六章・2
優一は散らかし魔なので毎日掃除をしないと追いつかない。脱ぎ捨てた服や靴下、勉強したときに出た消しカスはそのまま床に落とされており、雑多にものを散らかすからいくら収納しても一週間ときれいな状態が続かない。芽衣子が優一の部屋を掃除するのは優一にとっても当然と考えているふしがあるようで、勝手に部屋に入っても嫌がられることはなかった。
その日もいつも通り優一の部屋を片付けていると、ふいにポロン、と軽い音楽が流れた。エプロンのポケットに入れた自分のスマホが鳴ったのかと思い確認してみるが何もない。ポロン、という音楽はたて続けに四度ほど続いた。なんだか嫌な予感を覚えた芽衣子は、優一の机をあさってみた。これは暗黙の了解で、優一のプライベートなエリアは極力踏み込まないようにしていたのだが、このときばかりはなぜか見過ごすことが出来なかった。
ポロン。もう一度音が鳴る。その音のおかげで、芽衣子は見つけることが出来た。買い与えた覚えのないスマホが、優一の一番下の机に収納されていたことに。
「これはいったいどういうことなんだ」
優一は久々に優介の前に正座をさせられていた。ただこれまでと違うのは、いつもは委縮していたのに比べ、今回は不遜な態度を貫き通していることだった。
「…………」
「いったいどうやって手に入れた。いくらうちでもお前にそんなお小遣いは与えていないはずだぞ」
「……さん……」
「なんだって?」
「琴美伯母さんが買ってくれたんだ。俺との連絡を取るのに、いちいちママを通さなくちゃいけないのは面倒だから、って」
これにはさすがにびっくりして、芽衣子と優介は顔を見合わせてしまった。
「それじゃあ、お前は月に一度ではなく、何度も伯母さんと会っているということになるのか?」
「……うん、週イチくらいで会ってる」
「会って何を話しているんだ」
「別に、たいしたことじゃない。塾が面倒だとか、勉強が大変だとか」
「お前は今まで部屋にこもって勉強をしていたんじゃないのか? 伯母さんと連絡を取り合って勉強をサボっていたのか?」
そのことに関しては芽衣子も心当たりがあった。優芽が産まれる前には、名門とは言えなくとも中堅どころの私立中学への合格判定がBであったにも関わらず、優芽が産まれてから、中堅どころの学校への合格判定がかなり低くなっていた。もう少し小さいころなら隣で勉強を見てやることも出来たのだが、さすがに小学六年生ともなると、ひとりで勉強させたほうが集中出来るかなと、部屋に閉じこもっているのをいいことに、優芽を甘やかしまくっていた。
「そのスマホで、お前はいったい何をしていたんだ」
「何って、SNSだよ。Xとかインスタとかラインとか……」
「誰とラインしていたんだ。友達か?」
「そうだよ、友達。あと、伯母さんともしょっちゅうラインしてる」
その言葉に、芽衣子も優介も青ざめる。
「……伯母さんとはどんな話をしているんだ」
「なんでそんなことまで話さなくちゃいけないの?」
優一は半分怒りはじめた。これはこの子の得意技の、逆切れだ。それでも優介は追及の手を緩めなかった。
「伯母さんとはどんな話をしていたんだ!」
「だから、どうってことない話題だよ! 勉強がいやだとか、俺も伯母さんみたいな母親がよかったとか……」
すると、優介が思わぬ行動に出た。なんとこぶしで、優一の顔を殴ったのだ。大人の男の力で、めいっぱいに。
「パパ!」
芽衣子が悲鳴のような声をあげると、彼女の腕の中にいた優芽が泣き出した。優一は倒れこんでおり、じっとしていて動かない。優介の怒りはしかし、尚をもってしても収まらないようだった。
「お前はいったい誰に育ててもらっていると思ってるんだ!」
優介は怒鳴り続ける。
「お前が赤ん坊のころから、ママはずっとお前に付きっ切りでお世話をしてくれていたんだぞ。それなのに、伯母さんのほうがいい? よくもそんなこと言えたものだな! 挙句の果てにスマホなんて高額なものを買ってもらって……。俺たちがお前にどれだけ期待したと思っている? そのたびに裏切られる、こっちの身にもなってみろ!」
「そんなの勝手にそっちが期待しているだけじゃないか!」
