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蜈蚣・二




 クリスマスも終えた、十二月の終わり。


 陣太郎はアメリカ合衆国・オクラホマ州に立っていた。

 オクラホマ州はアメリカのほぼ中央に位置して、インディアン準州という旧名が示すとおりインディアンの居留地が非常に多い土地である。

 東部はメキシコ湾からの湿った南風が一年を通じて吹く亜熱帯気候であるが、西部は乾燥した地域が広がり、かといって冬期は雪が多く降るという様々な気候に富んだ場所だ。

 また、雷雨や竜巻の発生も多く、世界的には初春から晩夏にかけて出現する『トルネード・アレー(竜巻の通り道)』が有名な地でもある。

 そんな一年を通じて激しく表情を変える土地に、ロストバレーの町はひっそりと佇んでいた。

 ロストバレーは嘗てインディアンであるチェロキー族の一支族が暮らしていた地で、現代でも彼らの居留地である。

 インディアンの居留地の歴史は悲惨なものが多く、地主であるはずの彼らが借地人である白人の農場で働いていたり、また過去に端金で買い上げられたりしていおり、現代においてもその多くが貧困に喘ぐ場所へとなり果てていた。

 一部はインディアンカジノなどで潤う部族もあったが、ロストバレーの町はその一部とはなり得て無く、それどころか痩せた土地である上、主要な交通網がこの土地を避けるかのように建設されているため、ゴーストタウンさながら寂れた町であった。

 いや、町が寂れて行く理由は他にもあると言えよう。

 ロストバレーの町の人々は自らの極端に居留地へ外部の者が足を踏み入れるのを嫌い、入るには一定の手続きが必要であったのだ。

 かといってアーミッシュと呼ばれる人々のように、大陸へ移民した当時の生活様式を現代でも続けているわけでもなく、その為か貧しい暮らしはそこに住む者達の心を大いに荒ませ、治安はあまり良くはない。



「明日の朝、“許可”が降りるそうだ」

「そう、ですか」

「ただ、ロストバレーの町に入る為の書類が交付されるのはミスフォーチュン・シティだそうだから、今から車で来た道を少し戻らねばならない」

「そんな! 何でここで申請した書類が別の町で交付されるんですか?!」

「……落ち着きなさい、陣太君。手続きというものは往々にしてそういうものだよ。それに父親の私が言うのはなんだが、焦っても事が進むことはないよ」



 甘菜の父・悟郎は、古めかしい受話器を下に降ろしながら静かにそう言った。

 場所はロストバレーの入り口にポツンと建つ、モーテル『バイソン』の一室。

 ロストバレーの入り口と言っても何も無い荒野に看板が立っているだけで、『バイソン』以外には建物は見当たらない。

 またこのモーテルが町への訪問者を管理する事務所も兼ねている事から、ここで旅行者を足止めして収入源とする意図があるのだろう。

 そんな『バイソン』はお世辞にも手入れが行き届いたモーテルでは無かったが、他にモーテルはあるはずもなく、宿泊はやむを得ぬものであった。



「スミマセン……。元はと家ば、ワタシが……」

「エミリィ君のせいでもない。今回の件は、甘菜の不注意が招いた事故だ」

「デモ……」

「今は目的の事を考えよう。後悔をするなとは言わないがすべて終わってからにしなさい。それに君の叔父上には様々な手続きを、ご両親には金銭面や色んな審査を短期間で終わらせ貰えるよう、随分と支援していただいた。感謝すれど、私や陣太君が君を責める理由などありはしないさ」

「ソレハ……どれもワタシじゃなくて」

「同じだよ。如何なる責任を感じているのかは知るべくもなく、何故君が私達に同行を願い出ているのか、それだけは少し不安であるけれど、ね。――さて、時間が惜しい。早速ミスフォーチュン・シティに向かうとしよう」



 悟郎はそう言いながら、先程ハンガーにかけたばかりのコートを再び手に取りそそくさと羽織った。

 勿論、モーテルを出てロストバレーの町に入る書類を得るべく、ミスフォーチュン・シティへ向かう為だ。

 陣太郎とエミリィも悟郎に続き、それぞれが脱いでベッドに放り投げていた上着を手にしたが、しかし悟郎はそれを制止したのである。



「君達はここで待っていなさい」

「ですが……」

「陣太君。君の出番はもう少し後だ。エミリィ君もここにいたまえ。……私とて気が急いているからね、凍結した道路でも車を飛ばしたいんだ。わかるだろう?」

「ハイ……」

「君の叔父上の話では、ここからミスフォーチュン・シティまでは車で六時間は掛かるそうだ。今から出れば明日の朝には戻ってこれるだろう。それまで、扉の鍵を閉めて外には出ないように。この辺りは治安が良くは無いと言う話だし。いいね?」

