第176話
昭和記念公園の駐車場からは徒歩移動。バドミントンのラケットなどが詰まった荷物を手分けして持ち、隣接するゲートから園内へ進む。入場料は『大人・450円』で、中学生以下は無料だった。
「おお、なんか歩いてるだけでも気持ちいいな」
「緑が多いから、リフレッシュにぴったりね」
園内に入ってすぐ、直線の水路を中央に据えた歩道が目に飛び込んできた。隣を歩く美月によれば、これは造園用語で『カナール』というらしい。
その両サイドには緑豊かな銀杏の木が立ち並んでおり、噴水やモニュメントと共に来場者の目を楽しませてくれる。秋になると圧巻の黄葉風景を堪能できるそうだ。
「見て、お姉さま! すっごくキレイ!」
「お花だけじゃなくて、香りも素敵ね」
人の流れに乗って少し進むと、カナールの脇にいくつかベンチが並んでいた。そして全体を囲うように設置されたアーチから、まるで降り注ぐように藤の花が咲き誇っていた。穏やかな日差しを浴び、高貴さを湛える紫が一段と映えている。
この光景に、妹も心を奪われた様子。
美月の腕に絡みつき、うっとりと見惚れていた。
藤の花を十分に堪能したら、僕たちは再び歩き出す。ゴールデンウィークも最終日とあって、それなりに混雑している。しかし園内は広々としており、至るところで今が旬の花々をのんびりと眺めることができた。
以降もあれこれ談笑しながら、ゆっくりまったり歩道を進む。
およそ30分が経つと、園内の奥地に位置する『花の丘』へたどり着く。その途端、フラワーフェスティバルのメインともいえる素晴らしい風景が視界一杯に広がった。
大パノラマに圧倒され、僕と妹は思わず感嘆の声をこぼす。
「うおぉぉ……これは、スゴイな!」
「わあっ、まるで絵本の中みたい! 本当にキレイ!」
緩やかな起伏の丘にシャーレポピーが咲き誇り、あたり一面を鮮やかな赤に染め上げていた。まるで花の絨毯だ。
穏やかな風に吹かれ、花弁が囁くみたいに揺れる。赤と緑のコントラストに自然と目が潤む。戦い続きの汗だくサッカーライフで凝り固まっていた心が、そっと解きほぐされていく。
本当に不思議だ……美しい風景って、どうしてこんなにも癒やされるのだろう。
「この丘は『サッカーコート1.5個分』の面積があって、その中に180万本のポピーが植えられているそうだよ。なかなか壮観だね」
旭陽くんが、花の丘の解説を添えてくれた。
本当に壮観だ。僕はこの規模の花畑を直接見たのは初めてだったので、真面目に感動している……だが、美月たちの反応がどうにも薄い気がする。楽しんではいるけど、ちょっと温度差を感じるな。
「確かに綺麗だけど……どうしても海外や北海道なんかの風景と比較しちゃうのよねぇ」
「私は北海道が好きかな。この時期だと芝桜なんていいよね」
僕の訝しげな視線を受け、美月と涼香さんはどこか申し訳無さそうに口を開く。
どうやら、目が肥えてしまっているらしい。サッカーで言えば、『Jリーグ』よりも『プレミアリーグ』を好むのと似たような感じかな。これは侮っているとかの話ではなく、スケールの大きさの問題だ。
「でも、ひとつ実感したことがあるの。何を見るかより、誰と見るかが大事なのね。この風景を兎和くんと一緒に見られて、私はすっごく嬉しいな」
言って、輝くような笑顔を浮かべる美月。
続けて「もちろん兎唯ちゃんもよ」と、隣に立つ妹の頭を撫でていた。さらに涼香さんも混ざり、三人でわちゃわちゃし始める。
そんな女性陣の様子を眺めつつ、僕は密かに高鳴る胸の鼓動を鎮めるのに苦労していた。
しばらくその場で風景を堪能したら、今度は花の丘を順路に沿ってのんびり散策する。メルヘンな小屋や白い扉などのオブジェを設置したフォトスポットが点在していたので、皆でたくさん写真を取った。
やがて、時間は正午に近づく。
それに伴い、僕たちは園内の『原っぱの広場』へ移動した。
