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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

万、質入れお受け致します。

作者: 笹野ちまき

プロットのような短編です。

PCの蔵の中で眠っていたものを虫干し中。

質屋和風幻想譚。

お暇な時にでもさらりと御覧ください。

 此処は、何処かの人通りの少ない商店街の、裏路地を入った所でひっそりと営業している質屋【弧月堂】(こげつどう)


 格子戸の上には、白い三日月と霊芝雲文が描かれた藍染めの暖簾。

 その脇には編み笠を被った狸の置物……ではなく、編み笠を被った黒い大きな招き猫。

 桐の立て看板には、《商い中 万、質入れを御受け致しております》の文字が、達筆な筆遣いで書かれている。


 

 暖簾をくぐると、様々な骨董品が所狭しと陳列された土間が、奥のほうへ長く長く伸びている。

 京の町屋の様な造りだ。

 細長い土間に沿うようにして、いくつもの部屋が並んでいる。


 手前の広い部屋は「見世の間」。

 皿や陶磁器、はては甲冑や異国の神像などが壁際の陳列棚や台の上に所狭しと並べられている。


 更にその奥の部屋は、お客様を迎える畳敷きの「中の間」。

 床の間には菖蒲が飾られ、一枚板の大きな座卓と藍色の座布団が六つ置かれている。

 


「質入れをお願いしたいのだか」

「ありがとうございます。で、御品は?」


「私だ」


「……ええと。御品はなんですかい?」


「だから、私だ」


「はい? いや、もう一度、大きな声でお願いできますか?」


「私だ」


 雲間に三日月の図案が藍染めされた着流しを着た店主は、細長いキセルを口にくわえたまま、ぼりぼりと耳を掻いた。

「私を、質入れしてくれまいか。そして質料は、」

 青年は、ポケットから一枚の紙切れを出して、店主の目の前にさしだした。

「ここに書かれてある住所に、届けてほしいのだ」

「いや、お客様。御来店、誠にありがたいのですが、申し訳ございやせん。うちは、生物(なまもの)は取り扱っておりませんので……」

「私は生物ではない」

「……いやいやいや、すいやせん。私のこの二つの目ん玉には、お客様は人に見えるんですが」


「私は人の形をいているだけで、人ではない。自動人形──オートマタだ」


「オートマタ! 貴方、自動人形だって言うんですかい?」

「ああ、そうだ。私はあまりにも精巧に造られている上、人形だと言ったところでにわかには信じ難いだろうな。よって、今から証拠を見せる」


 そう言うと、青年は徐にズボンのポケットに手を突っ込んだ。

 取り出したのは、安物のカッターナイフ。


 それを左手に持ち、刃を出し、手首から肘のあたりまで勢いよく皮膚を切り裂いた。


「ぎゃああああああああああ──! ……て、あ、あれ?」


 血は飛び散らなかった。


 店主は恐る恐る、その傷口を覗いた。


 その中身は、人のものではなかった。


 骨の代わりに金属の鈍い光を放つ部品が組み合わされ、血管や神経のかわりに、朱、青、黄、緑、白、黒など様々な色の管が複雑に絡みあい、筋肉の代わりに、ゴムのように伸び縮みする素材が幾本も組み込まれていた。

 なんとも精巧で緻密な、美しいカラクリ。


「私は遥か西方の秘術や、錬金術などを組み合わせて造り出されたオートマタだ。それらを極めた技師ならば、人と寸分替わらぬものも造り出せるのだとか」


 あれほど大きかった傷口は見る間にふさがっていった。高速で自動修復もできるようだ。


「いやはや、なんとも素晴らしい技術で……」

「信じてくれたか? まだ信じられないというのなら、首も切り落としてみせようか」

「い、いえいえいえいえ、結構です。結構ですから。結構ですって言ってんで──ぎゃああ止めて──!」


 止める間もなく、青年が首筋にカッターを走らせた。

 肌には深い切り傷ができ、青年が手の平で傷を押さえる。しばらくして、手の平を放した時には、傷口は綺麗に消えていた。

 そしてやはり血は飛び散らなかった。


「わ、解りました! 質入れを御受けいたしましょう。ですが、貴方が質入れされたらば、受け出しのための質料はどうなさるおつもりで?」

「受け出すつもりはない」

「はい?」

「質料を返すあてはない。ついでに言えば、現在、一銭も持っていない」

 青年が、座布団の上で胸をはる。

「……ちょいと、いいですかい、お兄さん。期日までに質料が払えない場合は、質流れって言ってね。そっくりそのまま、うちの商品になるって寸法だ。売るもばらすもうち次第。それでも良いっていうのかい?」

