第172話
定刻が近づき、自軍ベンチで試合直前のミーティングが行われる。
近ごろは主に、永瀬コーチが指示を出す担当となっていた。豊原監督はベンチにどっしり腰を落ち着け、皆の様子をしっかり確認している。いまだに内密となっているが、今年度末の指揮官交代を睨んでの采配だろう。
ミーティングの内容は、フォーメーションや戦術などの最終確認。
試合の相手は、冬の選手権常連の名門――私立星越高校。
こちらは挑戦者としての自覚を持ち、『受け身ではなく試合序盤からガンガン仕掛ける』という方針が示された。
ミーティングが終わり次第、スタメンは揃ってピッチへ向かう。
僕は再びレガースを撫でてから、足元のタッチラインを跨ぐ……顔を上げてスタンドを確認するも、やはり美月の姿は見つからない。
「ぶちかまそうぜ、相棒」
「あ、うん。頑張ろうね、玲音」
ともにスタメンを飾った玲音とグータッチを交わし、栄成イレブンの一員として円陣に加わって気炎を上げる。こちらのユニフォームは青。
ピッチの反対からも、星越イレブンの気合の入った掛け声が聞こえてきた。あちらのユニフォームは紫。
「兎和くん……神園さん、スタンドにいないみたいだけど」
「あ、鷲尾くん……」
定位置の左サイドへ足を運ぶと、すぐに『#16』を付けた鷲尾くんが歩み寄ってきた。そして二人とも、ハーフウェーライン越しになんとも微妙な表情を浮かべあう。
あれだけ盛り上がっておいて、もっとも大切なゲストが不在……この試合は、予選決勝以外にも意味があった。
彼にとっては、美月への未練を吹っ切るための試合だったはず。
やるべきことは変わらないものの、僕としてもちょっとテンションが上がりきらない。
「観戦に来てくれるとは言ってたんだよね?」
「あ、うん……いつも試合には応援に来てくれるし」
「なるほど……だとしたら、何か『トラブル』があったのかもね」
美月は無断で約束を破るタイプじゃない。むしろ有言実行を絵に描いたような人柄だ。そのことは、誰よりも僕がよく知っている――だからこそ、鷲尾くんの一言が酷く気にかかった。
トラブル……もしかして、事故とかにあっていたりしないよね?
こんな時に限ってスマホはロッカールームだし、確認のとりようが……いや、親族の永瀬コーチならわかるのでは?
というか、コーチが平常通りということは、特に問題ないのだろう。
ならば、僕は試合に集中すべき……なのだが、どうにも気持ちがザワザワして落ち着かない。少しでも早く顔をみて安心したい。
それでも、否応なく時計の針は進む。
ほどなく、午後1時が訪れる。
両チームのイレブンがポジションにつき、主審の吹く長いホイッスルが端午の青空へと吸い込まれていく。
関東高校サッカー大会・東京予選、決勝――栄成高校VS星越高校、キックオフ。
決戦のファーストタッチは、栄成のCFを務める山岸恭吾先輩。
いつも通り、後方へボールを戻すと同時に前線のメンバーは走り出し、少しタメを作ってからCBの梅田先輩がロングフィードを放つ。
以降は、ボールを弾き返す展開が続く。
まずは試合の主導権を握るため、怯むことなく互いに体をぶつけ合う。攻守が目まぐるしく入れ替わる中、特に栄成はゲームプラン通りに前線へ激しく圧をかけていた。
試合が動いたのは、前半の折り返しを過ぎたころ。
起点となったのは、青いユニフォームを着た『#7』――すなわち、ピッチ左サイド(自分から見て)に布陣する僕だった。
堀先輩からのパスをトラップしつつ首を振って周囲を確認すると、チームはだいぶ前掛かりになっているように見えた。最終ラインもかなり押し上がっている……先制点を求め、リスクをかけて攻勢をしかけている証だ。
こういった状況では、プレー選択に細心の注意を払わなければならない。不用意な判断でボールを奪われれば、一転して大ピンチに陥る。なにせ広大なスペースが自陣に生じているのだ。カウンターを食らえば、あっさりゴールを奪われてしまうだろう。
