三
別に、今更裸を見られたぐらいでどうってことはないが、只で見せてやる義理もない。奥に引っ込んで、部屋着に着替える。その間、カーテン越しに三人の様子を伺った。
スーツの男はテーブルに腰掛けていた。軍人二人は直立不動で、男の後ろに控えている。軍人たちの持ち物は小銃だけかと思っていたが、右側の兵はなにやら白い布の包みを抱えていた。厳つい軍人が、なぜかその包みだけはやたらと大事そうに持っている。
「客でもないんなら、何なんだか」
着替え、いすに座るとテーブルを挟んで男と対面する形になる。
「連合安全ナントカっての? 中央からわざわざご苦労なことだね。えっと」
「ケイス・アミヤだ」
銀縁メガネを神経質そうに押さえて、男が発した。
「珍しい名前だね。あんた。日系かい」
東洋系の顔立ちは、そういうことなのだろう。日系は英語はうまくても、他の言語が出来ないことが多い。けどアミヤは、地元の人間以上にきれいな北京語を操る。
クリスタルの水差しから水を一杯注いだ。水分補給をしなければ早々に参ってしまいそうな、うだるような暑さだ。
「要するに、政府のおエラいさんってわけね。そんな人が、こんなことに何か用?」
「……潘金麗、二十六歳」
唐突に、アミヤはしゃべりだした。何の脈絡もなく、テキストを読み上げる口調で。
「はあ? いきなりなによ」
「上海市民登録2004908。出身は旧台湾、家族は無く、二十年前の極東作戦で一人、生き残る……」
淡々と読み告げる。アミヤにとっては数ある話の一つに過ぎないだろうけど、あたしにとっては身近すぎる話だった。
「ここに来る前、君の経歴を少しだけ調べた」
アミヤはそう言って、ため息をついた。一息ついたというように。
「君の職場にも寄らせてもらったよ。軍管轄の慰安所、私は普段利用しないからわからないがそれなりに管理は行き届いているようだな。しかし、所詮は郭というか、あまり生活に跳ね返ってこないようだ」
「さっきからなにを言って――」
「もっとも、難民認定を受けたといっても、台湾人がまともに働ける場所など限られているだろうな。この国の民は、かつて中華を裏切って独立した台湾を親の敵のように
憎んでいる。多民族への憎悪は末代にまでわたるのが、東アジアの伝統のようなものだ」
アミヤは全く断りも入れずに灰皿を引き寄せ、煙草をくわえた。
「それでも、娼婦としてはそろそろきつい年齢なんじゃないか? いくら軍の認定とはいえ、あそこを経営しているのは民間だ。正当な報酬も払われているかどうかもあやしい」
「あのさ」
いい加減、苛ついてきた。アミヤが自動送り人形よろしくしゃべり続けるのに、あたしは強い口調で遮った。ついでに、勝手に火をつけた煙草を叩き落とす。
「何なのよ、あんたら。人のプライベートなことだけならともかく、今の生活のことなんか他人に口出しされる言われはないね。政府の役人ってのは、高い旅費払って庶民の生活笑いに来るのが趣味なんかい。だったらいい趣味してんよ、そりゃあたしの稼ぎはあんたのそのスーツ何着分か知らないけど? だけど、他人にバカにされて黙っているほどあたしは人間出来てないんだよね」
思わず身を乗り出した。後ろの兵が色めき立つのがわかった。決して乱さず、けれども見えないところ――足の位置をさりげなく変えたり、体の重心を前に置いたり、軍人というものはわからないところで構えを作ったりする。相手の出方次第ではすぐに動ける、取り押さえられる。そういう、構えだ。
「火事になるぞ」
アミヤは腹が立つほど冷静に、あたしが叩き落とした煙草を拾った。
「こういう住宅は火の回りが早く、また逃げ道も限られている。煙に巻かれれば終りだ」
「消防の人間みたいなこと言うね」
「だが、君をここから出して、幾分マシな住居を提供することができる」
アミヤはそう言って煙草を灰皿に押し付けた。
「どういう意味よ、それ」
「今日、我々が来たのは――」
アミヤが右脇に控えていた兵に目配せするのに、白い包みを持った黒人兵がその包みを、あたしの前に差し出した。やけに重そうに、大事そうに抱えている。
「君に新しい仕事を紹介しに来た。連合安全保障理事会直々の、な」
良く分からないけど、包みを覗いてみる。布地の合間から、小さな手が見えた。さらに布地を剥がす。花弁めいた木綿のタオルケットの中に収まっている身体が、果たして露になる。
赤ん坊だった。小さく柔らかな、乳飲み子。タオルケットの中の赤ん坊は、外界のことなど知る由もないというように眠っている。