優一は顔を上げて目をつりあげ、見たこともないような怒りの表情で叫んだ。
「俺、子どものときからずっと言ってるよな? 医者になんかなりたくない、って! 優芽が産まれたんだったら優芽に跡を継がせたらいいだろう? もう俺に期待を押し付けるのはやめてくれよ!」
「お前というやつは……!」
「俺、もう受験なんてしないから」
優一は優介をにらむようにして宣言した。
「塾にも行かないし、試験も受けない。別に公立の中学に行けばいいんだし、どうせ俺なんていくら勉強したって成績あがらないし。どだい医者なんて無理な話なんだよ」
「それなら、出ていけ!」
優介が怒りでぶるぶる震えながら叫んだ。
「この家が――お前を守ってきたパパとママの存在がどれだけありがたいか、わからないようなやつは出ていけ!」
「わかったよ!」
優一は立ち上がり、テーブルの上に置かれた自分のスマホをひっつかんで玄関へと向かった。
「優くん、待って」
芽衣子は慌てて優一の後を追いかけた。片手で優芽を抱いて、もう片方の手で優一の腕をつかむ。
「パパに謝りなさい。そうすれば出ていかなくても済むから。出て行ってどうするの? どこへ行くつもりなの? 子どもの一人歩きは危ないわ。悪いことは言わないから、パパに謝って」
「うるせえなあ……!」
優一は乱暴に、芽衣子の手を振り払う。
「なんで俺、アンタみたいなのが母親なんだろう。アンタを見ているとイライラしてくるんだよ。人の顔色ばっかり窺ってさ。どうせパパとだって金目当てで結婚したんだろ? 優芽だって、本当にパパの子どもかどうか――」
パチン! と。芽衣子は優一の頬を叩いていた。
「……なんてこと言うの」
芽衣子は怒りに震えていた。優芽は間違いなく優介の子どもだ。そこを疑う優一の品性も信じられなかったし、自分を信じていなかったという事実にも怒りがこみ上げた。そして何よりも腹が立ったのは――優芽じゃなくて、あなたがわたしたちの子じゃないのよ、ということだ。
自分の子でもない、こんなに生意気で頭のよくない子を、ここまで天塩にかけて育ててきた。それなのに、下品な言葉で自分を貶めようとする。いくら子どもで反抗期のはじまりに差し掛かっていると言ったって、言葉にしていいことと悪いことがある。
「チッ」
優一は舌打ちをして、玄関で靴を履いた。それからスマホだけをもって家を出て行ってしまった。それからしばし、家の中は沈黙で満たされる。
優一の頬を叩いてしまったことの罪悪感が後から襲ってきた。何も手を出すことはなかったのではないか。ただでさえあの子は、父親からもこぶしで殴られてショックを受けていたはずなのに。
芽衣子がのろのろとリビングに戻ると、一部始終を聞いていたのか、優介が怒りに顔を赤らめてじっとテレビ台を見つめていた。
「……甘やかしたつもりはなかったんだが……」
「期待をかけすぎてしまったのかもね」
「ママに、あんなことを言う子だったなんて……」
「優くんは、そういう子よ。ねえ、それよりあの子、どこへ行ったのかしら」
「近所を一回りしたら戻って来るだろ」
「……だといいんだけど……。せっかくスマホを持っているんだったら、連絡先くらい聞いておけばよかった」
「あれは姉さんが勝手に買い与えたものなんだぞ。おそらく姉さんの名前で契約してあるはずだ。まったく、人の子にあんなものを持たせるなんて……」
「……今時の子なのに、スマホを欲しがらないからおかしいなあとは思っていたのよ」
会話になっているようで、会話になっていない言葉の応酬を繰り返していると、芽衣子の腕の中で優芽が笑った。
宙を見ながらきゃっきゃと楽しそうに笑っているので、何があるのかと上を向いたら、先ほど玄関を開けたときに入り込んでしまったらしい黒い虫が、電気の周りをぐるぐる飛んでいるところだった。
優芽の笑顔は、まるで天使のようだった。先ほどまでのどたばたに比べたら、この子の笑顔が浮かんでいる時間は天国だ。芽衣子はなぜか泣きそうになる。
「優芽はかわいいなあ……」
優介が言った。こちらも何かを深く感じているようだった。
「かわいいなあ……」




