第12話 灰の代償
『マーメイド……あなたまで呪いを受けてしまわれたのですか』
痛みで声も出ない俺は、不器用に微笑むしかなかった。ひくりと顔を動かした瞬間、右手を貫いていた銛が抜かれ、左手首の拘束も解かれる。
セーニャは畳みかけるように声を張った。
『無礼者達よ。女王陛下は今──灰の毒により人間の男の姿となっておられる。そして私も魔女の姿から烏へと変えられてしまったのです』
(セーニャの設定はまあ……半分合ってるけど、俺の設定はまずいだろ……!)
心臓が早鐘を打つ。とにかく時間を稼いで、このあたりの異変である〈サハギンの減少と灰の侵食〉を調べて報告すればいい。それで依頼は終わるはずだ。
『マーメイドの女王陛下よ……突然刃を向けた非礼を、まずお詫び申し上げます』
最初に襲ってきたサハギンは、姿をほぼ人間に近い形へと変え、深々と頭を下げた。
「こちらこそすまない。ええと、俺は……」
セーニャへちらりと視線を送る。
助けてくれ、設定担当……!
『女王陛下は灰の毒で記憶をなくしておられるのです! サハギンよ、このあたりの異変について説明しなさい』
『はっ……。三年ほど前から、デュルグ湖周辺に灰が飛んでくるようになりました。今までは創世神イリス様の結界に守られていたのですが……最近は魔物も出現しております』
「魔物?」
『透明で、スライムのように形を変える……我々は銛しか使えないというのに、物理攻撃が一切通用しないのです』
──アンノウンだ。
俺はセーニャと目を合わせた。
「お前たちの個体数が減っていると聞いて来たんだけど……」
『まさか、女王陛下の耳にそこまで……。察しの通り、我々は謎の魔物に次々と喰われました。今や地表に出られるのは俺──ザックと、弟のリックだけです』
「湖の下には、どれくらい仲間が残ってる?」
『五十ほど……ですが、このまま地表が灰に覆われれば、外で物資を得ることができず、絶滅の危険すら……』
存続の危機──
その言葉が胸に重く沈んだ。
そのときだった。ふわり、と視界が揺れる。
「……あれ?」
『ショウ?』
足元がふらつき、膝が勝手に折れた。
喉が焼けるように痛い。
肺がうまく動かない。
(……灰……吸いすぎた……?)
さっきから空気がざらついていた。
布で覆っていたとはいえ、完全には防げなかったのだろう。
『ショウ、しっかりして!』
セーニャが羽で俺の頬を叩く。
だが、そのセーニャの動きもどこか鈍い。
『……っ、灰……毒が……強すぎる……』
セーニャの小さな身体がふらりと揺れ、俺の肩に倒れ込んだ。
「セーニャ……!」
呼吸が浅くなる。
視界の端が暗く染まっていく。
そのとき。
湖の奥から、低い振動が響いた。
ゴォォォォォ……
水面が盛り上がり、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
透明なゼリー状の身体。
内部で蠢く無数の黒い粒。
形を定めず、ただ巨大な塊として迫ってくる。
アンノウン──
だが、今まで見たどれよりも大きい。
つまり、それだけこいつはサハギンを喰ったということだ。絶対に許せない。これは、何としてもここで止めなければ。
それなのに、俺の意識も声も次第に遠のいていく。身体を揺さぶるザックの指先の動きだけが残されていた。
ずるり、ずるりと近づいてくるアンノウン。
不気味な物体を視界に捉えたザックが、震え声で呟く。
『……あれが……我々を喰らった“主”……』
巨大アンノウンの影が俺たちを覆い尽くした瞬間、胸の奥で何かが“カチリ”と音を立てた。
同時に、俺の身体から黒い霧が噴き上がる。
『……よく耐えたな、ショウ』
低く、鋭く、どこか懐かしい声。
ティルだ。
黒い霧が形を成し、俺の身体から抜け出すようにして人影が立ち上がった。
赤い髪。
鋭い金の瞳。
纏う気配は獰猛な魔物のように重い。
『な、なんだ……あの御方は……!?』
『兄さん……あれ、剣の……?』
ザックとリックが震えながら後ずさる。
ティルは彼らに一瞥をくれ、静かに言い放った。
『怯むな。お前たちも戦えよ。──この湖を守りたいのだろう?』
その声は、命令でも怒号でもない。
ただ当然のことを告げるような、揺るぎない響きだった。
サハギン兄弟は息を呑み、そして──
『……はっ!!』
愛用の銛を構え、ティルの隣に並んだ。
巨大なアンノウンが咆哮のような振動を放つ。
透明な身体の内部で黒い粒が渦を巻き、触手のように伸びてくる。
『来るぞ』
ティルが剣を構えた瞬間、触手が地面を抉りながら襲いかかる。
ザシュッ!!
黒い残光が走り、触手が一瞬で切断された。
切り口からどっと灰色の液体が噴き出し、地面を溶かす。
『兄さん、今だ!』
『うおおおおっ!!』
ザックとリックが左右から飛び込み、銛でアンノウンの身体を貫く。
だが、アンノウンはぐにゃりと形を変え、銛を飲み込むように包み込んだ。
『くっ……! 効かない……!』
『こいつに物理が通らないのは知っている。けどなあ』
ティルが跳んだ。
黒い霧を纏い、空中で剣を振りかぶる。
『──ボクに、斬れないものなんて、ない』
ドォンッ!!
炎の剣が振り下ろされた瞬間、巨大アンノウンの身体が真っ二つに裂けた。
内部の黒い粒が悲鳴のような振動を放ち、灰色の液体が四方に飛び散る。
アンノウンは形を保てずぶしゅぶしゅと崩れ落ち、やがて静かに消滅した。
灰色の湖畔に静寂が戻る。
ザックは膝をつき、震える声で言った。
『あなた様は……何者なのですか……?』
ティルは剣を肩に担ぎ、淡々と答える。
『詳しいことは教えたくないんだ。ボクの存在はこいつらには言わないで』
そう言うと、ティルの身体は光に包まれ、ゆっくりと剣の形へ戻っていく。
まるで神聖な儀式のような光景に二体のサハギンは顔を見合わせた。
◇
あれからどれくらい時間が経ったのか。
ゆっくりと目を開けると、湖から大分離れた場所に寝かされていた。あの周辺は灰が強いのでザックとリックが担いでここまで連れてきてくれたのだろう。
「あ、あれ……アンノウンは?」
俺のぼやけた声に、ザックとリックが両膝をつき頭を下げた。
『ショウ様……! どうか我らをお側に置いてください!』
「えっ……なんで!?」
『あなた様こそ、我らが主!』
『兄さん、あの剣の御方が言っていた通りだ!』
(おい、ティル……俺が知らない間にまた何か言ったのかよ!?)
助けを求めてセーニャを見つめるも、彼女は知らん顔をして目を合わせようともしない。
こうして──
ザックとリックはショウに忠誠を誓い、以後、旅に同行することとなった。