「……わかりました」

「ワカリ、増しタ」



 不服そうな二つの声に、悟郎は苦く笑う。

 しかしその笑みはどこか優しげで、それ故に陣太郎とエミリィの心を更に沈ませた。

 やがて間を置かず、悟郎は足早に部屋を出て行き陣太郎とエミリィは二人きり、部屋に残されたのである。

 悟郎に諭された二人はばつが悪いのか、無言で羽織った上着を再び脱ぎ始めて室内に重苦しい衣擦れの音が漂う。

 それもすぐに消え去り、重苦しい沈黙だけがその場を支配した。

 否。

 静寂は陣太郎の感覚を研ぎ澄ませ、己とエミリィの呼吸音を拾いあげている。

 都市部から大分離れた場所柄なのか、平屋建の寂れたモーテルの部屋は出入り口から入るとすぐにベッドルームとなっており、大きなベッドが一つ、ソファが一つ、それとブラウン管式のTVが一つあるだけの簡素な物だ。

 しばらくしてエミリィは沈黙に耐えかねて、数少ない部屋の備品であるTVに手を伸ばし電源を入れた。

 瞬間、聞こえて来たのは流暢な英語。

 内容を理解出来ない陣太郎にしてみれば雑音と変わらなかったが、エミリィにはいくらかの気休めにはなるようで、彼女はベッドに腰掛けてTVを鑑賞しはじめた。

 TVに映し出されているのは動物のドキュメンタリー番組であるらしい。

 画面には寒い外とは違い暖かそうなジャングルの森が映し出され、そこに極彩色のオウムだかペリカンだかわからない姿の鳥が映し出されている。

 陣太郎もぼんやりと画面を眺めながら、僅かに気まずさが解消されていく事に気が付いて、安堵のため息とついた。

 そんな、人心地つけた気分を得た陣太郎に、エミリィは思い詰めたような声をかけたのである。



「……ジンタロウチャン」



 不意に掛けられた、意を決したかのようなエミリィの声に陣太郎は大仰にぎょっとしてしまう。

 ソファに腰掛けぼんやりとTVを眺めていた陣太郎は、突然のエミリィの言葉に返事もできず、ただ彼女の方へと視線を移動させる。

 エミリィはいつからかTVから目を離し、ベッドに腰掛けたまま俯いて、握り合わせた両手をじっと見つめていた。



「……本島ニ、ゴメンなさイ」

「……エミリィが悪いわけじゃないよ。さっきおじさんもそう言ってたじゃ無いか」

「イエ、悪……イのは、ワタシ、デス」



 嗚咽が漏れるのを我慢しているのだろう。

 エミリィは今にも泣きそうな声で、言葉を途切れさせながらそう言った。

 確かに鬼目一“蜈蚣”を発見し、日本へ送り返す切っ掛けを作ったのは彼女である。

 結果として陣太郎は祟られ、また、彼女のささやかな我が儘が回り回って今度は甘菜に災難が降りかかった。

 いや、陣太郎や甘菜だけで無く、彼女の両親に降りかかった不幸も自分のせいであると言えよう。

 ――もし、自分があんな物を見つけなければ。

 せめて、自分が“百合”を手元に置かなければ或いは――

 エミリィは気丈にも目に涙を溜めながら、後悔の言葉を拙い日本語で現して己を責め立て始めた。


 その言葉を陣太郎は無言のまま聞いて、歯の根を噛む。

 全ての元凶がエミリィにあると思ってのことでは無い。

