マイナス5℃のビター
【23】恋人(2) より前の話から、【23】恋人(2)のラストに繋がる話です。
倭穏の一人称。
ネタバレというより、本編の内容を深く知れるという話になっていると思います。
いつか書こうと思ってメモしていた話をこの機会に書きました。
【ジャンル】恋愛
【タグ】片想い 両想い 火遊び チョコ R15
例えるなら、彼はマイナス5℃のビターチョコだ。
とろけるようなキスは濃厚で、でも甘くない。
彼に抱かれると冷たく、ほろ苦い味がする。
ほころぶように溶けていく彼は消えてしまいそう。甘いはずの吐息は苦しそうで、その瞳はガラスのようで。愛していると囁かれても、ちっとも耳に入ってこない。
だから、私が抱く。
焦げつくまで駆られた熱い想いをまぶすように注ぐ。焼かれた痛みを叫ぶような彼の声を聞いて、想いは満たされていく。
ひんやりした彼と、燃え盛る私が混じると、焦げた臭いがする。
こんな男、他にはいない。
私は悪い癖がある。
たまに甘いだけの香りに包まれたくなる。そういうときは、そういう男に抱かれる。
「買い物? 私、行ってくる」
こうやって適当な口実を得て、堂々と仕事をさぼる。
「あんま遅くなるなよ、倭穏」
彼の見透かすような厳しい声に『はーい』と良い子の返事をして、私は悪事をしに外へと出る。
ベッドで寝るのは、彼だけと決めている。
火遊びはアブナイ方がイイ。
人目につかないせまいところに挟まって、欲だけを流していく。
たまらなく甘く、一気に溶ける。これでいい。十分、二十分で流してしまえるくらいがちょうどいい。
腰を押さえるこの男は、それだけの男だ。
「倭穏ちゃん、今度は……ランチでも、行こう」
懸命に腰を振り、つまらないことを言う。
あーあ。
こんなときは、ただ甘い言葉だけを吐いていればいいのに。
「そ……うね」
お手軽で都合がよかったのに、残念。この男はそろそろ潮時だ。
この男に、私の心を触れさせる気はない。
満足しそうだったのに急に冷めてしまって、うわべだけの褒め言葉を並べて『また今度』と嘘をつく。
次に会っても、二度と目を合わせなければいい。
恨まれて囲まれて、回されても、好きにさせればいいだけだ。
『こんな女』と、かんたんに諦めてくれるだろう。
仕事に戻る前に、きちんと口実をこなしてから戻る。
ここは、早足で。一応、悪いことをしている自覚はあるから。私なりの、せめてもの誠意。
「遅かったじゃん」
家に戻るなり、目についた彼に声をかけられる。私は、しらばっくれて手にしていた物をカウンターに置く。
「そう?」
こういうとき決まって彼はカウンターにいる。そうして、いつも機嫌が少し悪い。
きっと、彼は私が何をして来たかを知っている。
こういう日の夜は、必ず私を独占する。甘い言葉も、責める言葉も言わないで。ただまっすぐに、私を見つめて体中に唇を落とす。
こんな男、惚れない女なんていない。
彼とは、ずっと一緒にいられるなんて思ってなかった。
いつかはいなくなると思ってた。
なのに、なんで──私は彼を追ってしまったのだろう。
どうして、呼び止めてしまったんだろう。
──どうして、そんなことに、今まで気づかなかったのか。
後悔したときには、もう遅くて。
ずっと私は、彼に捨てられるのが怖かったんだと知った。
「あたし、船降りたらすぐ帰ってもいいよ」
強がるしかできない。
「だって、連れてきたくなかったんでしょ」
思い出に残れるような、かわいい一言さえも言えない。
それなのに、
「余計な心配をするからな、お前は」
こんな大人なことを言うなんて、狡すぎる。期待をしてしまうじゃない。
縁のないと思っていた土地に着いて、近づくこともないと思っていた場所に辿り着いて。
最悪だった。
こんなこと、非現実的すぎる。
『貴男を一生の思い出にする』と宣言したのに、彼はまったく気づいていないようだった。
呼吸がしにくいくらいのストレスに潰されそうに私はなったのに、彼はいつもの調子で冗談ばかり言う。
けれど──。
「俺の恋人」
私のことをそう言う姿は、とても誠実に思えた。




