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燕と夜叉  作者: 俊衛門
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 窓の外を伺う。刻は明黄から深藍へ。夫人の姿とともに、山脈の針葉樹と丘の上に群生する雑草も、何もかもが闇の中に呑み込まれて、曖昧だった輪郭も溶けて、真に夜が迫ったと知る。

「燕玲」

 テーブルは、丁度キッチンに面している。テーブルの下を無視して、あたしは真っ直ぐキッチンの方に向かった。かまどの隅で、小さく縮こまっている影が、脅えた視線で見上げてくるのを、見た。

「何してんの」

 びっくりするぐらい――自分の喉から出たとは思えないような声がした。何か、自分の思惑とは別のものが喋っている。そういう声だ。

「何してんのかって訊いてんだ」

 燕玲はひきつったような表情で、それでも口だけは死にそうな金魚みたいに動いていた。何か言い訳を探して、でも結局何も見つからず、結局黙ってしまう。そういうことをしているから、あたしだって言いたくなるんだ。何で分からないのだろう、この子は。

「あたしは……」

 手を伸ばした。燕玲の襟首を掴み、引きずり出した。何の抵抗も無く隅っこから引き剥がし、よく顔が見えるように燕玲の顎を掴んだ。

「あたしは前に言ったよね? 誰か来たら顔を出すな、姿も見せるな。あんたは空気だ、空気になるんだって。気配も見せるなって、絶対に悟られるなって」

 何を言っても燕玲は、きっと届いていない。そういう面だ、考えることも放棄して今だけを耐えていればいいという、そういう顔だった。あたしがやること為すこと、ただただ恐れていさえいればいいという、そういう魂胆だ。

「物音立てるって何考えてんだよ。あんた、なんでこんな簡単なことが出来ない? 何で?」

 恐れが、脅えが、そのまま細い首筋の震えとなっていた。小さく、か細く、燕玲は言った。

「あ、あの……ごめんなさい」

 ごめんなさい――謝罪の言葉、その先に一切責任をとらないという言葉。

「謝りゃ済むと思ってんの? あんた。自分が何したのかって、分かってんのかよ」

 涙を一杯に溜めて、それでも燕玲は、謝り続けている。小さく、ごめんなさい、と。謝罪すればいいと、そうすれば事足りると、そんな卑しさが、透けて見える。

「ごめんなさい」

 いきなりだった。何か、訳の分からない衝動が突き上げていた。燕玲をつき飛ばし、左の頬を張った――その一連の動作の中で、あたしの脳内から諸々のことが全て消え去っていた。そのぐらい、何も考えられなかった。気づけば地面に転がった燕玲を、見下ろしていた。

 赤くなった頬を押さえて、燕玲はうずくまっていた。感情の全てを押しこめるように、まるで殻の中に自ら閉じこもるような姿だった。

「あんたなんか……」

 もはや、燕玲は脅えの視線を向けなかった。

「あんたなんか、壊れるものか」

 接し方には気をつけろ。丁寧に扱え。アミヤにはうんざりするほど言われた。けどそんなことは関係無い。こいつには"夜叉"の血が混ざっているんだ、多少乱暴に扱ったって絶対に壊れることなんかない。絶対だ。

「いつまで寝てんだよ、起きろよ」

 燕玲の頭を、足で軽く小突いた。燕玲はゆっくり頭をもたげ、あたしの顔を見上げる。哀れみを乞うように、目に一杯の絶望を湛えていた。そんなことで、許してもらおうとか、そういう卑しい気持ちを抱えている。

「早く行けよ」

 燕玲が立ち上がり、奥の部屋に引っ込む気配がした。扉が閉まる音がして、ようやく燕玲が部屋に戻ったのだと、知った。それまでずっと、あたしは燕玲に背を向けていた。燕玲がどんな顔をして、どんなことを言っても、あたしにはどうせ受け容れることが出来ないものだった。だから、目を合わせない。合わせたくなかった。

 ラジオの音源が、少しだけ乱れ、雑音を刻み込む。地元メディアのアナウンサーが、またどこかで、"夜叉"たちが現れたことを伝える。訛りの激しい北京語。


 ヒマラヤの麓に、ロケット基地はある。

 かつて月に行ったとかいう、本当か嘘か分からない話だ。錆の浮いた、解剖標本じみた発射台と、その周辺にある建物の跡。まだ運搬途中で放棄された、ロケットの残骸すら存在する。そのロケット基地を見下ろす形で、山脈が聳えている。山頂は、溶けることの無い雪に混じって、点々と黒いものが散りばめられている――気象台であり、電波の発信基地の塔の建設が進められていた。

 とにかく、急造でも何でも経ててしまえば文句はないだろうと言わんばかりに資材の搬入が進められ、それに比例して人類軍の装甲車両やトレーラーが、辺鄙なこの田舎に出入りするようになった。あたしは慣れたものだが、地元の人間などは軍人を見たことなど無かったようで、皆物珍しそうに遠巻きに見ている。当たり前と言えば当たり前のことだった。いくらラジオで軍のことが報じられても、実際に目にする機会など無い。

