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燕と夜叉  作者: 俊衛門
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 半端な攻撃は効き目がない。防御に徹するだけで、ただ逃げるだけでは仮性体に有効な手立ては得られない。インドのグルカ兵、イスラムのムジャヒディン。連合の正規軍がことごとく壊滅に追いやられている中、安全保障理事会は正規軍以外の戦闘参加も認めた。一回いくらの、正当報酬で戦う傭兵を集めての総力戦。

 ラジオでは、コメンテーターが偉い学者先生の講釈を聞き、相づちを打っている。多分、話の全てを分かっているわけではないが、それでいい。彼らの仕事は伝えることであって、理解ではない。「理解している」というポーズをとれば、それが「伝える」ということになる。

「衛星が破壊されて以来、仮性体の居場所を探る方法は地上からの目視に限られました」

 宇宙学の権威とかいう大学教授の声が、スピーカー越しに響く。かなり年代物のラジオだから、時折雑音が混ざった。

「制空権を失った人類に許された最も高い地上――ヒマラヤの気象台からの観測による位置情報の捕捉。晴れた日には衛星を臨むことが出来るほど一番空に近い場所から、仮性体の影を探り、彼らを監視していた。それによって、おぼろげながらパターンが見えてきました……」

 仮性体は月周辺を経由する。なぜ彼らがそのような行動を取るのかは明らかではないが、おそらく地球を侵略する際の前進基地か何かが存在しているのだろう――という話だった。敵国への侵攻には段階を踏む。敵国に、一気に攻め入るのではなく、遠くの領土から確実に奪い、補給基地を作る。制空権を奪いつつ、周辺の領土を占領して包囲を狭める。前線を徐々に押し進め、最後に陸へと攻め込む。大陸間ミサイル以前は、そういうやり方をしていたらしい。仮性体も同じ、奴らは月面を基地としている。そこから攻め入っているのだろう――学者に代わって、軍事アナリストが言った。

 だから、月面の基地を中心に観測には、ヒマラヤの気象台が適していた。そして、そこで得た情報を迅速に伝えるためには、地元民兵の力が必要なのだとか。限定的なメディア――ラジオ放送や新聞の一面記事が、この戦いを「総力戦」と名付け始めていた。連合軍が壊滅的となり、いよいよ人類が夜叉たちに食い尽くされるという危機感、そして人類一丸となって立ち向かうべきであるという勇ましいスローガンを、どのマスコミもこぞって煽り、書き立てていた。 

 メディアはピアノの鍵盤であると定義づけ、世界最大の帝国を作りだそうとしていた独裁者の言葉通り、連日連夜繰り返される報道に、市井の者たちも色めきたっていくのが分かった。あたしが下の町に買い物に出るたびに感じる、張りつめた空気、刺々しい会話――一方で、大して気にしていない中流以下の民衆は、普段通りの生活を続けている。気もそぞろといった様子の市民と、ある種あきらめに近い楽観さをさらけ出した農工たちの落差が、激しい。

 あたしは、そのどちらに属するでもなく、ただインフレによって値上がりしたグラムあたり三百チャイナ・ドルの根菜類を買い、ほとんど町の人たちと話をすることなく家に戻る。人類の総力戦とやらが近づいている中、人類の未来を担うとかいう任を背負っている身としては、報道の過熱化は滑稽ですらあった。

 燕玲の体はふつうでは考えられないスピードで成長を続けている。二ヶ月も経たないうちに、もう立ち上がることが出来た。ふつうなら一歳にならなければできないことだと言う。アミヤから預かった時が三ヶ月だとすれば、この成長スピードは異例だった。

 この頃の燕玲は好奇心の赴くままだった。普通の子供と同じように、駆け回り、目に入ったものすべてに興味を示す。家の外に出て、草花と戯れ、虫の音に聞き入っていた。すっかり秋が深くなり、涼やかな風を頬に受けては喜ぶ。そんな姿だけ見れば、きっと少しでも心が晴れたのだろう。けれど、現象は、誤魔化しようがなかった。李夫妻も徐々に気づき始めていたようで、会う度に燕玲の成長を喜ぶようなことを言う。だが、その言葉には拭えぬ不審感を滲ませ、暗に含んでくるのだ。

