饑神・前編
おまけ。
その後の二人
秋も深まる十月の半ば、某県は某村にある千早神社。
かつて凄惨な陵辱の果てに生き神となった少女が暮らすこの場所は、広い敷地内に周囲の山々同様様々な木々が自生する。
その中に樹齢がゆうに百を超える銀杏やもみじの巨木があって、紅葉が始まるこの時期には普段人気の無い千早神社とてちらほらと地元の者が散策する姿が見て取れた。
が、祀られている存在が存在だけに、千早神社の事を知る者は基本的には少ない。
過疎化が進んだ地元の者を除き、偶に訪れる者と言えばやけに羽振りの良さそうな壮年の男性であったり、多くのSPを引き連れた老人が殆どである。
そんな千早神社であるが、ここのところ珍しく“幾日かぶり”に若い男女が訪れていた。
「では、ごゆるりと」
母と同じ位の女性はそう言い残し、ゆっくりと障子を閉めた。
臼木陣太郎と天之麻甘菜は怪訝な表情を浮かべながら、通された広い部屋の奥、着物を着て胡座をかきその胡座に肘を立てて、細い腕を顔に当て項垂れる少女にゆっくりと近付く。
部屋は百畳はあろうかという広さで、畳が敷き詰められ、特に少女が座る場所は上座であるのだろう、框が設えられている。
一段高くなったそこはまるで時代劇のお殿様が座るような作りとなっており、少女の背後に見える床の間と書院が相も変わらずアンバランスに見えた。
「……来たよ、おとねさん」
「おう。臼木氏、甘っち、良く来てくれたな」
「何かあったんですか? 父さんを通じて私達を呼び出すなんて。話なら向こう(東京)でもよく会ってたし、そっちで聞けたと思うんですけど」
甘菜の指摘におとねは顔を上げる事もせず、はぁああ、と深く息を吐いた。
もし見えるならばため息はきっと、彼女が処理しきれぬ憂鬱に染まって暗い色をしているに違いない。
「迷ってたんだよ」
「迷った?」
「頼るって事は巻き込むって事だろう? ばぁちゃんとしてはな、折角“蜈蚣”から開放された臼木氏と甘っちを関わらせたくなかったんだわ」
「……危ない事にでも巻き込まれているんですか?」
陣太郎の問いにおとねはやっと頭を上げて、ふるふると小さく左右に降る。
短く整えられた純白の髪は頭を振った動きに合わせサラサラと少し揺れて、閉じたままの左目は相も変わらず、その分大きく見開かれた右目が印象的な美貌は童顔でありながらどこか凄艶にみえた。
否、いつにも増して抗いがたい、匂い立つような色香は着崩した和装の、その隙間から胡座の形に一本だけ伸びる白い脚のせいであるかもしれない。
「なあ、臼木氏、甘っち。俺が東京の、某大学の“おかると”同好会って所の顧問やってるの、知ってるよな?」
「え? ええ、まあ」
微妙な反応は陣太郎である。
おとねの台詞にある苦い記憶が蘇り、隣で座る甘菜もそれを思い出し不機嫌になる事が予想されたからだ。
つまりは、遡る事約一年前。
晴れて甘菜と同じ東京の大学へと進学できていた陣太郎は、ひょんな事から“合コン”に出席してしまうという、甘菜に対する“裏切り”を働いてしまっていた。
勿論、甘菜に対する愛情が冷めてしまったり、彼女と過ごす日常に飽きたり、まして調子に乗って刺激を求めた結果からの行動では無い。
ではどういう事なのか、というと大学に入った陣太郎は、過去の経験から勉学の他にも祟りや呪いといった類の知識を身に付けるため、オカルト同好会に籍を置いていた所から端を発する。
陣太郎としては過去の様々な失敗を踏まえ、そう言った知識を得て危険な目に遭わぬようにと考えての行動であったのだが、それとは別に新たな人間関係も構築して行くのは当然の成り行きだ。
そうなると男同士の“つきあい”というものも発生するものだが、その内、必ずしも誠実でない相手が出現してくる事になる。
“その男”もそうで、当初は「他大学のオカルト同好会との情報交換」と言う名目で陣太郎に会合の参加を要請してきていた。
