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第167話

 発表会は順調に進んでいく。

 終盤に差し掛かると大人の出番が多くなり、演奏のレベルもまた一段と上がった……と、プログラムの合間に涼香さんがこそっと教えてくれた。


 正直、僕に細かい違いはわからない。ただ確かにみんな素晴らしく、ネット発の超有名曲である『千本の桜』が流れ出した際は完全に聞き入ってしまった。


 もっとも、美月の演奏には敵わないけれど。先ほどの鮮烈な音と光景は、いつまでもこの胸に残って消えることはない――そう断言できる。

 

 それでも、個人プログラムを終えてアンサンブルに入ると、僕は再び強い感動に襲われた。


 登場したのは、高校生と大人の4名。次いでヴァイオリンとヴィオラによる『鹿と馬』が披露され、美しいメロディーに観客は酔いしれた。


 数年前にドラマ主題歌ともなった大人気のポップス曲で、去年のゴールデンウィークのカラオケ会で慎が歌っていたのをふと思い出す。


 さらに数曲を挟み、発表会はいよいよフィナーレへ。ステージに小学生の高学年~大人の出演者とピアノの伴奏者が勢揃いし、合奏の準備を整える。


 その中には、もちろん美月の姿もあった。全体中央のやや後方あたりの配置である。

 ここでも自然と視線が結ばれ、互いに表情を緩め合った。


 ほどなく主催者の女性がステージ中央に進み出て、観客に一礼。そのまま奏者側へ向き直り、声をかけつつ全体の調整状況にチェックを入れていた。多分、指揮をするのだろう。


 ややあって準備が整ったらしく、アナウンスで合奏の開始が告げられる。曲目は、パッヘルベルのカノン。僕ですら口ずさめるクラシックの傑作だ。

 

 そして、次の瞬間。

 指揮者の合図に呼応し、ステージ中央に立つ男性が右手の弓をゆっくり滑らせた。

 さらに主旋律を次々と他の奏者たちが追いかけていき、たちまち優しくも温かい印象的な響きがホールを包み込む。


 穏やかな面持ちで演奏する美月を視界の中央に収めながら、僕は美しく調和する癒しの調べに身を任せた。


 しばらくして、波が引くような余韻を残して演奏が終わる。その途端、ステージへ向けて大喝采が送られた。もちろん僕も全力で手を叩いた。


 うっとりするようなひと時だった。どうしてこの曲を聞くと、こんなにも心が和らぐのだろうか。しかも美月が演奏していると思えば、ヒーリング効果もひとしおである。


 その後、ステージには主催者の女性ひとりが残り、プログラムは閉会の挨拶へと移行する。


 僕は耳を傾けながらも、招待してもらって本当に良かったな、としみじみ感じていた。最初は寝落ちしないかと不安だったけど、結局はアクビひとつこぼさなかった。


 きっと生演奏のおかげだろう。やっぱり、スピーカーなどを通して聞くのとぜんぜん違った。臨場感や音の響きが段違いだったように思う。


 これを機に、本格的に音楽を趣味とするのもいいかもな――などと僕が考えていたら、閉会の挨拶が終わってまたも大喝采がホールを包む中、隣の妹がこんなことを言い出した。


「……お兄ちゃん。兎唯ね、帰ったらパパにヴァイオリンおねだりしようと思う」


 おいおい、それは流石に父も困るって。ヴァイオリンなんてそう安い物じゃないし、スクールへ通うのだって結構な費用がかかるはず。


 そもそもキミ、小さい頃にピアノ習いたいって大騒ぎしたクセに、ひと月でやめちゃったじゃんか……けれど、憧れる気持ちは痛いほどよくわかる。

 やれやれ、仕方ない。可愛い妹の望みだもんな。


「僕もフォローするから、買ってもらえたらちょっと貸してね?」


 ステージへ拍手を送りながら、厚い援護を約束するのだった。

 楽器できる人って素敵だよね。今回の美月を見て、改めて感じた。それに、経歴の趣味欄にヴァイオリンとか書いてあったら超カッコいいし。

 

