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「女神回収プログラム」短編集  作者: 呂兎来 弥欷助
第二部【前半】 再認と期待【9】~【16】くらいの設定での話

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桜色の雪③ 高嶺の花

 あれが最後の別れになるなんて、考えもしなかった。




充忠ミナル、もう……考えは変わらないの?」

「変わらない」


 俺は何て、冷たい言葉を彼女に投げたのだろう。


「長いお休みには普通の学生みたいに、帰って来れるのよね?」

 声は震えているように聞こえた。泣いているのかもしれない──そう思って、余計に振り返れなかった。


 振り返れば、彼女の手を引っ張ってしまいそうで。


 そんなことをしても無意味だと、安易に想像ができて。


 今更、自分の決断を翻してしまいそうで。


 何も手にしてないまま、彼女を失う覚悟さえできていないまま──好きだと、言ってしまいそうだった。


 帰ってはこないと言いたかった。

 迎えに来ると、言いたかった。


 何も言わずに背を向けたまま、俺は家を出ていった。

 当時は八歳。

 ちいさくまとめた荷物だけを握り締めて、家を出た。


 家を出てから、すぐに涙は落ちた。

 泣きながら歩き、俺は──彼女に決意を初めて示したときのことを思い出していた。


「これ、見ておいて」

 俺が彼女を母と呼ばなくなって、数週間が過ぎたころだ。一通の封筒を彼女の前に出した。

 彼女は顔を覆う程の大きさの封筒をおもむろに受け取った。そして、その中の書面を取り出し、視線を落とす。

 書面を読み進めるにつれて、彼女の表情は無に変わっていった。


克主ナリス研究所……」

 ポツリと呟く。


 世界中の研究者が憧れを抱く場所。一般的な基礎学習しかしてこなかった者が、到底入れるような場所ではないと、彼女は悟ったのだろう。

 いや、彼女がその場所に含めた想いは──違ったのかもしれない。そう感じるくらい、彼女の言葉には絶望感が漂っていた。


 ふと彼女が顔を上げて、俺を瞳に映す。

「無理よ、充忠ミナルは今年、七歳になったじゃない。これには『これから七歳になる』人が対象だって書いてあるわ」

 彼女の声は、やさしかった。

 幼い俺を諭したかったのかもしれない。


 だけど、その言葉は確実に俺の心を抉った。

 瞳に浮かぶ涙も。


 俺は酷い罪悪感を覚えながら、決意が揺るがないようにと必死だったように思う。


「そんなの、どうにでもなるかも知れない。受けてみないと、無理だったなんて思いたくない」

 抉られた傷を言葉に変えて、彼女を突き刺した。彼女の痛みは、どれ程だっただろうか。

 彼女の顔は、見られなかった。


 当時、彼女は高嶺の花だと俺に言いたかったのだろうと思っていた。諦めさせたかったのだろうと。


 克主ナリス研究所は、世界で唯一の研究所だ。研究者なら、誰もが憧れる。

 いや、そうでなくとも、憧れる者は多いだろう。

 克主ナリス研究所に入れれば、生活が一生困らないと保障されるようなもの。それだけ、制度が整っている。

 入りたいと願う者は多く、入っていいと承諾されれば拒む者はいない。本人も、家族も。

 だから、俺はここしかないと飛びついた。選択肢が他にないと。

 それなのに、彼女は。

「でも……充忠ミナルは、合格してしまったら克主研究所アッチに行ってしまうんでしょう? ここにも……研究員になるまでの間も居住が条件だって、書いてあるわ」

 途中で、彼女の声が下を向いて発せられていた。


 彼女が俺に向けてくれていた愛情は深いものだ。養子の俺を、実子のように深く愛してくれていた。

 幼い子どもと離れて暮らすのを、望む親はそうそういない。

 

 あのとき彼女は、俺が単身で克主ナリス研究所に行くことを拒んでいた。多分、俺が彼女と離れるのを望んでいるように感じていたから。

 自分と離れたいのかと思っているだろう彼女に、俺は、

「そうだよ」

 と、不安を肯定した。


 研究員になれば、克主ナリス研究所に永住居住権が与えられる。そうなれば、家族の居住権も得られる。

 だから、どうしても合格して研究員になろうと思っていた。


 だけど実際は。

 そんな自信なんて微塵もなくて。

 言えなかった。到底。


 それまで待っていてほしいだなんて。


 彼女はこの日、初めて俺の前で号泣した。




 恨んだだろう。

 憎かっただろう。

 俺を彼女から奪った、俺の向かおうとする場所が。


 辛かっただろう。

 悲しかっただろう。

 何度、俺が握るペンを奪いたかっただろう。本を破って、燃やしてしまいたかっただろう。


「買わない」と言って、教材を拒むこともできたのに。

「お金がなくて買えない」と言えば、いつでも俺の道を閉ざせたのに。


 彼女はそれをしなかった。


 生活が苦しいのは、子ども目から見ても明らかで。

 それなのに、彼女は無理をしてでも俺が必要だと言う物を与えてくれた。

 必至に勉強する俺を、見守っていてくれた。




 八歳の誕生日の前、合格通知が届いた。

 彼女はおめでとうと言って、微笑みながら泣いた。俺を抱き締めて。悲しそうに。


 最後に彼女と過ごした八回目の誕生日、俺は驚いた。

 なくて当然と思っていた大きなケーキは、毎年と変わらずに用意されていて。それだけではなく、見たこともないご馳走も並んでいて。


 こんなお金がどこにあったというのか。


 そう思った言葉の数々が、俺の表情に表れていたんだと思う。


「あれ? もっと……喜んでくれると思ったのに」

 彼女はポツリと言い、困ったように笑った。


 このとき──そういえば、もうずっと彼女の笑顔を見ていないと思った。

 彼女が俺に養子だと告白した二年前には、当たり前にあった──彼女の幸せそうな笑顔を久しぶりに見た気がした。


 彼女から笑顔を失わせたのは、俺だ。


 彼女は少しやつれているように見えた。


 彼女は仕事をずい分と増やしていた。


 勉強に夢中で、朝も夜も時間を問わずに没頭していた俺は、そんなことにも──気付けていなかった。




 俺は『俺のせいだ』と言いたいけれど、彼女の言葉で言えば『俺の為』。


 彼女は、そう言って幸せそうに笑うに違いない。


 悔しいけど、彼女のその想いを俺は拒絶できない。


 悔しすぎる。

 今更、気付いてしまったことも。


 どこまでいっても、彼女は俺の母親だったんだ。


 きっと、あの日のご馳走は、俺が恥をかかなくて済むようにだった。

 克主ナリス研究所に行ってから、物珍しい目で見ないで済むようにだったんだ。


 そんな親心も、俺は知らなかった。




 どうしてやつれる程に無理をするのか。

 それが俺のせいなら、俺を手離せば済むだけだと言ってやりたくて。


 もう、そんな無理をしなくて済むとも言ってやりたくて。




 どこからすれ違ってしまったのか。


 何が悪かったのか。


 そんなことすらわからずに。




 ただ俺には、前に進み続ける道しかなかった。

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