 甘菜が消えた時。

 打ちひしがれ、天之麻悟郎が帰ってきた時。

 事情を説明し、エミリィが持って来た“百合”と鬼目一“蜈蚣”の祟りから逃れた経緯が書かれたメモを見せた時。

 何も出来ず後悔しか出来ない自分にかわり、解決法と甘菜に取り憑いた“なにか”が向かう先を探し出した悟郎が、自分を含めてアメリカ行きを手配した時。

 振り返れば陣太郎自身、ここまで他人に目を向ける余裕など無かった事を改めて認識して。

 しかし今、この時になってやっと僅かな余裕を得ると、自分以上にエミリィが気を落としていることに気が付いて、新たな自己嫌悪をわき起こって来たのだった。



「……エミリィは悪く無いよ」

「デ、モ……」

「元はと言えば、ウチの問題なんだよ、これは。俺の先祖がこんな物騒なもんもったまま、アメリカまで来るなんてさ」

「イエ、デモ、それを言う奈良バ、ワタシのゴセンゾさまの問題でもあるではないで、スカ」

「あ、そうだっけ。エミリィも一応親族なんだよな。……だけど、だよ? そうやって辿っていくと、甘菜んチのご先祖が鬼を騙したのがそもそもの発端だろ? 俺もエミリィも、――甘菜もそのトバッチリを受けただけだよ」

「……トバッチリ?」

「えっと……巻き添えを食ったという意味。



 努めて明るい表情を作り、陣太郎はエミリィに歯を見せて笑顔を作った。

 甘菜が消えて以来、エミリィとは殆ど話をせずそれどころか目も合わすことがなかっただけに、陣太郎自身上手く笑えている自信は無い。

 そんなきっと、取り繕うような笑顔にエミリィは何を読み取ったのか、果たして彼女もまた無理な笑顔を作り、アリガトウ、とだけ口にしてそのままベッドに倒れ伏し泣き始めてしまった。

 バツが悪いのは陣太郎で、TVの音と一緒に聞こえて来る嗚咽から逃れるようにふと触れたのは、自分が座るソファに立てかけてあった二つの大きなジュラルミンケースである。

 中にはそれぞれ、祟り刀最後の一振りである鬼目一“蜈蚣”(オニノマヒトツムカデ)と最初の一振りで天之麻神社の神体でもある“天目一命”(アメノマヒトツノミコト)が収められている。


 陣太郎はその内の一つ、もっとも恐ろしい祟り刀である鬼目一“蜈蚣”が収められたケースを手に取り、徐に蓋を開いて中身を取り出した。

 手にした日本刀の拵えは黒で、ずしりと重い筈の鋼はいつも持ち歩いていたせいかそれ程気にはならない。

 それよりも数日ぶりに直に握った手触りは、ある事実を思い出させて陣太郎を再び気落ちさせて行くのであった。

 今でも鮮明に蘇る記憶とは、どのように力を籠めても抜けぬ祟り刀の感触。

 ――あの時、どうして抜けなかったのだろう?

 過去、幾多の危機に際して抜き放ってきたおぞましい祟り刀の刃を思い起こしながら、陣太郎はその黒い柄を見つめた。

 その理由に思い当たる節は無く、また状況を聞いた悟郎もまたその答えを持ち合わせては居なかった。


 ――いや、それよりも……甘の事だ。あのメモを元におじさんとアメリカまで来たのはいいけど……甘菜に憑いたインディアンの“魔神”は本当に甘菜の体ごとロストバレーに向かったのだろうか。

