四
夏が、終わり。季節が秋に近づいていた日。あたしは住居を移ることとなった。
その日、軍人達が年代物のトラックとジープに乗って迎えに来た。軍人達が軍用車を集合住宅に横付けして、物見高い上海人たちが見物に来るのを適当に追い払いながら、住居に上がりこんだ。
「支度しろ」
アミヤが命じた。兵達はあたしの部屋から家具を運び出し、トラックに家具を載せた。殆ど家具なんてないのだが、余ったスペースには銃火器を収めたラックが備え付けられている。
あたしはあたしでジープに乗り込むように指示された。ドイツ製のジープに乗る。頑丈な造りで、内装も外装も武骨だった。そもそも軍用車というものは快適に乗るようには出来ていない。固いシートに座り、何とか腰の辺りが居心地の悪くない位置を探し出す。
「出すぞ」
アミヤは後部座席に乗り込むなり、運転手に命じた。腰の位置が定まらないうちに車は走り出し、長い移動の旅がそこから始まることとなった。
上海から内陸に走り、長江を渡る。軍用ジープに押し込められて、休みなしの長距離移動だった。
すっかり干上がった運河を越えた先、四川に至る――かつて、チベット人達が築いた国と境を接する山の上に、あたしは居を構えることとなった。舗装もされない広域農道を十時間、軍用ジープに揺られながら走った。田園風景が広がる中、いきなり錆びついた鉄塔が、水田地帯の中に聳え立っているのを見る。異様なほどに高く、殆ど天を突き刺すかのようだった。
随分古い、建造物だった。古びているとはいえ、こんな文明の香りもない所には似つかわしくない造りをしている。他に建物らしい建物もないこの土地で、不自然といえば不自然だった。堅牢で、巨大。遠くから見ても、かなり高い建物だと分かる。
「何、あれ?」
別に興味はないのだが、あんまり退屈だったので運転している兵士に訊いた。アフリカ系の軍人は、無駄口を叩くことを善しとしないらしい。何一つ、問いかけに答えようともしなかった。軍人の鑑だ。
「ロケットの発射台だ」
後部座席のアミヤが換わりに応えた。空調の効かない車内、スーツ姿のアミヤは相当に堪えるのだろう。しきりに汗を拭っている。
「衛星を発射するものかい」
「そんな小さなものではない。百年前まで、あそこは旧国家が管理していた宇宙センターだった。有人宇宙飛行のために、国家予算を投じてシャトルを打ち上げる。そういう、時代の名残だ」
アミヤが幾つなのか知らないが、少なくとも百歳ってことはない。だからその時代のことは、アミヤだって記録の上でしか知らないはずなのだが――まるで、自分が見てきたかのように話す。
「そんな百年前の物が残っていたりするもんかね」
「昔はもっと大規模なものだった。あの辺の施設は、それこそ一つの街に匹敵する程の規模で、発射台も一つだけでなく、いくつかあった。発射台自体も、もっと長大で大掛かりなものだったが、長年の風雨に晒されて今ではあれだけしか残っていない」
確かに、鉄塔はかなり大型ではあるが、ロケットの発射台と言われれば小さすぎた。送電線を少し高くした、そんな程度だ。それでも、遠目からでも良く見えるということは、元々の大きさがかなりのものだったということを示している。
「中華の宇宙開発は、当時は欧米をもしのぐ一大産業だった。月に前進基地を建造して太陽系外に進出しようとしていた。実際、月面への移住も進み、かなりの人員があのセンターから打ち上げられたのだが……その計画も、途中で頓挫したと聞く」
「あ、そう。"夜叉"のせいで? 衛星も全部撃ち落とされて、航空機も飛ばせないんじゃそれも無理もない話ね」
「いや……」
アミヤは目を細めて、窓の外に流れる景色を見る。
「夜叉たちが現れるより、ずっと前のことだ」
昔々のことでした。かつて人類は雲を突きぬけたその先に思いを馳せていました。人々の思いをロケットに乗せて、月へと運んで行きました――そんな、良くある過去の栄光を耳にして、今ある現実を対比させる。かつて存在したであろう人々の夢物語は、今は朽ちてゆく骨格に過ぎなかった。かろうじて残された長大な鉄が西陽に照らされ、茜色を背景にして影となり浮かび上がっている。
「軍が提供するとはいえ」
小高い丘の上に位置する一軒家は、ほとんど小屋と形容した方が早い代物だった。チベット様式の伝統的な家屋は、堅牢そうな外壁と引き替えに中は意外に粗末なナリをしている。二人暮らすにはやや手狭で、家具を置けば――家具なんてほとんどないけど――それだけで一杯になりそうな、土間の上の生活。それが、連合が用意した隠れ家。あてがわれた空間だった。
