんで?」
「なんでって、お前、俺を自由にしてくれたのは臼木氏だろうが。だから、こうして早速“どらいぶ”がてらに一言礼を言いにな。しかし楽しいな、“どらいぶ”は。足が一本しかねえからオートマ仕様の奴しか乗れねえけど!」
「えと、村の方は……」
「ああ、村の衆か。好きにして良いんだとよ。金はたんまりあるし、俺が外をあちこち回って村に若いモンが来ればそれでいいんだそうだ。ただ、祭りの季節だけは戻ってくれとかいってたな」
言って少女は可可と笑った。
一方、甘菜はというとははーん、といった表情で口角を上げ、じっとりとした笑顔を貼りつかせている。
唯一笑っていないのは陣太郎のみであり、意味も無くあたふたとして少女をより楽しませるのであった。
「じゃ、な! 気が向いたらまた寄るぜ!」
少女はひとしきりニヤニヤと二人を観察した後、爽やかに手を上げながらエンジンを吹かせ去って行った。
夕暮れ、某県某市郊外に伸びる天之麻神社への道。
道路は舗装されていたが他に車や人の姿は無く、辺りに見える物といえば田んぼと点在する自動販売機がちらほら。
沈黙は非常に気まずいもので、虫の音と降りて押す自転車の回るギアの音、美しい夕日と隣で異様な空気を湛える幼馴染みの姿は、陣太郎の目と耳に強く焼き付いた。
「やっぱり」
やがて甘菜はポツリとそう言って、降りていた自転車に跨がり力強くベダルをこぎ始めた。
その声色はすこしトゲがある。
成る程、流石は厳しさでは定評のある現実、ということか。
健全な男子高校生の妄想通りにはいかないらしい。
果たして陣太郎はただ無言で彼女の後をついていく事しかできなかった。
しかし後日、学校からの帰路に甘菜との“ニアミス”は続いてゆくのである。
そんな甘菜の行動をどう受け取れば良いのかは、陣太郎自身、答えを持ち合わせては居なかった。