第169話
美月に対してどのような感情を抱いているかは不明だが、『自分は好かれていない』と自覚しているらしい。
これだけでもう、うっかり鷲尾くんに気を許しそうになる。本当のところは抜きにしても、ちゃんと会話ができる相手には違いない。てっきり恋心を拗らせた系の展開を予想していたから、肩透かしを食らった気分だ。
それならば、なぜ僕なんかに声をかけてきたのだろう……という当然の疑問が残る。
「どうしても気になっちゃって。だって、あの神園さんが同年代の男子と親しげにしていたから。それも相手が、栄成の『7番』でしょ?」
「別に普通だと思うけど……」
どうやら、鷲尾くん的には珍しい光景だったみたい。
僕としてはいつも通り。そもそも美月は、普段から慎や三浦(千紗)さんを交えて談笑したり、サッカー部の玲音や拓海くんとも話したりしている。好き嫌いこそハッキリしているものの、男女問わず同世代の友達がたくさんいる。
「そうなんだ……もしかしたら、誰かの影響で変わったのかもね。昔は、ほとんど男子を寄せ付けなかったんだ。仮に近づけても、するっと猫みたいにどこかへ隠れてしまう」
これはちょっとした昔話だ、と前置きしつつ鷲尾くんは続けて語る。
美月との出会いは、幼稚園の頃まで遡る――当時から彼女は人気者で、自然と皆の輪の中心にいた。まだ男女の区別なんかも曖昧で、今にしてみれば穏やかな時間が流れていた。
しかし、小学生になると状況が変わる。
成城学院の附属幼稚園は1クラス制だったが、小学校に進むと外部からの新入生が加わり、一気に活気づく。早くも美少女の面影を宿していた美月は、この頃からいっそう注目を集めるようになった。
「ちょうど同じくらいの時期に、『神園さんはサッカー好き』って噂が流れて、男子はこぞって親にボールをねだっていたな。俺もその一人だったけどね。あ、今は本当にサッカーが好きで頑張ってるよ」
美月の影響でボールを蹴り始める男子が爆増し、学内のサッカークラブが定員オーバーするほどだったみたい。
ともあれ、それからの日々は問題続き。美月の気を引こうと意地悪する男子がいたかと思えば、彼女の文房具や私物を盗もうとする者も現れる。未遂で済んだが、保護者を巻き込む大騒動にまで発展した。
さらに好きな相手を奪われたと泣き叫ぶ女子までもが続々と現れ、分別がつきづらい年頃だけに混乱は拡大する一方。
付属中学へ進学する頃には、美月は完全に学校のアイドルとして祭り上げられていたそうだ。しかも学内の男子の半数以上から恋の矢印を一方的に向けられ、本格的な恋愛絡みのイザコザに絶えず巻き込まれるようになった。
ここで、いったん話を区切る。
店員さんが、注文した品をサーブしてくれたのだ。
「かくいう自分も、小学校のときからずっと神園さんが好きだったんだよね……俺たちが『付き合っている』なんて噂が流れた時期もあったなあ」
鷲尾くんはカフェラテで唇を濡らしてから、重要な情報をさらっとカミングアウトする。ついでに、懐かしそうに過去を振り返っていた。
もちろん事実無根である。しかし親同士が知り合いで存在感のある男子という理由から、二人は何かと結びつけられがちだったそうだ。
つーか、普通にイラッとするな。
僕もコーヒーに口を付け、どうにか気持ちを落ちつかせる。
それに、『好きだった』ね……今はどう思っているのだろう?