 考えて、鎌首をもたげる疑念に首を振る陣太郎。

 ロストバレーに姿を消した甘菜が居る、という希望を否定する事になるからだ。

 今の陣太郎には他に縋るものなど無く、これを否定する事などあり得ない考えであった。


 『――我、おそましき祟り刀を封ずるに、聖地・ロストバレーの地に住まうインディアンの秘術を得ん。

 彼の者らもまた魔神を封じる秘術をもってこれに対抗する也。

 しかしながら魔神は古来より悪神となり暴威を振るい、是に挑む者無し。

 即ち我是に臨む運びとなる。

 秘術の代価として支払うは、愛しき者。

 しかし支払う愛しき者では魔神のみならず祟り刀までをも封ずるに足りぬ故、我自身の魂の一部をここに捧げる。

 願わくば、これらが再び世に解き放たれぬ事を――』


 “百合”と共に見つかった、メモの内容である。

 その中に出て来たロストバレーという地名と、悟郎が立てた幾つかの推測が今陣太郎がここに居る理由である。

 理由は、他国の超常を神威と呼んで良いのかはわからないが、甘菜の体を支配した神威がロストバレーへ向かったと断定し縋るには非常に儚く弱々しい。

 それでも陣太郎はこの先に甘菜が居ると己に言い聞かせ、己を奮い立たせるように心の内、そして言葉にもして呟く。



「まってろよ、甘」



 言葉は白々しく響いて耳に届き、陣太郎は思わずしまったと思い焦った。

 台詞はいまだ前を見る事が出来ず、後を振り返り自責しているエミリィにとって刃となることに気が付いたからだ。

 慌てて視線をエミリィに移した陣太郎であったが、しかしベッドにうつ伏せて泣いていた彼女は旅の疲れからか既に寝入ってしまったらしい。

 外国人のイメージに反して甘菜よりも小さなその背は規則正しく上下して、耳を澄ませばTVの音で掻き消されている優しい寝息すら感じ取れそうである。

 陣太郎は彼女の元へ近寄り、何を言っているのかわからないTVのスイッチを切りながら、その背になにかかけてやろうと毛布を手に取った。

 外は雪が降る程寒かったがモーテルの部屋は暖房が効いて暖かく、毛布が無くとも大丈夫なように思えた。

 が、甘菜が消えてからの自分の態度を思い起こし、彼女に対して配慮が足りなかったとある種の負い目を感じる陣太郎は、なにかしてやりたかっのだろう。

 やがてエミリィに毛布を掛けてやった陣太郎は、入り口のドアの鍵が施錠されていることを確認し、ナイトライト以外の照明を切って、予備の毛布を取り出しくるまりながら、自身もソファをベッド代わりにして横になる事にしたのである。


 外では吹雪いてきているのか、風鳴りの音と共にガタガタと建物のどこかを揺らしている。

 ――まってろよ、甘。

 もう一度、今度は心の内に強く想う。

 決意は同時に最近やっと認めることができた慕情を目立たせて、更に不甲斐ない己を穿ち続けた。

 そんな苦しい心を抱え、このままでは眠れそうに無いと考え始めた陣太郎だったが、しかしエミリィ同様知らず相当疲れて居たようで、そのまますぐに寝入ってしまい、やがてモーテルの一室には二つの寝息が積もって行くのである。

 そしてその夜、陣太郎は懐かしい夢を見る。



 小さな頃、甘菜と天之麻神社の境内で遊んだ夢を。





「じんちゃん」



 自分を呼ぶ、幼子の声。

 それは紛れもなく幼馴染みの物だった。

 場所は茜に染まる天之麻神社の境内。

 視界は低く、また目の前の幼馴染みの姿も五、六才程である事からこれは在りし日の夢である、とすぐに認識出来た。



「じんちゃん」



 屈託無く、しかし少しだけ恥ずかしそうに笑う、幼馴染みの少女。

 笑顔はこうして見ると、十年以上経った今の物とそうはかわらない。

 夢の中の幼馴染みは木の枝を手にして、何やら得意げに語り始めている。

 ――ああ、そういえば。

 これ、覚えているな。えっと、この時甘の奴、何を言っていたっけか?

 思い出そうとして、陣太郎はそれよりも目の前で話している幼馴染みの言葉を聞いた方が早い事に気がつき、耳を傾けた。



「――というあまのまの家とじんちゃんの家のシキタリがあってね、そのアカシとしてかたなを贈るんだよ」

「しきたり? って、なに?」

「きめごと。ぜったい、守らなきゃいけないんだよ?」

「ふうん」

「でね、かたなをうけとったうすきの男の人は、あまのまのひめを守る役目をおうの! だから、はい!」



 幼馴染みが差し出したのは、木の枝である。

 在りし日の自分はそれを受け取り、しげしげと眺めていた。

 木の枝は緩やかに湾曲し、小枝や葉の部分は綺麗に取り除かれている。

 だがそれ以外は何の変哲も無い棒で、先程の甘菜の説明と何の関係があるのか、当時の陣太郎は理解出来ず首を傾げた。



「なんだよ、これ」

「かたな」

「木のえだだろこれ! やだよこんなの!」

「だっておとうさんが、ホンモノは、大人になってからっていうもん」

「じゃあ、そのときでいいだろ!」

「でも、じんちゃん、まっててくれないとおもうし。――さいきん、ようこちゃんと仲良いもん。ぜったい大人になるまでまってくれないとおもう」

「ば、ばーか! おれがそんな、ジョシと仲良くなるわけねーだろ! そんなエロニンゲンじゃねえよ!」

「わたしだってジョシだよ?」

「だからもうすこししたら甘とは遊ばなくなるの! 来年から自転車にのって遊びにいってもいいっていわれてるもんね!」

「だ、だめだよぅ、ひとりでどこかにいっちゃ。せっかく、かたなにわたしの名前を彫ったのに」



 ――馬鹿はお前だ!