しかしいざ当日。
会場となる居酒屋に足を運んでみれば、その実単なる合コンであったことが発覚し、更にどうしても頭数が欲しい、と懇願され人の良い陣太郎は仕方無く参加し続けた――というのが真相であった。
が、不味いのはその後の事で、陣太郎は成り行きとはいえ恋人を求める男女が集う合コンに参加し続けた事を甘菜にはつい秘密にしてしまったのである。
本来ならば会合が単なる合コンであった事が判明した時に、すぐさま席を立つべきであるのだが、そうしなかった陣太郎の行いは後に大きな波乱を招く事になるのであった。
切っ掛けはある日甘菜に届いた、おとねからのメール。
そこには某大学のオカルト同好会の顧問になった事と、しばらく東京に滞在するので今度遊ぼうという内容が書かれていた。
甘菜はいきなりの事に戸惑いと興味を覚え、返信のメールに理由を問うものをしたためた結果。
果たしておとねは某大学のオカルト同好会の顧問になるまでの経緯を事細かに説明して、あろうことかそこから陣太郎の秘密がばれてしまったのだ。
というのも、陣太郎が出席した合コンは一応は「他大学のオカルト同好会との情報交換」の体も整えられていた。
当然同席した他の男性メンバーも、陣太郎と同じくオカルトについての知識を求める士であることには変わりない。
参加メンバーは男女共に三名で、少なくとも主催した男を除いた、もう一人の男性メンバーも陣太郎とおなじく望まぬ参加であったらしく、故にか陣太郎の会話の相手はこの男性メンバーであったのだ。
この時陣太郎は酒が入っていたからか、それとも自分と同じく目の前の女性に目もくれず、オカルトにいついて熱く語る彼の情熱にあてられたからか。
とにかく理由は定かでないが、あろうことかこの男性におとねの事を話してしまい、更にはメールを通じて彼女とのアポイトメントまで取り付けていたのだった。
この男性こそが某大学の現オカルト同好会部長であり、彼と交友をはじめたおとねが某大学オカルト同好会の顧問となることで、甘菜へのメールに繋がる事となる。
――さて、メールを見た甘菜が激怒したのは言うまでも無い。
勿論陣太郎の言い分も聞いた上で爆発させた怒りであったが、何より聡明な彼女は自分を信頼せず“合コン”の事を黙っていた事と、一般人に“生き神”であるおとねの存在を口にした事を何より怒り責めさせた。
一方陣太郎はと言うと、反論する余地などあろう筈も無く、まして開き直るような性格でもない。
だからか、ただひたすらに謝ることしか出来ず、しばし甘菜の言う事をなんでも聞き入れ夜は外出禁止の生活を送る内に、甘菜の怒りも有耶無耶となり一年の月日が流れていたのだった。
「臼木氏の紹介で俺とそこの部長は知り合いになって、顧問をやる事になったまではいいんだが……遊びの種ってのはすぐに無くなるもんでよぅ」
「はは……そう、なんですか」
「ん? どうした臼木氏。なんか具合が悪そうだぞ?」
「なんでもないです」
「? ……甘っちもなんか不機嫌そうだし。なんか俺、気に障る事言った?」
「ううん、ちがいますよ、おとねさん」
「そか、ならいいんだが……」
目に見えて急にギクシャクした空気を発する二人に、おとねは片眉を上げ首を傾げた。
まさか以前自分が送ったメールが切っ掛けに、二人の仲をぎこちなくさせる棘となり続けているとは夢にも思わないだろう。
そんな事情が二人にある事をおとねは知ってか知らずか、彼女は彼女で話の本題を思い出し、なにやら困ったように落ち込みながら言葉を再会させた。
「でな? こっから本題なんだが……その、なんだ。遊びの種というか、ほれ、“おかると”同好会っていう位だから、ソレがらみの遊び方ってのがあってな?」
「はぁ……」
「けども、心霊すぽっとだの、曰く憑きの品を見に行くのも、“他愛も無いもん”なら早々にネタって奴が尽きるわけだ」
「――! まさか、おとねさん?!」