 上海や、香港といった都市部でなら、それこそ軍人が大手を振って歩いていたのに、ここでは完全に余所者扱いだ。

 あたしの住居を、何故こんな辺境に持って行ったのか。おそらくアミヤは、こうなることを見越していたのだろう。軍が建造する基地の近くに居を構えれば、監視はしやすくなる。多分、燕玲の他に造られた子供達も、同じように軍事施設の近くで育てられているはずだ。

 ロケット台の隣を、人類軍の奇形めいた四足歩行戦車と、恐ろしく肥大した槽を備えたバルクローリーが列を為してすり抜ける。その全てに軍の徽章――大亀に蛇の絡みついた異形をあしらった印は、北面の部隊のものだ。地に這いつくばって天を睨み、今にも噛み付こうと口を開き牙を剥く蛇と亀。殆ど、"飛天夜叉"と対比させるような絵柄をしている。もっとも、北面部隊は旧国家が存在したときからの部隊で、別に徽章も"夜叉"に対抗するために作ったわけではない。

 アミヤは、それでも一週間に一度は顔を出した。あたしが計測した燕玲の身体データを受け取りに来るだけのことだったが。衛星が撃ち落される前は、それこそ光の速度でデータをやり取りしていたのに、と来るたびにアミヤはぼやいていた。アミヤは、見た目はあたしと変わらないけど、もしかしたらもっと年上なのかもしれない。"夜叉"以前のことを、さも自分のことのように語る辺り。

 アミヤは、前よりも頻繁に来るようになった。前進基地に研究施設を造り、そこで引き続い仮性体の研究を行うらしい。あたしの計測したデータを受け取りに来るだけという、ビジネスライクなものだ。けど、別にそれで良かった。毎日毎日、燕玲と顔を突き合せるだけで誰とも話をするわけでもない。アミヤでも来れば、気が紛れた。

「データを照合するに」

 相変わらず復刻版の"金鵄"をくわえたまま、窓の外を見つめる。そこはいつの間にか、アミヤの定位置になってしまったかのようだった。そこから見る景色は、三ヶ月前とは随分と違っていた。水田の中に突き出た発射台の他に、灰色の群集が行き来している姿は、辺鄙な田舎にはそぐわない。

「燕玲の成長にはムラがあるな」

「っていうと?」

「一定ではないということだ。成長の速度がな。ここに連れてくる前は、普通の子供と同じ速度で成長していた。ここ三ヶ月、つまり君と暮らし始めた頃には、普通の子供の三倍から四倍の速度、だがここにきて成長の度合いがまた変わっている」

「そんなでたらめに推移しているってあり?」

「ありか無しか、と判断するなら、今起っていることが全てだ」

 ラジオからかすれた音が響いてくる。アミヤはちょっと珍しそうにラジオを覗きこんだ。

「まだこんな年代物を使っているのか」

「じゃああんたがオゴってくれるの?」

 あたしはバター茶を注ぎこんで、テーブルに置いた。

「悪いけど、あんた好みの茶はないよ」

「別に日本茶を淹れてくれとは言っていないが、毎度毎度口に合わないと言っているのに出してくるのはある種の悪意を感じるな」

「じゃあ飲まなきゃいいじゃん。いつも中途半端に飲むんだからさ、こっちだってどうすればいいのか分からないよ」

 アミヤはバター茶に口をつけ、顔をしかめた。

「やはり不味い」

 短く言って湯呑みを置いた。それでも出されたものは飲むのだから。物事に冷淡そうなのに、以外に律儀だ。

「それで、軍はあの子をどうしようって言うの?」

「それは、話すことは出来ない」

 一旦溶けかかった氷の表情が、すぐにまた元の鉄の性格を帯びる。アミヤはいとも簡単に、じつに器用に、感情を冷たい殻に閉じ込める。

「あたしもさ、あんた達が何をしようとしているのかどうでもいいんだよ。でも、一応あたしだって関わっているんだし、あの子育てて、その後どうするのかってことぐらい、知る権利はあるんじゃない? 守秘義務ってんだっけ? そういうのもあるんだろうけど」

 アミヤは頭を振った。あたしが言う事を、理解しかねるというようだった。あるいはアミヤ自身、認めたくないものがあるというような素振りでもあった。

「私もこの計画の全てを知っているわけではない。ただし、混合体が成育した時には軍が回収することは決定されている。その回収時期は、検体の成育状況によるが……その後は、兵器として運用されることとなるだろう」

「兵器……?」

 丁度窓の外で、エンジンの爆音が響いた。やや上空を過ぎ去る音は、軍用ジャイロの類だろうか。低空で飛ぶ航空機は、撃墜対象にはならないらしい。ジャイロ如きでは、何の援護にもならないから、奴らも見逃すのかもしれない。

