わたあめ国王と王女様
【14】譲れないもの にて登場する悠穂を主体とした一人称。
「女王」「わたあめ」「かばん」というお題で書いた短編小説です。
【ジャンル】その他文芸
【タグ】女性主人公、友情、ほのぼの、シリアス
「初めまして。王女様」
そう言ったその人は、甘いわたあめのようにふんわりとした笑顔を浮かべた。キラキラしていて、大きい立派な椅子から立ち上がって、私の前で立ち止まったと思ったら、片足を絨毯につけて目線を合わせてくれている。
差し出された手を、私はなんとなく握り返す。
「初めまして」
あいさつしてから言葉に詰まる。私はこの人の名前を覚えていなかった。
「貊羅くん、僕は王族ではないよ?」
背後でお父さんの笑う声がする。
私は目の前にいる、『貊羅くん』とお父さんが呼ぶ人を見上げて、そうだと伝えるように首を縦にした。
すると、わたあめみたいな甘い笑顔を浮かべていた貊羅くんは、目を丸くしてから、あははと笑う。
「王女というのはね、国王あるいは国王と同様の君主の娘の呼称なんだよ。悠穂ちゃんのお父さん、悠畝くんは楓珠大陸を代表する者でしょう? いわば、楓珠大陸は君主国だ。君主国では、君主の娘のことになる。だから、悠穂ちゃんは、王女様なんだよ」
よくわからなかったけれど、なんだかとても私のことも、お父さんのことも褒められた気がして恥ずかしくなる。すっと手を抜き、お父さんの足に隠れるようにしがみつく。
「ありがとうございます」
ふんわりと、頭があったかくなる。お父さんの手だ。にっこりと笑うお父さんは、わたあめのようには甘くないけれど、ふんわりしていてやさしい。心がほかほかになって、うれしくなる。
「僕からも……ありがとう、貊羅くん」
「ううん、お礼を言うのはこちらの方。いつか娘の悠穂ちゃんにも会ってみたいと言ったら、本当に会わせてくれたんだから。息子の忒畝くんもかわいかったけれど、悠穂ちゃんもかわいいね。うらやましい」
お父さんに向けられた笑顔も、とってもふわふわなもの。わたあめの甘い香りが漂ってきて、心まで幸せで埋まりそうな不思議な笑顔。
「そうだ。これ、聞いていた書類。聞いていた規模に必要なものと……あと、もっと大きい規模のときに必要なものも用意してきたんだ」
お父さんはかばんからクリアファイルをいくつも取り出す。貊羅くんは近づいてきて、お父さんからその書類を受け取った。
「手間をかけたね。感謝するよ」
その一瞬、貊羅くんは悲しそうな笑顔を浮かべた。
感謝すると言いながら浮かべた矛盾する表情。この表情をお父さんは気づかなかったのか、
「それじゃ、また」
とかばんを閉じて、私に帰ろうと急かすように背中を押す。
「忙しい中、ありがとう。その……また、来てくれる?」
「もちろん」
お父さんの笑顔に安心するように、貊羅くんにも笑顔が戻る。あの甘いわたあめみたいな笑顔が。
貊羅くんは不思議な人だった。お父さんは友達だと言ったけれど、恩師でもあると言っていたけれど、貊羅くんにはお父さんの恩師であると思っているような感じはまったくしなかった。
私には、友達と呼べるような人はいるだろうか。仲良くしてくれる人はいるけれど、友達と言ってもいいんだろうか。──そう思って、なんだか貊羅くんの気持ちがわかったような気がした。
貴族とそうでない者たちがほぼ均一に住んでいる梓維大陸。貴族とそうでない者の差を、一番感じる大陸なのかもしれない。私たちの住む、貴族がいないような大陸とは違って、みんなが平等ではないのかもしれない。
この大陸を治める羅暁城を出ても、その敷地は広い。青々と広がる草原は、白く美しい羅暁城をひきたてているようにも見える。空の色と似た屋根は、とても清々しくて。
「お城って、おとぎ話の世界の建物だと思ってた。こんなにきれいなんだね、お父さん」
振り返って足の止まっていた私を、お父さんはひょいと持ち上げる。
「そうだね。世界には色んなお城があるけれど、羅暁城が一番きれいかもしれないね」
風がそよそよと吹く。
その風は、克主研究所の近くの森で感じる風とどこか似ていて。
ああ、そうか。
世界は広く、だけど、この風のように繋がっているんだ。
空も、雲も、どこか遠くの世界ではなくて、ひとつなんだ。
「王女様は、大きくなったら世界の果てまで色んな景色を見るのかもしれないね」
お父さんが、妙な呼び方をするから、ふふふと笑ってしまう。
「ううん。それは私じゃなくて、お兄ちゃんの役目だよ」
「忒畝は、そんなに好奇心が強いかなぁ?」
「私から見れば、お兄ちゃんは好奇心の塊のような人だよ? 私はね、お父さんみたいに克主研究所をじっくり、よりよくしていく存在になりたい」
今度はお父さんがふふふと笑う。
「うれしいことを言ってくれるんだね」
歩き出すお父さんは、私を抱く手にかばんをさげて、あいたもう片方の手で私をなでてくれた。
「僕は、幸せ者だなぁ」
口癖のように聞くこの言葉が、私もお兄ちゃんも大好きだ。
風がさわさわと揺らめいて、私は草原をふと見る。そこには知らない女の子がいた。夜空みたいにきれいな色の長い髪をなびかせて立っていたけれど、私と目が合うと、奥へと走っていった。
すると、今度は黒髪を高く一本に結んだ、さっきの女の子と同じ年くらいの人が立ち上がる。
「あ、羅凍くんだ」
お父さんが手を振る。私もつられて手を振ると、羅凍くんは会釈をして、さっきの女の子と同じ方向に走っていった。
「貊羅くんの息子さんだよ。年は悠穂より六歳上だから、十四歳かな。双子のお兄さんもいるんだよ」
「お兄さん? さっき、夜空みたいな色した髪の毛の女の子と一緒にいたよ」
「夜空みたいな? あれ、誰だろう」
今度聞いてみるねとお父さんは言った。
けれど、結局、私はお父さんから誰かと聞くことはなかった。あれから八年が経ち、お父さんが亡くなって、お兄ちゃんが君主を継ぎ、私は女王ではなくなった。
お父さんが生存している間に、羅暁城は簡易的な研究施設を併設した。後に、立派な宮城研究施設も併設可能な書類を、お父さんが準備していたことを知った。それを知ったとき、貊羅くん──いや、国王である貊羅様は、どうして立派な宮城研究施設にしなかったのだろうと思った。けれど、答えはきっと、あの書類を受け取ったときの表情が物語っていたのだろう。選びたくても選べない理由を、そこに隠して。
多分、それは。あの夜空みたいな色の少女も関連している。だから、きっと──私がお父さんから誰かと聞くことがなかった。
聞かなくても、年月が経てばわかることもあると知った私は、大人になったのかもしれない。
今まで聞けなくて知らないことも、この先、わかってくることもあるのかもしれない。中には、知らなくてもよかったと思うことも、あるかもしれない。
けれど、真実とはそういうものだ。
だから私は。
これから知ることを後悔しないでいよう。お父さんのように、後悔のしない人生を目標にしよう。まっすぐ前を、上を向いて生きていこう。