お待ちかねのランチタイムだ。日当たりの良い芝生の上に大きめのレジャーシートを敷き、荷物を置いてくつろげるようセッティングしていく。電動式のエアークッションなんかもあって、めっちゃイイ感じ。
と、そこで。
旭陽くんが、ふと思い出したようにある提案を口にする。
「そういえば、涼香。来る途中の売店でビールの看板をみたよ。飲む?」
「もちろん飲む! 旭陽、買いに行くよ! あ、私おサイフ持ってないからね」
食い気味に応じる涼香さん。
隣にいた美月が、「また甘やかして……」と呆れていた。が、僕としては気持ちがわからないでもない。あれは、惚れた弱みってやつだ。好きな人には自然と優しくなってしまうのだ。
「じゃあ、兎唯もいく! お菓子みてくるね! お兄ちゃん、サイフ貸して!」
「貸すのはいいけど、自分のお小遣いはどうしたのかな?」
ついでに、うちの妹も売店を覗きに行くそうだ。
この場に残る僕と美月は揃ってレジャーシートに腰掛け、賑やかに売店へ向かう三人を見送った。
これ、気を使われたな。旭陽くんと涼香さんはともかく、兎唯が敬愛するお姉さまの側を進んで離れたがるなんて、どう考えてもおかしい。きっと、このダメな兄を思っての行動だ。サイフは代価に違いない。
しかし個人的には、自然体でいてくれたほうがありがたい……意識すると、逆に緊張して調子が狂っちゃうんだよなあ。
「そうだ、兎和くん。スマホを貸して」
「あ、うん。ほい、これ」
僕は二つ返事で、隣に座る美月へスマホを手渡す。何に使うのかは知らないけれど、特に断る理由もない……それなのに、なんかびっくりしたような顔をされた。解せぬ、ただ指示に従っただけなのに。
「迷いなくスマホを人に貸せるって、ちょっとスゴイかも……パスコードは?」
「そう? 普通だと思うけど。1212」
ちょっとスマホを貸すくらいで大げさな。まして相手は美月だ。続けて聞かれたパスコード含め、隠すようなものは……恋心くらいしか持ち合わせていない。さらにアプリをダウンロードするからと顔認証を要求されたので、快く応じる。
「つーか、なんのアプリを入れてるの?」
「位置情報共有アプリよ。チャット機能もあるみたい」
「ほーん……いや、なにそれ?」
思わず聞き返してしまう程度には、僕はピンときていなかった。
すると美月が、「お互いの居場所を共有できるの」と教えてくれた。スマホのGPS機能を利用して、特定の相手の位置をマップで確認できるらしい。
「なるほど……でも、なんで急にそんなアプリを?」
「昨日の試合、私のせいで全然集中できなかったんでしょ? これは、その対策。緊急時には『SOSメッセージ』も送信できるんだって。もちろん、私と兎和くん以外には共有されない設定にするから」
約束していた美月がスタンドに見当たらず、僕は酷く動揺してしまった。結果、星越との試合にまったく集中できず、失点の起点となる凡ミスをやらかす――この辺りの事情は、昨夜の寝る前の通話で伝えてあった。
要するに、たった今ダウンロードが終わった位置情報共有アプリは、容姿端麗にして頭脳明晰で勇往邁進な彼女が導きだしたアンサーのようだ。
「この先、昨日みたいに遅刻をしたり、そもそも観戦にもいけないことがあると思うの。特に夏のインターハイの本戦へ進んだ場合、全試合の観戦はまず無理ね。そういった意味では、今回の出来事はちょうどよかったわ。早めに問題点を浮き彫りにしてくれた」
美月も最近はプライベートが忙しく、日程調整に苦労しているようだった……というか、今までが相当無理をしていたのだろう。なにせほぼ毎試合、僕のサポートのため応援にかけつけてくれていたのだ。どれだけ感謝してもしきれない。
まして夏のインターハイは日程が派手にバグっている。本戦では決勝を見据えると、およそ『8日間で6試合』という超過密具合。しかも開催地は、福島Jヴィレッジ。全試合の観戦なんて、選手の家族ですら難しい。
そこで、美月は『位置情報共有アプリ』の導入を思いついたらしい。無論、直近で開催される関東大会も視野に入れての決断だろう。