 思惑がピタリと一致した僕と妹は、揃って深く頷きあう……だが、全プログラムを終えて大賑わいするロビーでの待機中、母に呼び止められ釘をブッ刺されてしまう。


「ヴァイオリンなんてうちでは買えないわよ。お父さんに変なこと頼んじゃダメだからね。そもそも、兎唯は受験勉強があるでしょ。そっちに集中しなさい」


 どうやら、先程の会話を聞かれてしまっていたらしい。

 妹はイヤイヤとダダをこねて抵抗するが、こうなってしまってはもはや手のうちようがない。我が家の実権は母が握っているのである。


 残念だが、ヴァイオリンは諦めるか……さて、僕は花束を回収してこよう。

 ホールを出る際に旭陽くんが迎えに行ったので、もうすぐ美月がこちらへやって来るはずだ。


 受付の列の最後尾に並び、周囲の上品オーラに場違い感を刺激されながら待つこと少々。預けていた花束を抱え、僕はみんなのところへ戻った。


 すると、グッドタイミング。

 目の覚めるようなブルーのドレスを身にまとった美月が、ちょうど反対側から歩み寄ってくるところだった。


 彼女は合流してまず、「本日はお忙しい中お越しいただき、本当にありがとうございました」と丁寧にお辞儀した。そして顔を上げたところで、僕たちはおのずと向かい合う。


「美月、お疲れ様!」


「わっ、綺麗なお花ね! ありがとう、兎和くん!」


「演奏、最高だった! 本当に感動してさ、僕と兎唯なんて泣いちゃったよ! 選曲も美月らしかったし、誰よりも上手に聞こえた! 今もまだ余韻がハンパなくて、なんかもう心がずっと震えてる気がする!」


 花束を手渡した瞬間、美月の笑顔はより一層輝いた。


 僕もつられて舞い上がり、つい感想を捲し立ててしまう……が、どうにも反応が著しくない。何やら困った風に少し眉尻を垂らし、「嬉しいけれど、ちょっと大げさよ」と謙遜するような言葉が返ってくる。


「本当は『愛の挨拶』とかを演奏したかったんだけどね。ちょっと難しくて、先生に曲とアレンジの難易度を下げてもらっちゃった」


 高校に入ってからは練習時間がぐっと減り、ヴァイオリンの腕前が衰えてしまったそうだ。


 チクリ、と罪悪感が胸を差す……どう考えても僕のせいだ。

 毎日のようにトラウマ克服トレーニングに付き合ってくれて、試合まで見に来てくれている。とてもではないが、ヴァイオリンに割く余裕なんてあるはずもない。


 反射的に、僕は謝罪を口にしようとした――しかし寸前で、美月に人差し指で頬を突っつかれて言葉を遮られる。


「こらっ、そんな顔しないの。あまり大きな声では言えないけど、私は元々ヴァイオリンにあまり熱心じゃなかったのよね。何より、今がとっても楽しいんだから」


「美月……本当にいつもありがとう」


「こちらこそ、いつもありがとう。でも、そうね。兎和くんと兎唯ちゃんがそんなに喜んでくれるなら、またちょっと練習してみてもいいかな」


 謝罪じゃなくて、お礼を口にして正解だった。

 堪らなく嬉しくなってきて、ついはにかんでしまった……直後、周囲から向けられる温かい視線の気配に気づく。


「あらあら、まあまあ。二人は本当に仲良しさんなのねぇ。とっても素敵だわ」


「美月ちゃん。うちの子は何かと奇行が多いけど、これからもどうかよろしくね」


 こちらが会話を中断するや、すかさず互いの両親からのからかいが飛んでくる。まるで開演前のリピートだ。


 お願いだから、そういう絡みはマジやめて。こっちは、いろいろとセンシティブなお年頃なのだ……あれ、これもリピートじゃないか?


 まあ、いい。美月が空気を読んで「はい!」と応じるのを聞きながら、恥ずかし紛れに妹を前へ押し出す。敬愛するお姉さまに甘えたくてウズウズしていたからな――ところが、そこで予期せぬ邪魔が入る。


「お話し中、失礼します。神園さん、久しぶりだね」


 同年代の見知らぬ少年が歩み寄ってきて、美月に声をかけてきた。

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― 新着の感想 ―
この空気に割って入れるとか… これは強メンタル笑
見知らぬ少年くん、好きな子(?)が見たことのない表情をしている時は、割って入らない方がいいと思うよ。メリットないよ
遂に来るか……恋敵! なお、兎和のオッズ。
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