騎士ゲオルグ
プリシラの一人称を「私」に変更しました。
夢をみた。いつも見る、とりとめもない夢だ。
炎の中。動かない身体。目の前に女の子。何かを泣き叫んでいる。
炎は熱くないし、音も聞こえない。だけどたぶん次の瞬間には女の子は灼かれるのだろうし、自分も助からないんだろうと思う。そんな夢。まるで恐怖映画の残虐なシーンだけが綺麗に切り取られた、そんな感じの光景。
この子は何をそんなに叫んでいるのだろう?
いや愚問だろう。今にも焼き殺されようって時に他の言葉なんかあるわけがない。タスケテとかオカアサンとか、そんな感じの言葉なんだろうと思う。そして、それを見ていて動けないって事はたぶん、オレもこの子とほとんど変わらずに焼き殺されるに違いない。
だけど最後のシーンは現れない。心を潰されるようなきつい場面も、おそろしい音もない。そりゃそうだ夢だからな。そんなスプラッターでホラーで悲惨な夢なんざごめんだ。
なのに。
なのに、どうしてこんなに悲しいのだろうか?
「ゲオルグ様。起きてください、ゲオルグ様」
「……う」
青年が重いまぶたを上げると、そこには神官姿の美女の姿があった。心配そうにゲオルグをのぞき込んでいる。
「朝です。大丈夫ですか?起きられます?」
「プリシラ……ああ問題ない。また魘されてたか?オレ」
「はい。すぐ起こしましたけど」
そうかとゲオルグは答えると起き上がった。
ここは、いつも彼が寝起きしている王都の神殿設備ではない。見渡す限りの大平原のど真ん中。空は青空にいくつも白い筋雲があり、まだ暑いながらも風が吹きそうな気配がする。寝汗の身体が少し重く感じられる。
顔を洗いたいな、とゲオルグは思った。
いつもなら寝具姿のゲオルグだが、危険な野営地でそんな事できるわけもない。また今朝は全員がビバーク状態で屋根すらもなかった。一昨日はきちんと天幕も用意したのだが、元々が全員騎馬での移動である。馬車がないフットワークの軽さ、加えて今日の昼あたりに目的の村に着く事を前提としていたので、昨日はギリギリまで進んでからこのとおりビバークと相成ったわけだ。
確かに天候にも恵まれていたが、夜露と寝汗の重さだけは水か火で飛ばしたいところだった。まぁ風のひとつもあれば少しは快適になるのだが。
そんなゲオルグを優しく起こしたのは、神官のプリシラ。唯一神教団では特殊な立場の神官と聞いた事があるが、なぜかゲオルグが教団に保護されてからずっと側にいる。色々と大助かりな存在なのだが、本当にいいのだろうかと悩む事もしばしば。ただ「どうしてオレのとこにいてくれるの?」なんて言おうもんなら「もう私の事は必要ないとおっしゃいますか?」と捨てられた子犬のような目で嘆かれてしまうのでゲオルグにとってこの手の話題は禁句になっている。
まぁ余談であるが、実のところをいうとゲオルグが彼女に強く出られないのは彼女に手をつけちゃってるせいでもある。相手が神官という事もありどう扱えばいいかわからず、しかもプリシラにまで「お気になさらないで」と言われちゃっているのが彼の心と態度を半端なものにしてしまっていた。そもそもゲオルグはお人好しなくらいに誠実な男であったから、押し切られてつい手出ししてしまったとはいえプリシラを憎からずは思っていたものだから、これはもう何というか。
もしゲオルグが蜜壺という言葉を知っていれば彼の運命は変わったのかもしれない。
だが実際にはゲオルグはそんな事を考えもせず、そしてプリシラもまた考えちゃいなかった。プリシラは駆け引きでなく本気でゲオルグに夢中になったわけで教団の思惑とは無関係だったからだ。ただプリシラが既成事実を作ったのに上が気づき、便乗したにすぎない。まぁ配属替えの時点で上の意図にもちろんプリシラも気づいたが、だからといって引くつもりもなかった。せいぜい給料アップを求めたくらいだが、これだって「彼のために使うお金ですから。それとも勝負下着とかいちいち経費に出します?さすがに恥ずかしいので勘弁していただきたいんですけど」などとお偉方の前で赤面しつつもぶちかましたあたり、プリシラの性格がわかるというものである。