「燕玲も、すっかり大きくなって」

 何でこんなに早く成長するの? どうしてこの子はもうたって歩けるの? 何かおかしいんじゃないの――言葉以上に、雄弁に語ってくる。だから、最近では燕玲を外に出すことはなくなった。

 もう一つ、これは偶然見つけたことだった。燕玲を風呂に入れているとき、彼の背中に変な盛り上がりを見つけた。肩胛骨の上辺り、ちょうど首と腰の延長線上に位置している。奇妙に隆起したそれは、段々に大きくなり、また形も様変わりしていった。出っ張りが腫瘍めいた肉芽となり、丸みを帯びた肉芽は徐々に、鋭利な刃物のような形に変わる。表面の膚も、そこだけ変色し、鈍い黒鋼の光沢を帯びるようになった。

 一週間すると、三角形の金属片が左右の背中にくっついているような格好となった。後ろから見れば、ちょうどそれは小さな翼のような形状をしている。鳥や蝶ではなく、人工の機翼。それがまだ、親指ほどのサイズにとどまっているにしても、明らかに不自然だった。肌色から、黒い金属が突き出ている。そんな印象を、受ける。

 普通の親なら、何かの疾病を疑うところだろう。そんなものが息子の背中に出来た、未発見の奇病かなにかか、そんなふうに慌てるところだ。けどあたしは、そんな病気を疑うよりも前に、もっと根本的な恐れを抱いていた。いやがる燕玲の胴にさらしを巻き、衣服の上から目立たぬよう何重にも――李夫妻が訪れるときには、特に念入りに行った。

 

 二週間。その間にも変化があった。燕玲のことと、世の中のこと。世間の動きとしては、相変わらず変な緊張と悲壮を保ったまま、それでも表面上は平穏な日常を装っている。日がな一日中つけっぱなしにしているラジオの音源から、報道官が告げるのは、世界各地で繰り広げられる「名もなき英雄」たちのドラマ。連合軍兵士を父親にもつ子供の、涙ぐましくも美しいコメントが公開される。

 パパ、がんばって、などと。あんたの好きなパパは、軍管轄の娼妓廊でどれほどの女を抱いたかわかりゃしないな――なんて。誰に聞かせるわけでもないし、誰も聞いていない。つまりはただの独り言だった。返答なんか期待もしていないし、もともとそのつもりだった。自分で吐いた言葉は、勝手に空気中に霧散してくれる。けれど、そのときはそうならなかった。ナノマシンの注射器を手に取ったときに、その声は聞こえた。

「しょうぎろうって、なに?」

 聞き間違いだと思った。状況からいってあり得ない、だからそんなはずはない、空耳だ――そんな風に自分を納得させようとした矢先、再び一点の曇りもないかのような涼やかな声が響く。 

「ねえ、金麗」

 振り向いた。手から注射器がこぼれ落ちた。銃身に傷一つつかず、中のガラス容器だけが砕けて、透明な溶液が土の地面に広がった。

「え、燕玲……」

 あたしはよほど驚いていたのだろう。椅子の上から燕玲が不思議そうに見つめていた。無垢な瞳が二つ、何の疑いもなく見据えてくる。普通ならば――多分、全うに子を授かり育てている親からすれば、それは喜ぶべきことなのだろう。

「あんた、今なんて――」

 けど、あたしにとってそれは、ほとんど恐怖に近い感覚だった。


「言葉を、か」 

アミヤの物言いは、およそ信じられないことを聞いたという風ではなく、むしろ自身の中で得心がいったような感じだった。ああ、やっぱりな、と。胸の内に含んだまま包み隠した事実が、少しだけ垣間見える瞬間。

「何か教えたってわけでもないんだけど。ラジオで覚えたみたい」

「もともと言葉など教える必要などない。そういう風にできている」

窓から西日が差し込んでいた。陽光を背にしたアミヤの影が、金色の光に埋没しているかのように、霞み、橙に溶け込んでいる。アミヤはまぶしそうに目を眇め、壁際により掛かると煙草の火を点けた。