 微笑ましい過去の記憶に、陣太郎は大人げもなく自分自身に向かって吠えていた。

 甘菜にしてみれば未だ狭い世界の中、恋愛に憧れ物心が付く前の真似事として陣太郎を選んだだけだったのかもしれない。

 陣太郎もまた、女の子と遊ぶだけで冷やかされる年頃である為か、心にも無い事を口にしてしまう時期であったのだろう。

 それは仕方のない事であるが、逃がした魚の大きさから思わず本気で後悔をしてしまうのもまた無理からぬ話だ。

 未だ見続ける夢の中、半ば無理矢理に手渡された刀に見立てられた枝の握り手の部分には、覚えたばかりのひらがなで『あまな』と刻まれており、少なくともこの時の甘菜は本気であったと読み取れて、後悔は更に深くなってゆく。

 そんな陣太郎の心中を逆撫でするように、記憶の中の陣太郎は手渡されたばかりの“かたな”を、貰った時と同じように強引に甘菜へと突き返してしまった。



「いらない」

「なんでよぅ!」

「だって、付き合っているとか噂されるのイヤだもん。ただでさえ、一緒に登校するとひゅーひゅーっていわれるのに」

「そんな……せっかく、いっしょうけんめい作ったのに……」

「し、しらないよ、そんなこと!」

「う、う、う、じんちゃんの、ぶぁかぁ!」



 目の前で、泣き顔を作りながら木の枝を振りかぶる幼い甘菜の姿。

 ――うん、俺もバカだと思う。思いっきり殴ってくれ、甘。

 ああ、そうだ。この後、頭から派手に流血して大騒ぎになったんだっけ、たしか。

 で、なぜか俺が母ちゃんにしこたま怒られて、でも納得いかなかったもんで、しばらく甘とは口もきかなかったんだよな、確か。

 ……まあ、今して思うと当然の報いだけど。

 迫り来る枝に陣太郎はそう納得し、嘗ての“報い”をもう一度受け入れようとしたのだが――



「ぐ!」



 凄まじい衝撃を頭では無く腹に受け、一瞬で夢から覚めてしまったのである。

 何が起きたのかわからないまま未だぼやける目を開いた陣太郎であったが、その首は万力の様な力で押さえつけられてしまい、更に耳元で聞き取れない英語を押し殺した声で怒鳴られた。

 混乱しながらも忙しなく動かした瞳に飛び込んできたのは、ベッドの上で暴れるエミリィに馬乗りになろうとしている別の男の姿。

 ――強盗?!

 流石に状況悟りながら、陣太郎はなんとかしなければと思考を必死に巡らせ始めた。

 強盗と思わしき人物は二人組の男のようで、一人はエミリィをベッドの上で組み伏せ、もう一人は自分の腹に足を乗せ首元を押さえつけながら側頭部に何か固い物――銃口を押し当てているようだ。

 エミリイは必死に叫び声を上げようとしているようであったが、口を手で塞がれているためかくぐもった声しか上げることが出来ず、かわりにバタバタと足を動かして必死で抵抗を試みている。

 が、それもすぐにぱん、ぱん、と乾いた破裂音と共に力無いものとなってしまった。

 エミリィに覆い被さる男が彼女の頬でも叩いたのだろう。

 陣太郎はその様子に思わず我を忘れ、自分を押さえつける男を押しのけ助けに入ろうとしたが、今度は思い切り左頬を殴られ、よく見えるよう眉間に銃口を突き付けられ動きを封じられてしまった。

 男は踏みつけたていた足に力を籠め、陣太郎の体をソファーに押しつけながら、銃口を眉間に向けてゆっくりと頭を振り、ニタリと笑う。

 部屋を灯す薄暗いナイトライトが照らし出す男の瞳は、凶暴な光を湛えて次は撃つと語っていた。

 その証拠に音を出ないようにしたいのだろう、陣太郎の首元を押さえつけていた手を離しゆっくりとソファの端からクッションを手に取ったのだった。

 それから男はちらりとエミリィと仲間の方を一瞥し、英語で押し殺した言葉を短く、陣太郎に向け伝えたのである。

 言葉の意味はわからなかったが、大人しくしていろ、と言っているのだと陣太郎は理解し、悔しさのあまり強く奥歯を噛んだ。


 ――くそ、これ、かなりやばい状況じゃねえか。……俺、部屋の鍵はちゃんと……いや! それよりも、エミリィをなんとかして助けないと!

