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第175話

 伸びやかなホイッスルの音が、尾を引きながら青空へと吸い込まれていく。

 僕はピッチの上で足を止め、汗だくの額をユニフォームの裾で拭う。


 荒く脈打つ心臓と同じテンポで呼吸を繰り返しながら、ちらと会場の電光掲示板へ目を向ける。そこには、『栄成2-1星越』と表示されていた。


 本年度の関東高校サッカー大会・東京予選の決勝が、たったいまタイムアップを迎えた。同時に僕たち栄成高校サッカー部は、激闘の末に1点差で勝利を手にした――すなわち、大会連覇への挑戦権を手にした瞬間でもある。


「ふっ、はあぁぁぁああああっ……よ、よかったあ……」


 思わず両膝に手をつき、腹の底に溜まっていたフラストレーションを吐き出す。

 約束した美月がスタンドに見当たらず、僕は心配でたまらなかった。それで勝手に動揺し、とんでもない凡ミスから失点の起点になってしまった。しかも先制点を決めたのは、あの鷲尾くん。


 以降は気持ちが落ち着かず、まったく試合に入れなかった……集中力散漫にも程がある。

 後半の頭すぎに美月がスタンドへ現れ、ホッと一安心。そのままサポートしてくれたからどうにか挽回できた。


 先輩たちも、かなり気を使ってフォローしてくれた。何より、同サイドの前後でプレーする相棒の玲音には、ヤバいくらい迷惑をかけた……僕なんかの尻拭いのため、いつも以上に走らせてしまったように思う。


「お疲れ、兎和。さすがエル・コネホ・ブランコ。お前こそが、栄成の勝利の象徴だ」


「お疲れ、玲音……ごめん、今日ダメダメだった。だいぶ迷惑かけたよね」


「ふっ、何を謝っているのやら。互いに足りない部分を補い合う、それが相棒ってものだろう。俺たちゴールデンコンビの伝説の幕開けだ」


「まったくさあ……泣かせること言うなよ、相棒」


 僕は体を起こし、玲音とじゃれるように軽く肩をぶつける。さらにグータッチを交わし、試合の締めの整列に加わった。


 観客へお辞儀をして、星越イレブンと握手で健闘を称え合う。相手は一様に気落ちして見えたが、鷲尾くんのどこか諦めたような笑顔がとりわけ印象に残った。


 それから簡単な表彰式を挟み、僕たちAチームメンバーは栄成陣営のスタンドの前に集合する。カップリフト、ならぬ表彰状リフトで盛り上がり、チームチャントを全員で響かせて喜びをわかちあった。


「おい、兎和! こっち来い!」


「あ、はい――うわ、冷たっ!?」


 主将である堀先輩の指示で、僕は列の前に進み出た。すると、スクイズボトルの水を頭から遠慮なく被せられる。


「この予選のぶっちぎりの得点王だぞ、お前! 栄成のエル・コネホ・ブランコを讃えろ!」


 他の先輩がそう煽ると、チームメンバーたちから追加で一斉に水を浴びせられた。

 おかげで、もうパンツまでビッショビショ。褒められて嬉しいし、着替えを持ってきているから別にいいけどね。

 