「構わない」


 お茶を運んできた着物の少女が、店主の隣に座り、問うように視線を投げ掛けた。

「どうするのだ、店主よ」

 耳の上に牡丹の花飾りをつけた黒髪の美少女が、ぶっきらぼうに店主に問うた。

「うーん」

 青年が、畳に頭をこするほど頭を下げた。

「頼む店主」

「……ああ、もう、解りました。解りましたよ。質入れ、御受け致しましょう」

「ありがとう!」

 青年は安心したのか、盛大に腹を鳴らした。


「すまないが、何か食べ物を与えてはくれまいか。活動エネルギーは、食物から摂取するように設計されているのだ」


 

 * * *

 


「ひとまず、売るにしても捌くにしても、その売り物に関して何も解ってないんじゃどうしようもねぇ」

 何も知らないものを売るなど、商売人のポリシーに反する。

 店主は質料の入った封筒を懐に仕舞い、青年の指定した場所へと足を向けた。


 そこは、古い長屋を改築した、ちいさな孤児院だった。


 奥から、目尻と口元の笑い皺が可愛らしい、小さな老女が戸口に現れた。

ただ、その肌色はややくすんでおり、時折空咳をし、体の調子があまり良くないようにみえた。


 青年の事を話すと、目を細めながら嬉しそうに対応してくれた。

「それはそれは。ようこそおいで下さいました。どうぞ中へ」


 庭で遊んでいた子供たちが、目を輝かせながら着流し姿の珍客を取り囲む。

「だあれ?」

「お兄さんのお友達?」

「ええと」


 青年の事を問うてみると、子供たちが一斉に、楽しげにしゃべりだした。


「あのね、あのお兄さんはね、ごみ捨て場に倒れていたの」

「ごみ捨て場?」

「違うよ、兄ちゃん人形は、捨てられてたんだよ」

「いらなくなったから、捨てられたんだって言ってたよ」

「いらなくなった?」

「うん。本当のお兄ちゃんが現れたから、偽物の人形お兄ちゃんはいらなくなったんだって」

「でも良いお兄ちゃんだったよ」

「毎日一緒に沢山あそんでくれたの」

「お手伝いも沢山してくれたよ。先生は身体があんまり元気じゃないから、とても助かったんだよ」


「先生は、お体が悪いので?」

 老女が困ったように微笑んだ。

「いえいえ。そんなことは」

「そんなことあるよ! お咳を沢山してるもの!」


 騒ぎ出す子供たちを老女はなだめ、店主を来客用の小部屋に案内した。

「すみません、騒がしくしてしまって」

「いえいえ。ガキ……いや、子供は元気なのが一番です」

「ふふ。あの方は、自分の事はあんまりしゃべらない人でした。それでも、拾ってくれた恩を返したい、と言って、住み込みで手伝いをしてくれたんですよ。それが、先日用事が出来たと言って出ていってしまって……私も子供たちも心配しておりました。お元気でいらっしゃるのですね?」

「ええ」

「ああ、よかった。それで、あの方は……」

「……ちょいと、長丁場の仕事になりそうでしてね。当分の間、此処へ戻ってくることは難しいかと思いやす」

「そうなのですか……」

「でも、手紙と預かり物を承っておりまして」

 店主は手紙と、お金が入った分厚い封筒を差し出した。

 手紙には、



「孤児院の皆様へ


 先生を始め、皆には本当にお世話になりました。

 あの楽しかった日々は、私の一生の宝物となるでしょう。

 このお金で、先生は病をちゃんと治して下さい。

 もしお金が余ったら、孤児院の皆の為に全て使って下さい。


 人形青年より」



 と書かれてあった。


 手紙を胸に抱き、老女が泣き崩れる。

「こんな……こんな大金受け取れません!」

「受け取ってあげなせぇ。それで、先生は病気をきちんと治したらいい。見たところ、あんまり具合が良さそうにはお見受けしませんぜ。顔に黄疸がでてる。肝の臓がお悪いんじゃないですかい? 良い薬を頂いて、早く治したほうが良い。それが、あのお兄さんの幸せでもあるんですよ」