「あの子供達に仮性体のもつ飛行能力を持たせたのは、つまりはそういうことだ。連中に制空権を渡したままで、いくら地上から応戦しようと限界がある。だから、人との混合体を作り出したのは、奴らの飛行能力と特殊な武装、そうした能力を人の手中に収めるためだ」

 鈍い色をした翼――不自然に備わった、金属部品。燕玲の膚、骨格とはかけ離れた造りをしている。あの色が、台湾の空を埋め尽くしたとき。あたしの故郷は消えた。鋭利な機影と、禍々しい青黒い一つ目。光の中に、母さんや弟が、あの家ごと消えたときのことは殆ど覚えていない。あたしがあの日を思い出そうとするときは、いつも記憶の中心に”飛天夜叉”の姿がある。鋭利な翼、凶悪な瞳、絶望的な光。

「おい、どうした」

 アミヤの声で、我に帰った。アミヤは不審そうにあたしの顔を覗き込んで、それこそ互いの額がくっつくぐらいの距離で。

「な、ちょっと何すんだよ」

 慌てて離れた。離れた瞬間、テーブルの端に肘が当たり、湯呑みが地面に落ちた。派手な音を立てて、紛い物の景徳鎮模様が粉々に砕ける。

「いや、熱があるのかと思って」

「は、はぁ? 何寝言コイてんだよ。あたしは何もないよ」

 いきなりのことだったから、予測もつかないから、あるいは状況が状況だから。いくらでも理由は考えられるけど、とにかく鼓動が早くなっていた。心臓だけが、自分の意思とは違うところで動いているような感覚だった。

「どうしたんだ? 顔が赤いぞ」

 腹が立つほど、アミヤは涼しい顔で訊いてくる。何でこいつは平気なんだろうか。

「何でもないよ、別に」

 砕けた湯呑みの破片を拾って、テーブルの上にこぼれた液体をふき取り、破片を片付けたところでようやく鼓動が収まった。けど、熱っぽい額はそのままで、こっちの方は自然に治るのを待つしかなさそうだ。

「あの子は、いつまで?」

 あたしの聞き方が悪かったのか、アミヤは怪訝な顔をした。

「やっぱり、熱があるのか?」

「そうじゃなくて、まあつまり、あたしはいつまであの子を育てるんだってこと」

「最初に告げたように、成年を迎えるまでだ」

「そいつは分かっているけど、その成年になるのはいつだってことだよ」

「何だ、嫌になったのか」

 はっきり、そうだと告げてやりたい衝動をこらえて、言った。

「いつごろに、あいつを迎えに来るんだってことだよ。そんなに成長が不定期なら、いつ成人するか分かったものじゃない。それに、他の子供だっているんだろ」

「まだ分からない。だが、成長のパターンが分かれば、あるいは――」

 その先を話すことは、一切まかりならない。果たしてそういう意図があったのか分からないけど、もうアミヤはそこから先を言うつもりはないらしい。若しくは、その先は未知のことだから、アミヤ自身も理解の及ばないところだから、口をつぐんだのかもしれないけど。

 奇妙な形の高射砲が、キャタピラの移送車に牽引されて坂道を登ってくる。四脚の自走仕様で、仮性体に対する主力兵器だと言う。やはり、亀と蛇の文様が刻まれている。移動しながら攻撃する自走砲台は人類軍の主力だけど、北面部隊の自走砲台は鈍重な高射砲の中では俊敏な部類に属するらしい。あの巨大な鉄の塊が、この山腹でどれほど動けるのか。あたしにはちょっと、想像がつかない。

「だが、成人するのはそう遠くない。仮性体はかなり早く成年に達し、生まれてから三年経たずに飛行能力を有する。四年目で、月から地上まで到達するのに十時間とかからなくなる。我々が十年掛けて習得することも、奴らはその三分の一の時間しか掛けない」

「それって、凄いことなの?」

「おそらくな。だが」

 何本目かの"金鵄"を取り出して、火をつけて。一息ついて、言った。

「それは、老化が早いということだ。彼らの寿命も、等しく短い。子を為すために生まれて、死んでゆく。そういう、運命だ」

 何か哀れみめいたようなことを、煙と共に吐き出した。アミヤの完璧な鉄面皮の下から、素顔が覗きかけている。

「仮性体の呼び名は、地域によって色々ある。君達の言う"飛天夜叉"は、この地方の妖怪だったな」

「欧州では”アザゼル”だかって言ったか。神に背いた、堕天使の名なんだって。それが?」

「私の父の故郷でも、独自の呼び名がある」

 "金鵄"を、灰皿に押しつけた。

「父の国では、"蜉蝣"と呼ぶ。死に華を咲かせるために生まれた命。世を儚み、ただ次世代への営みのために生まれ、哀れみすら抱かずに消える。虚しい命だ」

 虚しい命、というその響きに、どこか同情めいたものが含まれているように、思えた。でも、哀れみ、情けをかけるべき対象は仮性体なのだ。あたし達の敵であるはずなのに、どうしてそんな同情が出来るのだろうか。

 あたしには、理解できない。


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