第6話 妖精の森
ギルドを出てから、俺たちは北の森へ向かうことにした。
距離があるため、馬を二頭借りることにしたのだが──さすがSランク狩人は顔が効く。
アルフレッドが馬小屋の主人に声をかけた瞬間、銀貨一枚で手を打ってくれた。
俺が行ったら三倍はぼったくられるのに。
(……やっぱガキ扱いされてんのかな)
いつまでもアルフレッドに迷惑をかけていられないのに、現実はなかなか厳しい。
借りた馬に跨り、俺たちは平原をまっすぐ駆けた。
夜の森は厄介なので、とにかくスピード勝負だ。
帰り道の不安はあるが、森の中に馬を連れていくわけにもいかない。
入口で合図を送ると、馬たちは習性で街へと戻っていった。
「魔力枯渇地帯ってのはな……」
アルフレッドが苦々しく口を開く。
「魔力そのものが吸われる場所だ。魔物も人間も例外じゃない。特に、魔力を持つ武具──ティルファングにも影響が出る」
「……ティル、大丈夫か?」
剣は沈黙したまま。
まるで眠っているように、微動だにしない。
「ショウ、無理しないでよ……」
「無理はしねえよ。……たぶん」
「たぶんじゃないって言ってるでしょ!!」
セーニャの怒鳴り声が森に響き、木々がざわりと揺れた。
◇
最初の十字路のような分かれ道に差し掛かった瞬間、空気が変わった。
ひやりと肌を刺す冷気。
耳鳴りのような、かすかな振動。
胸の奥がじわりと重くなる。
「気をつけろ。ここから先は“惑わし”が出る」
「惑わし?」
「妖精だ。悪意はないが、魔力が弱ると精神に干渉されやすい──乗っ取られるぞ」
アルフレッドが言い終える前に、森の奥からふわりと光が舞った。
青、緑、金色の光の粒。それが人の形を成し、俺たちの周囲をくるくると飛び回る。
「うわっ……なんだこれ……」
足元がふらつき、意識がぼんやりと霞む。
「ショウ! 目を合わせちゃダメ!」
セーニャが俺の頬を嘴でつつき、まどろむ意識を引き戻す。
その瞬間、妖精たちが一斉にこちらを向いた。
『侵入者……』
『人間……?』
『この森に入る資格は……』
ぞくりと背筋が冷える。
だが、セーニャが漆黒の羽を広げて前に出た。
『妖精さん、私たちは敵じゃないの。落ち着いて!』
その声は鈴の音のように澄んでいて、妖精たちの言葉と同じ“波長”を持っていた。
『お前は烏の姿だが……我々と同じ色の魔力を感じる。何者だ?』
『私はセーニャ。はるか西の“魔女の森”に住む、シエラ様の一番弟子よ』
妖精たちがざわめく。
『魔女……? その姿で……?』
『魔物に魔力を奪われたのよ。ここが魔力枯渇地帯と聞いたから、何か手がかりがあるかと思って来たの』
セーニャの羽はわずかに震えていたが、声は落ち着いていた。
妖精たちは光の色を柔らかく変え、態度を和らげる。
『……なるほど。言葉を交わせるということは、確かに魔女だ』
『この先に巨大な魔物がいる。気をつけて進むが良い』
『──ありがとう』
セーニャが深く頭を下げると、妖精たちは光を一度だけ瞬かせ、森の奥へ消えていった。
「……助かったな」
「セーニャがいなきゃ危なかった」
「ふふん、当然でしょ!」
セーニャは胸を張るように羽を広げたが、その奥にほんの少し疲れが滲んでいた。
しかし、穏やかな空気は続かない。
木々を抜けた先に、十メートルはあろう巨大なジェルスライムのような化け物が姿を現した。
青白く揺らめく、透明に近い異形。
「……来るぞ」
アルフレッドが大剣を構える。
「でけえ……!」
ぷるり、と震えた瞬間、無数の触手が四方へ伸びた。
俺は反射的にティルファングを構える。
だが──刃が触れた瞬間、アンノウンの体は水のように形を変え、攻撃を受け流した。
「……くっそ、通らないのかよ!」
「物理は効かん」
アルフレッドはすぐに魔石を取り出し、地面へ叩きつけた。
「〈閃光〉!」
だが光は弱々しく瞬き、すぐに消える。
「……やはり噂通りの魔力枯渇地帯か。ここで魔法は役に立たん」
剣も魔法も通じない。
妖精たちが警告していた“巨大な魔物”──その正体が目の前にある。
「この一帯の調査とは言え、あのアンノウンはおかしい。──分が悪過ぎる。引くぞ」
アルフレッドの判断は正しい。
俺は頷き、距離を取ろうとした──が。
アンノウンはぷるりと震え、無数の触手を高速で伸ばしてきた。
「っ……う、おおおお!?」
しゅるり、と足首を掴まれる。
同時にジュウ、と肉が焼ける音。
激痛が脳天まで突き抜けた。
「いっ……つつ……この、ッ離れろッ!!」
「ショウ……!」
アルフレッドが駆け寄ろうとした瞬間、アンノウンは酸の塊を吐き出した。
それを剣で薙ぎ払った途端、鋼鉄が一気に錆びてボロボロになる。
腐食した大剣を握りしめ、目を細めた。
「……やはり、物理は完全に無効か」
焦りよりも、状況を見極めようとする達観があった。
(何か……突破口が……)
だが、その一瞬の“思考の隙”をアンノウンは逃さない。
ぷるり、と震え──
地面を這っていた触手が槍のように鋭く伸びた。
「アルフレッド様、危ない!!」
アルフレッドが反応するより早く、触手が腹部へ突き刺さった。
「──ッ!!」
鋼のような筋肉が貫かれ、白い煙が立ちのぼる。
肉がじゅくじゅくと溶けていく。
「ぐっ……が……っ……!」
膝が地面につき、血が溢れた。
(……アルフレッドまで……!)
くそっ──何も出来ないなんて……!
足首も腕も焼けただれ、動けない。
ティルファングも握れない。
アンノウンは勝利を確信したように触手を増やし、瀕死の俺へ集中させてきた。
胸元へ迫る黒い影。
──逃げられない……喉に触れたら終わりだ。
「ショウ!!」
セーニャの叫びが森に響く。
絶望が喉の奥まで満ちた、その瞬間──空間が裂けた。
音もなく、世界がひび割れる。
裂け目の向こうから、銀色の髪がふわりと揺れた。
白い衣をまとい、天使を模した神々しい杖を手にした女性が、静かに足を踏み出す。
「イリス様……!」
アルフレッドは朦朧としながらも深々と頭を下げた。
イリスと呼ばれた女性はアンノウンを一瞥し、杖を軽く振る。
「神への冒涜を行う者達よ……消えなさい」
その一言とともに光が放たれ、アンノウンの体は震え、音もなく霧散した。
まるで、最初から存在しなかったかのように。