「君たちが暮らすには、丁度いいぐらいだ」
「ふうん、なるほどね。あたしとこの子、丁度二人分の生活規模と空間ってわけ。とりあえず暮らしていけばいい、ということ?」
「費用効率の面から考えた、最適な選択だ。もちろん、君たちが不自由することはない」
アミヤにとっての「不自由」と、あたしの「不自由」はどの程度の開きがあるのか。相当な差なんじゃないかって、気がした。
「まあいいわよ。ここで暮らせばいいんだね、その子……燕玲」
赤ん坊にはすでに名前があった。燕玲、とは父親――潘金劉が生前与えた名らしい。あたしの名前も弟の名前も母さんがつけたものだから、あいつが人に名前を与えたのは最初で最後、ということになる。
「今更言うまでもないが」
改まってアミヤが言うのに、あたしは少しおかしくなった。こんなところで、連合の役人が、まるで軍人に訓示を垂れるみたいな調子で喋っている。ついこの間まで、なけなしの軍票を求めるために体を売り、信用のないチャイナ・ドルに換えるために這いずっていたこのあたしに、だ。
「このプロジェクトは、途中で放棄することを認められない。君の身分は軍預かりであり、プロジェクトは連合管轄。その子は安全保障理事会の所有となる」
「いいよ、分かったから」
問題ない、とばかりに手を振ってやった。面倒くさくて、右手て一度空を撫でただけだったけど。
「ここに来るまでに死ぬほど聞かされたことをいちいち繰り返さなくてもいいって。車に揺られながら七時間もそんなこと聞かされてみなよ。拷問だよ、拷問」
「分かっているならば、良い」
アミヤは――やっぱり役人ぽい、気取った風に、言った。
「基本的に、君がやることは二つ。彼の観察を続けることと、もう一つ」
アミヤはアルミのケースから、銀色の金属を取り出し、テーブルに転がした。
「なにこれ、銃?」
まさしく、銃だった。胡椒入れのような銃身と白い象牙めいた握り。護身用と銘打って闇で出回っている、非合法の短針銃に似ていた。
「まあ、銃に見えるがな」
アミヤは慣れた手つきで、銃身のスライドを引き、円筒型の中から透明なガラス管を取り出す。試験管を半分に切って密閉した、真空管のような物体だ。ガラスのカプセル、その中を緑色の溶液が満たしている。
「残されたデータによれば、その手の子供たちはこいつを注入してやらなければ体を維持できない。中身は、ナノマシンの類。簡単なドラッグデリバリーだな」
「それ注射器なの?」
「無針注射だ。見たことはないのか」
と言って、ガラス管を再び銃――のように見える注射器に押し込める。
「直径三ミクロンの注入孔が、無数に開いている。膚に押しつけ、高速発射して皮膚の間から血管に薬液を送り込むんだ。痛みもない」
「確かにね。ポンプしか見たことないけど、あれは痛いようだね。前の奴が使って、血の塊とかあると特に」
あたしが言うのに、アミヤは実に不愉快そうに眉をひそめた。およそ信じられないって顔をしているが、注射針の使い回しなんてあたしらの間じゃ特に珍しいことでもない。おまけに血管探り当てるまで刺すから針もポンプも血塗れになる。ろくな消毒もしないが、それでも本当に病気にでもなればそういう注射器を使うしかない。感染症になったら、それはそれ。運が悪かったということだ。
「この容器一本で」
とアミヤは、針なし注射器を差し出した。
「一週間分。血液に直接投与しなければ、生命を維持出来ない。観察とともに、これを続けるように」
注射器を受け取る。見た目よりもずいぶん軽かった。金属製だからかなり重いだろうと思ったのに。持った感じも、プラスチックみたいだった。
「これは、いつやればいい? 食事前? 食事後?」
「いつでも良い。ただし、一日一度、必ずだ。打つ箇所は問わない」
「そ、便利ね。赤ん坊に押し当て、引鉄を引くだけで完了。テクノロジーの進歩って? そんな調子で、夜叉も倒せりゃいいのにね」
あたしの言い方が気に障ったのか、アミヤの後ろにいた兵が物凄い形相で睨んできた。視線だけで人を威嚇できると思っているなら、それはそれで滑稽だ。軍人なんて、皆同じことしか考えていない。アミヤはあたしと、その兵士の両方を見比べて眉をひそめた。あたしの言ったことを咎めるような視線を寄越すけど、悪いが取り消すつもりはなかった。
