表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

デカいネコの観察記録

掲載日:2026/06/11

家の中の静けさを、いちばんよく知っているのは猫かもしれない。

彼らの目に映る、人間の小さな揺らぎをそっと追う物語。

夜のリビングは静かだった。


人間が倒れている。


灰色のネコ――ミオはクッションの上から、それを見ていた。


特に理由はない。見るものがそれくらいしかなかった。


人間はときどきこうなる。大きな体を床に投げ出して、目を閉じて、動かなくなる。


死んではいない。


胸が上下しているし、喉の奥から規則的な音が出ている。


天井の梁から黒いかたまりが降りてきた。


クロだ。


クロは人間の顔に鼻先を近づけ、匂いを確かめるように一瞬だけ止まり、

すぐに離れた。


ミオは前足を舐めた。


クロは人間を見下ろした。


何か思ったようだった。


だが、何も言わずに窓際へ移動した。


それだけだった。






朝になると、人間は機能を再開する。


まず足が動く。


次に腕。


最後に目が開く。


その順番はいつも同じで、ミオはもう数えなくても分かる。


目が開く三秒前に、ミオは人間の胸の上に乗った。


心臓の音が少し速くなる。


それから目が開く。


人間はミオを見て、何か言う。


意味は分からない。


だが、その声は低くて柔らかい。


ミオは返事をしない。


ただ、降りない。


少しだけ体重を預ける。






クロは餌を待つとき、キッチンの床の真ん中に座る。


壁際でも、隅でもない。


人間の通り道の中央だ。


人間はクロをまたいで冷蔵庫まで行き、またクロをまたいで戻ってくる。


その間、クロは一度も動かない。


視線だけが人間を追う。


人間は冷蔵庫を開ける。


止まる。


しばらく動かない。


それから閉める。


また開ける。


クロは瞬きもしない。


やがて器に何かが入る音がする。


乾いた音。


少し遅れて液体の音。


クロはゆっくり近づいて食べ始めた。


人間は何か言う。


クロは聞いていない。






最近、人間はよく止まる。


立ち上がったまま。


廊下の途中で。


開いた扉の前で。


何かを探しているようにも見えるし、何も探していないようにも見える。


ネコにはよく分からない。


ただ、前より増えた。






夕方になると、人間は重いものを持って帰ってくる。


扉の向こうで足音が止まる。


鍵の音がする。


少し間がある。


それから扉が開く。


その遅さで、ミオは目を覚ます。


何かを置く音。


息を吐く音。


人間は帰ってくるたび、少し小さくなっているように見える。


一日ぶん、削れている。


気のせいかもしれない。


その日、人間は玄関で止まったまま動かなかった。


袋を持ったまま座り込んでいる。


ミオはそちらへ歩いた。


特に理由はない。


ただ、そこに人間がいた。


隣に座る。


肩が少し触れる。


人間は何も言わない。


ミオも何もしない。


しばらくそのままだった。


やがて人間は小さく息を吐いた。


少しだけ軽い音だった。


それから立ち上がる。


持っていたものも、さっきより軽く見えた。


気のせいかもしれない。






夜。


人間がまた倒れている。


今度はミオの方から近づいた。


手のそばに丸くなる。


しばらくして指が動いた。


撫でようとしている。


途中で止まる。


戻る。


また外す。


耳の後ろだけ妙に長い。


力の加減も毎回違う。


人間はまだ上手くない。


ミオは動かなかった。


梁の上でクロが小さくあくびをした。


ミオは目を閉じたまま尻尾を一度だけ揺らした。






人間の手はいつの間にか止まっていた。


また眠ったらしい。


胸が規則的に上下している。


変な音もしている。


ミオは薄目を開けて、その顔を見る。


大きい。


毛がない。


不格好だ。


放っておくと、少しずつ小さくなる。


人間はたぶん知らない。


自分が小さくなっていることを。


ミオはゆっくりと目を閉じた。






翌朝。


人間が目を開ける三秒前。


ミオは胸の上に乗った。


昨日より少しだけ迷わずに。





猫たちは何も言わないけれど、

人間の変化をいちばん近くで見ているのかもしれない。

その視線の静けさを、少しだけ借りて書いた話です。

読んでくださり、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