第182話
「おー、兎和。なにかあったん?」
「あ、慎。いや、なんか用事みたいで……」
皆でランチできるよう机を移動しつつ事態の成り行きを伺っていると、こちらへやって来た慎と三浦(千紗)さんが声をかけてくる。揃ってお弁当片手に興味深げだ。
昼休みを迎えて賑わう2年A組の教室。そこへ突如現れた小俣颯太くん。背後には、交流のない他クラスの男子を数人連れている。
僕だって気にならないわけがなく。果たして、その目的は……などと推測しようとして、ふと気づく。
正直、小俣くんの印象ってめちゃくちゃ薄い。同じサッカー部で白石(鷹昌)くん派閥の中心メンバーってことは知っているけれど、直接話をしたのは数えるほどしかない。
すっかり五厘刈りがトレードマークとなった酒井くんや、何かと騒がしい馬場航平くんの方がまだ目立つ。
それはさておき、声をかけられた美月はといえば、ツンとおすましモード。こうなるとたちまち冷たい雰囲気を纏うから、仲が良くなければかなり接しづらいはず。
実際、小俣くんたちは揃って若干気後れした様子。
「兎和くん。ちょっとこっちに来て」
「え、僕……?」
相手が本題を切り出せずまごまごしている隙を突いて、なぜか美月がちょいちょいと手招きしてくる。
首を傾げつつそばによると、ぐいっと腕を引かれて彼女の正面に立たされた。結果、なぜか僕と小俣くんたちが対峙する形に。
「……おい、ゲロ兎和。邪魔する気か」
「あ、あの、本人の希望みたいだから……」
思いっきり顔をしかめ、睨みつけてくる小俣くん。連れの男子生徒たちもワーワーと騒いで不満をあらわにしている。
少し冷静にお願いしたい……この形での対話を望んだのは、当の美月なのだ。もとより彼女の隣に立とうとは思っていたけど、僕に文句を言われても困る。
「兎和くん、兎和くん。私に何の用があるか聞いて」
僕が対応に苦慮していると、美月に背中をちょんちょんとつつかれた。続いて、用件を聞くよう耳打ちされる。ゾクゾクして変な扉を開いてしまいそうだ……。
その様子を見ていたせいか、一層ヒートアップする小俣くんたち。ここにきて、クラスメイトたちの注目度もマシマシである。
「テメエ、そこをどかねーつもりかよ……調子のってんじゃねえぞ」
「あ、あの、落ち着いて……えっと、『私に何か用ですか』って言ってるみたいで……」
とにかく話を進めねば、と僕はそのまま美月の言葉を伝えた。すぐ後ろで慎が、「謎の伝言ゲーム始まったぞ!」と大爆笑している……どうにか曇らせたい、あの笑顔。
「ほら、兎和くん。話を進めて」
「あ、うん……本人が、このまま話を進めるよう言ってます……」
「はあ!? マジでこのままかよ。うざってえヤツ……体育祭に関して神園に話があったんだよ。今年は、タオルもらえるチャンスないのかって」
再び僕は、耳打ちされた美月の言葉を伝えた。すると流石に埒が明かないと判断したのか、小俣くんは渋々ながらもその目的を口にする。
去年の体育祭で勃発した美月のタオルを巡るイザコザは、記憶に色濃く焼き付いている。そして彼らは、今年も同様のイベントがあるのではないかと確認にやって来たようだ。
もちろん、あるわけがない。去年のアレは、もうほとんど事故みたいなものだった。松村くんに絡まれ、騒ぎに乗じて白石くんが乱入してきたのだ。そういえば、まだボウズの約束が果たされてないな。
「そうそう! 今年はみんなタオルをプレゼントしてるけど、美月は兎和にあげないのー?」
ここでもう一人、ハイテンションで話に加わってくる女子がいた……少し離れた場所で、楽しげにこちらの様子をうかがっていた木幡咲希さんである。何かと口走りガチな彼女は、さっそく余計な茶々を入れてきた。
体育祭が間近に迫る栄成高校では、生徒同士でタオルを贈り合う光景があちこちで見られる。
きっかけは去年の美月と僕――あのときもらったタオルのエピソードが広まって、親しい友人や異性にプレゼントするという習慣が爆誕した。
この前、慎から聞いた話だ。
このまま定着して新たな伝統になるのでは、とも言っていた。
要するに、小俣くんたちもこの騒ぎに触発されたのである。そのうち美月に突撃してくる男子が出てくると予想していたが、まさか彼が一番乗りだとはちょっと驚きだ。
「べ、別にどうしても神園のタオルが欲しいわけじゃねーんだけど……それにハッキリ言うが、俺だってサッカーの実力じゃ負けてない。身体能力もな。個人マネージャーだっけ? 今回の体育祭でも証明するから、こっちもサポートしてくれよ」
僕はあんまりピンとこなかった。先ほどもちらっと頭に浮かんだけど、小俣くんに対する印象はほとんどない。部活では『裏抜けが得意なFW』ってくらいか。
そのせいか、挑発されてもぜんぜん心が揺れない。
だが、間違いなく偶然だろうけど……もし僕の背後にいる超絶美少女を狙ったのであれば、効果はバツグンだ。
「ふふ、面白い冗談ね……サッカーの実力が上? ありえない。身体能力? もっとありえない。ほら、兎和くん。力強い感じでお願いね」
「あ、うん。えー……サッカーは僕の方が上手いし、フィジカルだって絶対にこっちが上だ!」
「あァ!? クソ陰キャがッ、大口たたきやがって! いい加減、調子に乗りすぎだ!」
あれ、なんか僕が言い返したみたいになってないか?
