第178話
「ああ、ジョハリの窓ね。それでまた意味不明なことを……ああいう心理学って、一定のコミュニケーション能力を備えている前提で成り立っているの。だから、兎和くんにはまだ早いわね」
「おいおい、美月。それじゃあまるで、僕がコミュ力激低みたいに聞こえるじゃないか」
あっという間に午前の授業が終わり、昼休みが訪れる。
僕と美月、加えて友人の須藤慎とその恋人の三浦千紗さんは、賑わう2年A組の窓際の最後尾でいつものようにランチタイムを楽しんでいた……はずが、痛烈にディスられた。
弁当箱のフタを開けてほどなく飛び出してきた話題は、僕が今朝に披露した最きゅんトーク術。
妹の兎唯から伝授された例のなんとかの窓ってやつを、さっそく美月に試してみたら……なんかすげー怒られた。どうやら、言葉の選択が少し悪かったみたい。
「でも、急になんでそんなことを?」
「え、えっと……なんか雑誌で見て、人気者になりたくて……」
「本当にそれだけ?」
「ほ、ホントにそれだけ……」
続けて美月から追求を受けるも、僕はどうにかごまかす。
口が裂けても、『キミの関心を引きたいから』なんて言えない。それに、いつだって人気者になりたいとは思っているから嘘をついているわけでもない。
というか、兎唯がアドバイザーであることを知らないらしい。僕に気を使って、敬愛するお姉さまにも秘密にしているのだろう。できた妹だ。
「まあ、兎和はアホだからなあ。コミュ力以前の問題だろ」
「アホさ加減なら慎だって相当だよ。流石の僕も負けるかも」
僕と対面に座る慎はニコリと笑顔を浮かべ、机の下で互いの足をゲシゲシ蹴り合う。
こなくそ、誰がアホだ。この前の小テスト、僕の方が2点も高かったんだぞ。もっとも、揃ってうちのクラスの平均以下ではあったが。
「ていうか、普通に人のいいところを褒めるのじゃダメなの?」
「そうね。男女問わず、ストレートに褒められるだけでも人は嬉しいものよ」
三浦さんと美月が言うには、素直に褒められるだけでも十分らしい。
もちろん僕も同意だ。が、個人的な狙いは別にあったわけで……まあ、褒めるのはいいことだよな。なんとかの窓は抜きにして、これからも積極的に実践していこう。
「そうそう、慎もだよ。いつも催促しないと褒めてくれないんだから」
「なに言ってんだよ。いつも千紗のこと、カワイイって褒めてるだろ?」
目の前でいちゃつきやがって……この二人は本当に仲が良い。進級して同じクラスになってからは、トイレ以外はいつも一緒にいる印象だ。席も隣だし、毎日が楽しくて仕方がないって感じである。
僕の思い描く、夢の青春スクールライフそのもの。
そう考えると羨ましくてイラッときたので、慎の足をまた軽く蹴っ飛ばしておいた。
「そうだ、兎和くんもやってみてよ。今度は普通に、私のいいところを褒めてみて」
「オーケー、任せてよ。三浦さんって、体格は小さいけど態度は大きいっていうか……」
「ケンカ売ってる? ぶっ飛ばすよ」
待って、まだ続きがあったんだよ……慎は爆笑しているし、美月も呆れ顔だ。
やっぱり日本語は難しい。だが、僕が昔から人を怒らせやすい理由がなんとなくわかった気がする。これ、きっと語順が悪いんだろう。
「三浦さんは、態度は大きいけど体格は小さくて……」
「まだ言うか。グーパンすんぞ」
頭の中で整理していたら、うっかり呟きが漏れていた。
これ以上はガチでぶん殴られかねないので、大人しく弁当を食べ進めよう……そんな僕を見かねたのか、美月がため息まじりにフォローしてくれる。
「まったくもう……ごめんね、千紗ちゃん。兎和くんは素直すぎるだけで、悪気はないのよ」
「わかってるよ、美月ちゃん。兎和くんの奇行は、今に始まったことじゃないしね」
