第173話
こんなときに限って面倒ね、と私――神園美月は、眉を潜めながら返事をする。
「皆さん、お久しぶりですね。でも、ごめんなさい。私は今、ちょっと急いでいるの。何かご用があるのなら、また今度にしてもらえる?」
普通なら、旧交を温める場面だ。しかし生憎、私たちは笑顔で積もる話をするような仲ではない。小・中学校の9年間で複雑に絡まった因縁は、もはや拗れに拗れている。
その証拠に、対峙する成城学院時代の同級生集団――その半数を占める女子たちが、こちらを不躾に見つめていた。男子たちは、あいも変わらず好奇心を剥き出してこちらを伺っている。今にもLIMEの交換を求めてきそうね。
特に声をかけてきた『片桐彩香』さんなんて、私への敵意を隠そうともしない。集団中央に立ち、自分の茶色の髪の毛先に触れながらひと際不快そうな表情を浮かべている。
まあ、彼女に関しては今さらね……私はもともと、一部の同級生女子たちに目の敵にされていた。原因は恋愛がらみの理不尽なトラブル。そして相手は、とりわけ険悪だったグループのリーダー格だもの。
中学時代はことあるごとに因縁を付けられ、お互いの友人を巻き込んで激しく対立していた。懐かしくはあれど、まったく好ましくない思い出だわ。
「なにが『急いでいる』よ……本当に応援に来るなんて信じられない。昔から言ってるよね? 鷲尾に近づかないでって。私の気持ちだって知ってるクセに」
歓声が響くピッチ方面へ一瞬だけ視線を送り、仕切り直すように口を開く片桐さん。
彼女の中では、『神園美月は鷲尾くんの応援に駆けつけた』ということになっているようね。少し考えたら、そんなわけないってわかりそうなものだけど……どうして私が、他校生のうえ親しくもない男子を応援しなくちゃいけないのよ。
とはいえ、彼女のこの思い込みの激しさも今に始まったことじゃない。
成城学院の中等部に進学して間もなく、『神園美月と鷲尾伸弥が付き合っている』と根も葉もない噂が流れた。それ以来、こうして身勝手な勘違いを基に糾弾してくるようになった。
要するに片桐さんは、鷲尾くんのことが好きなのよね。しかし二人が交際しているという話は聞いたことがなく、この反応から察するに今もまだ片思いみたい。だって彼女、恋人を名前呼びするタイプだから。
引き連れているグループの女子たちも、『ありえない!』やら『またなの!』など口々に文句を言ってくる。男子たちは若干気まずそうにしているものの、この程度では止めようとはしない。ある意味で慣れているのと、女子の諍いに首を突っ込んだら痛い目にあうと知っているのだ。
これもお決まりの流れで、私の友人たちが応戦してますますヒートアップしていくのよね……それだから、去年の星越戦は念のため観に行かなかったのよ。当時は兎和くんもベンチ外だったし。
とにかく、適当にあしらってしまいましょう。今はこちらの友人もおらず、多勢に無勢。まともに相手するのも馬鹿らしいわ。
隣の涼香さんが「追っ払おうか?」と耳打ちしてくれたけれど、私は断りを入れる。
どうしようもない場合以外は、なるべく子ども同士で問題を解決した方が良い。中学時代に、保護者を巻き込んでの大騒動へと発展した苦い思い出が蘇る。
「片桐さん。誤解がないよう言っておくと、私は自分の高校のエースを応援に来たの。鷲尾くんは、今も昔もただの同級生に過ぎないわ。連絡先すら知らないもの」
「……エース? 誰よ?」
「栄成の7番、白石兎和くん――前回の冬の選手権で大活躍した同級生よ。素晴らしいポテンシャルを秘めていて、将来はJリーガー間違いなしと言われているわ」
ちょっと大げさな表現になったが、決して嘘ではない。私と涼香さん、それにうちの兄が言っているもの。祖父も絶賛していたわ。
もっとも、相手は皆ピンときていない様子……昨冬の選手権では背番号が違ったから、無理もないか。
「よくわからないけど……へぇ、そっか。わざわざ応援にきちゃうなんて、神園さんはその7番くんが好きなんだ」
なんだ安心した、と勝手に納得する片桐さん。
好き? 誰が、誰を?