「あんたが連れてきたときには、大体三ヶ月だろ? そこからまだ二ヶ月位しか経ってないのに」

「人間の言語野の発達は、八歳までに確定される。言語に関しては、環境が整えば習得することなどわけないことだ」

「だからって早すぎるだろ。なああんた、あの子は一体何なの?」

「それは――」

少しだけアミヤの視線が宙を漂ったのを見逃さなかった。また何かではぐらかそうとしている、そんな魂胆が透けて見える。そんな意図を、一番正しく汲んでやるつもりもない。いつまでも都合のいい女は、御免だ。

「あたしの父親、潘金劉は何を遺したというんだ」

 逡巡し、迷いの色をありありと浮かべて、しばらくして観念したように言った。

「二十年前との、彼らとの邂逅以来」

 何もない宙を、空を、見上げ。過去を無理やりこじ開けるような、まるで懐かしむかのような表情をつくる。

「当時の国家連合は世界中から、仮性体のサンプルを集めた。奴らを撃ち落としたという報告など到底得られなかったが、それでも奴らとの交戦で何も分からなかったわけではなかった。細胞のひと欠片、それだけで与えられる情報は、少なくない」

それほどまでに遠い記憶を、丹念に丁寧に紡ぎ出す、昔語りのような口調だった。アミヤにとっても、多分思い出したい類の記憶ではないはずだ。

「そのわずかな細胞を元に、彼らの研究が始まった。DNA配列、放射能測定。ありとあらゆる科学的測定をな。その中で、ある計画が持ち上がった。仮性体の遺伝的特性を利用し、かつ仮性体に対抗し得る手段として」

 もったいぶったように、アミヤは言った。

「ヒトへの遺伝子導入トランスジェニック。仮性体の持つ遺伝子を、ヒト胚と掛け合わせるというものだ」

「それは、つまり……」

「ヒトと、仮性体との混合」

 殆ど息継ぎもしないで、吐ききった。

「潘金劉は、仮性体とヒトの遺伝的形質が似通っていることに着目した。試行錯誤の末に生み出されたのが、ヒト細胞を基とし、ウィルスでDNAを導入すること。多く、失敗に終ったが、成功したものもあった。だが、混合胚を生み出した時点で博士は死んだ。アトランタで、膨大な研究データとともにな。混合胚の観察と研究は、我々が独自に行うより他なくなった」

 どこかあたしの存在など無視しているかのように、アミヤは語り続ける。心すら、そこにないような感じだった。

「……残された胚を人体に戻し、出産させる。倫理規定を大きく逸脱した行為だった。母胎を損ねることもあった。それでも、混合体の子は生まれた。しかし、それでも問題があった」

 懐古に浸るその目のまま、アミヤは独白を続けた。

「研究によって得られた混合胚は二十ほどあり、生まれたのは十八体の混合子だった。先に生まれたグループは、軍事施設の中で育てられた。育てたといっても、その頃の感覚で言えば、殆ど「養殖」に近い。栄養を投与して、成長記録を取った。だが、その場合身体も成長せず、さらに脳が全く発達しない。赤ん坊の姿のまま、何一つ発することなく、彼らは死に絶えた――」

 アミヤはそこまで言うと、一息つけた。煙草を携帯灰皿に押しつけて火を消して、吸殻ごと灰皿に入れる。灰の粉すら、落とさない。

 また、続ける。良く途切れないかと思うほど、関心してしまう。 

「仮性体がどのような子育てをしているか分からないが、ベースを人間に置いている以上、施設で機械的に栽培しても脳の発達は望めないのだろうと。そのような仮説を立てた。脳の発達には、最低限のスキンシップが必要であるからな」

「最低限のスキンシップって何だよそれ」

 あたしが口を挟むのに、アミヤは物凄く不愉快そうな顔をした。一人語りがそんなに気持ちよかったのか知らないが。

「古代ローマでの話だ。赤ん坊を物理的接触以外に全く"触れず"、一切"話かけない"ように育てようとしたら、育たなかった。脳の発達には、それほど他者との接触――物理的な方面以外のことも必要となる。人が生来の手足を認識するには、その手足を動かさなければならない。外界との接触、そして人との接触がなければ、脳は「それ」を人と認識できない」

