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「女神回収プログラム」短編集  作者: 呂兎来 弥欷助
第二部【前半】 再認と期待【9】~【16】くらいの設定での話

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桜色の雪④ 桜色の

「どうしたんだよ、その傷」


 そんなことを言われたのは、集団で風呂に入ったときだ。


「え?」

「背中」

 克主ナリス研究所に入って数年経っていた。

「背中?」

 心当たりがなくて、怪訝に返した。

 すると少し空気が変わって──『触れてはいけなかった』というように、言った本人も、周囲もうやむやにした。

 居心地が悪くなり、すぐに風呂場を出る。そして、姿見に背を向けた。

 鏡には──右肩から斜めに下がった大きな傷跡。剣で切られたような。


 不意に、望緑ミズカさんの口癖のような言葉が過る。


充忠ミナルは、私が守るから』


 何も考えられなくなるほど、一瞬だけ頭が真っ白になった。


 いくつもの望緑ミズカさんの言葉が重なっていく。


 保護された──望緑ミズカさんはそう話してくれた。

 あのとき、俺の実の両親のことを言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。


 俺は、両親に虐待されていたのかもしれない。

 それを、施設に発見されたのかもしれない。


 この傷跡を見る限り、瀕死の状態で。


 思えば、数字も言葉も。歩くことも。

 すべて望緑ミズカさんが教えてくれた。


 断片的にだが──思い出せる。


 俺が望緑ミズカさんに引き取られたのは、三歳だと望緑ミズカさんが言っていた。


 ずっと、実の息子だと思っていたからこそ『ただの記憶』だと思っていたものが、『おかしかった』とこのときわかった。


 俺は望緑ミズカさんに──育て直してもらったんだと。




 翌日から周囲はよそよそしくなった。


 何となく、理由はわかる。


 望緑ミズカさんは、苛めからも俺を守りたかったのだろう。――いや、俺を傷付けるすべての存在から。


「大丈夫?」

 不意にかけられたこの声は──忒畝トクセだ。

「なぁにが『大丈夫?』だ。お前に心配されるようなことなんて、何もねぇよ」

 強がってみたが、周囲には虚勢だとばれていただろう。


 無性に望緑ミズカさんに会いたくなった。

 いや、もう少しの辛抱だと堪えた。

 研究員本採用の合否発表まで、二ヶ月。


 発表が喜べるものなら、迎えに行こう。


 そう思っていた。




 そう思っていたのに、実現しなかった。




 俺は神様に嫌われるようなことを、したのだろうか。


 それとも、これは罰なのか。


 俺の夢は目前で消えた。




 合否発表まで一ヶ月。

 俺は帰る場所さえ失った。


 途方にくれ数日経ったある日、悠畝ヒサセ君主に呼ばれた。

 正直、終わった――と思った。

 学費が発生している状況下で、俺にはそれを払ってくれる人がいなくなっている。


 もし、本採用をされていたとしても、収入を得られるようになるまでは、生活もままならない。


 絶望していた俺に、悠畝ヒサセ君主は──想像とはまったく違う言葉を言った。


悠畝ヒサセ君主」

 声が詰まった。

 信じられなくて、涙が浮かんだ。


 悠畝ヒサセ君主のやさしい笑み、やさしい口調は変わらない。


「君に、その覚悟はある?」


 捨てる神あれば拾う神あり――なんて、ないと思っていた。

 いや──俺は、今までも経験してきたはずだとハッとする。


 一人目は、望緑ミズカさんだった。

 涙が余計にあふれた。


 悠畝ヒサセ君主は、前例にない奨学金制度を設けてくれると言った。しかも、これに生活費の補助まで付けてくれると。


 俺自身の研究が認められて、収入を得られる状態になるのがいつになるかわからない。

 負債額は俺自身を潰してしまうかもしれない。


 それでも、その覚悟があるかと、俺は聞かれていた。


「はい」


 悠畝ヒサセ君主が、それだけ俺の未来に投資してもいいと思ってくれと思えば、どうあっても俺はきっと頑張れる。

 そう思って、俺は頭を下げた。

「お願いします」




 必死に学び、気づけば君主代理の職に就いていた。