まぁ大人の事情はいいとして、話を戻そう。
「プリシラはよく眠れたか?」
「ええ。ゲオルグ様の隣でもうぐっすりと」
「オレの横かよ。問題なかったのか?」
「さぁ?騎士団の皆様がゲオルグ様を何やらきつい目で見ておられましたが」
「勘弁してくれ」
こんな男ばかりの行軍で神官とはいえ美女を独占してたら、そりゃあきつい目で見られるだろう。自らまた問題の種をまいた事を知ったゲオルグはトホホと嘆いた。
「まぁいい、で、予定通り今日到着だっけ?」
「そのはずだったのですが……どうやら少し問題が起きているようです」
「問題?」
「はい」
プリシラはひとつ頷き、予定で進もうとしていた東方を指さした。
「予想の範疇ではありますが、目的地の村が先日の魔獣団暴走で壊滅した可能性があります。ですので、少し目的地に隣接する別の村を目指す事になると思います。おそらく生存者はそちらに逃げ込んだと思いますので」
「さっそく被害か」
今回の短い旅の目的の一つが、このプリシラの言う魔獣団暴走の被害調査だった。ソルティアッガ地方は人口密度が極端に少なく、西の大森林での魔道事故により魔獣どもが東に溢れでた折にも「被害はないだろう」とされていたくらいだった。だがわずかでも人的または物質的被害があるならば、それを調べよという命令が王により出された。少なくとも表向きはそうだと。
ただしゲオルグたちには別の目的も示されている。なんでもこのあたりで界渡りの魔力が確認されたという事で、ゲオルグとプリシラがわざわざ騎士団に随行している理由もそこにあった。
界渡り。
この世界には『記憶持ち』と言われる種類の人間が結構いる。簡単にいえば、いわゆる前世記憶というものを断片的にせよ保持している者たちだ。普通これらの記憶は断片的だったりぼやけていたりするものだが、稀にその中に異様にはっきりと……しかもこの世界でなく、別の世界での『前世』の記憶を持っている者がいるのである。そして、その者たちは例外なく普通より魔力が大きい。学者たちによると「ふたりぶんの魂をもって生きているので魔力が余っている」からだといい、その特異性から「異世界よりきた者」という意味で『界渡り』と呼ばれている。
ゲオルグはその話を荒唐無稽とは思わない。理由は簡単、ゲオルグ自身がその界渡りだからだ。彼の『前世』は地球という星に生きていた。なぜだかこの世界にいる『界渡り』はその地球の人間ばかりなのだが、おそらくこの世界と地球のある世界が隣接、あるいはかなり近くにあるのではないかと言われている。あるいは、ある種の次元のほつれのようなものがあり、たまたま両者がつながってしまっているのだと。
まぁ、さすがにここまでいくとゲオルグも苦笑してしまう。いくらなんでも話が大きすぎるし、原因がどうあろうと自分はここにいる、それでいいじゃないかというのが彼の考えだったりする。
「プリシラ、まだ時間はあるか?」
「少しなら。あ、これどうぞ」
「うん、ありがとう」
プリシラから携帯食料を受け取った。不味いものだがエネルギーにはなる。もくもくと食べつつ話を聞く。
「ひとつ確認なんだが、界渡りについての情報はその後どうなってる?」
「あ、はい。探査魔法にひっかかった範囲ですから不明点も多いのですが」
前もって注意点だけを述べると、プリシラは得られている情報について告げた。
「おそらく精霊魔法使いである事、女性である事が判明したようです。名前はまだわからないそうです」
「精霊魔法?なんだそれ?」