「ああ、甘っち、そこは誤解しねぇでくれ。いくら俺でも“本業”で偶に関わるような危ねぇ事には巻き込む真似はしてねぇよ。ただ、今回はな……」
「今回は?」
オウム返しに尋ねる陣太郎に、おとねはうぐと言葉を詰まらせる。
どうやら話の流れから推察するに、件のオカルト同好会のメンバーに危ない事には関わらせないつもりが、計らずして危険な目に遭わせてしまったのだろう。
おとねはやけに色っぽく見える表情を更に曇らせ、絞り出すようにして問いに答えた。
「今回は……その、つい“ここ”の裏山に登らせちまったんだ」
「はい?」
「ここの、って、千早神社の裏手の山、にですか?」
「ああ。知っての通り、ここは“生き神”が生まれるほどの霊地だろ? 昔から特に山に入る事は禁じてなかったし、俺も偶に登ってたもんで、参道は結構登りやすいように整備してんだわ」
「へぇ。普通、こういった所の山って霊山だったりするから立ち入り禁止になってるのに珍しいですね」
「そこはほら、臼木氏。俺自身がここの主みたいなもんだしな、俺が受け入れている奴なら――例えば、臼木氏や甘っちとか、村の衆とかならなんでもねぇんだよ」
「――でも、そのオカルト同好会のメンバーはそうで無かった、と?」
話が脱線しそうであると判断したからか。
甘菜はやや低い声で陣太郎とおとねの会話から導き出した結論を口にし、おとねは苦く無言でもってこれを肯定した。
「……俺も俗世に塗れて色々と鈍っちまったらしい。前とは違って、嫌いなもんを嫌いだからとあからさまに排除せず、我慢って奴を覚えていたんだな」
「我慢って……端からみてるとおとねさんは……なあ?」
「そういう意味じゃないと思う、陣ちゃん。贅沢する、しないじゃなくて、人間関係的な話よ」
「そうそう。その、“おかると”同好会ってのは部長の他に女子が一人、野郎が一人の三人なんだがよ。この内、いけ好かねぇ奴が一人いてな」
「――で、その人を受け入らないまま、つい、人の世の“しがらみ”を抱えて山に入っちゃった、と?」
「そうなんだよ、甘っち。前の俺ならテメェはついて来るなっつーてハブにするんだが、何でかな、つい“おかると”同好会の顧問として筋を通して公平に扱っちまったんだ」
言って先と同じく、はぁああ、と深くため息をつき俯くおとね。
その様子から、山で何かに遭ったのだろう、と予測が付く。
ただ、深刻そうではあるが彼女が抱えたトラブルは人の生き死にに関わるほどでも無い、というのがこの時の陣太郎と甘菜の共通した認識であった。
というのも、おとねは一度甘菜の父・天之麻悟郎に相談を持ちかけ、その結果自分達に話が回ってきているのだ。
陣太郎が鬼目一“蜈蚣”に祟られていた時ならばともかく、今は何の力も無い只の人間であることは悟郎も知っているはずである。
故に、今回のおとねの苦悩は陣太郎と甘菜の二人だけでどうにかなる類の“仕事”なのであろう、というのがこれまでの二人の見立てであった。
――が、しかし。
確かにその見立ては合ってはいたが、それでも楽観すべきで無い――すくなくとも、ある程度の心の準備ないし、覚悟のようなものが必要であったと後に後悔する陣太郎と甘菜である。
「思い返したらよ、村の衆も偶に“それ”に遭っててな。ウチの山に出るって知らなかったワケでもなかった分、後悔ひとしおというか……」
「遭った、と言う位ですから当然なにかしらの“神威”なんですよね?」
「……まあ、な。遭ったのは、“饑神”の神威だよ」
「ひだるがみ?」
「それ、おとねさんがそんな悩むような神威じゃ無いと思うんですけど……」
「そうなの? 甘」
「ん。山に入る条件さえ満たしていれば、遭ってもそんな危険はない神威だよ。お祓いとかもするまでも無いような奴」
「ほれ、臼木氏。山に入る時は何でも良いから甘いもん持っていけって言うだろ?」
「え? ええ、小学校の遠足の時なんかでよく言われましたっけ」