背中をツンツンしてくる美月の指示に従っただけなのに……小俣くんたちはブチギレ、「じゃない方ごときが!」だの「モブ野郎が!」だの好き放題に暴言を吐きまくっている。
「ゲロ兎和、テメエは確かリレーに出るって話だよな……なら、体育祭で勝負だ! 神園のタオルは俺がもらうからな!」
「やれるものならやってみなさい! さあ、兎和くん。ファイティングポーズで、ガツンとお願いね」
「あ、はい……絶対に負けないぞ、かかってこい!」
僕がファイティングポーズを取って宣言すれば、小俣くんたちは『ぶっ潰す!』と息巻いて帰っていく。
なんか勝負が成立した感じになってしまった……振り返り、火に油を注いた美月へジト目を向ける。
「つい言い返したくなっちゃって。でも、大丈夫でしょ? どうせ私たちの『青団』が勝つんだし。それに私、タオルをあげるとは言ってないもの。ね?」
あざとくウインクしながら言われてしまえば、僕はもう頷くことしかできない。これが惚れた弱みってやつだろうか。
さらに慎や三浦さん、加えて木幡さんまで意気込みつつ『目指すは総合優勝!』などと大盛りあがり。クラスの皆も楽しそうだ。
まあ、年に数回しかないお祭りだもんな。ちょとくらいハメを外すか――なんて決意したのもつかの間。
その日の部活では、さらに驚くような事態が僕を待っていた。
「全員集まったか? 誰かいないやつがいたら後で教えてくれ。では、話を始める」
本日はトレーニング開始前に招集がかかり、僕を含む全メンバーが部室棟の前で半円状に整列していた。列の端には、正式にサッカー部へ加わった1年生の女子マネージャーさんたちの姿もある。
その正面に立つのは、もちろん指導陣。そして全体を率いる豊原監督から、なにやら重要な発表があるそうで。
「少し先の話になるが、来たる7月7日。東京都サッカー協会とJ1クラブである『東京FC』の合同イベントが開催される。題して、ワンデイサマーキックオフ!」
ワンデイサマーキックオフ――東京都高校選抜U18×東京FCスペシャルマッチ、大開催。
参加できるのは、東京都サッカー協会が選抜した都内の高校サッカー部に在籍する生徒のみ。大会実績のある高校が対象となり、総勢22名が招待されるという。
午前中の合同トレーニングを経て、午後にトレーニングマッチを行う。昼食は、なんとクラブハウスの食堂を利用できるそうだ。
このイベントのプロモーターは、スポンサー契約を結んだばかりの美月の家の会社。代表である神園秀光さん(美月のお祖父さん)は栄成サッカー部の大恩人であるため、豊原監督の称賛が止まらない。
そんな中、僕は鳥肌が立つほどの衝撃を受けていた。
美月が前に言っていた『面白いお知らせ』って、このイベントのことか……とんでもないサプライズだ。
東京エリアは高校サッカー激戦区として知られている。そもそもの絶対数も多い。定員の上限を考えれば、各校から選ばれるのは一人か二人といったところか。
幸いにも栄成は対象校となっているようだが、果たして……たちまち高まる緊張感。しばらくして、大恩人さまを褒め称えるのに満足した豊原監督がようやく話を先に進めた。
「大変ありがたいことに、歴史が浅い我が部にもお声がけをいただいた。選ばれたのは……たった一人。だが、我が部の誇りである。皆も思うところはあるだろうが、素直に祝福してやってくれ」
『はいっ!』
豊原監督の呼びかけに、自然と声を揃えて返事する栄成サッカー部のメンバーたち。
それから、ドクンドクンと。強まり続けていた心臓の鼓動がピークへ達したそのとき、ついに選出者の名が告げられた。
「では、発表する。選ばれたのは、白石――」
その刹那、視界の端に映り込む白石(鷹昌)くんがぐっと顔を強張らせる。
しかし一拍置いて、周囲の空気ごと表情を凍りつかせた。
「――白石兎和。当日のスケジュールや持参物などは改めて通達する。無理せず怪我なく、部に戻ってくることを願っている」
『うおぉぉおおおおぉぉぉおおおおお――!』
瞬時に大歓声が広がり、自然と拍手が巻き起こる。左右に立つ玲音と拓海くんに軽く背中を叩かれ、僕はぐっと胸を張った。
しかし直後、場が静まり返る。
この祝福ムードに異を唱える者がいたのだ……というよりは、もはや懇願に近い希望を口にした。それが誰かといえば、やはり白石くんである。
「それは、白石鷹昌の間違いじゃないですか……俺じゃあダメなんですか? 東京FCユースの出身なんです。今回だけはどうしても参加したいんです……絶対に収穫を得て帰ってきます。チームにしっかり還元だってします。だから、どうかお願いします……」
「鷹昌……悪いが、変更は認められない。これは、主催スポンサーやサッカー協会の意向なんだ。それに、悔しい思いをしているのはお前だけじゃない。選ばれなかった全員が我慢している」
「そんな……食事制限とかして、俺は頑張ってるのに。最近は良くなってきているって……」
「その努力を、兎和や他の皆は継続しているんだ。とにかく、この話は以上。監督、そろそろ始めましょう」
最後に永瀬コーチが話を引き取り、当然とも言える答えを返す。
望みを断たれた白石くんは、ガックリと膝をつく。次いで、生気のない視線を僕へ向けてきた……視線は逸らさない。怒鳴られるよりもよっぽど怖かったが、僕だって譲れない。
その日の部活は、何とも言えない微妙な空気の中で開始された――小俣くんに続き、白石くんとの因縁がまたしてもこんがらがるような気配を感じつつ、僕は外部ピッチで汗を流すのだった。
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