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母親失格  作者: 遠山優佳
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四章・3

 そして当然のごとく、優介から雷が落とされる。芽衣子の前では余裕綽々だった優一は、このときばかりはうなだれた仕草を見せる。けれど、芽衣子は気付いていた。優一のそのしょぼくれた態度は、百パーセントの演技であるということを。優介の説教は反論すると長引く。おとなしく「はい」「はい」「ごめんなさい」「もうしません」と言っていればそのうち終わるということを、優一はもう知っている。


 しかし小学校三年生でここまで劣等生になれたものかと、さすがに危機感を抱いたらしい優介は、この日はずいぶん踏み込んだ説教を垂れた。


「お前は医者になる気があるのか?」

「はい、あります」

「こんな成績じゃ医大になんてとてもじゃないけど行けないぞ。それどころか、私立中学の受験だって合格出来るかどうか……。これから挽回出来るのか?」

「はい、頑張ります」

「口だけじゃ困るんだ。お前には病院を継いでもらわないと――」


 すると、その日は珍しく普段はおとなしくしているだけの優一が反論した。


「俺じゃ無理だって思うなら、もうひとり産めばいいじゃん」


 唇を尖らせながら言う。その言葉に、芽衣子はもちろんのこと、優介もまた凍り付いた。


「俺は期待外れの子どもなんだろ? だったら期待通りの子どもを今からでも産めばいいじゃん。俺は医者になんてなりたくないし、パパの病院だって継ぎたくない」

「お前……! なんてことを! 今までお前にいくら金をかけてきたと思ってるんだ。いくらお前に期待してきたと思ってるんだ」

「そんなのソッチの勝手じゃん。俺がいつ俺に金をかけてなんて頼んだの? いつ期待してなんて頼んだの? 俺はパパとママの言うことを聞くために生まれてきたの?」

「優一……」

「本当は俺なんてかわいくないくせに」


 どきっと心臓が一度大きく脈打った。優一は優介に対してそう言っていたが、心当たりがあるのは芽衣子のほうだった。


「だったら自分たちの自由になる子どもをもうひとり産んで、俺のことはもう好きにさせてよ! 夏休みの間中、塾なんて嫌だよ! 本当はふたりとも俺のことなんて、たんなる跡継ぎとしか見てないんだろ! かわいくないんだろ!」


 叫ぶように言って、優一は自室へ引っ込んでしまった。残された芽衣子と優介は、お互い会話も出来ないほど凍り付いてしまっていた。


「姉さん……、姉さん、が」


 ようやく優介が絞り出す。


「優一に何か余計なことを言ったのかも……」

「余計なこと?」

「優一を産んだのは……、ママじゃない、ってことを……」


 芽衣子は思案した。これまで琴美と優一を会わせて連れ帰った帰り道、優一がいつも上機嫌だったことを思い出す。それはだいたいオモチャを買ってもらったり、おいしいものを食べさせてもらったりしたからなのだが――さすがに自分の両親が本当の両親でないと教えられて、にこにこしてはいられないだろう。


「それは違うと思う……けど」

「どうしてそう言い切れる?」

「あの子の今までの態度から」

「――確認してみる。姉さんに」


 優介はその場ですぐさまスマホを取り出して琴美に電話をかけた。芽衣子は、その会話を聞いている心の余裕がなくなっていた。


 ――だったら自分たちの自由になる子どもをもうひとり産んで、俺のことはもう好きにさせてよ!


(わたしが産めたら、どれだけいいか)


 心の古傷を抉られたような胸の痛みが広がった。わたしだって産みたかった。本当はあなたなんて引き取りたくなかった。血も繋がっていないのにここまで育ててきてあげた恩は感じないの? 大切にされて当然だと感じているの?


 わかっている、優一は悪くない。すべて優介や琴美――そして芽衣子の、大人たちの勝手なわがままからはじまった問題だ。赤ん坊のときにかわいいと思えなかったことから、すでに歯車が狂いはじめていたことを、芽衣子は感じていた。きっと優一も察していることだろう。この家は、何かがおかしい、と。


(お義姉さんさえ優くんと接触しなければ)


 優一が産まれる前に家庭裁判所にまでいって琴美と優一の母子の縁を切らせたのに。それなのに「伯母だから」という理由で気まぐれに近づいてくる。そして優一のわがままを助長させるようなことばかりする。


(わたしはあんな女の人の子どもを育てていただなんて)


 毎日あの子のために掃除をして洗濯をして食事を作って……小さいころは塾にまで一緒に行って、あらん限りの時間を優一に注いだ。それなのに、結果はこれか。


 ――本当はふたりとも俺のことなんて、たんなる跡継ぎとしか見てないんだろ! かわいくないんだろ!


 優一の言葉を反芻して、芽衣子は怒りでこぶしが震えていることに気が付いた。


(当たり前よ)


 優介がどうしても跡継ぎが欲しいというから、しぶしぶあまり好きではない義姉の子どもを引き取った。子どものときからあれほど手をかけてやったのに、与えられることには慣れ切ってしまって、失うことには敏感だ。あの子は地球の中心が自分だと思っている。そんな子を、どうしてかわいいと思えるというのか。


 芽衣子がこぶしをぎゅっと握りしめていると、琴美との通話を終えた優介がため息をついた。


「参ったなあ……」

「お義姉さん、なんて?」

「自分は何も言ってない、って。それから、そろそろ本当のことを話してもいいんじゃないか、って。本当のことを話したとしても、自分には母親として優一と暮らす権利もないし、俺たちから優一を奪おうとはしないから、って」

「そう……」


 いっそ奪ってくれればいいのに。琴美はなぜ、いつも芽衣子の癪に障ることばかりしようとするのだろう。琴美が母親だと名乗り出れば、優介とは血が繋がっていることがわかっても、芽衣子とは血が繋がっていないことが明らかになる。そうなったとき、優一が芽衣子にどんな態度をとるのかわからなかった。


「とりあえず……、今年の夏休みの塾は辞めさせましょうか」


 なるべく当たり障りなく言った。


「わたしが子どものときなんかは、私立中学を受験する子は四年生くらいから塾に通っていたわ。来年からになっても、遅くはないんじゃないかしら」


「あの子の通知表を見ただろう? このままじゃ医大なんて壊滅的だ……」

「だからって……」

(医大、医大ってそればかり)

「本当に」


 優介が皮肉っぽく笑った。


「本当に、ママがもうひとり産めたらよかったのにな」


 その言葉は衝撃的だった。

 優介に対するありとあらゆる罵倒が飛び出しそうになる。だからあのとき、わたしは不妊治療を続けようって言ったじゃない! お金がかかるからと言って、お義姉さんの子どもを――それも、父親が誰かもわからないような子どもを引き取りたがったのはあなたじゃない! わたしはずっといやだった。いやだったのに、いやだったのに!


 けれどそれを言ったら終わってしまう気がして、――終わらせたいのに終わらせてはいけない気がして、震えるこぶしをぎゅうううっと強く握りしめるしかなかった。


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