「今じゃ万一の遭難に備えてって事なんだがな。昔はこのひだる神に備えて、飯を持っていったりもしくは米一粒でもいいから山で食った飯を残しておいていたんだ」
「ほら陣ちゃん、“だるい”って言葉あるじゃない?」
「今日の講義だりぃって奴のだるい?」
「そそ。それの語源とも言われている位には珍しくもない神威よ。ひだる神は山神の神威の一種で、山歩きをしている時に遭う神威ね」
「つーことは、その神威にあてられると体がダルくなるのか?」
「猛烈にね。急に激しい空腹に襲われて一歩も動けなくなるってのが一般的な伝承かな。その時にお米を一粒でも口に入れると回復できるのも共通した解決法だったと思う」
「……で、解決しなかった、と?」
甘菜の話を聞いてひだる神がどの様な神威か理解した陣太郎の問いに、小さく頷くおとね。
「男二人はまあ、良かったんだよ。いくら俺でも“それ”がひだる神の神威だってわかるからな、すぐにもの食わせて皆で下山したまでは良かったんだ」
「男二人っはって事は女の子の方に問題が?」
「ああ。知っているかもしれねぇけどよ、ひだる神ってのは寺の坊主に言わせりゃ、餓鬼憑きって奴と同じでな。この餓鬼にも色々と種類があるのは知ってるか?」
「仏教はあまり詳しくないですけれど、色んな欲に対応した餓鬼がいて、それぞれが望む物を与えると供養できるって位には」
「おお、流石甘っち! ……そうなんだよ、そこなんだよ。ひだる神も同じようなもんでよう、それで困ってんだ」
三度目、深く息を吐き俯くおとね。
一方、どうにも要領を得ない陣太郎と甘菜である。
オカルト同好会のメンバーの内、どうやら女性だけが未だ神威に苦しめられているらしい。
また、おとねの話しぶりから激しい飢餓感に襲われるひだる神の神威とは、別の現象も起きてはいるようだと判る。
しかし肝心のおとねが中々本題に入らないのはどういう事か。
神威に遭っている女性は今どうなって、何処にいるのか。
どの様な形の神威に祟られているのか。
他のメンバーはどうしたのか。
明確な回答を持ち得る人物が眼前に居るにもかかわらず、解消されない疑問は未だ多い。
――言いにくそうではあるけれど、話を聞かない事には先へと進まないし。
甘菜がそう考え、要点だけを整理して質問に答えて貰う形で内容を聞きだとそうとした時である。
やっとおとねの決意が固まったのか、彼女は不意に力無く立ち上がって、陣太郎と甘菜についてくるよう促したのであった。
◆
案内されたのは千早神社の奥、やけに薄暗い場所であった。
“生き神”を祀る千早神社の作りは特殊で、御神体を祀る本殿の奥に住居となる建物が続いているのだが、案内された部屋はそこから更に奥にあるらしく、暗い廊下を延々と進む陣太郎である。
廊下は真新しい住居部分とは違い壁の柱は相当古く見えて、黒くくすんでどこかカビ臭い。
「……この先は俺が“生き神”になった場所でよ。こんな所に閉じ込めるのは可哀想だが、人の……特に男の目に晒すよりかはマシなんでな」
「俺が一緒でもいいんですか?」
「臼木氏、何度も言うけど俺ぁ臼木氏を買ってるんだぜ? あんなバケモンに憑かれていながら祓える奴に頼らねぇで誰に頼るんだよ」
「いや、あれは……」
「謙遜すんな、胸を張れって。安倍晴明や役小角位だって、あんなもん手出しはできねぇだろうに。しかもそいつを恋人の為に何度も使ってたんだから二度驚きだ」
「褒めすぎですよ、おとねさん」
ピシャリと言い放ったのは、甘菜である。
どこか不機嫌なのは先程から引きずる、不和の種をいまだ抱えて居るためか。
そんな彼女の様子と肩を落とす陣太郎を見て、おとねは詳細は知らねど事情を察し、この日始めていつものようにニヤリと笑みを浮かべてみせた。
「いっとくがな、甘っち。“アレ”をそんな風に扱えた人間なんて、そうは居るもんじゃねぇんだぞ? それは判ってるんだろう?」
