第16話 魔法剣士・シーヴァス
鉄の匂いが風に乗って漂っていた。
血の匂いだ。生温く、重く、喉の奥にまとわりつく。
木々の間を吹き抜ける風が、どこかざらついている。それはまるで森そのものが怯えているようだった。
「……嘘だろ。なんで、こんな“スライム”みたいなやつに……」
誰かが震える声で呟く。
目の前のアンノウンは、見た目だけならただの半透明の塊だ。
弱そうで、形も曖昧で、魔物としての威圧感すらない。
だが──
足元には、仲間だった者たちの装備の残骸が散らばっていた。
血に濡れたマント。折れた杖。片方だけの手袋。そして、肉片すら残っていない。
六人が喰われた。
跡形もなく。
「おい、セーラ! 重力制御が効いてねぇぞ!?」
「無茶言わないで……アンノウンには元々魔法が効きにくいのよ!」
Sランクの狩人たちは、見た目スライムのような巨大なアンノウンと対峙していた。
対抗手段は悉く潰され、その顔には焦りと疲労が滲んでいる。
アルフレッドも、額から汗を流しながら剣を構えていた。
アンノウン──
ランクは見た目では判別出来ず、個体はスライム状の魔物なのに、攻撃パターンはそれぞれ異なる。
その生物に共通するのは、魔法は吸収され、物理攻撃は弾かれる。
「くそっ……重力で押し潰す作戦もダメかよ!」
「魔力が通らないんだから当然でしょ! あれは“魔法の形をした何か”よ!」
セーラの叫びが虚しく響く。
アンノウンはゆっくりと形を変え、触手のような塊を伸ばしてくる。
「避けろ!!」
叫んだ瞬間、仲間の一人が触手に絡め取られ、悲鳴を上げる間もなく飲み込まれた。
「っ……また一人……!」
絶望が広がる。
狩人最強のSランクでさえ歯が立たない。
このままでは全滅だ。
──そして、空気が裂けた。
風でも魔力でもない。
ただ“斬撃”だけが、世界を割った。
同時にアンノウンの身体が、音もなく縦に裂ける。
「……間に合ったか」
黒い外套を翻し、一人の男が歩み出た。
銀髪に、冷たい灰色の瞳。
腰には、淡く光を帯びた剣。
(あれは──ティルファング……? いや、違う。もっと……禍々しい)
「し、シーヴァス……!? 研究所の……!」
Sランクの誰かが息を呑む。
男──シーヴァスは、淡々と剣を払った。
アンノウンの体内から溢れた黒い粒子が、剣に触れた瞬間に蒸発していく。
「この魔物は、研究所とは無関係だ。──ギルドにそう伝えておけ」
その言葉は、命令でも脅しでもない。
ただ事実として告げるような、冷たい響きだった。
「ま、待て! その剣……魔法剣か?」
「……研究所の試作だ。アンノウンの構造解析に基づいて作られた。魔力ではなく、“別の原理”で斬っている」
シーヴァスはアンノウンの残骸を一瞥し、興味を失ったように背を向ける。
「……生き残りはいるか?」
「ああ……」
「なら帰れ。ここはもう終わりだ」
そう言い残し、シーヴァスは踵を返し森の奥へと消えていった。
残されたSランク狩人たちは、呆然と立ち尽くしていた。
誰もが息を潜め、誰もが言葉を選んでいた。
「……研究所は、本当にアンノウンとは無関係……なのか?」
誰かがぽつりと呟く。
「そんなはずはない。実際あいつらは魔力結晶を根こそぎ買い集めている。子ども達が居なくなるのも研究所が……」
「だがアルフレッド、証拠がない。研究所がアンノウンを作っているという」
「……」
アルフレッドは拳を握りしめた。
喉の奥が焼けるように痛い。
怒りか、恐怖か、自分でも分からない。
(……あの剣。あの斬撃。無関係と言い切れるほど、研究所はアンノウンを知っている……)
胸の奥で、嫌な確信が膨らんでいく。
「……なあ、あいつは敵なのか? 味方なのか?」
狩人仲間の一人が震える声で言った。
「味方……じゃないだろ。助けたって感じでもなかったし」
「それに……アンノウンを魔力結晶にしなかった。普通なら素材として回収するはずだろ」
「……ああ。まるで“興味がない”って感じだったな」
「いや、違う。あれは……知っている顔だ。アンノウンの中身も、性質も、全部」
ざわり、と空気が揺れる。
「ギルドにどう報告する? そのまま言えば、研究所の潔白を証明することになるぞ」
「でも嘘は言えない……」
「嘘じゃなくても、“言い方”次第でどうとでもなる。ただ、研究所を敵に回すのは危険だ」
カルマの声は低く、重かった。
「騒ぎ立てるのは簡単だ。──が、もしもそれが嘘であれば始末されるのは俺達だぞ」
アルフレッドは唇を噛み締め、何も言えなくなった。
「……とにかく、この依頼の達成はギルドに報告しないと……!」
全員が頷いた。
だがその足取りは重く、どこか怯えていた。
彼らは知らない。
シーヴァスが“何を斬ったのか”。
そして、研究所が“何を隠したのか”。
ただ一つだけ確かなのは──
ギルドは、この戦いを“研究所の潔白の証拠”として受け取るだろう。
◇
一方、同時刻。
白い無機質な部屋。
壁一面に並ぶ魔導スクリーンには、先ほどの戦闘映像が淡々と再生されていた。
巨大アンノウンが、音もなく縦に裂ける。
その瞬間を、女は細い指先でなぞるように見つめる。
「……やっぱり、シーヴァス様は美しいわね」
恍惚とした吐息が漏れた。
銀髪の剣士が淡々と魔物に向けて剣を振るう姿は、彼女にとって芸術そのものだ。
ピッ、ピッ──
女は勝手に画面を切り替え、シーヴァスの横顔のアップを呼び出す。
冷酷な瞳、無駄のない動き。
その剣先に迷いは微塵もない。
愛おしい男の舞うように戦う映像に、まるで恋人へ触れるようにそっと手を伸ばした。
「ふふ……今日も完璧ね。シーヴァス様」
スクリーンが自動で切り替わり、アンノウンの断面データが立体映像として浮かび上がる。
黒い粒子が剣に触れた瞬間に蒸発する様子が、何度も繰り返し再生される。
途端に女は面を引き締めた。
「やっぱり“反応”してる……あの剣は成功ね」
女は端末に指を滑らせ、アンノウンの内部構造を拡大する。
粒子の流れ、魔力の残滓、そして“核”の反応。
「うふふ、あなたたちは、魔物なんかじゃない。しっかり素材として役に立つのだから──」
薄く笑う。
その笑みは、研究者の喜びとも、狂気ともつかない。
「そのためにも、シーヴァス様には、もっと強い個体を斬っていただかないと」
再び画面を切り替え、Sランクの狩人達を一瞥して去るシーヴァスの姿を映し出す。
女はスクリーンに映る銀髪の剣士へ、頬を寄せるように手を添えた。
「ああ……あなたの剣が、どこまで“彼ら”に通用するのか……早く、見たいわ」
研究所の奥で、機械音が規則正しく鳴り続けている。
その冷たい音が、女の恍惚とした笑みをより際立たせていた。




