第163話
衝撃的な展開が繰り広げられるピッチから、俺――有村悠真は目が離せなくなっていた。
前半の折り返しの時間帯に、兎和先輩が驚愕のハットトリックを達成。この活躍により、栄成はあっさり3点のリードを奪う。しかもチームはまったく手を緩めず、おせおせで試合を進めていく。
ピッチを駆ける選手たちの声と息づかい、風にはためくユニフォームのうねり、人工芝の上で弾むボール――ここスタンド最前列には、あらゆる音が熱気に乗って届く。
肌を打つ臨場感と盤石の試合運びが相まって、栄成陣営の興奮も高まる一方だ。特に兎和先輩がボールを持てば瞬時に沸き立ち、耳が痛くなるほどの声援が飛ぶ。
あれが、エース……チームメイトどころか、スタンドの観衆まで虜にしてしまっている。
ピッチでもその存在感は圧倒的で、駒場瑞邦の選手たちは警戒するあまり自然と引き寄せられ、ディフェンスブロックに意図しない偏りを生んでしまっていた。
もちろん栄成は、この隙を見逃すほど甘くも未熟でもない。
兎和先輩がディフェンスを引き付けたら、チームは空いたスペースを戦術的に活用し始める――この狙いが功を奏し、他の先輩たちが立て続けに2点を挙げる。
その後、プレーが途切れたタイミングで主審が長い笛を吹く。
結果、栄成は5点の大量リードを保って前半を終える。
ハーフタイム中、スタンドの栄成陣営は兎和先輩の話題で持ち切りだった。
当然の成り行きである。前半だけでのハットトリックなんて見せられたのだから、騒ぐなって言う方がムリだ。
隣で大興奮している寿輝の話では、駒場瑞邦は超進学校ゆえに新1年生のみでチームを構成しているらしい……それを差し引いても、兎和先輩のパフォーマンスはまさに破壊的。
まして相手は、昨年の全中サッカー大会で準優勝に輝いたメンバーたちだ。キープレイヤーの寿輝こそ欠くものの、ここまで点差がつくなんて驚き以外のナニモノでもない。
栄成サッカー部ってこんなに強かったのか……これまで以上に格の違いを感じさせられる試合展開だ。
「……つか、兎和先輩ってなんで栄成にいるんだよ」
新進の強豪にして、昨冬の選手権では絶対王者・青森田山をあと一歩まで追い詰めた。年々上昇曲線を描く実力は折り紙付きで、もはや栄成は名門校に匹敵しうる――そんな講評を以前ネットで目にした。
だが、兎和先輩は完全に規格外だ。
どう考えても、栄成なんかの枠に収まるプレーヤーじゃない。
「アホ悠真のクセによくわかってるな! 兎和先輩は完全に別格だぜ!」
「……アホ寿輝、もうそんな次元じゃねーよ。Jリーグアカデミーが大事に囲って、すぐにでも『2種登録選手』として契約を求めるレベルだ」
俺がポロッとこぼした呟きに、寿輝が上機嫌で反応する。
たったいま話題にあげた『2種登録』とは、ユースなどの下部組織に所属しつつもプロの試合に出場できる契約である。
つまり兎和先輩は、現時点でもJリーグで通用しそうな逸材というわけだ。あるいは、『同世代のトップ・オブ・トップに君臨するプレーヤーのひとり』と言い換えてもいい。
もちろん、これはあくまで俺の見立てだ……が、生憎と選手の目利きには自信がある。なまじJリーグアカデミーで育ってきたばかりに、ムダに目が肥えてしまっているのだ。
そして俺たちは、あの領域に足を踏み入れたプレーヤーを半分本気でこう表現していた。
「アレは、フェノーメノ――兎和先輩は、間違いなく『怪物』だよ」
兎和先輩の場合、なおさらしっくりくるから恐ろしい。
だから、なんとなしに口にしてみたのだが……近くにいた寿輝と坂東理玖の心には、よほど強く響いたらしい。
「フェノーメノ……」
「怪物……」
まるで熱に浮かされたかのように、二人は繰り返し呟き始めた。おまけに『俺たちも怪物になるんだ!』なんて騒ぎ出すものだから、つい呆れてしまった。
アレは、限られた人間だけが到達できる領域だ。そもそもこの二人だって、自分より遥かに優れた『才能』を見てきただろうに……悔し涙を散々流してきたはず。
正直、理解できない。
どうしてそんなにも、無邪気に自分を信じられる? まっすぐ前を向いていられる?
