↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

俗説 傾国の壺

作者: miasan
掲載日:2026/11/05

愛知 西三河地方の一部地域では「骨嚙み」という

亡くなった近親者の骨を口にして悼み

魂や知恵を受け継ぐ 風習があったという報告がある


西三河の岡崎は徳川家康 生誕地として有名

ただし 岡崎にて 家康 ご存命の時に

そのような風習があったという報告はまだ ない


天正十八年(1590)

家康の 日記に次のように記されていた


「日記というものはうまくできている

書いた本人とその子供まではただの願望として知りえる

その孫 ひ孫 玄孫に至っては 真実となりえる


秀吉公より朝日殿のご分骨 賜る

賢き朝日殿は骨嚙みの風習をご存知であったようだ


御身を滅せる際 願をかけ

にわかに習得した霊力を用い

その骨を竜骨と変化した様子である


私への深い親愛の証 と思い

ありがたく 薬として使わせていただこうと思う」



あえて「日記というものは・・・」

と書いているところに ご注目いただきたい


竜骨とは 古代の哺乳類の骨などが化石化したもので

精神を鎮める生薬として用いられる 大変 高価なもの


本当は秀吉が妹の骨を政治的利用したくないがために

何も言わず 竜骨の骨を贈った


『わしの義弟であるという証が欲しいのであろう

妹の骨よりも薬となる 竜骨の方がうれしいだろう


義弟であれば 実弟の秀長と同じく

わしの気持ちを思いはかって

そのまま黙って受け取るであろう』


という甘えた考えにより 悪意はなかった

妹の死に 動揺していたのかもしれない


朝日が家康に嫁いだ後

二人に親愛の情が芽生えかけていることなど

秀吉には考えの及ばぬことであった


そもそも 嫁ぐ前 朝日は秀吉にこのように言っていた


「徳川殿のもとへ参らねばならぬのならば 参りますが

三年もしたら石女(諸事情による妊娠が望めない女性)

