七章・1
「言っとくけど、スマホはあたし名義で、料金はあたしの口座から引き落とされてるからね。だからべつにこれは優一に『買ってあげた』んじゃなくて『貸してあげて』るの」
日曜日の昼間。優介が予約をとった個室のある料理店に、優一と琴美はやってきた。芽衣子の腕の中で眠る優芽を一瞥したが、そのことに関しては何も言わない。
「そんなことより、姉さん」
優一はぶすくれている。親と顔を会わせる気がないのか、うつむきがちになって落ち着きなく手足をふらふらさせたまま着席しようとしない。
優介はそんな優一を横目で見ながら、姉に向って身を乗り出した。
「大事なことは俺から話したいんだけど、まさか姉さんの口から優一に伝えてはいないよね?」
「言ってないわよ。アンタたちが十三になるまで秘密にしたいって言うから。結局、十二歳で伝えることになっちゃったわねえ」
何が楽しいのか琴美はにやにやしている。
「そうか……」
と、つぶやいた優介は、優一に着席するように命じる。優一は不機嫌そうにしながら、おとなしく優介の言葉に従った。
沈黙が満ちる。琴美だけがけろりとしており、昼間からビールを注文した。
「優一。大事な話がある。お前にとってはショックだろうけど、驚かないで聞いて欲しい」
優芽は都合よくすやすやと眠っている。誰にも邪魔されることのない空間で、優介はとうとう、本当のことを語り始めた。
「パパとママがなかなか赤ちゃんに恵まれなかった話は知っているよな。それで優一が産まれることになってとてもうれしかった、とも。でもな、優一を産んだのはママじゃないんだ。そこにいる琴美伯母さんなんだよ。当時、伯母さんにはパートナーもいなくて……ひとりで育てられるか悩んでいたようだったから……パパとママが、優一を養子にもらったんだ。ただ『ください』と言って、『はいどうぞ』とやったわけじゃないぞ。特別養子縁組という制度を使って、伯母さんとお前の親子の縁はきっぱりと切れている。そしてお前は、戸籍上ママが産んだ子ということになっている。パパはどうしてもお前が欲しかったんだ。『さえぐさ小児内科クリニック』の跡継ぎになってくれる男の子が」
芽衣子はつぶさに優一の反応を観察していた。
優一の表情は、優介が何を言っても変わらなかった。
「つまりお前はパパの甥ということになるんだけど、一緒に暮らしてきた中で、本当の息子だと思っている。もちろん、それはママも一緒だ。だから――」
「嘘だ」
優一が言葉を挟んだ。周囲に緊張が走る。
「本当の息子だなんて思ったことないくせに」
芽衣子は強い球を体にぶつけられたような衝撃を受けた。
「そんなことない。パパは本当に息子だと思っていた。もちろんママも」
「嘘だ」
優一は同じ言葉を繰り返す。
「ママは俺のこと、息子だなんて思ってない」
(ばれてた)
芽衣子は胃に氷が落とされたような心地になった。
(ばれてたんだわ、わたしがこの子を息子だと思えなかったこと)
「俺はもうあの家には帰りたくない。琴美伯母さんと暮らす。パパのクリニックの跡取りになんて絶対ならない。ママなんて大嫌いだ」
「何を言って……。ほら、ママからも何か言ってやってくれないか」
「あ……」
急に矢面に立たされた芽衣子は、不思議なことに瞳に涙が盛り上がってくるのを感じた。
「ご、ごめん。ごめんね、優くん……」
「謝罪なんて別にいらない」
「違うの」
芽衣子を首を横に振った。
「わたしも、あなたのこと、愛していない」
芽衣子の瞳から涙があふれた。
「なんでこんな子の世話をしなくちゃいけないのかしらって、ずっと思ってた。あなたは小さいころから乱暴で、出来が悪くて、いくら教育しても反抗ばかりで……。本当は産まれたとき、あなたを抱っこしたときから思っていたの。『かわいくない』って。それなのにあなたのママを名乗っていて、ごめんなさい……。愛してもないのに、ごめんなさい……」
ドン! と強い音がして、琴美がテーブルを叩いたのだと知った。そのままびしゃっとグラスに残っていたビールを顔にかけられる。
「よくもあたしの子にそんなこと言えたものねえ!」
「あたしの子って……姉さんは優一を堕ろそうとしていたじゃないか。優一が産まれてくることが出来たのは、俺とママが優一を引き取ることになったおかげなんだぞ」
優介と琴美が言い争っている中で、芽衣子はハンカチを取り出して自分の顔を拭いた。ビールの残りが少なくて、優芽にはほとんどかかっていなかったのでほっとした。
そして、おずおずと顔をあげて優一の表情を見る。
優一はまっすぐに芽衣子を見つめていた。その顔は、どこか知らない場所に置いていかれたときのような、頼りなさげな表情をしていた。
そのとき、はじめて芽衣子は優一に愛情のようなものを感じた。かわいそうな子――まだたった十二歳なのに自己を否定されて、頼りの綱の琴美には堕胎される予定だったことを知ってしまった。今、この子を抱きしめてあげたいと思った。
けれど芽衣子の腕の中には優芽がいる。お腹を痛めて産んだ娘が。――わたしの赤ちゃん。
「ごめんなさい……」
優介と琴美の言い争いの声で、芽衣子の声はかき消されていたことだろう。それでも謝らずにはいられなかった。
「ごめんなさい。あなたを、大人たちの事情に巻き込んでごめんなさい……」