笑顔を浮かべ、わかり合う女子二人。ぜんぜんフォローされている気がしない……けれど、なんか許されたっぽいのでヨシ。
「兎和ってマジでアホだよな。これでサッカー上手くて、全国を狙う部のエースっていうんだから驚きだよ。そういや、次は関東大会だっけ? しかも平日に試合やるんだろ?」
「あ、うん。大会の初日が金曜なんだよね」
アホは余計だが、慎の言う通り。
今月の第三週の金曜から日曜にかけて、関東高校サッカー大会が開催される。
僕たち栄成サッカー部は、鷲尾くん擁する星越との激闘を制し、見事にAグループの出場枠を獲得した――大会連覇を懸けた3日間の戦いが幕を開けるのだ。
ただ初日が平日の金曜に予定されているので、公欠を申請して試合に臨む。参加は『2・3年生に限定する』と永瀬コーチから通達があった。
「その前に、インターハイ予選もあるわよ。絶対に勝たないとね」
しっかり準備しなくちゃダメよ、と念を押してくる美月。
今週末の土曜には、高校総体・東京予選が開催される――いわゆるインターハイ予選ってやつだ。ここから熱い夏ヘ向け、高校サッカー界は一気に加速していく。
「おまけに、来週には中間テストが控えているしなあ。そう考えたら、サッカー部ってちょっと忙しすぎるだろ」
あまりのハードスケジュールに、流石の慎も同情的だ。
正直なところ、僕はパンク寸前である。なにせ油断できない試合続きのうえ、難敵すぎるテストまで乗り越えなきゃいけないのだから。
それでも、かろうじてスクールライフとサッカーライフを両立できているのは、隣でお行儀よく弁当を食べ進める美月の存在がデカい……どころか、彼女ナシではもう成り立たない。
部活やトラウマ克服トレーニング、カームでの定期測定などなど、細かい部分まできっちりスケジュールを管理してくれている。さらに、うっかり寝落ちした授業のノートのコピーを用意してくれたり、すっかり忘れていた課題を手伝ってくれたり……もう一生頭が上がらない状態だ。
去年はクラスが別だった分、まだ自立していたように思う。
だが、とっくに僕一人ではキャパオーバーだし、もはや引き返すことなど不可能。これからも、見限られないよう自分の価値を示し続ける所存である。
「本当にサッカー部は忙しいよねぇ。活動に熱心というか……そういえば最近、志保がちょっと張り切り過ぎてるみたいなんだよね」
三浦さんが、どこか浮かない顔で友人の話題を切り出す。
近頃、部活に熱を入れる生徒が増えているらしい。僕的にはまったく実感はないけれど、躍進を続けるサッカー部の影響が大きいのだとか。
そして、親しい友人の加賀志保さんもその一人。
現在、女子バスケットボール部で頑張っているそうだ。
ところが、気楽にやりたいメンバーと不和が生じている。その影響か、スクールライフの方でも若干ギスり気味なのだという。
元々ライトに活動していた部だから、反発するのもわからないでもない……だとしても、加賀さんは大切な友人なのでとても心配だ。
「もし志保が困ってたら、皆も相談に乗ってあげて。話を聞くだけでも、ずっと楽になると思うの」
三浦さんの呼びかけに対し、僕たちは当然とばかりに揃って深く頷いた。
できれば、穏やかに解決してほしいものだ。部活のギスギスって本当にツライからなあ。
そう考えると、去年の僕はギスギス満載のトラブル続きだった……よく乗り越えられたものだ。これも、美月のおかげで間違いない。彼女が支えてくれたからサッカーを好きでいられて、プレーを続けられている。
恩ばかりが積み重なっていくけれど、ちゃんと返せる日がくるといいな。
けれど、今は少しだけでも言葉にして伝えておきたい。
「……美月、本当にいつもありがとう」
「あら、急にどうしたの? でも、それでいいの。素直な言葉が一番嬉しいわ。これからも専属マネージャーとしてしっかりサポートするから、一緒にJリーガーを目指しましょうね」