 老女は泣きながら、青年に宜しくお伝え下さい、お仕事が落ちついたら、また顔を見せにいらっしゃって下さいと伝えて下さい、と何度も礼を言った。



 帰り際、老女が子供たちに青年が当分は戻ってこれない事を告げると、子供たちが泣きながら残念がった。

「手品、もう見れないんだね」

「面白かったのにね」

「親指きえるやつ、すごかったよね」

「もう会えないの?」

「そんなことないよ! お兄ちゃんは絶対また帰ってくるよ!」

「そうだよ! だから、教えてもらった手品、もっともっと上手くなって、お兄さんが戻ってきた時に驚かしてやろう!」

「そうだね!」


「手品……ねえ」



 * * *



 本当に、青年はオートマタなのだろうか?

 店主は怪しみ、真偽を確かめてみることにした。


 膨大な計算をやらせてみたり(全部正解だった)。

 不意打ちを仕掛けてみたり(悉く返り討ちにあった)。

 将棋の相手をさせてみたり(完敗だった)。


 何をやらせても、青年は楽しそうに、軽々とこなしてしまう。

 仕事が楽になった、と美少女従業員牡丹は喜んでいる。


「いやはや、おたく、随分と高性能なんですね」

「そう、プログラミングしてあるからな。完璧であるように、と」

「おたく、やっぱり──生者(なまもの)でしょう?」

「いや、人形だ。そう、最初から言っているだろう」

「いや、生者でしょ?」

「いやいや、人形だ」

「いやいや、私の鑑定眼をなめちゃあいけませんぜ。これまでそりゃあ狐と狸の化かし合い……じゃなかった、沢山の偽物と本物をばっさばっさと見抜いてきたんだ。この歴戦を潜り抜けてきた眼で鑑定させていただいた結果──おたくの右腕は確かにオートマタ。これは認めましょう」

「うむ」

「けれど──他は生だ。そうでしょう? 右腕だけが義手なんだ。首を切った時血が出なかったのは、あれは手品でしょう」

「なぜそう思う」

「ふふん。それはね──」

「それは?」


「蚊です」


「か?」

「蚊ですよ。ぶんぶんと飛んで来る、あの腹立たしい彼奴です」

「それが?」

「おたくにも、もれなく寄ってきてたでしょう。あの憎き彼奴等の餌は、血。それは、人形には無いもの。必定、生者の証に他なりませんぜ」


 青年は、面白そうに微笑んだ。


「成程。店主の推理もなかなか面白い」

「当りでしょ?」

「さてね。心の臓を抉り出してみるかい?」

「……食えない御仁で」



 * * *



 青年の受け出し期日間際、黒い背広の男たちが、質屋に駆け込んできた。


 畳敷きの部屋に土足で上がり込み、机の上に札束を積みあげた。

「先だって質入れされた者を受け出しに来た」

「おや、お知り合いで……?」

「詮索は無用だ」

 黒服のネクタイに刺繍された紋をみて、店主はふと思い出した。


 いつか見た、机に広げられた新聞の経済欄。


 そこに大きく写真が載っていたのは、若くして大財閥当主となった青年の写真。

 大きな会場でオートマタ・カラクリ人形展を開催する、という記事。

当主も造詣が深く、自前のカラクリ工房をいくつも所有し、多くの職人を抱え、最新のものから古いものまでコレクションしているのだ、という内容だった。


 その大財閥当主の顔を見て、青年の顔を見た。


 目の前にいるのは、うつむき加減のやや陰気な印象の青年。


 写真の中にいるのは、はればれとした陽気な印象の青年。


 纏う雰囲気は正反対。


 けれども、姿形はよく似ていた。

 否、よく似ていた、なんてものじゃなく、うり二つ──


「兄さん、もしかして」

「……余程、人形の行方が気になるらしい。たかが、人形だというのに」

 青年が自嘲気味に笑った。


「店主よ。本物が、偽物に取って代わられても誰も気づかず、何も変わらなかったとする。ならば、本物の存在価値とは一体なんだったのだろうな? ただの概念だけの存在だったのだろうか。であるならば、それらしくふるまいをする者であれば、中身は本物でも偽物でもいい。概念だけが必要とされており、『私』は必要とされていない。『私』は認識されていない。あってもなくてもいいもの。代役の効く存在。概念の器。いや、檻か。ならばその中身は──自動人形でも十分なのだ」