であることを理由に

宿下りを願い出て戻ってまいります


その間までには徳川殿との和平を確実なものとするため

政を成し得ておいていただきますようお願い申し上げまする


夫(副田甚兵衛)は離縁後

私を亡くなったものとし

そして 豊臣家中にいる


英霊が残せし

ててなし子を多く抱え苦労している後家

(父がいない子供を多く抱える未亡人)を迎え


お家を繁栄してくださいませ

さすれば そしる者もいないでしょう


私は行儀見習いのつもりで参り 戻りしおりは

この先 兄上がお迎えするであろう

身寄りのない公家や諸大名から迎えた子どもたちの養育係 となるべく


徳川家で 正室としての心得 たち振る舞い また

造詣が深いと思われる薬学 歴史学を学んで帰り

役立てようと思います」


「よくぞ 申した朝日 ならば わしはその政を二年で勤め上げよう

なしえたら 『おっ母様の病気である 看病に戻れ』 と呼び戻してやろう」

と秀吉は返答したのであった


朝日は里帰りの時 それを全て 家康に告白した

家康は「それは不誠実であろう」と不服を述べた


「不誠実? はて 元の夫と離縁させてまで

嫁がせるは いかが おぼしめすや」と朝日は問いただした


そして家康は何も言えなくなってしまったのであった


それまで家康は朝日に心惹かれつつも

権力者の妹なので 腫れ物に触るように扱うしかなかった


朝日が帰った後 家康は 逃した魚は大きかったと

秀吉よりも あの女子は ずっと賢かったのだ


私が生涯 知り得た中で最も賢き 妻 であったにもかかわらず

出し抜かれた わしの目は節穴 とも思うとともに


してやられたなと笑いつつ また

深く好ましく思い もう取り戻せないとも思っていた


朝日は 京都へ戻り しばらくして そのまま亡くなった

死後 埋葬されて全てが終わった後

家康に一通の手紙が届くように朝日は手配をしていた


「大変失礼なことを申し上げ 戻ってしまったこと

深くお詫び申し上げまする


あなた様のお心遣い嬉しく存じておりました

至らぬ私なりに お慕い申し上げておりました


側室の方がお亡くなりになって

心より人の死を悲しむことができるうちに身を引きたく存じ

実家へ戻ることにしたのでございます


どうか お健やかで お幸せにお暮らしくださいませ

朝日」


本多正信が言うには


「不幸中の幸いでござりましたな

徳川の地で亡くなられようものなら

痛くもない腹を探られるところでござりました」

慰めるつもりで言ったのか そうでないのか は定かではない


「わしは 朝日に守られてもおったのだと」

家康は 感慨深く思うのであった





秀吉は 兄として 朝日を深く大切に思っていた

家康は 夫として 朝日を深く大切に思っていた


いくら高級な竜骨を頂いても

家康は その想いを踏みにじられたと感じ 深く恨みに思った


後ろめたい心には 疑心暗鬼がおこり

「死をもたらしたのはお前のせい」となじられた様に受け止めた


朝日殿に会いたい

会ってお詫びしたい

素直に お慕いする気持ちを伝えることは

もう叶わない


・・・・ せめて ご遺骨を手に入れて

『骨嚙み』をし その叡智を授けて頂きたい

と切望した



時は下り 八年後 慶長三年(1598)

秀吉 死の床にて 家康は次のように告げた


「妹の朝日様を嫁に下されたこと また 分骨していただきましたこと

誠心より御礼申し上げまする


賢きわが妻は私の故郷の風習を知っておられたようです

亡くなった親族の骨を口にするという風習がございました


私の身を心配するあまり

その骨を霊力にて 竜骨と変化したようでございます


深く感謝し薬として重用させていただいております


私は太閤殿下の義弟として深く感謝しております

このご恩はいずれ 秀頼様に報いる所存でございます」



秀吉はその言葉を聞き


「弟よ 秀頼を頼む」とニヤリと笑って亡くなった


家康が上手に 洒落た作り話をして

わしに感謝をしておる

秀頼も安泰だと

秀吉はうれしく思っていたのであった


秀吉と淀殿はその家康の言葉の裏に思いを馳せることはなく

満足していたのであった



ただ 秀吉と朝日の姉である 「とも」 と秀吉の妻 「ねね」は

秀吉の仕業と

家康の言わんとしてることを見抜いていた


でも彼女たちは 秀吉 淀殿 秀頼に不満を持つ者であり

いまさら

仲裁し事を収めようとするような気持ちにはなれなかった


傍観し家康に同情を寄せるのみにとどまるのであった


家康も彼女たちに見抜かれていることも承知の上であり

彼女たちを目にかけるということで お互いに納得しているのであった




家康は絶望していた もし秀吉が


「すまんかったの

あの時は わしが妹を かわいそうに思ってしたことじゃ

改めて お前に朝日の骨は 託そう」と言えば


まだ 穏便に 豊臣家に自分の子供たちや 孫たちを

娶わせて内側から操るという

穏やかな方法も考えてはいたのである




様々な思惑もあるけれども

関ヶ原の戦い大坂の冬の陣 夏の陣は


朝日の骨を奪還するという

聖戦にもなってしまうのであった




すべての戦が終わり

骨壷を手に入れた家康 そっと中を開けてみて ひとかけら つまみ出し

愛おしそうに 眺め つぶやく


「こたびは竜骨に化けなんだな」 そして ニヤリと笑った



その傍らには 読みかけの日記がある

天正十四年の 朝日 輿入れの時の記載は次のようである


「秀吉の妹を娶る この者の動向が

我が 徳川の先行きを左右するから一言一句 漏らさず


耳をそばだて 目を光らせておかねばならぬと思う

挨拶 口上は以下なるものであった


『豊臣秀吉が 妹 朝日 と申しまする

新妻と申すには おこがましく

古女房のような女子で申し訳なく存じまする


それゆえ こちらには行儀見習いのつもり として

まかりこしましてござりまする


大名家の正室に必要な 教養 立ち居振る舞いを

一日でも早く身につけとうございます故


厳しくご指導のほど賜りたく存じまする

何卒よしなにお願い申し上げ奉りまする』


慎ましやかでありながら 芯の通った女子 であると見受けられる


惜しくも 秀吉の妹で 前の夫より引き離して連れてきた

女子 でなければよかったのに とつくづく思う」




家康は しみじみ 心の中でつぶやく

すぐ ほだされておるがや

やれやれ 始末に負えん


おい 四十四歳の わしよ

初対面で すでに してやられておる ではないか

朝日 このあと二年後に帰るつもり やったんじゃろが


行儀見習いのつもり としか 明言しておらん

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。