とにかく、詳細に関する言及はなかったが、中学時代もトラブル満載だったらしい。同時に美月は、男子どころか衆目すらも避けるようになっていった。巻き込まれるのを疎んじたのだろう。
このあたりの話は、僕も前に涼香さんから軽く聞いたな。去年の体育祭のあとだったか……確か、学校のイベントはことごとく欠席していたんだっけ。
「そして中3になったばかりのある日、『神園さんが外部進学する』という噂が流れてきた。急な話だったから、ショックだったよ……でも、誰かがこう言い出したんだ」
神園さんは星越高校の芸能コースへ進学して、アイドルとして本格的にデビューする――そんな情報で、当時の成城学院は持ち切りだったという。
「信憑性があったし、俺は迷わず星越高校への進学を決めた……彼女のことがまだ好きだったから、どうしても離れたくなかった」
結果、彼はサッカー部のセレクションに見事合格し、推薦での進学を勝ち取った。だが、ひとつ重大な誤算があった……星越高校のサッカー部は、グラウンドの都合で八王子市のグループ校へ通学する決まりとなっていたのだ。
美月が志望すると噂の芸能コースは、東京都中野区に立地する。当然、校舎は別。星越に進学した意味が霞んでしまう。
それでも学校行事は合同で行われるので、少ないながらも顔を合わせる機会はある。ましてサッカー部は『冬の選手権』の常連。ここで活躍すれば、これ以上ないアピールになる――そう自分を慰め、鷲尾くんは星越高校の門を潜る。
ところが、現実はもっと残酷で……美月はまったく別の高校へ進学していた。
おまけに、芸能コースの噂は本人が流したデマだったと友人づてに知らされる。
「聞いた瞬間、膝から崩れ落ちたよ。神園さんはごくわずかの女友だちを除き、成城学院時代の縁を完全に切るつもりなんだって……こんなに強烈な失恋って他にある?」
こうして鷲尾くんは、完全にハートブレイク。以降は、やるせなさをサッカーにぶつけることでどうにか乗り越えてきたという。
その甲斐あって、2年生ながら名門の星越でスタメンを確保できたそうだから、きっと才能もあったのだろう。腐らず努力した点も好感が持てる……けれど、不憫さが何よりも先に立つな。
ところで、それが僕とどう関係するの?
「話は戻るけど、俺は『別の高校を選んでも神園さんの状況は変わらない』と勝手に予想していた。だからさっき、男子とあんなに親しくしているのを見てマジでびっくりしてさ。同時に、納得したよ。彼女と釣り合うのは、兎和くんのような『天才』なんだなって」
「……え? 僕が天才?」
「うん。選手権でのドリブル突破、あんなの普通じゃムリでしょ。間違いなくキミは怪物だ」
自分への評価なのに、まるで他人事に聞こえるから不思議だ。
じゃない方の白石くん、なんて学校で呼ばれている僕だぞ……いまだに『蛮族出身のモブ王』とか変なあだ名も定着したままだし、天才とかまるで実感がわかない。
「正直、まいったよ……東京ブロックの同年代には、あの黒瀬蓮がいる。以前まで『選手権は東帝が一枠、もう一枠を他校で争う』って構図になると予想されていたんだ。でも今じゃ、栄成の『7番』が急激に台頭してきて話題騒然だよ」
黒瀬蓮と白石兎和(栄成の7番)。
この二人が今後、東京ブロックの台風の目となる――都内のサッカー部は、そう認識を改めつつあるらしい。
それってどちらの白石くんですかね……なんて尋ねたくなるが、先日の7得点の噂が拡散中みたいだから僕で間違いない。
「本当にその才能が羨ましいよ。だから、思わずキミに声をかけていたってわけさ」
「そっか……でも実際の僕は、そんな大した人間じゃないから。がっかりでしょ」
「いいや、そんなことない。すごいプレーヤーなのに謙虚で、話していると人の良さが伝わってくる。もし同じ学校に通っていたら、友だちになれていたかもね」
けれど、と。
鷲尾くんは瞳に力を込め、真っすぐ僕を視線で射抜く。
