第147話
「まったく……久保寿輝、余計なことは言わんでよろしい。今年の新入生も元気いっぱいだな。さあ、自己紹介を続けるぞ」
あんまりな展開に誰もが固まる中、まっさきに再起動したのは豊原監督だった。
おかげで場の空気が和らぐ。それに、ずいぶんと慣れた感じだ。
きっと、やんちゃな子を何人も指導してきたんだろうなあ……昨年度は白石(鷹昌)くんがブチかましていたし、わりと恒例行事なのかも。そう考えると、大所帯のチームを率いるのは本当に骨が折れそうだ。
以降は、無難な自己紹介が続いた。けれど、なんだか皆ギラギラしているような気がする……全員がセレクション合格者だからだろうか。
栄成サッカー部は、年々実力を高めているという。永瀬コーチによれば、『新進の強豪校』から『名門校』への進化の途上にあるらしい。ならば当然、新入部員のレベルも高くなる。今年のチーム内サバイバルも一段と熾烈さを増す予感がプンプンだ。
実際、僕の読みは大きくハズれなかった。自己紹介タイムが終わってすぐ、プレーヤー全員の緊張感を一気に引き上げるような発表がなされたのである。
再び新入部員たちが加わって半円陣を構成すると、改めて豊原監督が口を開いた。
「最後に、本年度からの新たな方針を伝えておく。知っての通り栄成は、この前の選手権で青森田山に敗れた。世間では『惜敗』と評価されている……だが、俺やコーチ陣の見解は違う。率直に言えば、うちの『完敗』だった」
栄成はあの一戦に照準を合わせ、万全の準備を整えた。試合中もペース配分を捨て、勝つためにあらゆる手を尽くした。
一方、青森田山は自分たちのスタイルを崩すことなく迎え撃った。基本戦術を貫き、普段通り安定した強さを見せつけた。
要するに、勝負への意気込みがまるで違ったのだ。
栄成はすべてをかけて臨んだ。対して、青森田山は通過点のひとつとして捉えていた。
ラスト10分とPK戦では相手を慌てさせることに成功したし、試合自体は素晴らしいものだった。だが、冷静に分析すれば歴然とした地力の差が浮き彫りとなる――それゆえ、豊原監督たちはあえて『完敗』と位置づけたそうだ。
「よって、本年度は総合力のさらなるベースアップを目指す! ついては、トレーニングに各カテゴリの『対抗戦』を多く組み込む予定だ」
栄成サッカー部は充実したピッチ環境を活かし、日々紅白戦を行っている。監督たちはそこからもう一歩進めて、各カテゴリが入り混じっての真剣勝負を増やす方針を掲げた。
具体的には、月に3回ほど対抗戦を実施するらしい。部全体のレベルアップと隠れた才能の発掘や覚醒を狙っているという。
結果が求められるのはもちろんのこと、チーム内サバイバルが熾烈を極めるのはやはり確定的。
「それでは、新入生を加えた本年度最初のトレーニングを始める。各自が定めた目標へ向け、日々を大切にしながら邁進してほしい! では皆、怪我しないよう集中して頑張っていこうッ!」
『――ヨシ行こうッ!』
爽やかな青空のもと、部員たちの掛け声がピッチに響き渡る。
少しだけ肌寒さの残る春休み初日――新たな仲間を加えた栄成サッカー部は、より高いステージを目指して本格始動した。
さあ、僕も気合い入れていくぞ。
目指すは冬の選手権優勝だ!
***
「――俺と『1対1』やりましょう!」
相馬先輩かな?
いや、違った。声に反応して振り返ると、久保寿輝くんがボールを蹴りながら近寄ってきていた。自己紹介でささやかな波乱を起こした新入生だ。
春休み初日の部活は、いきなり午前・午後の2部編成で実施された。僕はトップチームのトレーニングに参加したが、わりとハードだった。
現在は、同じチームでプレーする玲音や里中くんと雑談しつつ、ホームのメインピッチの端でクールダウン中。久保寿輝くんが所属するDチームも、サブピッチでトレーニングを終えたばかりのようで……汗だくではあるものの、物足りなさそうな様子だ。
「白石先輩、相手してください! お願いします!」
「あ、うん……いいけど、僕はこのあと予定あるからあまり長くは付き合えないよ?」
はじめましてなのにグイグイだな……ちょっとビビる。それに少し時間を置いて、美月との『トラウマ克服トレーニング』が控えている。本来なら断るべき場面だ。
けれど、僕はつい誘いに応じてしまった。
実を言うと、『先輩』というワードが心に深く刺さった。効果は抜群だ。
ジュニア(小学生)時代は、年齢差をあまり意識していなかった。
ジュニアユース(中学生)時代は、塞ぎ込むあまり他人との関わりが薄かった。
だから、後輩とちゃんと触れ合うのはこれがほぼ初めて。しかも慕われているみたいで、どうしても顔がニヤけちゃう……しゃーない、ちょっと胸を貸してあげますか!