 青年は店主に深々とお辞儀をした。

「随分と世話になった、店主。店主との攻防、なかなか、楽しかったぞ。此処はいいところだな。あの孤児院と同じく、賑やかで、あたたかい。何より──私が、私でいられた。なにより、『私』という存在しか、ここにはなかったのだから」



 黒服たちから、店主は質料を満額受け取った。

「金は支払った。では、この御方を受け出させていただく」

 物言いたげな表情の牡丹が見上げてくる。

「店主……」

 店主は一つ息を吐くと、黒服集団の前に出た。


「──お客人方。ちょいとお待ち下せぇ」


「なんだ」

「聞くところによると、あなた方のご主人は、東へ西へ、果ては外国にまでお出向きになり、オートマタを買い集めていらっしゃるとか。そこで、是非とも御紹介したい逸品がございまして。こちら──」


 店主は、隣に控えていた牡丹を黒服たちの前に押し出した。


「先日、質流れと相成りました、人型オートマタでございます。どうです。すばらしい精巧さと愛らしさでしょう?」


 黒服達が訝しげに、また興味津々に牡丹の周りに集まった。


「本当に、この少女は人形なのか? 人にしか見えんが」

「本当ですとも。こちらを御覧下さい」

 店主は牡丹のうなじを黒服たちに見せた。


 白い肌には、【NO.Bー00/S.C】という通し番号と、千鳥に似た花押が小さく入れ墨がしてあった。


「千鳥ヶ淵斎賀っていう、その世界じゃあ、そこそこ名の通った、異国の禁忌の外法に手を染めた人形師がおりましてね。その先生がお造りになった人型オートマタの二世代機、その初号です。どうです。大変珍しいものでございますよ。おっと、出所はお尋ねにならねえでくだせえ。こちとら信用商売、お客様の秘密は厳守しておりやす。闇から闇へ、名品が渡っていくのは、世の常でしょう?」


 黒服たちは集まって少しの間相談し、最終的には主人に電話で指示を仰いだ。


「……御当主様が、そのオートマタを見てみたいそうだ」

「おお、ありがとうございます。では、準備をして参りますので、しばしお待ちを」

 訳が分からず心配そうに立ち尽くす青年に、店主はウインクをした。



 * * *



 黒塗りの高級車に乗って、青年と一緒に大財閥当主の邸宅へ。


 黒髪におおきな花簪の飾りをつけ、美しい振り袖を着せられた少女は、大変美しいものだった。

 若き当主は、喜色を浮かべて喜んだ。


「すばらしい! この番号の後に刻印された千鳥の形に似た花押。まさしく、千鳥ヶ淵斎賀のものに間違いない! 彼は、全くと言っていいほど表に出てこない謎多き人形師。仲介人を通して、気に入った客の依頼しか受けない変わり者。だが、制作されたオートマタは、まるで魂でも込められているかのように動くのだ。噂では、実際に魂を吹き込む事もできる、と噂されている」