 そもそも、得点王を取れたのはチームのアシストがあってこそ。称賛されるべきは皆の方だ。


 おまけに、先ほどの試合での不甲斐なさといったら……まあ、反省は後にしよう。ここで僕がグチグチ悩んでも、それこそ祝福ムードに水を差すだけである。


「兎和くん、これ使って!」


 美月がスタンドの転落防止柵から身を乗り出し、タオルを投げてくれた。隣にいる涼香さんが落ちないように抑えてあげている。


 本日は一段と元気そう。やはり『何かトラブルに巻き込まれたのかも』なんて、ちょっと心配しすぎだったみたい。


「ありがとう、美月!」


「どういたしまして! こんど反省会よ!」


 僕はタオルを受け取り、サムズアップを返す。合わせて反省会の開催が決定。もしかしたら、試合展開を誰かに聞いたのかも……近くにいる寿輝くんあたりが怪しいな。

 もっとも、矢印を向けるべきは自分だ。しっかり課題と向き合わなければ。


「さあ、引き上げるぞ!」


 またも堀先輩の合図で、僕たちはロッカールームに引っ込む。

 短めのミーティングが終わってすぐ、永瀬コーチに「もっと試合に集中しろ」と個別で叱られた。本当におっしゃる通りで、反論の言葉もありません。


 ともあれ、後は着替えて帰宅するだけだ――と、施設の出入り口へ向かおうとしたところでばったり。僕は鷲尾くんと、試合前と同様に鉢合わせする。


「兎和くん、お疲れ……頑張ったけど、勝てなかったよ。今年の栄成は相当強いね」


「鷲尾くん……お疲れさまでした。いい試合だった、と僕は思う。正直、こっちが負けていても全然おかしくなかったよ」


 試合は、本当に紙一重。星越は選手権の常連だけあり、高い実力を備えている強敵だった。

 個人的にも絶不調で、苦い教訓として記憶に残りそう……なんなら、苦手意識すら覚えてしまいそうだ。ましてサッカーに絶対はないわけで。


「確かに、いい試合だったね。でも俺は、絶対に勝ちたかった……本当に悔しいなあ。恋でもサッカーでも勝てないなんて。この先、兎和くんと神園さんの物語に、俺の居場所はもうないんだろうね。ある意味サッパリしたけど、すごく寂しいよ」


 言って、鷲尾くんはまたあの諦めたような笑みを浮かべる。

 まるで『最後の挨拶』みたいな雰囲気が漂う。もしかして、僕たちはこれから決して交わらぬ道を進む……なんてことを思っているのではないだろうか。


 だとしたら、それはまったくの勘違いだ。

 こんなに苦戦させられて、キレイサッパリ忘れられるはずもない。むしろ僕は、まだまだやり返したりないくらいなんだぞ。


「鷲尾くん……次の試合も、僕は絶対に負けないよ」


「え、次……?」


「うん。夏のインターハイに、冬の選手権もある。なんなら、そっちの方が本番まである。今日はただの前哨戦。高校を卒業するまで、何度だって一緒にサッカーをするんだ」


 僕たちは多分、それぞれの道を歩んでいる。けれど、それが捻れて拗れて繋がって、ひとつの物語が作り上げられる――きっと人は、それに『人生』なんてタイトルをつけるんじゃないだろうか。


「ははは、そうか……じゃあ、次は夏だ。インターハイ予選でまた戦おう! もちろん冬の選手権でも! 高校が終わったら――その後は、プロになって飽きるまでやり合おう!」


「その後はプロ、か……いいね、それ最高。これからも僕は絶対に負けないよ!」


 鷲尾くんは、先ほどとは一転して力のこもった笑顔を浮かべた。

 口では強がっていても根っこはいい人で、どうにも嫌いになれそうにない。前は『出会い方が違えば……』なんて思っていたけれど、きっと彼とはもう友だちだ。


 それに何と言っても、プロを目指す同志。

 これからは純粋に、互いを高め合うライバルとして切磋琢磨していけたら嬉しい。


「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。またね、鷲尾くん」


「ああ、引き止めてごめん。じゃあまたね、兎和くん」


 僕たちはグータッチを交わしつつ、再会を約束して別れた。

 先輩たちに追いつくべく少し急ぎ足で施設の外へ。軒先から一歩踏み出すと、西へ傾きかけた陽光に目が眩む――こうして、鷲尾くんとの因縁はゴールデンウィークの青空へ溶けていった。


 ***


 関東高校サッカー大会・東京予選の決勝が行われた、その翌日。

 僕たち栄成サッカー部のAチームは、激闘明けの疲労を考慮して部活オフとなっていた。

 

 ゴールデンウィーク最終日ということもあり、個人的にはちょっとしたご褒美のように感じている……というか、今年はマジでサッカーしかしてないな。

 

 だが、本日は違う。おあずけとなっていた『青春スペシャルイベント』が、ついに開催されるのだ。どうにか美月が予定を調整し、僕の休みに合わせてくれた。


 肝心のイベント内容が何かといえば……東京都立川市に所在する『昭和記念公園』でのピクニック、と事前に説明を受けている。なんでも、フラワーフェスティバルなるイベントが実施中らしい。


 ちょうど『シャーレポピー』が見頃を迎えており、今年はとりわけ花付きがいいのだとか。美月がそう言っていた。どのような光景が見られるか、もう楽しみで仕方ない。


 そんなわけで、僕はワクワクしながら約束の時間の訪れを待っていた。すでに朝食も済ませている。現在は自室でフォームローラーを使い、リカバリーのストレッチを行っているところだ。


