第195話
蓮くんはエースナンバーの『#10』を背負い、鷲尾くんはボランチの代名詞たる『#6』を揺らし、共にスタメンを飾っている。
湿り気を帯びた6月の風が、陽光の注ぐピッチを吹き抜けていく。
カナリアイエローの東帝、紫の星越。両チームとも伝統のホームカラーのユニフォームを着用し、東京予選の大一番に臨む。
僕がこうして、友人たちが激突する試合を観戦する日がくるなんて……結末を見たいけど見たくない、そんな初めての感情で胸を焦がしながらボールの軌跡を必死に目で追う。
最初にペースを握ったのは、左にエンドを取る東帝。
キックオフ直後の混乱から上手くボールを保持し、短いパスを駆使してテンポよく攻撃を組み立てていく。その中心にいるのはやはりこの男、エースの黒瀬蓮だ。
彼は中盤で星越ディフェンスラインのギャップにポジショニングし、見事に味方のプレッシャーを軽減している。さらにボールを持てば、シンプルに捌いてチームにリズムと推進力をもたらす。
ファーストシュートは、前半12分。
蓮くんを経由したショートパスの組み立てからFWが抜け出し、流し込むように右足を合わせた。が、ボールは惜しくもゴールポストを僅かに逸れる。
得点にこそ至らなかったものの、非常に連動性の高い攻撃だった。チームで共有する崩しの形なのだろう。東帝の応援団も俄然勢いづいている。
「なんなのアイツ! 東帝の10番が何人もいるみたいじゃない!」
美月のお隣で一緒に観戦していた片桐彩花さんが、ハンカチを握りしめながら『うがーっ!』と吠える。
現状をとても的確に捉えたヤジだ。蓮くんは中盤から前線のあらゆる局面でボールに絡み、東帝のゲームメイクを担っている。2年生ながらすっかりチームの中心だ。
星越も当然ながら徹底マークの構えを見せていたが、今のところ捕まえきれていない。
「足元の上手さも相当だけど、オフザボールの動きが秀逸ね。私としては、そっちの方が怖く見えるかな」
今度は美月が、ピッチへ視線を向けたまま呟く。
僕も同感で、深々と頷く。
黒瀬蓮といえばテクニックに注目が集まりガチだ。というか、ネットの記事などでは『パス、キック、トラップ』の三つばかりが取り上げられている。とりわけパスの技術については大絶賛である。
しかしプレーを目の当たりにし、改めて実感させられた。
蓮くんのスペースへの理解度は異次元だ。見つけ方、意識の仕方、使い方。これがとんでもなく上手いから、あれだけ警戒されていてもボールを持てるのだ。しかも酷く簡単にプレーしているようにさえ見える。
そのうえ極めて優れたテクニックまで併せ持つのだから、年代別の日本代表に招集されるのも頷ける。同年代では屈指の完成度に違いない。
続く試合展開を眺めながら、僕は心の中でしみじみと呟く。
わかってはいたけれど、羨ましい……アレこそまさしく『稀代のゲームメイカー』の姿だ。
僕は、ドリブルを駆使する今の自分のプレースタイルに誇りを持っている。なにせうちの両親が育み、美月が呼び覚ましてくれたものだ。限界が来るその瞬間まで貫き通すと決めている。
それでも、憧れは尽きない。
華麗なパスで観客を沸かせ、卓越した技術と類まれなる創造性でチャンスを生み出す選手。これこそが、古今より続くサッカーにおける花形。
すべての動きが魔法のように魅力的で、ボールに関与した時間に比例して試合への影響力を深めていく。その背で揺れるエースナンバーから立ち昇る迫力は、もはやオーラと呼べる域にすら達している。
あんな選手を見て、人はこう称賛の声を上げる――天才だ、と。
いずれJリーグの舞台で活躍し、海外へ……そんなイメージが自然と湧き上がる。どうして高校サッカーのピッチでプレーしているのか、今さらながら不思議になってくる。
だが、鷲尾くんだって負けていない。
本当に勤勉で、とにかく気が利く。中盤の底に位置しながらも豊富な運動量でピッチ全体を駆け回り、味方のピンチには必ず顔を出す。必要とあらば泥臭く体を投げ出すことも厭わない。
何より魅力的なのは、敵のチャンスの芽を摘む能力に長けている点だ。常に冷静かつ適切にポジショニングを調整し、危険なスペースを埋めている。展開の予測も抜群だ。トランジションと同時に、味方の連携を自然と引き出す役割までも担っている。