どちらかと言えば気弱なプレーヤーに分類される僕としては、ちょっと苦手な展開でもある。
チームメンバーを信用していないわけじゃないが、どうしても自分がミスした際の悪いイメージがチラついてしまうのだ。テンパった挙げ句やらかして失点一直線、みたいな。
だから、迷わずリスクの少ない横パスかバックパスを選択する……いつもなら。
本日はどうにも集中力に欠け、まったく試合に入れていなかった――美月のことが心配すぎて、どこか上の空のままプレーしていた。
そのせいで、自分でもマヌケに思うような大ポカをやらかす。
「あっ……!?」
何を思ったのか、僕はもっとも相手の守りが固い中央にパスを差し込もうとしたのだ。味方もビックリの致命的なミス。しかも右のインサイドで蹴り出したボールに勢いはなく、インターセプトしてと言わんばかり……最悪なのは、これをカットしたのが鷲尾くんだったこと。
彼は星越の中盤の底、DMFとしてプレーしていた。
そして容易くボールを奪うなり、即座にカウンターを発動。そのまま数本のパスであっさり栄成ディフェンス陣の裏を取り、すかさずゴール前へと攻め込んだ。
ダメ押しに、駆け上がってリターンパスを受けた鷲尾くんが右足一閃。
見事なシュートを栄成ゴールに突き刺し、この試合の流れを手繰り寄せる先制点を上げたのである。
たちまち星越陣営から大歓声が轟く。
僕はピッチに立ち尽くし、頬を滑り落ちる汗をユニフォームの裾で拭う。同時に、己のやらかしたミスの重大さをこれでもかと痛感していた。
***
こんな日に限って話が長引くんだから、困ったものだわ。
車の助手席に腰を落ち着けた私、神園美月は、フロントガラスの向こうの渋滞の列を見据える。
先ほどまで、都内の撮影スタジオでファッション雑誌のモデルを務めていた。父が知り合いに頼まれ、どうしてもと言うから引き受けたの。
大事な試合があるから、本当は断りたかった。それでも時間を調整してくれるという話だったので、仕方なくオーケーした……までは別によかったのだけれど、撮影が終わってからが問題だった。
雑誌の編集さんに、専属モデルにならないかとしつこく勧誘されてしまったのよね。父の顔を立てるため無下にもできず、大幅なタイムロスを強いられた。
加えて、この道の渋滞。
私もハンドルを握る涼香さんも、ゴールデンウィークの混雑具合を甘く見ていた。
何より気になるのは兎和くんだわ。撮影中はバタバタしていたせいで、遅刻すると伝え損ねていた。ついさっきメッセージを送ったけれど、きっと確認出来ていないでしょうね。今頃はピッチで懸命にボールを追っているだろうし、そもそもスマホはロッカールームに置いてあるはず。
私のことを心配していないといいのだけど……まさか試合に集中できなくて、失点に繋がるようなミスを犯したりはしてないわよね?
なんか嫌な予感がする……少しでも早く顔をみて安心したいところね。
「涼香さん、もう少し急げない?」
「とっくにアクセル全開だよ。」
車はようやく渋滞を抜け、流れに沿いつつも法定速度厳守で進む。
涼香さんの運転は安心できる反面、急いでいるときはまるで期待できない。乗せてもらっている身で文句は言えないのだけど。
結局、私たちが会場の駒沢オリンピック総合競技場へ到着したのは、試合の後半開始と同じくらいのタイミングにまでずれ込んだ。
施設の駐車場で車を降りたら、涼香さんと一緒に小走りで第2球技場へ向かう。
もうすぐ兎和くんの顔が見られると思ったらますます気持ちがはやる――ところがスタンド上層の通路へ辿りついた途端、予期せぬ足止めに遭う。
「わ、本当に来たんだ」
ひとりの少女が不意に声をかけてきた。続いて、複数の男女で構成されたグループがぞろぞろと現れ、私たちの行く手を阻む。
対峙するように立ち止まって確認すれば、見覚えのある顔ばかり……というか、成城学院に通っていたころの同級生たちだった。
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