確かに……鷲尾くんでは比較にならないほど、兎和くんには親しみを抱いている。そうでなければ、いくらサッカーの才能があっても個人マネージャーなんて続けられない。
「なんで首を傾げてるの……? どう考えても好きじゃない。休みの日にわざわざ試合の応援にいくほどなんだから」
片桐さんに続き、別の女子たちも『そんなの恋人と変わらない』と追従する。男子たちは、あからさまに驚いた表情を浮かべている――頬に宿るかすかな微熱を感じながら、私は思わず笑みを深めた。
「私ね、いま彼の専属マネージャーを務めているの。だから、鷲尾くんにはこれっぽっちも興味がないわ。他のプレーヤーも、男子もね」
「はぁ? 専属マネージャーってなに……」
「ところで、片桐さん。私が今日ここに来るって、鷲尾くんから聞いたのかしら?」
「そうだけど……そっちこそ勘違いしないで。鷲尾は、『神園さんを見かけても絶対絡むな』って何度も言ってたんだから。声をかけたのは、ただ私が挨拶したかっただけ」
強引に話を変えつつ、気になっていた質問をしてみた。
私の足止めを頼まれたのかと思ったのだけれど、流石に邪推しすぎたみたい。片桐さんとしても、この程度の難癖なら本当に挨拶がわりだったはず。昔のバチバチ具合に比べたら可愛いものね。
なんにせよ、そろそろお暇しましょう。
ピッチ方面から度々響く歓声が、さっきから気になって仕方がないし――と私がその場を立ち去ろうとした、そのとき。
「姉御! こんなところでなにやってるんですか?」
スタンドの方から突如、栄成のネーム入りジャージを着用する男子の一団が現れた。
その先頭に立って声をかけてきたのは、栄成サッカー部の『期待のルーキー』こと久保寿輝くん。
他には、名前を知らない下級生らしき男子が2人。加えて、大桑くんや池谷くん、小川くんなど顔見知りの同級生もいる。
「よその生徒と揉めてるって聞いて、加勢に来ました!」
「別に揉めてはないけれど……でも、ありがとう」
こちらに男子が多数合流し、成城学院の同級生たちもすっかりトーンダウン。特に二年生メンバーは揃って高身長で、かなり迫力があるものね。
ともあれ、ちょうどいいタイミングだった。
これで、ようやくスタンドへ向かえる。
私は「では、これで」と別れの挨拶を告げ、今度こそ立ち去ろうとした――が、片桐さんが口にした聞き捨てならないセリフによって、またも足を止めて振り返らざるを得なくなる。
「ふんっ。大物ぶって……どうせ鷲尾が勝つんだから、神園さんの応援なんてムダよ」
「あら、面白い冗談ね。どっちが勝つって?」
「星越に決まってるでしょ! 鷲尾がスタメンで試合に出てるんだから!」
「本当に笑える。この試合、うちのエースが――絶対に兎和くんが勝つ。そのまま栄成は、関東大会を連覇するの」
私が確信を持って言い切ると、周囲の女子たちからも一斉に『鷲尾のチームの勝ちに決まっている!』とブーイングが飛んでくる。
何もわかっていないわね。怪物サイドアタッカーの兎和くんを擁する栄成は、もはや全国トップレベルに手が届くチームなのよ……本調子であれば、という注釈つきだけれど。
まあ、応援をすっぽかして私に絡んでくる程度の興味しかないようだから、知らなくてもおかしくはないかな。
「神園さんは、ずいぶん自信あるんだ。じゃあ、そっちが負けたら?」
「もし栄成が負けたら、二度と片桐さんたちに関わらないと誓うわ。でも、勝ったら……私は、SNSのアカウントから鍵を外す!」
昔の知り合いを不用意に刺激しないようにと、SNSのアカウントにはずっと鍵をかけていた。
まさしく『片桐さん』みたいな人たちへの対策ね。ネット上でも変に絡まれたり、男子からしつこくアプローチされたりするのが面倒だったから。
でも、最近よく思う――それっておかしくない?
なんで私が、理不尽な難癖を付けてくる人たちに気を使わなくちゃいけないの?