「流石、よくご存知で」

「この品、購入しよう! もっと近くで見ても良いか?」

「どうぞどうぞ。隅の隅まで、よぉく御検分なさってくださいませ」

 当主はいそいそと少女の近くへ行き、つややかな黒髪にふれようと手をのばした。


 その瞬間、少女の手が閃いた。


 若き当主の、脇腹から心臓の上へかけて、銀色の光が一閃する。


 長い振り袖から覗く、少女の白い手には、懐刀が握られていた。


「な!」

「なにをする!」

 護衛達が騒めき、慌てて武器をとり出し、店主達を取り囲んだ。


「ちょいと落ち着きなせぇ、皆々様方。そら、御当主様はぴんぴんしていなさる」


 当主は、脇腹から胸まで深く切り裂かれていたが、一滴も血が零れていなかった。


 傷口から覗いて見えるのは、朱、青、黄、緑、白、黒など様々な色の管。

 人の物では決してない、無機質な臓器。


「おや? なんともこれは、御当主様もオートマタでございましたか」


「お、おのれ……貴様! お前達、この者を捕らえよ!」

 当主が忌忌しげに命令した。


 しかし、護衛達は動揺した表情で顔を見交わすだけで、誰一人動こうとしなかった。

 周りが騒然とした。

「な、なんということだ」

「我々は、ずっと騙されていたのか」

「本物だって言ったのに……!」

「だって、あの時、確かに赤い血が流れたのを見た!」

「あ、ああ俺も見た!」

「あの時?」


 店主が訪ねると、秘書が額の油汗をハンカチで拭きながら、震える声で答えた。


「……わ、我が財閥は、国内外、数多くの会社を経営しております。よってお立場上、成功を羨む輩に命を狙われることなど多々あります故、危険な場所に赴く折には身代わりを立てるのが常でして。ですが、御当主様はお優しい方。一人、二人と死んでいくのを見て、御心を痛めておいででした。そこで、遠い西の大陸に、人と変わらない姿形をもつオートマタを作れる人形師がいるという話を聴き、どうにか探し出し、人づてに御紹介していただき、制作していただいたのです」


 護衛や使用人たちが戸惑い顔で、出口付近の壁際にひっそりと立つオートマタの青年と、部屋の中央に立ち尽くす青年を交互に見た。


「それはもう、本物と見間違うほどの人形でした。人の言葉を話し、動き、物を食べる。人形だという事が嘘のようでした。御当主様も大層お喜びになり、それはもう、兄弟でもできたかのように接しておられまして」


 秘書が滝のように流れる汗を拭く。


「ですが、所詮は身代わり人形。かの人形師から、より御当主様に似た、より人間らしい高性能なオートマタができた、と連絡がありまして、交換することになりました」

「交換した人形は、その後どうされるおつもりだったので?」


 秘書が、ひたすらに汗を拭きながら、壁際に立つ青年をちらちらと何度も振り返った。


「ええ、はい。ええと、交換後の人形は解体され、別の人形のパーツとして再利用されることになっておりました。引き渡し日を控えた前の晩──事件は起こりました。人形が、あろうことか主人を傷つけたのです」


 部屋の中央に立つ青年は、俯き、じっと絨毯を見つめている。


「御当主様の書斎から悲鳴が聞こえまして、隣のお部屋で待機しておりました私は慌てて駆けつけました。そこで見たのは、血に濡れたナイフを握りしめた身代わり人形と、腕から血を流す御当主様の姿でした。腕から血を流した御当主様は、人形が暴走した、捕らえろ、と命じられました。ですから、わたしは……」


「成程ね」

 店主が、胸にぱっかりと開いた傷口を押さえてうなだれる青年を見る。それから、壁際に立つ青年を見た。


「兄さん。その時、あんた何も言わなかったのかい?」

「……言っても、誰も信じてはくれなかった。向うは、腕から血を流している。私が血に濡れたナイフを握っている。それは決定的な事だった」

「腕に血を仕込んでいたんでしょうな。おそらく、動物の血か何か」

「あの晩、もう一人の私は、話がある、と言って私の寝室にやってきた。そこで、突然ナイフをとり出し、自らの腕を切り裂いたのだ。赤い血が飛び散り、驚いた私は、ナイフを取り上げた。私は分からなくなった。人形にはない赤い血。何故。大きな物音に飛んできた執事が、ナイフをとりあう私たちを見て、秘書を呼びに言った」

