一章・2
なぜ、子どもが欲しいと思っている自分たちのもとに子どもは来てくれず、堕胎を何度も繰り返すような人に子どもが宿るのか。それを考えると神も仏もないなという気持ちになる。
どうやら琴美は妊娠してからも酒と煙草をやめず、切迫流産となって現在病院に入院しているらしい。
「さえぐさ小児内科クリニック」が休みの日、芽衣子は夫と共に琴美の入院する病院へ見舞いに――話し合いに行った。
「……あら、珍しい顔ぶれじゃない」
病院のベッドの上で横になりながらスマホをいじっていた琴美は、弟夫婦の突然の来訪に若干驚いたようだった。驚かれてはじめて、優介が事前に琴美に連絡をしてなかったことを知る。
三枝琴美の容姿は、優介の悪いところが反転していいように作用しているような女性だった。女だから低身長でもかわいらしいし、一応美容に気を遣っているようで、肌はきれいで顔立も童顔で悪くない。太ってはいないけれどむっちりとした肉感的な身体をしており、それが多くの男たちを渡り歩いてきた所以なのかもしれなかった。
「姉さん、聞いたよ。五か月だって?」
「そうなのよ。このくらいの周期になると堕ろすのにも手がかかるみたいで参っているの」
ベッドの脇にがたがたとパイプ椅子を取り出したのは優介だけで、椅子はひとつしかなく、仕方がないので芽衣子は優介の隣に小さくなりながら立っているしかなかった。
「父さんたちがなんで今回は姉さんを入院させたかわかる?」
「さあ? 知らない、そろそろ孫が欲しかったとかなんじゃないの? おたくがいつまで経っても妊娠しないから」
そのことを指摘されて、芽衣子の顔はさあっと赤くなった。羞恥のような、怒りのような複雑な感情だった。
「その子ども、男の子なんだろう?」
「そうそう」
琴美はそこでなぜか爆笑した。
「エコーでばっちりアソコが映っててさ、笑っちゃったわよ、あたし」
「その子どもを俺たちに養子にくれないかな」
「え?」
「うちには子どもが出来そうにないんだ。でも、俺が開業した病院の跡取りは欲しい。男の子なら渡りに船だ。姉さんの子どもを、俺たちの子どもとして育てさせてくれないかな」
「えー?」
いきなり突飛なことを言われたのに、琴美はなぜかにやにやしている。
「それってぇー……、タダ、ってわけにはいかないわよね?」
芽衣子はびっくりした。この人は、自分の子どもを人に――しかも弟に売ろうとしているのか。信じられなかった。人としてどうかしている。
けれど優介はそんな姉の態度は予想していたようで、淡々と答える。
「いくら欲しいんだ?」
「うーん。まとまったお金より、都度都度くれたほうが助かるかな。こっちがちょうだいって言ったときにくれるのが理想なんだけど」
「今だって父さんからお小遣いをもらってるじゃないか」
「だからよ。お小遣いを使い切っちゃったら、また追加でちょうだい、なんて言い辛いじゃない。そういうときにあんたを頼るから、その都度『お礼』をしてくれるって言うんなら考える」
「わかった、いいよ。そうしよう」
えっ、と芽衣子はびっくりした。優介はその「お礼」の金額がいったい一回いくらになるのか、何回続くのか確認もせずに承諾してしまったのだ。確認しなかったのはそれだけではない。芽衣子にも、何ひとつとして確認してこなかった。
「書類とかそういう面倒なことはアンタ得意よね? この子が欲しいならそういうこと全部やっておいてね」
「わかってる。でも、どうしても姉さんに名前や住所を書いてもらうところがあると思うから、そのあたりは了承して欲しい」
「そのくらいなら仕方ないか……。あーあ、やだなあ、出産。今から無痛に出来ないか、父さんに頼んでみないと」
「姉さん」
優介は改まった態度で言った。
「今、その子は姉さんのお腹にいるけれど、たった今からその子は俺たちの子になったんだ。出産しても、一番に抱くのは俺たちであって、姉さんじゃない。出来れば自分のことは代理母だと思ってくれると助かる。産まれてからは、一切、何も口出ししないで欲しい。自分が実母だと名乗ることもしないでくれるともっと助かる」
「はいはい、わかりましたよ。代理母ね、代理母」
弟の言葉に気を悪くしたのか、琴美はベッドの上で布団をかぶってそっぽを向いてしまった。そんな義姉の子どもっぽさに驚かされてばかりの芽衣子だったが、優介は手ごたえを感じたようだった。
挨拶を済ませて病室を出る。病院を出るまで、優介は一言も言葉を発しなかった。
そして車に乗り込んだ瞬間、
「やったな」
と、芽衣子に向ってガッツポーズを作った。
「これで跡継ぎが手に入る。俺たちの間に子どもが持てるんだ」
優介は小粒な瞳をキラキラと輝かせていた。しかし芽衣子は、俺たちの間に子ども、という言葉が妙に引っかかる。
(わたしたちの間に? それはちょっと違うんじゃない? あなたの甥が、あなたの息子に籍を変えるだけじゃない?)
それは芽衣子にとっても同じことが言えるのだが、夫と異なるのは甥と血が繋がっていないことだった。
(血が繋がっているかどうかってそんなに重要なのかしら。わたしは血が繋がってないと、子どもも愛せない人間なのかしら。わたしは狭量なのかしら……)
芽衣子には不安しかなかった。
それから優介はものすごいスピードで書類をそろえていった。優介と琴美の両親にも報告したようだが、なんとふたりは喜んでくれたらしい。琴美が堕胎を繰り返すのは身体によくないと思っていたようだったし、姉の産んだ子が弟の開業したクリニックを継ぐことを喜んでいるようでもあった。
実のところ芽衣子は義両親と折り合いが悪い。なぜなら、芽衣子が美貌の持ち主だからだ。優介のあまり良いとは言えない容姿から、どうせ大病院の院長の息子で、いずれ医者になる優介の財産狙いで近付いたのだろうと思われているようだった。その誤解は今をもってなお解かれていない。芽衣子がいつまでも妊娠しないのも、本当に愛していない優介とセックスしたがらないからだと勘違いしている。
だから義両親は芽衣子の子ではなく琴美の子が優介によって育てられることがうれしいようだ。
「『優一』ってどうかな」
夜、眠る前にベッドに横たわりながら優介が言った。
「俺の名前から一文字とって、一番になれるような男になれって意味で『優一』。ちょっとヒネりがなさすぎかな」
照れたように笑う夫を見て、この人は本当にずっと子どもが欲しかったのだと思った。そんな思いをさせてしまって申し訳ない、とも。
だから芽衣子はことさら明るい声をあげた。
「いいじゃない、素敵。名前に繋がりがあると、親子って感じがするものね」
「本当に? ああ、よかった。変な名前だって言われたらどうしようかと思ったんだ」
優介は照れたようににこにこ笑っている。それを見て芽衣子は、これでよかったんだ、これが正しい道なんだと思い込むことにした。