 今更にじわりと湧く恐怖と疑問を押しのけ、陣太郎は痛む頬など気にも留めず、打開策がないか必死で思考を巡らせた。

 与えられた時間はごく僅か。

 エミリィの貞操を考えないのであれば考える時間も付け入る隙も多く得られるであろうが、元より彼女の体を貪らせるつもりなどない。

 とはいうものの、まずは自分の体の上に足を載せる男をなんとかせねばならず、言葉も通じない以上考えられる方法など数える程もなかった。

 即ち、諦めて命だけは繋ぐか、それとも何かを手にとって思い切り男に叩きつけ、反撃する隙を作り出すか。

 ――あまり考えたくは無いが、床かどこかに眠る前ジュラルミンケースから出しておいた鬼目一“蜈蚣”が転がっているはずだ。

 それを抜いて斬りつける、というのが今の状況を打破するのに最も手っ取り早い。

 勿論失敗すればエミリィはともかく自分の命の保証は無い。

 このまま大人しくしたがっていれば命までも取られないだろうが、陣太郎はその選択肢を選ぶつもりなど更々も無かった。

 つまり、あとは決断をするだけという状況であり、行動に移した瞬間から殺すか殺されるかの状況になってしまうわけで、故に陣太郎はどこか決断を躊躇していたのかもしれない。

 が、そんな逡巡もベッドの方から衣服を破る音が聞こえてくるとすぐに吹き飛び、相変わらず足を己の体に乗せ銃口をこちらに向けてはいるが、エミリィ達の様子に早くも気を取られている男の様子を伺いながらも、ソファの下に手を伸ばし重量物か何か無いかとまさぐるのであった。


 幸か不幸か、一番最初に手に触れたものは他でも無い、幾度も触った日本刀の鞘の感触。

 恐らくは寝入る前、ジュラルミンケースから出しっ放しにしていた鬼目一“蜈蚣”が男達の襲撃の際、床に転がってしまっていたのであろう。

 最早躊躇をしている暇など無い。

 陣太郎は意を決するよりも疾く、とりあえずは鞘ごと体の上の男を殴打しようとした。

 だがその行為は、実行されることは無かった。

 どのような理由か、腕が、体が、意識を除いた全てが陣太郎の意に反して動いたのである。



「ワッツ?」



 兆しもなくナニカが起き、何が起きたのか理解出来ぬ声を上げ、男はそのまま絶命してしまう。

 陣太郎ですら何をどうやったかわからぬ程の刹那に、抜き放った鬼目一“蜈蚣”によって腹を踏みつけていた男の脚を切り落としていたのだ。

 ――否。

 脚より先に、眉間に向けられていた銃を持つ腕ごと両断してからの斬撃である。

 己が何をしたのかを識って驚いたのは、剣閃を闇に描き、足と手首を切り落とされ反射的に叫び声を上げんとしていた男の胴を、返す刀で首を紙切れのように両断して、素早く立ち上がってからであった。

 しかし陣太郎の驚愕は表情に出る事は無く、それどころか更に強く渦巻いて体内へ押し込められることになる。



「……おい、そこの。おとなしゅう、この場から去ねい」



 言葉もまた、意に反してのもの。

 それも喋れないはずの英語である。

 エミリィを組み伏せ夢中で衣服を引き裂いていた男は、背後の異変と仲間以外の言葉に驚き慌てて振り返ったのだが。

 あまりに現実離れしたその光景に、しばし思考と時を停止させてしまうのである。

 振り返った先、真っ先に視界に飛び込んで来たのは、幽鬼の用に立つ仲間が取り押さえていた筈の少年と、なにかのオブジェのように立ち続ける仲間の下半身。

 状況を掴めぬままの視線は、彷徨いながらもつい先程まで繋がっていたはずの仲間の上半身を探し、頭と分離した状態で床に転がっているのを見つけて。

 状態からグロテスクに内蔵がこぼれだして見える筈の上半身は、切断面にモゾモゾとナニカが細かく蠢いて、しかし家具の影に隠れどうなっているのかわからず、わからないが故に更に注意を引き。

