十七
丘の上から、全てを見ることができる――軍の基地と、ロケット台と、遠く霞んではいるがアミヤにあてがわれた家。でもそのほとんどが灰色の靄に覆われ、その靄に向かって"夜叉"たちが光の筋を吐き続ける。自走高射砲と多脚戦車が応戦し、地上の至る所で炎の花が咲いている。だが撃ち込んだ砲弾はまるで当たらず、百発撃ち込むごとに"夜叉"の光の洗礼を受けている。そんな印象だった。
軍は進歩なんかしていない。いくらラジオで勇ましく軍の活躍を装飾しても、現実は変わらなかった。あたしの幼い頃の記憶と、目の前の光景は合致し過ぎていた。一方的にいたぶられ、もてあそばれ、いたずらに消費される兵と戦車たち。光の中で跡形もなく分解され、粒子の雲にされ、それでも尚、抵抗を続ける様は哀れですらあった。
「あれじゃ勝てない」
頂から下界を臨む燕玲が、そうつぶやいた。軍事の素人から見ても、一方的すぎる展開を見れば、そういう感想を抱くのも仕方ないだろう。
燕玲は少し息が切れていた。そんなに長い距離を走ったというわけでもないが、相当の酸素が足りないというように、浅い呼吸を繰り返した。苦しく喘いで、その吸気にはかすかに喘音が混じっている。
「燕玲、あんた大丈夫なの?」
それに――あたしは燕玲の背中に突き立った金属片が気にかかった。はじめ、何かが刺さっていると思ったけど、それにしては血の痕すらなく、また燕玲の手のひらほどの大きさの破片が突き刺さったままでまともに動けるはずもない。
「燕玲、あんたさっきなにをしたの」
あたしはもう、燕玲を心配するとか、労うとか、そういう感覚ではいられなかった。言葉にすれば、どれほどの疑問が埋め尽くすかもわからない。
燕玲は、少し微笑み、手のひらを差し出した。
「やっぱり、うまくいかない。もうちょっと練習してからやれば良かったけど、今の僕だとこれぐらいしか」
「なにを練習するって、どういうこと。いったい」
鋭い光が、真横に切り裂くのを見た。一体の”夜叉”が吐き出した光明が基地に突き立ち、ややあって基地の一角がすさまじい衝撃とともに崩れ、灰色の粒子を巻き上げた。
「基地が……」
また一つ、さらに一つ。光の筋が基地に突き立つ。切り裂き、轟音をあげ、コンクリートと鉄の箱が光の中に呑み込まれ――あとには灰色の煙を残す。
あの基地には、あの中にはアミヤがいる。あの中にはまだ。
「大丈夫だよ」
燕玲はやけに落ち着いて、基地の最後を見守った。顔色はまだ良くないが、息は整えたようだった。
「アミヤは、あそこにはいない。今、金麗を探し回っているみたいだ。彼は無事だから、大丈夫」
「何であんたがそんなことわかるの」
「金麗だって知っているでしょう」
燕玲の背中の金属が、少しだけ肥大しているように見えた。肩胛骨辺りに、二対の羽のような金属。
唐突に、あたしは思い当たった。金属ではない、あれは膚だ。でも、燕玲の膚とはまた違う。燕玲の体の中に息づく、"夜叉"の双翼の色と、同じ質感を伴う。
「"夜叉"は、信号を読みとるんだ。機械細胞には、そういう作用があるらしくて、僕は正確に読みとることはできないけど、アミヤが発している無線を追跡することはできる」
「あんた、もしかして」
「さっき、"夜叉"を消したのは僕のせいだよ。うまく操れないけど、金麗を助けなきゃと思ったときに、あの光を出すことができた」
にっこりわらって――本当に満足そうに、燕玲はいった。
「どうやら、ちゃんと機能しているみたいだ。アミヤも喜んでいるね」
燕玲は、きっと空をにらんだ。上空を、"夜叉"たちが旋回し、太陽を背にして、地上を見下ろしている。雲の合間を、遊泳しているかのように、優美に、ゆるやかな飛行だった。
「敵がいる」
燕玲は、もうそれが確定したかのように、吃然と言い放った。
「結構な数いるなあ……さっき出したばっかりだけど、それまで持つか。飛ぶのも初めてだし」
「燕玲、あんたあいつらとやるつもりなのかよ」
燕玲は、空をにらんだまま動かない。
「やめろよ、あんた。あんなのを相手にするつもり? どうかしている。気づいていないかもしれないけど、あんたの体は未成熟なんだよ。長時間の飛行に耐えられるかもわからないし、だいたいあんたがそんなことしなくてもいいじゃない」
自分でも、バカなことを言っていると思っていた。燕玲が生み出された意味も、育った意味も、全部が全部否定する言葉だった。あたしも、それを承知だったはずなのに。全部そのつもりで、育てたつもりなのに。