「はあ? 信じる信じないの問題じゃねーだろ。ただ、諦められないだけだ。何度打ちのめされたって、まだやれるって心が叫ぶんだよ」
少し熱くなり、自分らしくもなく素直に尋ねてしまっていた。すると寿輝は、あっけらかんと答えた。しかも『逆にお前の発言が理解できない』とでも言わんばかりの表情を浮かべ、問い返してくる。
「だいたいさ、お前はそれで愛せるのか?」
「……は? 愛せるって、何をだよ」
「諦めて、チャレンジもしないで大人になった自分を――そんな未来を愛せるのか?」
まっすぐな瞳で、何のてらいもなく言い切る寿輝。
よくそんな気恥ずかしいセリフを……と、俺は思わずツッコミを入れる。けれどコイツは、またも大真面目な顔でこう続けた。
「ぜんぜん恥ずかしくなんかねーよ。むしろ、戦いもせずあっさり諦めちまうほうがよっぽど恥ずかしいだろ」
その寿輝の言葉を聞き、まるで酸欠にでもなったような心地に陥る。
きっとコイツは傷だらけになりながらも、失くしちゃいけない大切な気持ちをここまで守り通してきたのだろう。
頭の中で、先程の『愛せるのか?』という問いが何度もループする。しかし答えは出ず、思わず黙り込んでしまった――再びピッチに戻ってきた両チームのメンバーへと視線を送ることで、俺はどうにか思考を切り替えるのだった。
その後、駒場瑞邦ボールで後半がキックオフ。
相手は、『5バック』にフォーメーションを変更して臨む……が、これが完全に裏目に出た。
守備を意識するあまり重心が下がり、逆に栄成の攻撃の活性化をアシストしてしまったのだ。そのため、後半はほとんど瑞邦陣内でのハーフコートゲームの様相で推移した。
加えて、攻撃を捨ててまで固めた守備ブロックを容易く切り裂かれるのだから、泣きっ面に蜂どころの騒ぎではない。
後半の早い時間帯に、連携プレーから兎和先輩が2得点を追加した。これで『#7』を背負う栄成のエースは単独で5得点をマークし、いわゆる『レポケル』を達成。まさに怪物と呼ぶのがピッタリの暴れっぷりだ。
ここまでくると、スタンドの栄成陣営はもうお祭り騒ぎ。兎和先輩がドリブルを仕掛ける度に後押しするような大歓声が轟き、一斉にタオルを振り回して狂喜乱舞していた。
反対に駒場瑞邦は、見ているこっちが哀れになるほど士気を失っていく。ピッチの選手たちの顔色もどんより冴えない。
それでも、やはり栄成は攻め手を緩めない。
後半の中頃に玲音先輩や拓海先輩がピッチへ送り出されると、兎和先輩はさらにギアを上げて躍動し、見事な得点とアシストを記録するのだった。
ボールを持てば何か起きる、そう予感せずにいられない。さらに圧倒的な存在感が合わさり、もはやオーラと表現するにふさわしいほどの迫力が兎和先輩からは立ち昇っていた……あれこそ、才能の輝きだ。
俺は咄嗟に目を伏せた。
あの輝きは太陽と同じで、直視すれば失明しかねない。
不意に、大好きだった兄の姿が脳裏にフラッシュバックする――今は部屋に閉じこもり見ることもできなくなった、あの頃の兄の笑顔が胸を締め付ける。
結局のところ、栄成は12得点を奪って大勝を収めた。しかも完封して、駒場瑞邦を完膚なきまでに叩きのめしたのである。
兎和先輩に至っては、7得点の大活躍。ダブルハットトリックを超え、自分の背番号と同じ数のゴールを決めてみせた。そのうえアシストまで記録している。
ああ、くそっ……才能なんて不公平で理不尽なモノ、やっぱり大っきらいだ。
湧き上がる大歓声に包まれながら、俺はくしゃりと前髪を握り込んでいた。
***
長く尾を引くようなホイッスルの音が響き、試合はタイムアップを迎えた。
汗だくのまま見上げた会場の電光掲示板には、『栄成12―0駒場瑞邦』と表示されている。
僕の個人記録は、多分7得点で間違っていないと思う……途中からプレーに集中しすぎて、余計な思考が頭から抜け落ちていた。
栄成はピッチメンバーのみならず、スタンドで応援してくれた皆も歓喜に湧いていた。対象的に、駒場瑞邦の選手たちはガクッとピッチに膝をついて項垂れている。
そんな中、例の凌牙くんの元へ歩み寄り、僕は手を差し伸べつつ声をかけた。
「あの、ちゃんと伝わっていたら嬉しいんだけど……」
栄成が本気で高校サッカー界のトップを狙うチームで、その道はプロにだって続いている――寿輝くんの選択は、決して間違ってなんかいなかったと。
もちろん、どっちが立派だとか偉いとかの話じゃない。
向かう先は違うけど、僕たちは共に夢へ向かう途中にいる。だから、比較して羨んだりするのではなく、お互いに応援しあえたらいいよね。
「僕たちは、寿輝くんを連れて先に進むよ。キミたちも頑張って。いつかまた、笑顔で話ができるようになることを願っている」
返事はなかった。けれど、凌牙くんは差し伸べた手を取ってくれた。
これなら大丈夫……な気がする。それに、僕にできるのはこれが精一杯。
とにかく、あとは寿輝くんに任せよう。あの熱血サッカー少年なら、この試合から何かを感じ取ってくれたに違いないのだから。
僕は軽く別れを告げ、その場を離れた。
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