「……そりゃ、まあ」
「俺だって詳しくねぇがな、長い天之麻の歴史の中で、臼木氏程長く祟り刀を持ち、死ななかったどころか、祟りすら祓った男はそういねぇはずだ」
「でもそれは――」
「そりゃ、いろんな助力があったんだろうさ。だが、他者からの助力を得られたのは臼木氏だけじゃネェ筈だぜ? 歴代の持ち主だってそうだった筈さ。大事なのは、臼木氏が鬼の祟りを祓ったという事実だよ」
「……分かってます」
「そうか? ならいいんだ。何があったかしらねぇけどよ、とっととしがらみを捨てて仲直りしとけ。ばぁちゃんからの助言だ」
「それは――わかってます、けど」
言いながら、唇を尖らせチロリと陣太郎を睨む甘菜。
その目光にはやはり許せぬ、とばかりに剣が含まれて陣太郎を射貫く。
そんな甘菜の強情は本人おろか陣太郎自身、愛情の強さ裏返しであり故に割り切れぬと理解出来ていた。
だからこそいざこざはここまで引きずられ、両者共に落とし所を失ってしまう羽目に陥るのであるが、見る者にはそれがどうしようも無くまどろこしく感じられるのだろう。
「できねーんなら、それでいいさ甘っち。捨てるならソレ、ばぁちゃんが貰うぜ?」
「わ、ちょ、おとねさん?!」
暗くカビ臭い廊下にあって、一瞬にして広がった花のような匂いに戸惑う陣太郎。
突如松葉杖を捨てたおとねが、体当たりするかのように陣太郎の胸に飛び込んで来た為だ。
彼女は片足しか持ち得て無く、受け止めねばそのまま転倒するしか無い。
だからか、陣太郎はついおとねの小さな体を反射的に強く抱き止めて、白い腕を首に回されながらクルリと周り、甘菜の眼前に立ってしまった。
瞬間、視界の端に揺れるおとねの白髪を捕らえながら見た、甘菜の表情とは。
驚きと不安に彩られ、今にも泣き出しそうな気もすれば、否、今にも怒りも露わに罵倒の言葉を吐き、この場を後にしそうな表情にも見える。
いずれにせよ、普段の甘菜が中々見せない負の感情は、陣太郎を激しく焦らせあわてておとねを引きはがさせた。
「ちょ、おとねさん! 冗談はやめてください!」
「あん? 割とマジだったりするぞ?」
「お、俺だってマジメに言ってるんですって!」
「んだよ、ノリが悪いな」
「怒りますよ!? 何も甘菜の前で――」
「甘っちが居なきゃいいのか?」
「居なくてもダメ! 大体、俺は甘以外の奴とは付き合うつもりもないですから!」
「ああ、そういう事か。俺はべつに体だけでもかまわんけどな。どうせ先に逝かれるし。こうみえて、ばぁちゃん、体には自信あんだぜ?」
「体も! 甘以外にえっちするつも――」
焦燥から思考を経ず本音を口にしていた為か。
陣太郎は自分が何を言っているのかを間を置いて理解し、出しかけた言葉を呑み込みながらもう一度、甘菜の方を見た。
――甘菜は先程と同じ場所に立ち、同じような表情をしていたが、ただ一つ。
薄暗い廊下にあってわかる程、頭部を朱に昂揚させわなわなと震えていたのである。
それが怒りであるのか、羞恥であるのかは陣太郎には判別出来なかった。
が、次の瞬間には肩を怒らせ大股に歩き出した甘菜がすれ違い様、ぽかりと陣太郎の頭を殴った事により答えはハッキリとしたのでだった。
その様子を見て陣太郎がどの様な答えを得たのか、突き飛ばされるに近い形で引きはがされたおとねもまた、理解出来たらしい。
彼女は呆然とする陣太郎に、先程の“冗談”に焦る甘菜の心情をからかうように、少しバツが悪そうににししと笑いかけ、後を追うよう促した。
いくら“必要な行為”であったとしても、友人の目の前でやるには些か心が痛む行為であったからだ。
果たして陣太郎はすぐに甘菜に追いつき、片足故にえっちらおっちらと歩むおとねなど気にも留めず、早足で歩く甘菜になにやら弁明を始めるのだが。
おとねの真意など知りようもない二人の歩む距離は、いつかのように近くゆっくりと変わって行くのであった。




