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母親失格  作者: 遠山優佳
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二章・3

 一歳、二歳と歳月を重ねるにつれ、優一はどんどん生意気になっていった。

 特に二歳児前後の反抗期はひどかった。何を言っても「いや!」「ママ嫌い!」と言って乱暴にものに当たり散らし、なんでも自分でやりたがる。二歳の子どもが大人のすることを真似したがたっているのだから、当然、時間がかかる。それだけでも芽衣子はめまいがするほど疲弊していた。芽衣子の叱責に反論するようになり、いくら叱ってもオモチャを片付けようとしない。だが、「もうすぐパパが帰ってくるわよ」と言うと、おとなしくオモチャを片付け始める。一度優介が、いつまでもオモチャを片付けようとしない優一を強く叱ってから、パパに叱られるのは嫌だと思うようになったのだ。だとしたら、芽衣子がいくら言ってもいうことを聞かないのは、芽衣子の叱り方に問題があるのだろうか。なめられているのだろうか。


 幼稚園を受験するため、優一は専用の塾に通わせていた。そのくせ、二歳になる今もまだおむつが取れずにいる。自分のときは八か月でおむつがとれたと母に聞いていただけに、芽衣子のしつけが甘いせいかと心配になったものだが、塾で出会ったママ友によると、最近の子は三歳を過ぎても取れない子が多いらしいとのだとか。


「おっぱいも二、三歳まで卒業出来ない子も多いみたいよ」


 そう言われて苦笑した。芽衣子は母乳で育てていないので、優一はおっぱいに対する執着がない。比較的はやい段階で離乳食に切り替え、今では食欲旺盛で将来は大きくなりそうだなあ、とぼんやり考えている。背の低い優介と琴美の血の通った優一が、父を超えて背の高い子に育つのだとしたらそれは、琴美の相手が長身だったということになるのだろう。もしかしたらこの旺盛な食欲は、横に伸びる可能性もあるのだけれど。


 それはさておき幼稚園受験である。


 控えめに言って、優一はあまり優れた子ではなかった。とはいえ、まだ三歳の子どもを完璧に仕上げることなど難しいため、幼稚園受験で審査されるのは親だ。優介は問題ないと思えたが、自分が審査されると思うと気が滅入った。


「だいじょうぶだよ」


 優介は軽快に笑う。


「大和撫子っていうか……男尊女卑の文化は今も根強く日本に植え込まれているんだよ。質問にはほとんど父親が答えるから、ママは俺の言うことに頷いたり、簡単な質問に答えたりするだけでいいんだよ」

「でも……」


「俺もママも学歴は申し分ないだろう? それに優一が受験するのは俺の母校だし。そういうのもプラスになるから、まあ落ちることはないと思うけどね。最近は少子化だしさ」


 それに、と優介は芽衣子の肩をぽんぽんと叩いた。


「顔採用ってあるだろう? うちはママが美人だから、だいじょうぶ、だいじょうぶ」


 いつもなら優介が「だいじょうぶ」と言ったとき、芽衣子は安堵したものだ。けれどこのときはなぜか、不安がべっとりと胸の裡にねばついて取れずにいた。なぜなら優一は塾でも問題児だったからだ。


 例えば「この果物はなんですか?」とりんごの絵を向けられたとき、優一はそれがりんごだとわかっているくせにわざと「ぶどう」と答える。本当にわからないのか問い詰めるとようやく「りんご」と答える。要するに人の言うことを聞かないのだ。そのせいもあってか、それともそれは関係ないのか、塾での成績は優一がダントツで低かった。また、お友達とのトラブルが多く、話を聞いてみればそのほとんどが優一が悪い、というケースが多かった。


 例えば優一が気になっている女の子、日葵ちゃん。その子の気を引くために髪の毛を引っ張って泣かせてしまったり、日葵ちゃんと仲良くしている康生くんの、机を蹴って教材をばらまいたり、と、いかんせん乱暴な面が目立つ。


「塾はお勉強をするために行く場所なのよ。喧嘩するためじゃないの。それでなくても、お友達との喧嘩はどれも優くんが悪いよ。明日はちゃんとお友達にごめんなさい出来る?」


 事の成り行きを聞いて芽衣子が優一を叱っても、優一は、


「知らない!」


 と言ったきりお友達に謝罪することはなかった。そのせいでママ友の関係が悪くなり、芽衣子はすっかり塾で浮いた存在になってしまった。


(わたしはここまでしてこの子を私立の幼稚園に入れたいのかしら)


 ただ優介が優一を私立に通わせたいと言うから入れた塾。そこでトラブルばかりを引き起こす優一。そのせいで浮いてしまっている自分。


(なんのために、いったいこんなこと……)


 それは、赤ん坊だった優一を腕に抱いたときから思っていたことだった。なんのためにこんなこと。――優介のクリニックに跡取りを残すためだ。そう、優介のため。それなのにその優介は、子育ての一切を芽衣子に押し付けて何もしようとしない。産まれたときはあんなに喜んでいたのに、最近では部屋を散らかす優一を若干疎ましく思っているようにも見える。優介は大人の空間が好きなのだ。「大人の部屋」――落ち着いた間接照明に、品のいい家具。適度に片付けられてくつろげる部屋。そこにこどものオモチャが散らかっていることをよしとしなかった。彼の両親から送られてくるオモチャにも、あまりいい顔をしていない。


(子どもがやってきたら生活に変化があらわれるってことを理解していなかったのかしら)


 それとも。


(わたしのしつけが悪いと思っているのかしら)




 そうして迎えた幼稚園受験当日。


 面談は優介の言った通り、ほとんどの質問に優介が回答を求められた。芽衣子が答えた質問はほんのわずかなものだ。なので、面談はうまくいったと考えてもよいだろう。


 しかし問題はそのあとだった。与えられた道具を使って自分のオモチャを作り、遊ぶという試験の最中に、優一はほかの受験者の女の子を泣かせてしまったのだ。理由は日葵ちゃんと同じく、かわいくて気になった女の子だったからだろう。その子にちょっかいを出し、泣かせてしまった。これではその女の子も減点されるし、優一なんてもっと減点される。もはや合格は絶望的となった。


 案の定、不合格となって幼稚園受験は幕を閉じた。優一がちょっかいを出してしまった女の子の名前は知らないからどうなったのかはわからない。もしあの子が不合格になっていたら心底申し訳なく思う。

 不合格の通知が来たとき、優介は長い溜息をついたが、


「まあ、普通の幼稚園に入れて小学校受験をさせればそれでいいか」


 と、自分を納得させるようにつぶやいた。その言葉に芽衣子は唖然とする。この人はまだ優一を私立に通わせることを諦めていないのか。だとしたら幼稚園に通っている三年の間、また小学校受験用の塾に通わせるようになる。その面倒は誰が見るのか。


 それを思うと、芽衣子は暗澹たる思いにさいなまれるのだった。


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