そのうえボックストゥボックスでハードワークを繰り返し、自らは汗をかいて仲間へ水を運ぶ。星越にとって、彼は欠かすことのできない心臓のようなものだ。これほど頼もしい存在は他にいないだろう。
たとえ天才とは呼ばれなくとも、秀才の極致へやがて至るのではと期待せずにいられない。
「鷲尾……頑張って、鷲尾……」
胸の前で両手を組み、鷲尾くんの勝利を祈る片桐さん。
痛々しいまでに切実だ……僕の試合中、美月もこんな感じなのかな。だとしたら、今よりもっともっと強くならなくちゃ。
そして、訪れた前半28分。
片桐さんの祈りが通じたのか、待望の先制点が生まれる。
抜群の読みからインターセプトに成功した鷲尾くんを起点に、星越のカウンターが発動。フィニッシュはFWの選手が滑り込んで合わせ、泥臭くゴールを決めた。
「やった、やったぁ! 勝って、頑張って鷲尾!」
星越陣営の大歓声を背景に、飛び跳ねながら祝福を送る片桐さん。
その声に応えるように鷲尾くんは躍動を続け、星越は貴重なリードを保ったままハーフタイムを迎える。
夏のインターハイ出場を賭けた準決勝に相応しい激闘だ……目の前のピッチには、等身大の情熱が渦巻いている。
気迫だけで言えば、プロの試合にだって引けを取らない。見せ場こそ少ないが、それは逆に両チームのインテンシティが高いことの証明でもある。
知らぬ間に握りしめていた僕の手のひらは、じっとりと汗をかいていた。
「兎和くん。熱くなるのはわかるけど、そろそろお弁当を食べないと。自分も試合を控えているのを忘れずにね」
張り詰めた空気を解きほぐすみたいに、美月がウェットティッシュを差し出してくれる。
両陣営のざわめきが漂う中、僕は軽食を平らげるべく口を動かす。涼香さんと妹の兎唯が揃って味見をしたがったので、少しだけ分けてあげた。
その反対では、試合展開が気になるらしい片桐さんに対し、美月があれこれ説明してあげていた。皮肉が飛び交っていたものの、一周回ってやっぱり仲良しだろこれ。今度は口に出さなかったけど。
カーム社が特別に調整してくれたスポーツドリンクで喉を潤したところで、再び主審のホイッスルが響き渡る――運命の後半戦がキックオフ。
このままリードを守りきる、もしくは追加点をあげて突き放せば秀才の勝利となる。しかし天才は、やはり黙ってやられるほどヤワではなかった。
まずは同点に追いつくべく、東帝はハイラインを保ちつつ攻勢を強める。対する星越は自然と受ける形に回り、守備ブロックを固めつつカウンターを狙う。
迎えた後半6分。
均衡を崩したのは、もちろん蓮くんである。
まずは絶妙なポジショニングで楔の縦パスを引き出し、吸い付くようなトラップからコマのように鋭く反転。これで背後のマークをあっさり無力化する。そこから、まるでゴールまでを逆算したかのような道筋を辿る。
蓮くんは、続けざまに近距離の味方とのワンツーを敢行。同時にピッチ中央の密集地帯を駆け上がりつつ、すかさず食らいつく星越ディフェンス陣に対して視線と上半身の向きで軽くフェイントを仕掛けた。
こうして生まれた僅かな間を利用し、リターンボールを受ける。そのまま小刻みなタッチのドリブルへ移行――するや否や、逆サイドから走り込む味方へノールックでのスルーパスを送る。
このとき、彼はもう次の景色を思い描いていたに違いない。
事実、足を止めずスルスルっと。
エースナンバーを翻しながら相手守備ブロックの隙間を掻い潜り、今度は敵陣バイタルの奥へと侵入していく。こんなのスペースを生み出す魔法だ。
さらに一段深い位置へ到達したところで、再びリターンを足元に収めた。
こうして、ペナルティボックス内での『1対1』へ突入。
対峙する星越のGKはよく辛抱してから飛び出し、全身を使ってコースを切る。
素晴らしい対応だ、とつい唸りかけた――だが、次の瞬間。圧巻の超絶技巧が飛び出し、僕どころか会場丸ごと黙り込む。
誰もが強烈な一撃をイメージしたその刹那、蓮くんは右足インサイドでボールの斜め上を鋭くカットするように叩く。
地面との反発を利用したバウンドシュート――ふわりと浮いたボールは美しい弧を描き、体を投げ出した星越GKの指先を通り過ぎる。間髪入れず、初夏の薫風のように柔らかくゴールネットを揺らした。