 しかし強盗の男がそれが何なのか認識するよりも早く、もっと手前に立っていた仲間の下半身が今更ながらに倒れ込んで。

 倒れた仲間の下半身もまた、その切断面からナニカが無数に蠢いて、男はついにナイトライトの光によってハッキリと照らし出されたそれを見てしまい、悲鳴をあげてしまう。

 おぞましい事に切断された仲間の胴体の断面から、血の代わりに無数の赤いムカデが吹き出ており、その肉をもの凄い勢いで喰らっていたのだ。


 再び時と思考が動き始めた男は、エミリィの事など忘れ思わずベッドの上で尻餅をつき、後ずさりながら改めて少年を見た。

 少年は手に何やら長い、ニンジャ・ソードの様な物を持って変わらずそこに立ち、ナイトライトの届かぬ闇に沈む表情からは赤い左目だけがよく見えた。

 その瞳は先程見た不気味に蠢く赤いムカデで、何が起きたのかわからない強盗には一層恐怖をかき立てる結果となる。



「早う、去ね。まだ間に合う」



 やけに古めかしい英語で話すその声は、少年の物であり、そうではなかった。

 声は幾度も会話を交わしたエミリィおろか、初めて聞く男すら奇妙な感覚を抱かせ、異様な蟲の存在も相まって、故に室内が一瞬にしてこの世の物で無い場所へと変わってしまったのだという錯覚が生まれる。

 その、まるで異界から響くような少年の台詞を男はどのように受け止めたのか。

 男はなかば錯乱しながら震える手で、ベルトを外したばかりのズボンの後から銃を取りだし、絶叫と共に少年へ向け発砲した。

 引き金を引いたのは三度。

 乾いた銃声も三度、続けて室内に響く。

 同時に金属を弾く音と銀閃が三つ薄暗いモーテルの室内に現れ、四度目の引き金を引く前に男の首は胴に別れを告げ勢いよく壁に叩きつけられていた。

 エミリィは破かれた胸元を隠し恐怖に身を竦めさせながらもその一部始終を見て、しかし思わず上げかけた悲鳴を喉の奥に押し込んでしまう。

 すぐ隣で崩れ落ちた首の無い死体が、見る間に無数のムカデに集られ喰らわれる光景を目の当たりにして、声を上げると自分にまで襲いかかって来るのでは無いかと感じたからである。