「これで完全に対策できるとは思わないけれど、兎和くんも多少は安心でしょ? 今後はしっかり試合に集中すること。あと、普段は位置情報をオフにして構わないからね」
「多少どころか、めちゃくちゃ安心だよ……いつもサポートしてくれて、本当にありがとう。すごく嬉しいし、心から感謝してる。せっかくだし、僕はずっとオンにしておこうかな」
誰かに見られて困るような生活を送ってない。
逆に美月は、試合のときだけで問題ない。普段から異性に位置を把握されているなんて、普通なら絶対にストレスだ。約束に遅刻するときなどに無事を確認できれば、僕はそれでいい。
「あ、そうそう。スマホで思い出した。美月が『鍵アカ』やめたっていうから見たけどさ、やたら攻撃的な人に絡まれてない? あれ、大丈夫なの?」
美月はこれまで、SNSのアカウントを非公開で運用していた。交流できたのは僕やうちの妹を含め、ほんの数人。けれど、昨夜の通話で『心境の変化があって公開する』と言うので覗いてみたら……なんか、やたら毒を吐く妙なアカウントに絡まれていたのだ。
「多分、アヤカさんのことね。大丈夫よ、成城学院時代の顔見知りだから。あれは、あの子なりのコミュニケーションなの」
あれが、顔見知りとのコミュニケーション……相手は『片桐彩香さん』という元同級生らしいが、コメントはどれも皮肉満載だった。しかしこの反応を見るに、あまり気にしていない様子。
もっとも、美月もガッツリ言い返してやり込めていた。その点を加味すれば、確かに特殊なノリの交流と思えなくもない。
「そっか。世の中には、色々な交流の形があるんだなあ……」
なんてひとり納得する僕を他所に、隣の美月はバッグをゴソゴソやってスマホと有線イヤホンを取り出す。
それから彼女は、座る位置を少し変えて――トン、と。
背中に柔らかな感触が伝わってきて、心地よい温もりがじんわりと広がる。
軽く首を捻って確認すると、僕たちは座ったまま背中合わせの体勢になっているようだった……互いの体が触れ合っていると認識した瞬間、たちまち心臓が暴れ出す。
「ちょ、急にどうしたの……」
「別にいいでしょ? 支え合ったほうが楽なんだもん。あ、兎和くんも音楽聞く?」
どうぞ、とイヤホンの片側を手渡してくる美月。
鼓動が聞こえてしまわないか心配で、今はそれどころじゃない……だが、どぎまぎしながらも僕は受け取る。音楽でも聞いた方が、多少は気が紛れそうだ。
「……つーか、なんで有線イヤホン? 今どき珍しくないか」
「近ごろの若い世代の間で流行っているそうよ。咲希ちゃんがそう言ってた」
クラスメイトの女子、木幡咲希さんから聞いた情報だそうだ。
ワイヤレスみたいに落として紛失することもないし、近年のリバイバルブームの影響もあって再流行しているのだとか。
気恥ずかしさを感じながらも、僕は受け取った片方のイヤホンをそっと耳に付ける――背中合わせの美月と、互いを支え合ったまま同じ歌を聴く。
すると、その直後、
ある男性アーティストが軽快なメロディーに乗せて、こんな歌詞を響かせた。
『輝くようなキミの笑顔が、いつも力をくれる。誰かを好きになると知らないうちに、頑張ろう、頑張ろう、頑張ろうって、心が叫ぶ――それが今の僕の生き甲斐なんだ』
気持はよく理解できる、と思わず歌詞に深く共感してしまった。
美月の輝くような笑顔さえそばにあれば、僕はなんだって出来てしまう。どんな夢だって叶えられる。それこそ、間違いなく僕の生き甲斐だ。
大好きな少女の温もりを背中に感じながら、大切な今を噛みしめる。
ふっと風が吹き抜け、芝生の香りを運んでくる。見上げる青い空は、静かに次の季節の訪れを告げていた――柔らかな陽だまりの中で、僕たちはまたひとつ同じリズムで時を刻むのだった。
Sec.5:完
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