ハンパねえ……中盤で攻撃のタクトを振るだけではない。隙あらば自ら最前線へ飛び込み、驚愕の冷静さでフィニッシュまで完結させてしまう。しかも超絶技巧を披露して。
東帝応援団の大歓声がスタンドを揺らす中、僕は唖然としながらも本日何度目かの感嘆を漏らす。
「天才、黒瀬蓮……」
「流石にやるわね。年代別の日本代表に選出されるだけのことはある。でも、うちの兎和くんの方がもっと凄いんだから。ポテンシャルなら完全にこっちの勝ちね」
正直、あのプレーを目の当たりにしたばかりの今は自信がない。自分が、蓮くんに比肩し得る才能を秘めているなんて……だが、僕を信じる美月なら無条件で信じられる。
思わず顔を見合わせ、揃って小さく微笑みを交わす――けれどその視界の端では、片桐さんがやり場のない憤りを爆発させていた。
「なんなのアイツ! チームメイトを駒みたいに利用して、一人で点を取っちゃうなんて……ずるいっ!」
ずるいというか、東帝は完全に蓮くんのチームなのだ。誰もがボールを持つと、まず彼を探している。アレこそ真のエースの引力。周りに助けられてばかりの僕とはスタイルが大きく違う。
それ以降は、まさに『天才・黒瀬蓮』の独壇場だった。先ほどの同点弾で完全に火がついたのだろう。
電光掲示板に灯る数字は、時間経過とともに2点、3点と変化していく――やがてタイムアップのホイッスルの音が、梅雨の晴れ間へ吸い込まれていった。
最終スコア、『東帝3―1星越』。
蓮くんは、1得点1アシスト。攻撃のタクトを振り続け、数字以上のパフォーマンスを見せつけた。
喜びを爆発させる東帝イレブンとは対照的に、ガックリとピッチへ崩れ落ちる星越イレブン。その中でただひとり、汗にまみれて空を仰ぐ鷲尾くんの姿がいやに眩しく映った。
選手たちが整列し、試合が終わる。
星越サッカー部の夏は、本番の幕が開く前に終わりを告げた。
「なんで、なんで……あんなに頑張ったのに、あんなに練習したのに……っ」
片桐さんの瞳から、透明な雫がポロポロとこぼれ落ちる。
鷲尾くんは本当に頑張っていた。点差をつけられても決して諦めず、最後まで足を止めることはなかった。
しかしそれは、相手だって同じ。
蓮くんも遠目からわかるほど汗だくで、まだ肩を大きく上下させている。
間違いなく、どちらのプレーも勝利に値した。だからこそ、結果だけが無情なまでに浮き上がる。サッカーとはなんて残酷で、なんて美しいスポーツなのだろう。
最後まで勝利を目指して抗い続けた鷲尾くんに、心からの激励を。
最後まで気を緩めず敗北の芽を摘み続けた蓮くんに、最大限の祝福を。
僕は精一杯の拍手をピッチへ送りながら、再び片桐さんに目を向けた。
意気消沈といった様子で、ハンカチを濡らし続けている……同時に、自分の薄情さを自覚する。
本当なら優しく声をかけるべき場面なのだろう。だが、この頭を占めるのは大好きな人のことばかり――もし僕が大事な試合で負けたら、こんな風に美月を悲しませてしまうのだろうか。
「……美月。僕は、絶対に勝つから」
「いつだって信じている。怪我だけはしないように頑張ってね、兎和くん」
美月の返事を聞きながら席を立ち、涼香さんや妹にも挨拶をしてスタンドを後にする。そろそろ栄成サッカー部のバスが到着する時間だ。
移動する間も、片桐さんの泣き顔が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
自分は勝負の世界に身をおいているのだ、と改めて強く実感させられた。
美月には、あんな思いをさせられない。絶対にさせたくない――勝つ。この先、大事な試合は全部勝ってやる!
気を引き締め直したのが効いたのかもしれない。
その日の午後の試合、僕は2得点を記録した。
激突した名門校にギリギリまで追いすがられたものの、最終スコア『3―2』で準決勝に勝利。タイムアップのホイッスルを耳にした瞬間、栄成サッカー部は創部史上2度目となる夏のインターハイ出場を決めるのだった。
そして、翌日の日曜。
休息の間もなく、東京2次トーナメント決勝が開催される。
対戦カードは、当然ながら『栄成VS東帝』。もはや宿命めいた流れを感じざるを得ない――今度は僕と蓮くんが、優勝カップをかけてピッチでぶつかり合う番だ。
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