 程なく男の死体は骨も残さずムカデに喰らわれ、ムカデもまたどこかへと綺麗に消え去ったのであった。

 そして、静寂がモーテル『バッファロー』の一室に戻ってくる。

 しばし呆然とした後、我に返ったエミリィは恐る恐るベッドから降り、状況を確認すべくナイトライト以外の照明を点けた。

 驚いた事に男達の死体は骨おろか血の一滴も消え失せて、何一つ痕跡らしいものは見つからない。

 その肉体おろか、服や所持品、鋼鉄の銃すら跡形もなく消え去っていたのである。

 先程殴られた頬の痛みと引き裂かれた衣服の胸元が無ければ、きっと夢かなにかだと思ってしまうだろう。

 エミリィは改めて受け入れがたい現実を思い起こしながらも、いまだ抜き身の鬼目一“蜈蚣”を持ち立ち尽くす陣太郎へ恐る恐る声を掛けた。



「ジンタ、ロウチャン?」



 返事は無い。

 陣太郎は、間違いなく暴漢二人を屠った少年は、変わらずそこに立ち続け茫として立つ。



「ジンタロウ?!」



 もう一度、今度は力強い呼びかけ。

 しかしやはりと言うべきか、陣太郎はただ刀を握ったまま自失したように立ち続けていた。

 それからエミリィは混乱しながらも、状況を思い返し、とにかく警察へ連絡しようと電話の受話器を手にした時。

 突如陣太郎は膝をついて座り込み、やっと口を開いたのである。



「エ、エミリィ」

「ジンタロウ?! 第、ジョウブですカ!?」

「あ、ああ」

「一体、どう下ンです、か? ううん、どうなって――どう、どういう、イヤ、ナニガ……」



 苦しげではあるがいつもの陣太郎の様子に、エミリィは思考に追いつかぬ舌を回し、心配と質問を同時に吐き出してしまった。

 そんな彼女を陣太郎は力無く見上げ、薄く笑って手の平を上げて制す。



「話は、後。エミリィ、頼みがあるんだけど」

「エ? あ、イエス、はい、うん、なに?」

「……“天目一命”(アメノマヒトツノミコト)を取り出して、鞘から抜いてくれないか?」

「え?」

「頼む。割と、急ぐんだ」

「え、ええ。釜ワない、ケド……もう、強盗は、いないヨ?」

「いや、そうじゃなくてさ。ちょっと、刃にツバを吹きかけて、俺を斬ってほしいんだ」

「え? えっと、ええ?! ナン、ですカそれ?!」

「いいから」



 混乱を深めるエミリィに陣太郎は力無く苦笑いを浮かべながら、言うとおりにするよう急かした。

 エミリィは陣太郎の言われるがまま、急いで床に転がったジュラルミンケースから“天目一命”を取り出し鞘からその刃を引き抜く。

 そしてその白く吸い込まれそうな煌めきを放つ刃にぷっとツバを吹き掛け……



「わあああ! 違う! す、ストップ! エミリィ、ストップ!」

「? どう、下のデスか?」

「斬るって、そういうんじゃなくて! ツバで湿らせた刃で俺の体を少しだけ傷つければいいんだって!」

「えぅ……、ご、ゴメンなさイ。……でももっとハヤく、言って管さい」

「う、ご、ごめん」



 首を傾げながらも“天目一命”を大上段に振りかぶるエミリィを、慌てて制止する陣太郎。

 その様子はいつもの彼で在り、エミリィは内心ほっとして形の良い口元を綻ばせた。

 それから間を置かず鬼目一“蜈蚣”を鎮める儀式を終えた二人は、エミリィが用意していた携帯電話で悟郎と連絡を取り、忙しなく通話を交代しながら先程までの状況と今後どうすべきか相談して、騒動に幕を下ろしたのである。

 その後、通話を終え一息いれたエミリィは胸元が派手にはだけていることを思い出し、羞恥に耳まで赤く染めながら着替えて、誤魔化すように陣太郎へ積もっていた疑問と言葉を吐き出したのだった。

 時間はすでに日付を跨いでいたが、二人の会話はそのまま深夜まで続く事となる。

 結局強盗は、どうやら合い鍵か何かで部屋に侵入してきていたようで鍵は壊れておらず、二人は不安ながらも再び戸締まりをしての宿泊となっていた。

 警察への通報などは悟郎が行う運びとなって、また状況からモーテルの支配人も強盗の手引きをしている可能性があるとして、二人にはそのまま外へ出ないよう悟郎から指示を受けたからだ。

 本来ならばすぐにでも宿を変えるべきであるが、周囲には荒野しか無く、また悟郎はすでに折り返して居る為到着には時間がかかる為逃げようが無い。

 それにもし強盗が誰かの手引きによるものであっても、一晩に二度襲撃をかけるよりも警察への通報を怖れ逃げ出す準備をする可能性の方が高いであろうから、油断はできないが吹雪く外に逃げるよりもそのまま宿に留まった方が安全であるかもしれない、というのが悟郎の判断である。

 とはいっても、強盗に出くわしてあわやという状況を切り抜けたばかりの二人はそれで安心できるはずも無く、結局陣太郎が寝ずの番を行い夜をあかす事になった。

 エミリィも当初はこれに付き合うつもりで眠気覚ましとばかりに陣太郎へ様々な質問を浴びせていたが、これまでの疲れは想像を超えた物であったようで、結局は少しでも睡眠を取るべくベッドで横になる事にしたのだった。

 睡魔はそんな彼女をあっさりと籠絡してしまい、安らかな寝息はすぐに陣太郎の耳に届くことになる。

 エミリィは意識を手放す僅かな間、祟り刀を抜いた陣太郎の姿をふと思い出して、どこか懐かしさを覚えその夜最後の困惑を抱えながら眠りにつく。

 それは果たして血の記憶か、それとも別の理由であるのか。



 知る由はエミリィにも陣太郎にも無く、答えは見つからぬまま日は昇り、ロストバレーを照らす朝が訪れたのである。




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