「うん……そうかもね」
燕玲は、あたしを見ることはない。すでに心は空にあると、そしてその先にある敵影だけを見据え、どれほどの数を倒せばいいのかと思いを巡らせているようだった。
「やめてよ、燕玲」
あたしのことを、置き去りにして。
「金麗、あの話」
でも燕玲は、それでも、目を離さなかった。
背中の金属翼がうごめいて、淡い光を灯した。燐粉めいた光が、双翼にまとわりつく。
「彼らがなぜ、ヒトの姿を捨てたのかって話」
破片だった金属翼は、徐々に手を伸ばし、肥大して、刃の形を作る。長く、長く、延びた翼が、やがて分岐して三枚の羽を形作った。機械めいた重厚な翼、けれど細く延長した羽は一見するともろく、そして鋭く。
「情念を捨て、ヒトの姿を捨てた彼らが、何で地上に降り立ったのか。過ちを繰り返さないために生まれたのに」
「やめろ、燕玲。やめて……」
祈り? それとも懇願なのだろうか。あたしはしつこいくらいに、同じ台詞を繰り返した。金属細胞が、背中から肩、首筋にかけて増長し、燕玲の膚を覆い隠してゆく様を、ただ呪文のように唱えながらあたしは見ていた。
「彼らは、もしかしたら復讐のためだったのかもしれない。あるいは、地上に新たな資源を求めたのかもしれない。でも、本当に彼らが情念を捨てていたら、地上には来なかったんじゃないかってね。僕はそう思ってた」
下界では、軍の戦車たちがすっかり沈黙していた。新たに獲物を求めて、”夜叉”たちが空を舞っている。
「争うことが過ちなら、彼らもまた、過ちを犯している。でも、それでも僕は――」
轟、と風が吹いた。空気の塊が顔を叩き、燕玲の足下の草が風に押しつぶされていた。燕玲のつま先が、ゆっくりと地を離れてゆく。
「燕玲!」
叫んだ。手を伸ばした。その瞬間、燕玲が言った。
「金麗、いつか僕が金麗の背丈を追い越したら、言おうと思っていたことがあったんだ」
そして振り向いた。この上ない笑顔で――そしてこの上なく、哀しい瞳を向けて。
「僕は何度も過ちを犯すけど、それでも僕は君を――」
そこまでだった。
最後まで聞き取ることができなかった。光が弾け、視界が金色に染まり、空気が破裂する衝動を感じた。甲高くつんざき、衝撃が包み、風が沸き上がった。
一瞬、瞼を閉じた。次に目を開けた頃には燕玲の姿はなかった。
天を、仰いだ。
空高く飛ぶ姿が、あった。小さな体に不釣り合いな、長大な翼を精一杯に広げ。直上に、舞い上がった。それに追随するように"夜叉"たちが群がり、そこから逃れるように燕玲が、さらに高く飛翔する。
燕玲の体が光に包まれた。一瞬の間、その後、閃光が空を駆けた。
同心円上に、広がった。燕玲の放った光の輪が、"夜叉"たちを包み、その光の中で黒い機影たちが霞んでゆくのがわかった。霞み、燃え尽き、光の中に滲むように消えてゆく。空が、橙と明黄と、ほんの少しの朱色に染まり、天のの青灰を暁の空に変えた。さらに上昇し、一度止まり、燕玲は翼を返すと空を縦に切り裂く飛行を見せた。
"夜叉"が群がる。光を放つ。光明が互いに打ち消し合い、悲鳴のような信号音が反響し合い、鋭利な影は空中で螺旋を描くように絡み合い――何度でも、光が天空を支配した。
「ああ、燕玲……」
最後に掴み損ねた手をおろした。いくら手を伸ばしても、届かないものであるように。あるいは、最初からそこにはなかったかのように。あたしの手にあるものは、どこにもなかったかのように。
あたしの行き場のない手は、空をつかんでいた。
「そんなところにいないで、帰っておいでよ」
影が、集まってきた。燕玲の小さな体が、群がる"夜叉"たちに埋もれてゆく。
「燕はいつか帰るんだ。あんたの居場所はそこじゃないんだ。あたしの手の届くところに、帰ってきてよ……」
無駄だとわかっても、譫言のように吐いた科白がむなしく響いた。どれほどの意味もなく、でもそれでもまだ、あたしは繰り返した。
光が生まれた。鮮烈な明光。全てが幻だったと信ずるに足る、何もかもを呑み込む閃光だった。灰色が染まり、雲を打ち消し、天蓋を焼き付くす光だった。群がった影が次々と光の中に溶け消えてゆく。思いも何も、全てを呑み込んでゆく――。
風景は、黄金色をしていた。天に一つも曇りはなく、光が地上に降り続いていた。降り注ぐ光が、粒子の雲に反射して、全てを金色の中に埋没させた。傷ついた大地も、兵たちの残骸も、かすれた天蓋も。
やがて飛び交う影が一つとしてなくなっても尚、空は金色であり続けた。