「そういう事だったのですか……も、申し訳ございません……!」

「いや、いいのだ。なあ、もうひとりの私よ。そんなに、私になりたかったのか?」


 うずくまる人形が、それでも口の端を歪めて笑った。

「……人形に、考える能力など与えてくれなければよかったのだ。そうすれば、羨む事もなく、解体を嘆く事も、別れを辛く思う事もなかった」


 青年の人形は、ゆらりと立ち上がった。


「きっと、他の人形達もおなじ気持ちだろうと思い、集めようと思った。それには莫大なお金が必要なのは分かっていた」

「解体の話は、私は知らなかった……きっと、また別の主人の元へいくのだと」

 秘書が汗を拭く。

「きっと、お心を痛めると思いまして……」

「嘘を言ったのか」

「た、大変申し訳ございません!」


 青年──当主は、人形に近づいた。

「すまなかった。おまえを解体などさせないよ。おまえが寂しいのなら、できうる限りのオートマタを集めよう」

「いや、兄さん。それはだめだ」

 店主が前に出る。

「もう一人の兄さんよ。人間に寿命があるように、人形にも壊れる時がある。人間に生を惜しむ気持ちがあるように、人形にも、消滅を惜しむ気持ちがあるんだろうよ。そして人間の心が様々にあるように、人形にも、様々に思う所はあるんじゃねぇのかい?」

「……」

「集めるのは、エゴだと?」

「さあてね。これは無数にある考え方の中の、ほんの一つさ」


 青年人形が寂しげに笑う。

「……確かに。大きなお世話だと思う人形も、なかにはいたのかもしれないな……」

「持ち主を傷つけるのは、最大のタブーだ。主人に取って代わるなんてのは、本末転倒、タブーの極み。残念だが、兄さんが財力と権力をもってしても、これは曲げられねぇ。無法みたいなこの世界だが、これでも一応、護らなきゃならねぇ道理ってもんがあるんでさ」

「だが店主……!」

「いや、いいんだ。解っている」


 青年人形は、心臓辺りに腕を突っ込んだ。

 そして引きずり出したのは、七色に輝く玉とそれにつながる無数の管。


「これを、もっていて欲しい。貴方は私を大切にしてくれた。私が私でいた証に、貴方に持っていて欲しい。まったくずうずうしい、願いであることは解っている。いやなら、捨ててしまっても構わないから」


「捨てるものか!」

「ありがとう……そして、ごめんなさい。貴方を、幽閉同然に館に閉じこめた。これで、ずっと一緒にいられると思った。いなくなったのを知った時、目の前が暗くなった。血の気が引く、とはあのことをいうんですね。なんて恐ろしい。こんな感情などいらなかったのに。いやでも、この温かい気持ちもまた、感情なのだ。失いたくない。私は、本当は、ずっと、貴方の傍にいたかった、だけなんだ……」


 そういうと、みずがら管を引きちぎった。

 青年人形は、その場で事切れた。

 


「私を捕らえた後、もう一人の私は、人形を引き取りに来た製作者の使いを追い返し、オートマタを収めている別宅の屋敷に、私を幽閉した。人形ばかりの屋敷で、生者は私一人だった。自由はなかったが、結構快適だったよ。気を使ってくれていたのだろう。でも私は自由が欲しかった。今なら、自分の立場を放棄して、自由になれる。だから、外へ逃げ出した。私が抵抗らしき抵抗をしていなかったせいもあって、幽閉は極緩いものだった。逃げ出すのは、そう、難しい事ではなかった。自分の足で歩く世界は、それは面白いものだったよ。途中、お腹が空きすぎて、ゴミ置き場に倒れてしまっていたがね。……私が、もっとしっかりしていれば、こんなに苦しませることもなかったのに……。……私は、逃げ出す事しか考えてなかったのだ……」


 泣き崩れる青年に、店主は手を差し出した。


「まったく。大の男が、わんわん泣くんじゃねぇよ。こんなに後味悪いんじゃ、俺様もゆっくり眠れやしねぇ」

「店主……?」

「どうだい。その心の臓、俺に預けてみないかい。悪いようにはしねぇよ。別途必要経費分は、頂く事になりやすけどね。気難しいヤツですが、腕だけは良い職人を一人、知っておりまして」



 * * *



 一ヶ月後、青年の元に、一匹の子犬が届けられた。

 耳には【NO.Cー18/S.C】とナンバリングしてある。

 後ろ足の裏には、千鳥のような花押が刻まれていた。



 * * *



 縁側で酒を飲む友人に、店主が酒を注いでやる。

 やたら背のひょろ長い、長い前髪が怪しさを倍増させるざんばら髪の男が、庭を眺めながら眠そうに大欠伸した。


「悪いね。格安で仕事受けてもらって」

「足りない分は、貸しとく」

「……いやはや」

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