 と、そこで。

 部屋の扉が突然開き、妹の兎唯ういが遠慮もためらいもなく中に入ってきた。


「……兎唯ちゃん、マナーって知ってる? 人の部屋に入るときは、ノックをしてからにしようね」


「お兄ちゃんの部屋以外だったら、ちゃんとノックするし。そんなことより、このコーデはどうかな? 変じゃない?」


 人の抗議をあっさり聞き流し、姿見の前で変なポーズを取る妹。

 流行感のあるパンツスタイルで、動きやすそうなカジュアルコーデだ。兄の贔屓目を抜きに、わりと似合っているように思う。


「ところで、兎唯ちゃん。そんなオシャレして、いったいどこへお出かけで?」


「んー? 昭和記念公園にピクニックだよー」


 おお、奇遇だね。実はこの兄も、昭和記念公園に行く予定だったんだ……なんて、しょーもないノリツッコミはしないぞ。どうせ、美月に誘われたのだろう。同行するのは知らなかったものの、なんとなくこうなる気がしていた。


 結局のところ、ピクニックに参加するメンバーは5人となった。美月と僕、涼香さんと旭陽くん、加えて妹の兎唯。


 約束の午前9時が近づいてきたら、兄妹揃って玄関へ向かう。

 ややあって、インターホンが鳴る――僕はすかさず靴を履き、扉を開く。


「おはよう、兎和くん。準備万端みたいね」


 美月が、玄関ポーチに佇んでいた。若夏を思わせる穏やかな日差しに照らされ、その笑顔も一層輝いて見える。


 服装は、やはりパンツスタイル。カジュアルよりのコーデだが、超絶美少女っぷりは依然として健在。似合わない服装など存在しないのでは、と思わせるくらい見事に着こなしていた。


「美月お姉さま、おはようございます! 今日も美少女すぎ!」


「わっ、おはよう。兎唯ちゃんも、とっても可愛いわよ」


 思わず見惚れる僕を押しのけ、敬愛するお姉さまに飛びつく妹。

 ちょっと、まだ挨拶が終わってないんだけど……まあ、いいや。近くに止まっていたワンボックスカーから旭陽くんと涼香さんが降りてきたので、先にそっちと挨拶しよう。


「おはようございます、旭陽くん! 涼香さんも!」


「やあ、おはよう。今日はよろしくね」


「おはよう、兎和くん。朝から元気だね~」


 旭陽くんに続き、まだちょっと眠そうな涼香さんが挨拶を返してくれる。

 二人とも服装はカジュアル系。ピクニックだから、動きやすさ重視といった感じ……なのに、やたらハイセンスなのはモデルがいいからだろうか。


 そんな美男美女の二人は、遅れて顔を出したうちの両親と親しげに挨拶を交わしていた。出かける際には、すっかりお馴染みとなったやり取りである。

 その後、各自車に乗り込む――直前に、ふと美月に呼び止められた。


「ちょっと待って、兎和くん。私に何か伝え忘れてない?」


「あ、うん。おはよう、美月。晴れてよかったね」


「はい、おはよう……それだけ?」


 その場でくるりと回って、露骨に自分の服装をアピールする美月。

 求められると、途端に気恥ずかしくなる……そんな男心をわかってほしい。が、ここですっとぼけるような度胸もなかったりする。


「今日の服もよく似合ってるね……これで正解だった?」


「もうっ、素直に褒めてくれたらいいのに! まあ、いいわ。出発しましょう。たくさんお弁当を作ってきたから、楽しみにしててね。とっても上手にできたのよ」


 それは楽しみだ、と僕は返事をしながらリアシートに腰を落ち着ける。

 ほどなく、旭陽くんの運転で出発進行。


 幸い道はそこまで混雑しておらず、目的地の昭和記念公園までは1時間ちょっとで到着する。ハイテンションの妹を中心に車内は賑やかで、ドライブタイムはあっという間に過ぎていった。

おもしろい、続きが気になる、と少しでも思っていただけた方は『★評価・ブックマーク・レビュー・感想』などを是非お願いします。作者が泣いて喜びます。


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良いライバルになったか。いい着地点なのかな? もう付き合っちゃえよな空気な兎和と美月。
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