「何、これ」
子供一人掴まえて、これ呼ばわりもおかしな話だったが、そう返すしかなかった。武骨な軍人の手に、まさか赤ん坊が収まっているなど思うはずもない。
「その子を育てること。養育費、生活費、その他諸々を保証の上月に7千ドル、キャッシュで。悪くない話とは、思うがな」
「は、はあ?」
何が何やら。だがアミヤはふざけているようには見えない。
「それが、我々の提示する条件だ。こちらで住む所は提供する。君はその子を育て、思春期を迎えるまで彼の親代わりとなることを」
「待ってよ、ちょっと」
凡そ現実味のない話だった。いくらなんでも、連合安全保障理事会が、育児の仕事なんて持ってくるとは思えない。
「そう言うことなら、託児所に持っていけばいいんじゃない? あたしは……」
「君に、子育ての経験がないことは知っている。我々も出来る限りのサポートは行うが、その子は普通の子と違ってそれほど手は掛からないはずだから」
「そうじゃなくて」
放っておいたらずっと喋っていそうだが、生憎あたしはそれほど気が長い方じゃない。
「なんで、あたしにもって来るの? そもそもあんたら連合が子供の世話を頼むなんてのもおかしな話だけど、それよりもあたしに頼むようなことでもないでしょ、そんなの」
「不服か?」
「理由を教えろっつてんの」
最も、条件はそれほど悪い方ではなかった。七千ドルなんて、休み無しで働いても得られるものではない。軍人達が紙幣の変わりに置いていく軍票は一応の価値はあるものの、交換比率は恐ろしく悪い。乱発するものだから、価値は下がる一方だった。
悪い話じゃない。けど、それだけに怪しい。
「あたしじゃなくでも、誰でもいいんじゃないの? そういうのは。子育てに慣れている人なら一杯いるでしょ。それに、連合が何で子育て支援なんて。いつから安全保障理事会は慈善団体になったの?」
「慈善ではない、これは戦略」
性懲りも無くアミヤは煙草をつけた。
「君に依頼するのは、ある人物に頼まれたからだ。連合戦略局、潘金劉からのね」
「潘金劉って、あの……」
「君の父親だよ」
心臓が止まるような思いがした。思いがけず、もう一生耳にすることがないはずの名前がいきなり出てきて――思考停止というのだろうか、頭の中が真っ白になる心地がして。
「……そいつが、言ったの?」
ようやく、それだけ言うのがやっとだった。
「潘金劉は戦略局で遺伝子研究チームに所属していた」
アミヤはお構いなしに煙草を吹かしていたが、もはやそんなことを指摘する気も失せていた。
「遺伝子研究は、かつて東アジアが最高と言われていた。国家融和が行われ、世界政府体制に移行した後、君の父親は戦略局に引き抜かれた。その時、幼い娘を故郷に残していったと語っていたが、それが君だったのだな。潘金麗」
「あんな奴」
それ以上、その名前を聞きたくはなかった。顔を見たことなど一度もなく、年に二、三度手紙を寄越すだけの男が、なんで「父親」なものか。
「あいつの差し金っていうなら、ゴメンだよ。あたしには父親なんていない。母さんを捨てた男なんて、知らない」
「恨んでいるのか?」
「恨んでいるわけじゃないよ。けど、今更父親面されるのも嫌だってんだ。要するにあれだろ? 今まで苦労掛けたから、仕事を斡旋してやろうとか?」
「そういう意味も、あるのだろう」
「ふざけんじゃないよ。悪いと思うなら、まず母さんの墓に行って詫びるべきだろう。それか、目の前に来て――」
「彼なら死んだよ」
また思いもかけない言葉が出てきた。唐突にアミヤが言ったことが一回では理解できずに聞き返した。
「潘金劉は死んだ。三年前の、アトランタで」
北米のアトランタには連合の、何かの施設があるとは聞いていた。三年前の夏に”飛天夜叉”たちが現れ、軍事拠点を一掃したアトランタの出来事は報道管制が敷かれている中にあって瞬く間に世界中に広まった。連合は、最初は否定していたものの、隠しきれる出来事ではないことだったらしい。今ではアトランタの事件は、衛星の無力さと軍の連携の脆さを露呈した来事として語られる。
「アトランタに、あいつがいた、っての?」
「ああ。だが彼の残した研究は破壊を免れた。全大陸に、彼の研究の一部が眠っていてね。その一つが、その子だ」
