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母親失格  作者: 遠山優佳
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四章・2

 そうしているうちに、優一は小学校三年生になった。


 優介の提案で、近所でも有名な私立中学受験用の塾に通わせることに決まった。しかし、芽衣子は心配していた。まだ三年生、されど三年生。優一はやはりと言うべきか、まだ低学年であるにもかかわらず、テストで百点を取ったことがない。小学一、二年生のテストなんて、問題をよく読めば解けるはずなのに、なぜそれが出来ないのか。成績に関しては優介もかなりシビアなので、テストの点数が悪いときは正座をさせてお説教をされていた。優一はその場ではしんみりした表情を作るものの、父がいなくなるとけろっとして琴美から買い与えられたゲーム機に向かい、夢中になる。


 ゲームに熱中しはじめたせいか、優一の視力はいっきに落ちた。眼鏡を作らなければならなくなり、長く使うものだから……とそれなりに値の張る店で眼鏡を作ってもらったら、なんと一週間で優一はその眼鏡を壊してしまった。何をして壊したのかは優一の説明では要領を得なかったが、とりあえず遊んでいるうちに壊したことは間違いなさそうだ。仕方がないので芽衣子はしぶしぶ同じものをもう一つ買い与えた。しかし、またしても優一は半月もしないうちに眼鏡を壊してしまったのだ。


「なんでそんなに眼鏡を壊すの。優くんはどんな遊び方をしているの」

「ジャンプしてたら落ちちゃうんだ」


 そんなわけがない。優一は嘘をついている。どうせわざと眼鏡を壊すような遊び方をしているに違いない。優介に相談してみても、優介は嬉しそうに、


「まあ、男の子だからな」


 と、言うだけだった。芽衣子はほとほとうんざりして、格安眼鏡店で同じ種類の眼鏡を十個買った。そうして優一が眼鏡を壊すたびに控えさせていた眼鏡を差し出して使わせる。きっとあの子は無限に眼鏡が出てくると思っているに違いない。


 優一の金銭感覚が心配だった。欲しいものは琴美にねだり、さらっと二万以上もするゲーム機を買ってもらっていることもある。眼鏡だって今与えているものは安物だけれど、いくら壊しても無限に新しいものが手に入ると思っているに違いない。確かに三枝家は裕福なほうではあったけれど、この子がいざ働く段階になったとき、自分の給料を見て「これしかもらえないんだ」と絶望し、仕事を辞めてしまったらどうしよう。芽衣子の育て方が悪かったということになるのだろうか。


(保身のことばかりね、わたし……)


 けれどもうこの頃には、自己嫌悪に陥ることはなくなっていた。優一はもう立派に自我が芽生えているし、優介は相変わらず育児に参加してくれようとしない。気が向いたときだけ優一をかまって、この間などは以前言っていた登山とやらに連れて行った。芽衣子を家に残して行ってくれたことは幸いだった。帰宅した優一はぶすくれた顔をしていたからだ。どうやら途中で疲れて帰りたくなったらしく、帰りたいと言ったら優介に怒られてしまったのだとか。


(無理なのよ。この子には忍耐力がないの。何も我慢してこなかったから)


 我慢させようとしたことは何度もある。けれど優一は我慢がこの世でもっとも嫌いなようだった。優一が出来る最大限の我慢は、成績が悪かったときに受ける父親からの説教だ。それ以外のことはいっさい我慢しない。


 そして最近になって、悪知恵までついてきた。


 夏休みに入る日。帰宅した優一は何気なく過ごし、何気なく食事をとった。ちょうどそのころ優介の仕事が忙しくなっていたことと、芽衣子は芽衣子で優一の塾の対応に追われて忙しなかったことが重なって、とあることをうっかり忘れてしまっていたのだ。


 優一は、夏休みから塾に入ることに決まっていた。そのため必要な手続きに追われ、ようやく嫌がる優一を塾に通わせ始めることが出来たと思ったら、その塾から電話がかかってきた。

 また優一が何かしでかしたのかと思い、胃に氷が落とされた思いを抱きながら電話に出ると、


『優一くんの通知表を見せていただくことは出来ないでしょうか』


 と、言われた。


「通知表、ですか?」

『はい。学校ではどのくらいのお勉強が出来るのか、そのあたりのことを把握しておきたいのです。こちらの手違いで提出物リストに通知表のコピーという項目を入れ忘れておりまして……、申し訳ございません』

「いえいえ、そんな――」


 そこまで答えてはたと気づいた。


(わたし――優くんの通知表を見ていないわ)


 それどころか、優一から提出もされていない。瞬間、頭の中で糸が結びつくような感覚がした。夏休みに入ってから感じていた違和感。優一が食事の席で言葉が少なくなっていたこと。すべて通知表を親に見せたくないがために、余計なことは口にしないようにしていたのだ。


 芽衣子はさすがに頭に来て、塾から帰宅した優一を叱った。


「優くん、パパとママに見せてないものがあるよね?」


 そう言うと、自室に引っ込もうとしていた優一の足が止まった。


「なんで見せてくれないの? そんなに悪い結果だったの? ママが気が付かなければ、そのまま学校に返しちゃうところだったの?」

「…………」

「答えなさい!」


 しかし芽衣子の怒声も、優一の前では馬耳東風だった。


「うるさいなぁー。今持ってくるから別にいいじゃん」

「いいじゃんって……そんなことあるわけないでしょ!」

「あー、うるさい。うるさい」


 そう言って自室に引っ込み、しばらくしてから通知表を芽衣子に差し出した。押し付けるような、突きつけるような渡し方だった。


 恐る恐る開いてみると……、案の定な結果だった。体育と図画工作の成績だけはいい。しかしそれ以外は散々だ。最低の成績表だと言える。芽衣子はくらりとめまいがした。


(あんなに小さなときから勉強をさせてきたのに、なんでこんなことになるの?)


 思えば優一の成績は低迷の一途だった。小学校一年生のときはここまでひどくなかった気がする。もちろん、一年生の問題が簡単だからということもあるが。


(この子に医大なんて絶対に無理だわ。これから通わせる塾だって、ちゃんと規律を守って勉強出来るかどうか……)


「このこと、パパに言うからね」


 芽衣子は静かな声で言った。対する優一は、テレビに設置されたゲーム機をいじりながら、


「言えばー?」


 と、まったく悪びれずに返してくるのだった。


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