耳慣れない言葉にゲオルグは眉をしかめた。
精霊魔法における『精霊』の最小単位は、彼ら唯一神教会がマナと呼んでいるものとほぼ等価だった。精霊を視認できない人間は精霊魔法は使えないが精霊自体はそこに在る。いつの時代かの賢い者が、精霊に意思が伝えられなくとも魔法を使えるようにと開発されたのが呪文や印章を使う人間の魔法なのだ。
ところが唯一神教会のような者たちはマナを命あるものとは考えない。なぜなら精霊とは彼らにとり悪魔であり、この存在を認めると教会は悪魔の力を使っている事になるからだ。馬鹿げた言葉のすり替えだが、それでも魔法自体はちゃんと機能するのだから始末に悪い。だから教団の力の強い地域ではこれをまともに信じ込んでいる者も多い。王都生まれで教会で教育も受けたゲオルグもまたそのひとりで、精霊魔法なんて見たことも聞いたこともなかった。
で、それを知っているプリシラは知らん顔で教会の見解を言う。意地悪をしているのでない。むしろゲオルグのためだ。教会に逆らえば、いくら貴重な界渡りだってただではすまないのだから。
「精霊というのは……ゲオルグ様にわかりやすく言えば悪魔の事ですね。悪魔と契約し、その力を行使する者の事を俗に精霊魔法使いと呼びます」
「!?」
さすがに驚いたゲオルグは一瞬絶句した。
「いや、悪魔と……契約?おいおい冗談だろ?」
「残念ですけど冗談じゃないんですねこれが」
プリシラはためいきをついた。
「精霊魔法は強力ですし柔軟性にも富んでいます。契約でつながっている悪魔に意思を伝えるだけなんで作動も一瞬ですし。反面、消費魔力が大きいのが難点なんですが、界渡りの方々の魔力なら問題なんてありませんしね」
「なるほどな。契約相手が悪魔でなきゃ、確かに効率いい方法ってわけか」
「はい。まぁこちらとしても作戦が決めやすくはありますね」
「作戦が決めやすい?どういうことだ?」
「殺すしかないからです」
明日の天気を告げるような口調で、さらっとプリシラは告げた。
「悪魔と契約してつながるというのはそういう事なんです。魔法を使えば使うほど悪魔に侵食され、人間の属性を失っていくんですよ。私も話に聞いただけで実際に見た事はないんですけど、こうなっては会話なんてもうできないそうです」
「……」
ゲオルグの沈黙を「続けろ」という表現ととらえたのだろう。プリシラはさらに続けた。
「ですが疑問点もあります。どうしてわざわざ契約に答えたのかです。奇妙に思われるかもしれませんが、悪魔たちはちゃんと契約の結果なにが起こるかを説明してから契約を迫るんです。いくらメリットが大きくても異界の知識のある界渡りの方が契約に簡単に応じるとは思えません」
「そうなのか?しかし可能性は高いのだろう?」
「はい。だから謎なのです。……もしかしたら村の者たちがそういう方向に誘導したのかもしれませんね。所詮なんだかんだで彼らは魔族ですし」
「なに?」
ふと、ゲオルグは最後のひとことが気になった。
「所詮は魔族ってどういうことだ?」
「ご存知ありませんか?」
「ああ。すまない」
「いえ、謝る必要はありませんが」
少しプリシラは沈黙したが、やがて言った。
「あまり声を大にして言う事じゃないんですけど……ゲオルグ様、このあたりって妙に田舎だと思いませんか?王都から数日で来られるっていうのに森から出て東には何もありませんよね?」
「あ?ああ、そうだな。確かに」
言われてみればそうだなとゲオルグは言った。
王都といえば国の中心だ。確かに大森林を隔てているし移動が騎馬とはいえ、その王都からまだ数日しか進んでいない。この国の移動単位である日程は曖昧な単位だが、たとえマイルに言い換えたところで200マイルも来ちゃいないだろう。
なのに、田舎どころか何もない平原というのはどういう事だ?
