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母親失格  作者: 遠山優佳
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五章・1

 せめて十三歳になるまで、本当のことは言わないでおこう、というのが、芽衣子と優介、そして琴美の出した結論だ。中学一年生になったら、そうしたら本当のことを言おう。それまでは優一のほうから何か聞かれない限り、黙っていることにしよう。


 この結論に、琴美は不満げだった。


「あと四年近く騙し続けるつもりなの? それって逆に、長い年月騙されていたほうがショックなんじゃないのー?」


 それでも優介が黙っていてくれるよう頼むと、面倒くさそうにだが承諾してくれた。


 塾は四年生から入れた。三年生の間はたくさん遊んでいい、と、そう告げたときの優一の目の輝きはまぶしいものだった。酷暑の夏休みに優一は外へ飛び出していき、そうしてまた眼鏡を壊して帰ってくる。その繰り返しだった。


 新学期がはじまるとさすがに眼鏡を壊すようなことは減ったが、それでもまだ壊す。芽衣子はまた格安眼鏡店に行って、大量の眼鏡を購入しなければならなかった。




 四年生になったとき、三年生の間はたくさん遊んで、四年生から勉強する、という約束をおぼえていたのか、優一はおとなしく進学塾に通い始めた。塾は成績順にみっつのクラスが分けられており、優一は当然、最低クラスからのスタートだった。


 塾の勉強は、芽衣子がこれまで見てやってきた小学校の勉強とはまるで違った。勉強する内容は同じなのだが、その密度が濃い。なるほど、これは確かに進学塾に通わない子が自力で私立中学に進学するのは難しいだろうな、と思えるものだった。塾の勉強も、芽衣子は見てやった。優一がわからなさそうにしていると、さりげなくヒントを出して答えを導かせる。


(こんなこと、本当はしないほうがいいのかしら)


 優一ひとりで考えさせたほうがいいのだろうか。でも、そうしたらまるですべてを優一に投げ出してしまっているかのようで、母親としていけないのでは、という固定観念から芽衣子は優一に勉強を教え続けた。


 そのかいもあってか五年生になったときは塾でのクラスは真ん中のクラスに上がることが出来て、学校の成績も「普通」レベルにまでなった。


 ――だったら自分たちの自由になる子どもをもうひとり産んで、俺のことはもう好きにさせてよ!

 ――本当はふたりとも俺のことなんて、たんなる跡継ぎとしか見てないんだろ! かわいくないんだろ!


 あのときの優一の叫びに、芽衣子も優介も答えていない。けれどあれが分岐点になって優一が勉強に励むようになってくれたのは事実だ。本音をぶちまけてすっきりしたのだろうか? 出来ればそうであって欲しいと願う。




 そういえば芽衣子は、優介と優一の成績について以外あまり話していないことに気付く。朝食の席は優一が朝寝坊なため、ぎりぎりまで寝ているせいで食事は慌ただしく、会話など楽しむ余裕がなかったけれど、夕食の席では優一が今日あったことを芽衣子と優介に話して聞かせていた。だれだれくんがコロナになった、だれだれくんが逆上がりを何度も成功させた、そんな他愛のない会話を。けれど最近、それが少なくなっていることに気付く。優介が「最近どうなんだ」と水を向けるとようやく優一がなんてことなさそうに日常を語る。優介の質問に答えるからつい優一が饒舌であるかのような勘違いをしてしまっていたけれど、そういえば芽衣子は、優一の友人関係がどのようになっているのかあまり知らない。


 芽衣子にはママ友と呼べるものがあまりいなかった。幼稚園受験、小学校受験のときに通わせていた塾でママ友らしき人物は出来たが、彼女らの子どもたちがみな合格してしまってからというもの、連絡を取り合う必要がなくなった。


 小学校に進学して、優一が「だれだれくんの家に泊まりたい!」とわがままを言い出したときに詫びを兼ねて挨拶するような存在は何人もいるが、ママ友と呼ぶには程遠かった。だから、このくらいの年ごろの子がどれだけ生意気でいて正しいのか、正しくないのかがわからずにいる。わかったところで、芽衣子の優一に対する感情は変わらないのだけれど。


 芽衣子にとって優一は目の上のたん瘤のようなものだった。それは産まれたてほやほやだったころからずっと変わっていない。わたしが立派に育てなくてはいけない子、わたしが愛情を注がなくてはならない子。でも、それが難しい子。


 勝手な憶測だが、優一の父親はきっとさぞ礼儀のなっていない人物だったのだろう。芽衣子や優介がどれだけ規則正しく優一を育て、伸ばそうとしても、ふらりと別の道にそれてそこで楽しく遊び始めてしまう。親の言うことをきかないのはどこの家庭も同じかもしれないが、ここまできかんぼうなのも珍しいのではないか。


 加えて、母親はあの琴美だ。琴美は相変わらず定期的に金銭を要求してくる。そんな両親から産まれてきた優一は、とても血統書の正しい子どもだとは言えない。


(――そんな血筋の子なんて、欲しくなかった。パパがお義姉さんの子どもを欲しがったとき、もっと強く反対していればよかった)


 そこまで考えると、なんだか気分が悪くなってくる。ここのところずっとそうだ。なんとなく常に吐き気に付きまとわれているし、すぐに頭が痛くなる。先日など歯茎から血が出てどうしたことかと慌てたが、普通に加齢なのだろうと思って放置していた。


 それでもめまいがひどいので近所の内科を受診すると、驚くべき事実が待っていた。


「理由がわからないんじゃねぇー……。ちょっと、血液検査でもしてみましょうか」

「はあ……」


 こんなことなら鉄分のサプリでも飲んでいればよかった、と思うほどのんきな医者で、対照的にてきぱきとした看護師が芽衣子の腕を縛って血液を採取する。


「あー、らららら」


 血液検査の結果を見た医者は、素っ頓狂な声をあげながら電子カルテに顔を近付けた。

 医者。いいな、医者。この人はこのクリニックを親から継いだのだろうか。だとしたらのんきに見えて優秀な人に違いない。うちの優一とは違って――……。


「……ますよ、奥さん」

「え?」


 ついぼんやりしてしまっていた芽衣子は、医者の言葉を聞き返す。


「ですから、妊娠!」

「妊娠がどうかしたんですか?」

「奥さんが妊娠されているんですよ! おめでとうございます、具合が悪いのはつわりだったんですね」


 芽衣子の頭の中が真っ白になった。


「――え?」


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