「それで、赤ん坊は……」

「死んだ」

 何の感慨も無く吐き出した。何時何分心停止確認、というような事務的手続きの延長。まさにそんな風だ。

「だから、後に生まれたグループは、彼らは人の手によって育てることにした。育児施設に預けるか、富裕層の養子として出すか。形態は様々だ。君が選ばれたのは、先日伝えた通り」

「潘金劉の遺言」

 どうしても父と呼べない、その男の名を口にする。おぞましさを、喉元に感じながら。

「たったそれだけで、そんな得体の知れないものを預けたんだねあんた。じゃあ燕玲の背中に浮かんだものは……」

「仮性体の翼の一部だろうと思われる。彼らの飛行能力まで消してしまうのは意味が無いから、その部位を決定付ける遺伝子は残したのだろう」

「へー、すごいねあたしの父親は。子供放っぽって、宇宙人の身体弄っていたからそんなに詳しいんだ? すごいね、あたしの身長がいくつのときにいくつだった、なんて全然知らなかったんだろうに」

 それが精一杯の嫌味だった。多分、嫌味にもなっていないのだろうけど。

「あんたは、最初から知っていたんだね。あの子が、"夜叉"の子だってこと」

「子ではない、混合だ。いわば、ハーフ。またはハイブリット」

「知らないよ、そんなこと」

 勝手な都合だ。自分が好きで故郷も家族も捨てておいて、死んだ後は厄介ごとを残して。連合もそれに便乗して――そんな訳の分からないものを押しつける。あたしの意向なんて、何も反映されていない。

「はじめから分かっている、分かっていたものを、何も知らない振りして持ってきて育てろとかさ。何の縁もない男の遺言? それがまともなものじゃなきゃ、最初からあたしだって断っている」 

「別に強制などしていない」

 アミヤは新たに、煙草を取り出した。復刻版"金鵄"の、金色の蝙蝠印が指の合間に映える。

「決めたのはお前だ。お前が、やると言ったことだ」

 知れたこと。不利な情報を隠して、焦点をぼかして、全て見越した上で話を持ち掛ける。けど、そんな古典的な手に引っかかるあたしもあたしだ。

「今更止めることは出来ない。お前にかけている資金は全て国税で賄っている。止めるなら相当の理由が必要だが、そんな大層な事情は持ち合わせていないようだしな」

こちらが何も言い返せないのをいいことに、アミヤは一方的に勝利宣言を突きつけた。やると言ったのはあたしの意思、情報が足りないことを承知で。そういう事実を指摘されたら、こっちも何一つ、不当だと騒ぐ理由が無くなってしまう。

「あの子、どうすればいいのよ」

 仕方なく敗北宣言を発する。でもアミヤは、勝ちを誇ることはしない。勝利の雄たけびを上げ、威圧して喜ぶ、そういう所作をも嫌うかのような。それが余計に、鼻につくんだ。

「何であんなに成長が早いんだ」

「仮性体は成体になるまでの期間が短いということに起因する。世界中に散らばっている混合体とやらも同じような現象を見せた。もっとも、これほどのスピードは、私も見たことはない」

 いちいち確認するのも馬鹿らしくなっていたが、要するにこういうことだろう。最初から知っていた、でも実際に見るのは初めてだ。初めてだから、最初は驚いたが実際にやるのは別の人間。だからどうということはない、せいぜい苦労してくれ――ありありと浮かぶ、そんな分かりきった態度にも、理性的で冷徹さをまぶしてコーティングする。全部化粧して、見えなくする。誰も彼も、本当のことなんて表すことなんてないんだ。偽りでも言葉にすれば真実だと言わんばかりに、同じことを唱える。

「引き続き、データを取るように。不足があれば、援助はする」

「不足ねえ」

 だから、あたしも包み込む。わざと間を持たせて、余裕ぶって。如何にも、あんたの助けなんか要らない、という風に。あるいは侮蔑を含み、鼻で笑い飛ばすように。

「期待しないで待ってるよ」

 果たして、うまく演じられたかどうか、自信はない。



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