第4話 アンノウン
アンノウンは、ギルドが把握していない“未知の魔物“のひとつだ。
噂では研究所から逃げ出した魔力のない子どもの成れの果てとも言われている。
もしあの時、父の手引きがなければ、今頃依頼のひとつに成り下がっていたかもしれない。
「この洞窟か」
「気をつけてね、ショウ。洞窟は逃げ道が無いから」
洞窟は逃げ道が塞がれたら終わりだ。
内部の天井はそこそこ低め、崩れそうな壁は多分ティルファングのご機嫌が良ければ突破出来るだろう。
「まあ、ピンチの時は相棒のご機嫌を伺うしかねえな」
喋る剣は大人しく眠っている。
──全く、こいつは俺がピンチの時しか動かないのか。
洞窟の奥は、外の冷気とは違う湿ったぬるい空気がまとわりつく。
松明の灯りを頼りに、足音を殺して進んだ。
壁面に染みついた水滴が、ぽたり、ぽたりと落ちるたび、やけに大きく響く。
「……臭うな」
独特の鼻をつく獣臭と、鉄のような血の匂い。
剣に手をかけた瞬間、暗闇の奥でずるりと何かが動いた。
『グルルル……』
肩幅は人の倍、皮膚は土色に硬く、牙が唇から突き出ているごく見慣れた 猪人族が姿を現す。
(これがランク三? 正直、昨日の 猪人族の方がデカいし凶暴だぞ)
その目はどこか怯えていた。まるで、何かから逃げてきたように。
「お前……ここに住んでたんじゃねえのか?」
ショウが問いかけるより早く、 猪人族は後ずさりし、喉を震わせて叫んだ。
『ア……アアアアアッ!』
恐怖に駆られた獣の声。
次の瞬間、 猪人族の背後──洞窟のさらに奥から、ぬるりと透明な影が伸びてきた。
影はひゅっと何かを伸ばし、そして 猪人族を一瞬で絡めとった。死骸は跡形もなく消える。
「なっ──!?」
それは、形を定めない塊だった。
ボディは光を受けてわずかに青白く揺らめく。
目はないのに、ショウの存在を確かに見ている気配だけが、肌を刺す。
ぷるり、と魔物の表面が震えた。
スライムのようなプルプルした外見なのに、あの触手に触れたら今の 猪人族みたいに消される……!
次の瞬間、長い手足のようなものが伸び、立ちつくすもう一体のオークの肩に触れた。
ジュッと肉が焼けるような音。
触れた部分が、煙を上げながらドロリと溶け落ちていく。
『グ、ガアアアアアッ!』
猪人族は悲鳴を上げ、逃げようとするが、アンノウンの触手が絡みつき、少しずつその肉体を溶かされていた。
ショウは剣を抜き、低く構える。
「……なるほど。未知ってのは、こういうことかよ」
アンノウンは音もなく、ショウの方へ滑るように向きを変える。
洞窟の湿気が急に冷たく感じられた。
生き残りの 猪人族は子どものようで、ショウとアンノウンの間で小さく震えていた。
「こっちよ!」
言葉が通じるのか分からないが、セーニャが 猪人族の子どもを引きつける。
一礼して洞窟の出口の方に駆ける獣を確認し、俺は相棒に語りかけた。
「ティル、力を貸してくれ」
──しかし、返事はない。
「うっそだろ!?」
一瞬判断が遅れた瞬間、アンノウンの触手が俺の足元に伸びた。危うく靴が溶かされるところだった。
「ちっ……!」
慌てて後方へ跳ぶ。
触手が床を舐めた瞬間、石が泡を立てて溶け落ちた。
(やべぇ……触れたら終わりだ)
アンノウンは音もなく迫ってくる。
形を持たない塊が、ただ意思だけで動いているような不気味さがあった。
「ティル、おい、起きろって!」
剣を握り直しながら叫ぶが、ティルファングは沈黙したまま。まるで洞窟の冷気に飲まれたように、微動だにしない。
「……マジで寝てんのかよ!」
舌打ちし、アンノウンの触手を紙一重で避ける。
触手が通った軌跡に、白い煙が立ち上る。
「ショウ、右!」
セーニャの声が飛ぶ。
ショウは反射的に身をひねり、横から伸びた触手を躱した。
子ども 猪人族は無事に外に出られたらしい。すぐに他の 猪人族と合流出来るだろう。