これが、父親である男の研究? どう見ても普通の赤ん坊にしか見えないその子を、もう一度良く見る。髪はほぼ生え揃っているが、特に変わったところなどない。このぐらいの歳の子供を食べさせるために身体を売る娘も店には多い。ストリートでレイプされて堕胎も出来ずに子供を生み、生活のためになけなしのお金を得るのだ。
「あの男はどういう研究を?」
「仮性体について」
アミヤはつと立ち上がり、窓の外を眺めた。上海の淀んだ空気には馴染まないものと思っていたが、意外にも平気そうにしている。分子の霧にスーツが汚れるのを嫌うものかと思ったが。
「我々とて、奴らに対して何の手も打たなかったわけではない。仮性体に対して衛星と航空技術が無力化されて以来、殆どが地上からの攻撃に徹していた。四度の核攻撃と六度の生物兵器使用、だがそれでも奴らに打撃を与えることは出来なかった」
通りで凄まじい音が鳴り響いた。誰かが事故でも起こしたのだろうか。しかしアミヤは何の関心もないらしく、ただ遠くの方を眺めている。
どこを見ているのだろうか。多分、空だ。
「有効な手立てがないまま、ただ徒に作戦行動を繰り返す。知っているだろうが、今日のアラスカの作戦にしても、無謀で何の根拠も無い、兵の浪費だ。拾参方面部隊の、暴挙に等しい。それでも、北米には殆ど部隊が残っていないから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが」
第拾参方面部隊はヨーロッパの部隊だ。四十時間前ほど前に上海を経った男――ジム・トロードの焼け爛れた顔が脳裏をよぎった。あの男も、生まれはバーミンガムと言っていた。
「しかし我々も、手を拱いていたわけではない。作戦の中で、奴らの生体を入手することができた。潘金劉は、彼らの細胞を調べた。その結果として生まれたのが、その子だ。おそらく現時点では仮性体に対抗しうる、唯一のものだろう」
通りで凄まじい音が鳴り響いた。誰かが事故でも起こしたのだろうか。しかしアミヤは何の関心もないらしく、ただ遠くの方を眺めている。
どこを見ているのだろうか。多分、空だ。
「どうして、あたしに預けようって?」
「遺言だ。生前、博士は君のことを、よく研究チームの者に話していたそうだ。君に遺してやれるものはないか、ということを」
「嘘だ」
「何故、嘘だと?」
「だって、あの男が……そんな」
あの男は故郷を捨てた。家族を捨てた。村の皆誰もが帰らないと言う中、母さんはあの男を待ち続けた。待ち続けて、でも結局現れなくて。最後の瞬間、光の中に消えるそのときまで母の心を縛り付けた男。それほどまでに焦がれていた母は亡く、そんな母を看取ることなく勝手に逝った男が。何で、娘のことなんて気にかけるのか。
「あの男のことなんてどうでもいいよ。その子の面倒を見ろ、っていってもさ。罪滅ぼしのつもり、なんかね? 悪いけどあたし、施しを受けるつもりはないからね」
帰んな、とあたしは玄関の方を顎でしゃくった。ほとんど万国共通のジェスチャーだから、日系だろうが白人だろうが分かるはず。
「勘違いしてもらっては困る」
意図するところは通じたのだろうが、アミヤはまるっきりあたしの要求を無視して言った。
「これは、君と博士の個人的な問題ではない。彼が残したデータ、研究結果の観察。すでに同様のサンプルの観察を始めている」
「連合が子供の観察をねえ」
水差しがすっかり無くなった。そろそろ日も落ちかけて、橙の斜陽が差してきた。クリスタルの乱反射がテーブルに複雑な陰を作り、長く曳いている。そろそろ、出勤時間だ。
「あたし、もう行かなきゃ」
「今の仕事は出なくてもいい、といったが」
あたしが身支度を始めるのに、アミヤが言った。
「着替えるから出ていってくれない? いくら仕事辞めるにしても、挨拶ぐらいはしときたいじゃない、世話になったんだしさ」
「なら、やるのだな」
「なんかどっちみち、選択肢があるようじゃないみたいだし。力づくでもやらせるつもりでしょ」
アミヤは答えず、眼鏡の弦を押さえた。図星なのだかそうじゃないのか、ただ何かしらの動作をとると言うことは、あたしの言うことは当たらずとも遠からず、といったところか。
「いいよ。あの男が母さんとあたし達捨ててまで何やっていたのか、見届けてやるよ。何にもなければ、研究とや等が何の成果もなければ、あの世でぶん殴ってやるさ」
赤ん坊の方を見た。外界で行われていることなど知ったことではない、というように安らかに眠っている。
その夜、アラスカの部隊が全滅したという報せをラジオで耳にした。