「他に、やることはある?」
それよりもさっさと終わりたかった。眼を通す気も失せる分厚いマニュアル、玩具じみた注射器を受け取った後は、一秒も早く退散してもらいたい。そんなあたしの意図を、一番理解したのはアミヤだった。
「とりあえずはそれだけだ。あとは、定期的に訪問する」
「はっ、別に来なくてもいいのに。そんなにあたしに会いたいの?」
冗談のつもりだったが、アミヤは思いのほか不愉快そうな顔をした。茶化されることに慣れていない、クソ真面目な官僚ぶった仕草で首を振り、わざとらしく溜息まで吐いて。
「これ以上、兵の死を増やさないためだ」
アミヤは殆ど、無感動といった声音だった。無理に、そういう声を出しているのかもしれない。
「君は馬鹿にするのだろうがな。博士の残した研究が、仮性体についての情報が、この戦局を左右する。その子がどのような成長を、またブラックボックスが多い博士の研究について、全ての情報を集める。それが私に課せられた使命だ」
平静さを装うけど、言葉の端々に怒りが滲んでいる。侮辱されたというように、顔を紅潮させていた。
「本気にしてんの? 冗談」
ムキになって否定するあたり、アミヤは女に慣れていないのだろうかって思った。頭の中に知識を詰め込むことを第一として生きてきたのだったら、それも在りうる話だ。良くいるのだ、俗っぽい話を自分の名誉の毀損と同等に考えてしまう奴が。
「まあ、いいだろう。君はレポートと、ナノマシンの投与を忘れなければいい」
アミヤはそう言うと、入り口に立っていた兵に、赤ん坊を連れてくるよう命じた。程無く、外界のことなどまるで感知し得ないというように眠る燕玲の小さな身体が、差し出された。赤ん坊を抱いたことはないから、正直戸惑ったけど、何とかその柔らかい感触を抱える。微かにミルクの匂いがした。
「確か生まれたばかりの子供は首がすわっていないとかって……」
「もう三ヶ月経っている。首は固定されている」
情報として得た知識だから、実際にどうすればいいのか分からないところがある。アミヤに指摘されて、とりあえず腰の辺りに手を回して右手で後頭部を支えてやる。見た目以上に小さくて、軽い体が、両腕にすっぽりと収まった。
「なんか、意外に普通ね」
「開口一番出る感想がそれか」
やや呆れたようにアミヤが言うのに、あたしは少し睨みつけてやる。別にそんなことをしたところで、アミヤにとっては何の影響もないだろうけど。
ふと、あたしの腕の中で、燕玲がぐずりだした。なにやらむず痒そうに体をよじって、不愉快そうに声を上げた。
「な、何?」
いきなり、想定外のことが起こった。子供なんだし、泣くこともあるだろうから別に燕玲が変なことをしているというわけではない。ないけど、何の準備もなく、不意討ちのように泣かれたらさすがにあたしも対処しようもなく、とりあえずベッドに連れて行くべきなのかこのままあやしてやるべきなのか迷っていると、燕玲が小さな手を伸ばしてきた。一瞬空を掻き、その指があたしの胸元の勾玉に触れた。
「その首飾りが気になるようだな」
そういえばこんなものもしていた。上海での思い出なんて何一つないけど、もしあるとすればあの慰安所のことを挙げる。そこで唯一得たものだけど、それほど感慨深くもないものでもある。
「天然物か? その瑪瑙は」
「そんなわけないと思うけど。多分、人造もの」
けど、日の光に当たればそれなりに輝く。そういう代物だから、燕玲の目には珍しく映ったのだろう。
あたしは鎖を外した。勾玉を取る瞬間、慰安所でこいつを差し出した男――アラスカで消えた男のことを思う。
「いいのか?」
「まあ、どうせ安物だろうし」
アミヤが聞いてくるのに、あたしは首を振った。男の名も、顔すらも浮かばなかった。あたしは勾玉を燕玲の手に落としてやると、燕玲はようやく落ち着いた。
「勾玉一つで泣きやむなんて、案外安っぽいのね」
燕玲が静かになったのを見計らって、備え付けのベッドに寝かしつけた。勾玉なんてもの、呑み込んだりしないだろうかとも思ったけど、燕玲は小さな手で首飾りを掴んだまま眠りにつく。
それを確認して、アミヤは踵を返した
「今日からやればいいのね?」
確認のために訊いたときには、アミヤはさっさと入り口から出て行った。
「何度も言わせるな」
やっぱり、事務的に。そう言い残して。