僕は先輩風をびゅうびゅう吹かせながら立ち上がろうとした――が、すぐに勢いをそがれる。隣にいた玲音が、「まあ待て」と話に入ってきたのである。
「久保寿輝よ、いったんそこに座れ。みんなお前に興味がある。いろいろ事情をきかせてほしい」
「了解っす、失礼します! 俺のことは『寿輝』でいいですよ」
「では、こっちも玲音でいい。あと、兎和と拓海もな」
すごい……自然と名前で呼び合う流れになった。ずっと思っていたけど、玲音って本当にコミュ力高いよな。学内でもけっこう人気あるみたいだし。
個人的に気になるのは、里中くんの呼び方だ。僕もそろそろ名字じゃなく、『拓海くん』と呼んでいいのかな?
こういうのって、急に変えるとなんか照れくさいよな……けれど、他にも名前呼びのメンバーは多いし、逆に気にし過ぎなのかも。きっと、一度呼んじゃえばスタンダードとして定着するはず。
よし……そうと決まれば、さっそくトライしてみよう。
「あ、あの、たくみ――」
「――それで、寿輝。お前はどうして栄成に? セレクションを受けに来たと話題にはなっていたが、本当に進学してくるとはな。みんな驚いているぞ」
玲音の質問に遮られ、僕の声は届かなかった……完全にタイミングを外した。残念だけれど、また今度トライしよう。
それはさておき、寿輝くんって実は、サッカー選手としてちょっと有名だったりする。
出身の『私立駒場瑞邦中学校』は、非常に高い偏差値を誇る都内トップレベルの進学校だ。なおかつサッカー部も強豪として名を馳せており、まさに文武両道を地で行く校風で知られる。
加えて、本人は『10番』を背負ってエースとして躍動。昨年夏に開催された『全国中学校サッカー大会』ではチームを準優勝へ導き、同大会で選出される20人の優秀選手にも名を連ねている。
つまり、久保寿輝という選手は、中学サッカー界(部活動限定)で『トップ20』に入る実力者なのだ。
聞くところによれば、青森田山の中等部を破って決勝に進出したらしい。
どう考えても、サッカー名門校からスカウトがくるレベルの逸材だ。なので、『そんな彼がなぜ栄成に?』とずっとウワサになっていた。
さすがに年代別日本代表歴を持つあの『黒瀬蓮くん』には及ばないが、全国的に高い評価を受ける選手のひとりであることは間違いない。もちろん、僕たちのひとつ下の年代での話だ。
ちなみに、蓮くんを擁する東帝高校も前回の選手権に出場したが、残念ながら3回戦で敗退している。
「どうして栄成にって、自己紹介でも言ったじゃないですか。俺は、兎和先輩に憧れてこの学校を選んだんです。テレビで青森田山戦を見てたんですけど、あのドリブルを思い出すだけで今も震えますよ!」
寿輝くんは、テンションを一段上げて玲音の質問に答えていく。
何を隠そう、本当は別の高校への進学を検討していたそうだ。当然、スカウトも来ていた。
では、なぜ栄成のセレクションを受けたのかといえば、自宅にわりと近く、トレーニング環境が充実していると聞いたからだという。
しかし、有望選手は引く手あまた。普通は複数のセレクションを受け、合格したなかで自分の実力と釣り合う進路を選ぶものだ。それゆえ栄成は、候補としては下位に過ぎなかった。
ところが、冬の選手権で心境が一変する――僕の得点シーンがあまりに衝撃的で、他のスカウトをすべて断って栄成への進学を決意したという。
自分のプレーが誰かのサッカー人生に影響を与えた……褒めてもらえるのは素直に嬉しいが、ちょっと怖い気もする。
「あの試合を見たあと、どうしても一緒にプレーしたくなったんです。兎和先輩となら冬の選手権で優勝できそうだなって――そんで俺、高校卒業したらプロになるつもりっす!」
