デカいネコの観察記録
家の中の静けさを、いちばんよく知っているのは猫かもしれない。
彼らの目に映る、人間の小さな揺らぎをそっと追う物語。
夜のリビングは静かだった。
人間が倒れている。
灰色のネコ――ミオはクッションの上から、それを見ていた。
特に理由はない。見るものがそれくらいしかなかった。
人間はときどきこうなる。大きな体を床に投げ出して、目を閉じて、動かなくなる。
死んではいない。
胸が上下しているし、喉の奥から規則的な音が出ている。
天井の梁から黒いかたまりが降りてきた。
クロだ。
クロは人間の顔に鼻先を近づけ、匂いを確かめるように一瞬だけ止まり、
すぐに離れた。
ミオは前足を舐めた。
クロは人間を見下ろした。
何か思ったようだった。
だが、何も言わずに窓際へ移動した。
それだけだった。
朝になると、人間は機能を再開する。
まず足が動く。
次に腕。
最後に目が開く。
その順番はいつも同じで、ミオはもう数えなくても分かる。
目が開く三秒前に、ミオは人間の胸の上に乗った。
心臓の音が少し速くなる。
それから目が開く。
人間はミオを見て、何か言う。
意味は分からない。
だが、その声は低くて柔らかい。
ミオは返事をしない。
ただ、降りない。
少しだけ体重を預ける。
クロは餌を待つとき、キッチンの床の真ん中に座る。
壁際でも、隅でもない。
人間の通り道の中央だ。
人間はクロをまたいで冷蔵庫まで行き、またクロをまたいで戻ってくる。
その間、クロは一度も動かない。
視線だけが人間を追う。
人間は冷蔵庫を開ける。
止まる。
しばらく動かない。
それから閉める。
また開ける。
クロは瞬きもしない。
やがて器に何かが入る音がする。
乾いた音。
少し遅れて液体の音。
クロはゆっくり近づいて食べ始めた。
人間は何か言う。
クロは聞いていない。
最近、人間はよく止まる。
立ち上がったまま。
廊下の途中で。
開いた扉の前で。
何かを探しているようにも見えるし、何も探していないようにも見える。
ネコにはよく分からない。
ただ、前より増えた。
夕方になると、人間は重いものを持って帰ってくる。
扉の向こうで足音が止まる。
鍵の音がする。
少し間がある。
それから扉が開く。
その遅さで、ミオは目を覚ます。
何かを置く音。
息を吐く音。
人間は帰ってくるたび、少し小さくなっているように見える。
一日ぶん、削れている。
気のせいかもしれない。
その日、人間は玄関で止まったまま動かなかった。
袋を持ったまま座り込んでいる。
ミオはそちらへ歩いた。
特に理由はない。
ただ、そこに人間がいた。
隣に座る。
肩が少し触れる。
人間は何も言わない。
ミオも何もしない。
しばらくそのままだった。
やがて人間は小さく息を吐いた。
少しだけ軽い音だった。
それから立ち上がる。
持っていたものも、さっきより軽く見えた。
気のせいかもしれない。
夜。
人間がまた倒れている。
今度はミオの方から近づいた。
手のそばに丸くなる。
しばらくして指が動いた。
撫でようとしている。
途中で止まる。
戻る。
また外す。
耳の後ろだけ妙に長い。
力の加減も毎回違う。
人間はまだ上手くない。
ミオは動かなかった。
梁の上でクロが小さくあくびをした。
ミオは目を閉じたまま尻尾を一度だけ揺らした。
人間の手はいつの間にか止まっていた。
また眠ったらしい。
胸が規則的に上下している。
変な音もしている。
ミオは薄目を開けて、その顔を見る。
大きい。
毛がない。
不格好だ。
放っておくと、少しずつ小さくなる。
人間はたぶん知らない。
自分が小さくなっていることを。
ミオはゆっくりと目を閉じた。
翌朝。
人間が目を開ける三秒前。
ミオは胸の上に乗った。
昨日より少しだけ迷わずに。
猫たちは何も言わないけれど、
人間の変化をいちばん近くで見ているのかもしれない。
その視線の静けさを、少しだけ借りて書いた話です。
読んでくださり、ありがとうございました。