何より、もうすぐ貴重な高校生活も折り返し。迷惑をかけるつもりはないものの、他人に配慮しすぎるなんてもったいない。それにこれまでの経験からして、栄成高校であれば酷いトラブルは起きないと信じられる……おかしな騒動には事欠かないでしょうけれどね。
「なにそれ、勝手にすればいいじゃん……バカらしい」
「片桐さんに言われなくても、勝手にする。私の青春は世界一素敵なんだって、誰はばかることなく見せつけてやるわ」
この試合での勝利をキッカケに、私はトラブルを厭って遠慮するのをやめる。
サッカーだけじゃない。兎和くんと、誰もが羨むような青春を今以上に楽しんでやる。もちろん栄成高校で出会った友人たちともね。それで、『羨ましいでしょ?』って世界中に自慢するの。
「では姉御、そろそろ行きましょう」
「そうね。では、成城学院の皆さん。これで失礼するわ」
久保くんに促され、ついにその場を離れた。片桐さんたちの横をすり抜ける際、成城学院の同級生男子たちからは軽い謝罪を告げられたが、当然無視した。
歩き出してすぐ、私はある疑問を口にする。さっきから、試合の次くらいには気になっていたワードがあるのよね。
「久保くん。何度も口にしていた、その『姉御』ってなに? まさか私のこと?」
「ウッス! 兎和先輩は、俺にとって兄貴みたいな人なので。だったら、その専属マネージャーである神園先輩は姉御がピッタリかなって」
とてもユニークな返答を聞き、涼香さんが堪らず吹き出す。
まさか美少女と評判のこの私が、姉御と呼ばれる日がくるとは思わなかったわ……人生とは、何が起きるかわからないものね。
「とにかく、その呼び名は却下します。まったく可愛くないわ」
「じゃあ、姉さん……お姉さま?」
「それもダメ。私の可愛い義妹は1人だけなの。アナタは神園先輩って呼びなさい」
「つーか、寿輝。なんでお前がリーダーみたいに振る舞ってんだ? こういう場合、普通は年上を立てるだろ」
ここで、小川くんが不満そうに口を挟む。
リーダー顔をする後輩に納得がいかなかったらしい。サッカー部が体育会系なのを考慮すれば、ごく自然なツッコミではある。ところが久保くんは、あっけらかんと反論する。
「何をいってんすか、小川先輩。どう考えても俺がリーダーですよ。だって、兎和先輩の弟分なんですから」
小生意気な返答を受け、『どんな理屈だこのやろう!』と久保くん以外のメンバーが騒ぎ出す。特に2年生の小川くんたちはご立腹。それでもやり取りは笑っちゃうくらい軽快で、イジメや暴力問題とは無縁に感じられた。
ほどなく、私たちは栄成陣営に割り当てられたスタンドへ到着。会場のスコアボードには『栄成0-1星越』の文字が。タイムは後半の10分すぎ。
試合展開は後で確認するとして、一体なにをやっているの――私はスタンドの最前列を目掛け、階段を小走りに駆けおりる。
「兎和くん!」
涼香さんの制止を振り切り、転落防止の手すりから身を乗り出してピッチへ声を送る。すると兎和くんはハッと気づいたようにこちらを見上げ、ほっとしたように笑顔を浮かべた。
思わず私も微笑みながら、大きく手を振り返す……が、すぐにまた表情を引き締める。
まったくもう、試合中に気を抜くんじゃありません!
「負けてるじゃないっ! 栄成、気合を入れなさい!」
「その通り! 勝利の女神が降臨したぞッ、歌え栄成――シーオフだ!」
久保くんの檄に呼応し、太鼓に乗せた印象的なチャントが栄成陣営から響き始める。さらに小川くんが、手に持っていたタオルを掲げ叫ぶ。
「全員ッ、ぶん回せ!」
少し前に行われた駒場瑞邦との一戦以降、定番となりつつある栄成のタオル回し。グングン上昇する熱気に合わせ、声援のボリュームもガンガン増していく。
情熱的な応援に後押しされた栄成イレブンは、ピッチでテンポよくボールを回す。その様子を見守りながら、私もバッグから青いタオルを取り出してぎゅっと握りしめる。
そして、次の瞬間。
右サイドでタメを作った主将の堀先輩が、狙いすましたように左サイドへ攻撃を展開。
ボールを受けたのは、アイソレーション気味に構えていた兎和くん。当然、相手DMFの鷲尾くんがスライドして対応し、味方のSBと連携してダブルで挟み込み――そこで私は、自然とタオルを頭上に掲げていた。
「兎和くん――」
すかさず2人の視線が結ばれる。
このピンチにプレーそっちのけだなんて、ずいぶんと余裕じゃない。でも、そうでなくっちゃね。キミは、ぶっちぎりでJリーガーになる男の子なんだから。
驚きなさい、鷲尾くん、片桐さん、星越!
さあ、反撃開始よ!
『ゴォォオオオオオオオオオオ――ッ!』
私の声と大声援が自然と重なり、栄成陣営で大波のごとくタオルが翻る。
同時に、ピッチを青い風が吹き抜ける――そんな幻想が、私の視界いっぱいを満たした。
おもしろい、続きが気になる、と少しでも思っていただけた方は『★評価・ブックマーク・レビュー・感想』などを是非お願いします。作者が泣いて喜びます。