 忙しかった日々が過ぎ、あっという間にこの時期になったと一息つく。


 忙しくても、かかせないイベントがこの時期にはある。


 多分、俺ひとりのためなら、俺は『どーでもいい』と言うだろう。でもそれは、もうひとりの主役、忒畝トクセも同じ──だろうと笑ってしまった。


 それにも関わらず、だ。

「誕生日の祝いに、来ないだぁ?」

 馨民カミンの言葉に俺はつい、思ったままを口にしていた。


 あんの野郎。

『家族』という括りに一線を引かれ、無性に腹が立った。

 ただ、その一線は忒畝トクセらしいと言えば、実に忒畝トクセらしく──『家族』を理解できない俺には、忒畝トクセを説得できる気がしない。


 そもそも、忒畝トクセとは気が合うと意気投合したわけじゃない。

 言いたい放題言って、喧嘩したのが──俺は忒畝トクセで、忒畝トクセは俺だっただけだ。


 あれは、何のときだったのか。


 確かまだ十三か、十四か、そんなころだ。


充忠ミナルに僕の気持ちなんて、わかるはずない!」

 いつになく、忒畝トクセが感情のままに叫んだ。

「ああ、わかんねぇよ!!」

 俺は向かいにいる忒畝トクセに、持っていた本を投げつけた。

「わかんないよ! 僕には普通の人生なんて、初めからない」

「お前にだってなぁ! 俺の気持ちなんてわかんねぇんだよ。俺にはない普通を持っているお前になんて!」


 忒畝トクセが俺の何を羨ましがったかなんて、ついこの間まで知らなかった。


 俺には、忒畝トクセは幸せな奴に見えていたから。


 あのときは散々言った。遠慮もせずに。互いに言いたい放題。


 でも気が付けば──いつの間にか笑っていた。


「はは」

「あはは」


 何がおかしかったかなんて、覚えてもいない。


 たぶん、言いたい放題言えたことが、単純にお互いうれしかったのかもしれない。


「言いたい放題、言っちゃったね」

「ああ、言いたい放題、言ったな」


 背中合わせに座って、声を掛けあった。


「すっきりしたよ」

「僕も」


 それから忒畝トクセは俺に変な遠慮はしないし、俺もしない。


 ――でも、あいつは。

『今更』遠慮を俺たちにした。たぶん、それが頭にきたんだ。


「クリスマスには、アイツを意地でも来させるぞ」

 アイツをひとりになんて、してやるもんか。




 遠慮せず、忒畝トクセの意向を無視して準備を始めたころ。

 寒いと感じ、雪でも降りそうだと窓から外を眺める。


 ふと扉が開いたのか、温度の違う空気が混じった。――馨民カミンとともに、視界が動く。


「あれ?」

 悠穂ユオちゃんに引っ張っられた忒畝トクセが、間抜けな声を出す。

「『あれ?』じゃねぇよ、バーカ」

 俺は笑って、馨民カミン悠穂ユオちゃんとハイタッチを交わす。

 そんな俺たちを見てか、呆気に取られていた忒畝トクセも、次第に笑っていた。


 俺にくらい、強がるな。バカ。




 忒畝トクセが飲めない酒を、珍しく楽しそうに口に含んで寝入った。


 いい具合に俺も酒が回って、フラリと楽しかった余韻に浸る。窓から外を見て──降る雪が、望緑ミズカさんを思い出させた。


 雑音のような賑やかな声と今の日常に溶け込んだ色んな細かい音。


 窓を開ければ、息が白くなる。


 ああ──。


「お家に帰ったら、ケーキ食べようね」


 今にも聞こえそうな声は、まだ夢を見ていたような、そんな脆い現実のときで。


 散らばった記憶が、鮮明に声を上げ始める──あのころの俺の世界は、彼女だけでできていた、と。




 望緑ミズカさん、見ていてくれていますか。


 貴女のお蔭で、俺はこんな奴らに会えました。


 こんなにも楽しくて、幸せで。

 呆れるくらいに笑うことしか、できないないような毎日です。


 こんな毎日があるのは、貴女がいてくれたからです。


 これから先、貴女に怒られるようなことも、するかもしれません。

 だけど、誰かを守っていけるような。誰かにとって、貴女のような存在になりたいと俺は願っています。


 どうか、これから先も俺の心の中で生き続けてください。




 それが、俺のできる唯一の恩返しです。


 桜色の雪は、これからも何度も何度も、胸の奥で降りしきるでしょう。

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