「このへんが発展してないのは理由がある、そういう事か?」
「はい。この地方に住んでいる人間は、ほぼ全員に魔族の血が入っているんです。例外はないと思っていいです」
「ほう」
かなり衝撃の事実だったが、ゲオルグは眉をしかめたただけで「先を」と言った。
「相手が人間じゃないのに親しくつきあおうって輩はいませんよね。せいぜい強欲な商人が何かを売りつけに来たり、捕まったら殺されるとわかっている犯罪者が逃げこむのみです。たかが被害調査に騎士団が行くのもそういう理由なのです。界渡りがどうのの話ではないんですよ」
「ちょっとまて、それはおかしくないか?」
「何がですか?」
今度はプリシラの方が眉をしかめた。
「そんな厄介事なら普通、国をまとめてすぐに征伐しちまうはずだろ?こんな王都の目と鼻の先なんだぞ?迷い込む奴もいるかもしれないし危険すぎる」
「ええ、征伐しました。だからここは平原なんです」
「……なんだって?」
プリシラが真顔に戻ったが、今度はまたゲオルグの方が眉をしかめた。まるでシーソーゲームだ。
「ご存知なかったのですか?」
「ああご存知なかった。いちいちで悪いんだけどこれも説明してくれ」
「いえ、かまいません。大事な事ですから」
わかりましたとプリシラは頷いた。
「ソリアルマ王国が成立する前、この国は魔族の国だったのです。首都はこの平原のど真ん中にありました。そうですね、私たちが向かうはずだった村も、昔の地理では王都の中だと思います。平原の中央には大きな川が流れていて、とても肥沃な土地だったといいます」
プリシラの言葉はどこか記号的だった。おそらく彼女自身も歴史書を読んだだけで、実感を持ってはいないのだろう。
「教団がここにあった国を滅ぼした後、いかに魔族をこの国から消し去るかを考えました。普通なら植民政策をとって生き残りの魔族を追いやっていくんですけど、魔族はしぶといんです。へたに入植すると入植者の一部がいとも簡単に混血しまして大量の半人半魔が生まれてしまいます。そして彼らの中に精霊魔法使いが現れて悪魔化していくと、それに引っ張られるようにその周囲にも血がにじむように精霊魔法使いが出現、以降はそれを繰り返していくんですよ」
「……」
ゲオルグは沈黙していた。
ちなみにゲオルグは気づいていないが、騎士たちの出発準備はもう終わりかけていた。呼びに来た騎士長と思われる男が二人の近くまで来ていたが、ふたりの会話が穏やかなものでない事で、気を利かせて静かに待機していた。
「その事態を重く見た教団はソリアルマ王国と共同戦線を敷き、殲滅作戦を展開しました。ここに当分は大きな町などできる事がないよう徹底的に破壊、住民も全て処分しました。同時に大規模な河川工事も行いまして、この地域に流れていたオークリテ川を潰し、大森林の方に流すようにしました。まぁ、といってもゼロから川を作るなんて神様のような事をしたわけではなく、もともと大森林の方にも大きな支流があったのを強化、向こうに流したのですけど。国中の魔道士や職人工人、戦士などを総動員した大事業だったそうです。ですがその甲斐あってこの地方は枯れた平原となり、ソリアルマ王国はここ二百年あまり、魔族の大きな反勢力も生まれずに過ごしてきたんですけれど」
「……」
「どうされました?ゲオルグ様」
ゲオルグは厳しい顔でプリシラを見ていた。
「なぁ。それってつまり、教団の方が攻め滅ぼして、そのうえ住民も皆殺しって事じゃないか?ここはその魔族とやらの土地だったんだろ?」
「は?」
プリシラはぽかーんとゲオルグを見ていた。まるで宇宙人でも相手にするかのように。
「んん、こんな事お話したら失礼かもしれませんけど、ゲオルグ様。この世界は神様が私たち人間のために作ってくださったものですよ?魔物や魔族のものではありません。彼らはこの世界にいてはならない存在であり、簒奪者であり侵略者であり破壊者です。その、小さな子供でも知っている事なのですが……」
「……」
「ゲオルグ様?」
「あのな、プリシラ」
ゲオルグはためいきをついて、そして言った。
「オレの元いた世界にもほとんど同じ事ほざいた宗教があった。世界中に宣教師を送り、貧しい人を助けたり善意の活動をする傍ら布教に勤しんでいた。うん、かくいうオレも生まれてすぐその宗教の洗礼を受けていたさ。この世界で違和感なく唯一神教会に馴染んだのもそのためさ。ほとんど同じ教義なんだからな。神様はひとりっていう言葉の意味を実感して本気で驚いたぜ」
「はい。伺った事があります」