魔力結晶に変換はできなかったが、こっちのアンノウンを生け取りにした方がデカい。
「助かる!」
「助けてる暇なんてないわよ! あれは魔力の塊……物理攻撃は効かない」
「じゃあどうすんだよ」
「魔力をぶつけるしか──って、あんたの剣が今それを拒否してるのよ」
「マジで最悪だな」
何故か冷静に判断できた。
ティルが反応してくれなければ、俺はただの魔力ゼロの剣士だ。
アンノウンがぷるりと震え、触手を四方八方に伸ばす。
剣で弾こうとした瞬間、バチッとティルファングに拒絶された。あまりの衝撃に右手から剣が落ちる。
「おいおい、マジでどうしたんだよ……!」
「ショウ、後ろ!」
セーニャの叫びと同時に、背後から触手が迫る。
地面を転がり、ギリギリで躱したものの、何回も避け切れる自信はない。
触手が通った壁が、じゅう、と音を立てて溶け落ちる。
(くそっ、攻撃が通らねえ。ティルが動かねえなら、俺一人じゃ──)
焦りが喉を焼く。
不安そうに飛ぶセーニャの姿が脳裏をよぎる。
「セーニャ! あいつの核みたいなもん、見えねえか?」
「探してる! でも、魔力の流れが複雑すぎて……」
アンノウンが再び震え、体内からズブズブと太い触手を一本、槍のように伸ばしてきた。
「ショウ、危ない!!」
セーニャの叫びが洞窟に響く。
しかし、アンノウンの狙いはショウではなかった。
ティルファングだ。
「……くそっ!」
転がった剣へ向かって伸びる触手。
ショウは反射的に身を滑り込ませ、剣を庇った。
「がっ……あああっ!!」
触手が脇腹に直撃した。
メリメリと体内に不気味な物質が侵入する。
細胞が一つずつ溶かされていくような、耐え難い痛み。
皮膚が、肉が、骨の表面までもが溶ける音を立てた。
猪人族が溶かされた時と同じく、ジュウ、と煙が上がる。
「ショウ!!」
セーニャの悲鳴が洞窟に響く。
がくりと膝をつく。呼吸は乱れ、視界も白く霞んでいく。
(……あ、やべ……)
意識が遠のく。
それでも、相棒だけは離すまいと剣を握りしめた。
(セーニャ……を、守らねえと……)
その想いだけが、最後に残った。
そして──ショウの身体が、前のめりに崩れ落ちた。
アンノウンは、まるで獲物を見つけたかのように剣へ触手を伸ばす。
その瞬間──剣が炎を纏い、脈動した。
赤い光が刃から溢れ、洞窟全体を照らす。
光の中心から、ひとりの少年が姿を現した。
赤い髪。
鋭い金の瞳。
年齢はショウと同じくらいだが、纏う気配は獰猛な魔物のように重い。
「よく耐えたな、ショウ──」
少年は倒れたショウに視線を落とし、静かに微笑んだ。
その表情は、どこか誇らしげで、どこか寂しげだった。
アンノウンが再び触手を伸ばす。
少年は口元を緩め、一歩前へ出た。
「……邪魔だよ」
淡々とした声。
次の瞬間──
赤い閃光が走った。
少年が剣を振ったのか、魔力を放ったのか、誰にも分からない。
ただ、アンノウンの身体が一瞬で裂かれ、光の粒となって霧散した。
洞窟に、完全な静寂が訪れる。
「……あなた、誰?」
ショウの肩にとまり、震える声で問うセーニャ。
少年は振り返り、柔らかく笑った。
「ボクはティルファングの本来の姿だよ」
「本来……?」
「うん。でも──」
少年は倒れたショウを見て、少しだけ表情を曇らせた。
「ショウには伝えないでほしい」
「どうして?」
「ボクが剣である方が、あいつは強くいられる。それに、まだ話すには早すぎるからね」
セーニャは言葉を失う。
少年は続けた。
「ショウは、ボクを庇って傷ついた。だから、ボクはあいつを守る。それだけでいいんだ」
そう言うと、少年の身体は光に包まれ、ゆっくりと剣の形へ戻っていく。
「セーニャ、ショウのことを頼むよ」
最後にそう告げて、ティルは完全に剣へと戻った。
洞窟には、ショウの浅い呼吸だけが響いていた。