「キミばっかりズルいじゃないか。だからせめて、関東大会の出場権は俺がいただく。インターハイや選手権の予選も、全部うちが勝つ――これは、キミに嫉妬する惨めな男からの挑戦状だ」
それは、紛れもない宣戦布告だった。
同時に、恋を正しく終わらせるための儀式でもあるのだろう。
なんとも自分勝手で、どうしようもないほど青春だ……これを僕が断れるはずもない。
だから、受けて立つべく口を開く――けれど、答えるまでもなかった。すかさず背後から、代わりの答えが飛んでいったから。
「あら、上等じゃない。星越が、栄成に勝つって? 鷲尾くんは、この私と兎和くんに勝てるつもりなのね」
「やあ、神園さん。ようやく、ちゃんとした笑顔を見られたよ……いや、『この私』ってなに?」
「兎和くんの専属マネージャーなの。個人的に色々サポートさせてもらっているわ。だから、アナタの相手は『私たち』になるってわけね」
振り返れば、ドレス姿の美月が背後に立っていた。どうしてここに……と僕が尋ねる間もなく、「兎唯ちゃんからメッセージが届いたのよ」と教えてくれた。
そして彼女は視線を切り替え、その青い瞳をひときわ輝かせながら笑みを深める。
「鷲尾くんって、ずいぶん面白いことを言う人だったのね。もっと早く知っていれば、もう少しくらい仲良くなれたかも」
「本当だったら、これからの俺を見てほしかったんだけど……」
「ちゃんと見ているわ。この私と兎和くん、二人の敵としてね。関東大会の予選、ちょうど張り合いがなくて困っていたの。でも、よかった。おかげで、うちのエースがより高く羽ばたける」
楽しくて仕方がない、といった様子の美月。
微塵も負けるつもりはないらしい……無論、僕だって同じ気持ちだ。勝ちたい理由がひとつ増え、俄然闘志が湧いてきた。
「あははは、これは本気でまいったな! 敵になって、初めて俺に興味を示してくれるんだね……だったら、是が非でも勝たないと。ちょうど成城の同級生たちも応援に来てくれる予定だったしさ」
「ますます面白くなってきたわね。サッカーはこうでなくちゃ!」
「じゃあお二人さん、『関東サッカー大会・東京予選』の決勝で会おう。間違っても準決勝で負けるなよ? そんな展開は萎えるからさ」
「そっちこそ。さあ兎和くん、帰りましょう」
話が一段落し、この上なくご機嫌な美月。
カッコイイところを全部とられてしまい、ちょっと腑に落ちない……が、どっちが言ったなんて些細な問題だ。
帰りは旭陽くんが運転する車で送ってくれるというので、僕も決勝での再会を約束して席を立つ。鷲尾くんも帰宅するタイミングだと判断したらしく、便乗すべく口を開く。
「じゃあ、俺も一緒に出ようかな」
「鷲尾くんには、私から紅茶をプレゼントするわ。3杯ほど注文しておいたから、どうぞごゆっくり。行くわよ、兎和くん」
なんて周到な手際……いや、今は鮮やかな嫌がらせに驚いている場合ではない。
僕は店を出たら、少し先を歩く美月に声をかけた。
「ごめん……鷲尾くんから、勝手に美月の昔話を聞いちゃった」
「そうだったのね。別に隠しているわけじゃないから、謝る必要はないわよ。それより、面白いことになったわね。私たちの力で、星越をコテンパンにやっつけてやりましょう!」
どうやら美月は気にしてないらしく、ホッと一安心。
それにしても、相変わらずサッカーが関わるとすぐ熱くなる……が、そこがいい。僕だって、とっくに火がついている。
「そうだな、やってやろう。僕たちの力をたっぷりみせつけてやろうぜ!」
「ふふ、その意気よ! 私たちが負けるはずないんだから――よくできました、100点ハナマルね!」
彼女が足を止めて振り返ると、目の覚めるようなブルーのドレスがふわりと広がる。
その笑顔は、うっとりするほど美しかった。もはや、これを見るのが僕の生き甲斐ですらある。
これは、いよいよ気合い入れて臨まないと――決戦は目前に迫るゴールデンウィーク終盤。絶対に負けられない戦いが、僕を待ち受けている。
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