おお、プロ……どうやら寿輝くんは、険しき道を征く同士だったみたい。
僕への評価はちょっと過剰な気もする。それでも、期待に応えられるような先輩となるべく研鑽を積んでいきたいと思う。
「でもさ、駒場瑞邦は中高一貫校だろ? 強豪なら内部進学でも良かったんじゃないか?」
僕が人知れず決意を新たにしていると、今度はストレッチしながら話を聞いていた里中くん、改め拓海くんが疑問を投げかけた。
確かに、サッカー部のメンバーがそのまま内部進学すれば戦力は維持される。むしろチームの連携がより深まり、力を増すだろう。その場合、外部進学は道理に合わない。
「いや、内部進学したら選手権優勝どころか出場すらムリっすね。知ってます? 瑞邦って『新御三家』とか呼ばれてるんですよ。偏差値が高くて、難関大学の合格率が高いから。要するに、高校は勉強メインになっちゃうんですよね。サッカー部なんて2年になる前に引退ですよ」
寿輝くんの話では、駒場瑞邦高校の生徒の『4人に1人』が東大へ進むらしい……都内を飛び越して、全国トップクラスの進学校じゃないか。それなら、2年生への進級前に部活動引退となるのも頷ける。
そういえば、栄成がこの前の選手権でぶつかった初戦の相手も進学校で、2年生が主体のチームだったな。とはいえ、東京エリアはチーム数が全国でもっとも多い激戦区だからなあ。
地域事情を踏まえると、瑞邦高校では選手権優勝を目指すのは難しそう。
「でも俺は、勉強よりサッカーがしたくて……その点、栄成なら両立できそうなので親も納得してくれました。それに、全中サッカー大会の決勝で負けた『村神学園』にリベンジしたいっす! すぐにトップチームにも上がって見せます! だから、一緒に冬の選手権の優勝を目指しましょう!」
村神学園とは、これまた手強い相手だ……選手権の常連で、多数のJリーガーを輩出しているサッカー名門校だ。中には、高校卒業と同時にドイツのクラブへ入団した選手もいる。
ともあれ、目線は重なった。寿輝くんが見つめる未来は、僕や玲音、それに拓海くんたちと同じ。ならば、ともに切磋琢磨していけるだろう。なにより仲間として頼もしい。
僕はなんだか嬉しくなり、つい握手を求めてしまった――それからまた少し雑談していると、B・Cチームの面々が外部ピッチから戻ってくる。
そのうち仲良しの大桑くんや小川くん、池谷くんたちもこちらへやって来て、場は一層盛り上がる。楽しい雰囲気に吸い寄せられたのか、いつの間にか他の新入生も数人混じってワイワイやっていた。
「ていうか、兎和先輩。そろそろ『1対1』やりません? 体冷えちゃうし」
「あ、うん……ごめん、もう時間だ。そろそろ行かないと」
「ええっ!? そんなあ……」
許せ寿輝、また今度だ……ちょっと話し込みすぎた。
まあ、これからたっぷり時間はあるし、朝練とかでいくらでも機会は作れる。思い返せば、去年は相馬先輩とかなりの頻度で『1対1』やっていたからね。
「じゃあ、また明日! みんなおつかれー!」
僕は挨拶を済ませ、部室でジャージに着替えて学校を後にする。
自転車をかっ飛ばして向かった先は、すっかりお馴染みの三鷹総合スポーツセンター。
夕焼け色に染まる芝生グラウンドへ小走りで向かえば、すぐにお目当ての人物の姿が目に飛び込んできた。おしゃれなスポーツウェアに身を包み、なにやらタブレット端末を操作している。
「ごめん、美月。待った?」
「お疲れさま、兎和くん。待つ時間も楽しいから大丈夫よ」
美月が顔をあげ、視線がやんわり重なる。
春風に吹かれ、彼女の長い黒髪がさらりと揺れた。
僕の胸は甘やかな音をたて、自然と笑みを浮かべていた。