美月はそっと微笑み、胸がじんと熱くなるような言葉を返してくれた。
これからも彼女と共に歩き続け、夢の入口へとたどり着けますように――そんなことを願わずにはいられない。
それはそうと、急に気恥ずかしくなってきた。
僕はごまかすように、「もうすぐ体育祭だね」と別の話題を持ち出す。
「去年はめちゃ盛り上がったよなあ。で、兎和。今年も一緒に出るだろ?」
「いや、騎馬戦には出ないって決めてるから……」
関東大会が終わってすぐ、来月の頭には体育祭が控えている。
慎は今年も騎馬戦にエントリーするつもりみたいだけど、僕はもっと平和な競技がいい。
去年は、かなり濃い騒ぎに巻き込まれたからな……ちょうどこの時期から始まった朝練のせいもあって寝不足で、種目決めの時間にうっかり爆睡したのが原因だ。
そうそう、今年も1年生の朝練が解禁となる。すでに寿輝くんから、タイミングがあったら『1対1』をやろうと誘われている。加えて、彼と有村悠真くんなど、数人がカームのフィジカルフィットネスプログラムに参加したと聞く。
あと、新入生の女子マネージャーがついに決定したらしい。希望者のうち5名が採用されたそうだ。他は活動がキツくて辞退した、と玲音が言っていた。
とにかく、しばらくは忙しない生活が続きそうだ。
慎の騎馬戦の誘いを断りつつ、僕は今年の体育祭に思いを馳せる。きっと何かしらトラブルが起きるんだろうなあ。
――そして同日の放課後。
僕が部室の扉を開くと、室内はいつも以上に騒然としていた。
理由は一目瞭然。去年の夏以降、部活に不参加となっていた酒井竜也くんが復帰したのである。依然として、ヘアスタイルは五厘刈りのままだ。
「竜也! やっと顔を出しやがったな! 色々あったけど、また一緒に楽しくやろうぜ!」
トレーニングウェア姿の馬場航平くんが、しきりに声をかけていた。
それこそ彼らは、昨夏のトラブル(林先輩たちが引退した件)で衝突して以降ずっと不仲だったはず。学内でも別行動をとっていたほどだ。
もちろん、仲直りするのは悪いことじゃない……しかしこれを機に、めっきり発言力を失っていた白石(鷹昌)くん派閥が息を吹き返すのはちょっと厄介だな、と僕は密かに危惧していた。このハードスケジュールで、余計なトラブルはゴメンだ。
ところが、酒井くんはまったく予想外の反応を見せる。
「航平、悪いけど部活中はあんま絡まないでくれ。俺は真面目にやりてーんだ。そもそもDチームから出直しだから、むしろほっといてくれよ」
「は?」
「……竜也、まだ根に持ってんのかよ? ガキじゃねーんだから、いい加減に不貞腐れんのやめろって」
ここで、派閥のリーダーである白石くんが直々に声をかける。
だが、やはり酒井くんの意思は変わらず、「そういう問題じゃねーんだよ」ときっぱり拒絶していた。
ちょっと驚きだ……いったい何があったのかは知らないが、ずいぶんと丸くなったみたい。
自分のロッカーに荷物をしまいながら、僕は思わず感心してしまった。
それから酒井くんは、ボウズ頭がすっかりトレードマークになった松村くんと連れ立って部室を出ていく。どうやら、完全に決別する道を選んだらしい。
これで、派閥に変化は起きなかったわけだが……リーダーの白石くんがどう出るか。このまま大人しく引き下がってくれたらいいのだけど。
自分には直接関係しない騒動ではあるものの、気掛かりで仕方ない。
いずれにせよ、火の粉が飛んできては堪らない。ささっとトレーニングウェアに着替えた僕は、存在感を極限まで薄くして部室を後にするのだった。
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