「だけどなプリシラ。異端狩りのあまり世界中めちゃくちゃに荒らしまくった歴史まで変わらないとは思わなかったぞ」
不思議そうなプリシラの顔を見て、そしてゲオルグは首をふった。
「オレの世界のその宗教の連中は、異教徒を悪魔とか、魔女とか言って拷問の上に火あぶりにしたりして殺した。何百万人って無実の人間をだぞ?それを聖なる行為として何世紀も続けてたんだ。さらに聖戦と称して十字軍を編成し、大陸を渡って遥かな異教の国まで攻め込んだ。ひどいもんだろ?」
そこでゲオルグは一度言葉を切った。
「今はっきりわかった。おまえが悪魔とか魔族とか言ってる連中って、つまり異教徒とか異教の神ってだけの話なんじゃないのか?そりゃあ唯一神的には異教の神なんて悪魔だろうから間違っちゃいないだろうがな」
「いえゲオルグ様違います、たしかにおっしゃる通りに彼らの崇める神は異教の神であると言えなくもないと思いますが、彼ら自身は私たちとは違います。異種族であり、まさに魔族と言うにふさわしい者共なんです」
「プリシラが嘘を言うとは思わないけどさ」
「だったら!」
「わり。オレは、ひとを悪魔と断定するような事は自分の目で見てからじゃないとできねえよ」
「な……!」
プリシラの目が大きく開かれた。
「ゲオルグ様!ひととは人間族の事ですよ、魔族はひとではありません!ゲオルグ様の遠いふるさとの経典にだって、悪魔が人間であるとは書かれてませんよね?しっかりなさってください!」
「神官であるプリシラにとっちゃ非常識な事かもしれないから一応謝るけどな。悪い、オレ、聖典に書いてるからそれが正しいって盲信は切り捨てる奴なんだ」
「!?」
ゲオルグの言葉をきいたプリシラの顔が驚愕にいろどられた。わなわな、と微かに手が震えている。
「実際、これがなくなるだけで世界の戦争の半分は確実に消えてなくなるんだし、だいいち他種族ぜんぶの殲滅なんて……!?」
殲滅なんて不可能だ、そう言おうとした瞬間だった。ものすごい早さでプリシラがゲオルグの口をふさいだ。
「んぁ」
何すんだと言おうとしたゲオルグにプリシラは耳を寄せ、そして小さいがきつい声で言った。
「ゲオルグ様、聖典の侮辱は神様を侮辱なさる事です。いくらゲオルグ様でも死罪にあたりますよ?殺されます、いえ」
そこでプリシラは一度言葉を切り、
「いえ、それ以上おっしゃるなら私が喉を掻っ切ってさしあげます」
耳元でそうささやいて、指先でゲオルグの喉仏をやさしく撫でた。
「……」
そのプリシラの豹変ぶりと眼の色に、ゲオルグはまぎれもない本気を見た。
プリシラが憎からず、いやそれどころか本気で思ってくれている事はもちろん知っていた。神官職がいわばエリートなのは元々知っていたし、そんな職にあるのに界渡りとはいえゲオルグと関係を持ってしまった事が何を意味するかも知っていた。出世コースから外され自分の専属なんかにされてしまったプリシラに申し訳ないと思っていたし、元々は彼女に色香に負けてしまったとはいえ、男として責任はとるべきだとも考えていた。
だが、そのプリシラすらもこうなるのか。ちょっと教団を批判しただけでいきなり?
狂信者。
そんな言葉がゲオルグの脳裏をかすめた。
「ああわかった、そう殺気立つなプリシラ。な?」
冗談のつもりで胸元に手をやったが、恥じらうどころか動きもしない。敵意のこもった冷たい目でゲオルグを見ているだけだ。
「……プリシラ、騎士団長がさっきから近くにきていると思うが」
「!」
その瞬間、プリシラの呪縛が解けた。
「あらマルコ騎士団長すみません。もしかしてもう出発時間ですか?」
「あ、はい。いえ構いませんよ、内容はよくわかりませんが大事なお話のようでしたから」
どうやら何もきかないふりをしてくれるらしい。
少し禿げた鎧姿の初老の男は、穏やかに微笑んでそう告げた。
「……」
ゲオルグは、目覚めたどころか冷水をぶっかけられた気分だった。
今までの人生。プリシラとの事。いろんな事がこの一瞬で全て否定された、そう感じていたからだ。
幸か不幸かゲオルグは若かった。地球における記憶を加えればもちろん若者ではないはずだが、その地球の記憶がむしろ彼を柔軟にしていた。「世界は一つではない」言葉にすればただそれだけなのだが、その経験がゲオルグを支えていたし、プリシラの行動や唯一神教団のそれが明らかにおかしいという事実から目をそらさなかった。
「……」
昨夜は優しく二人を暖めたはずの焚き火が、下を見たゲオルグの視界の中で完全に白く冷え切っていた。