第145話
意外なことに、三学期は騒がしくも大きなトラブルなく過ぎていった。
加賀さんからバースデープレゼントをもらった日に僕が抱いた不安は、幸いただの取り越し苦労だったらしい。むしろあれ以来、白石(鷹昌)くんはどこかトーンダウンした印象だ。
ともあれ、あっという間に時は流れ――三寒四温の繰り返しの中、早春が訪れた。
サッカー部の三送会、マラソン大会や球技大会(1・2年生のみ)、バレンタインデー、定期テストなど、この時期はイベント盛りだくさんだった。
そして、3月上旬。
桜の蕾もまだ固いこの日、栄成高校では卒業式が行われていた。
「う、うぅぅうう……」
「おい、兎和。もう泣いてるのか。まだちょっと早いだろ」
卒業式には2・3年生だけが参加できる。そのため、サッカー部の1年生メンバーはできるだけコンパクトにまとまり、式を終えた先輩たちがやってくるのを校内の『正門広場』で待ちわびていた。花束はもちろん、桜の紙吹雪を大量に用意して。
周囲には他の部の1年生なども集まっており、ごった返している。バスケ部の慎や翔史くん、加賀さんなどもお祝いに来ており、遠くから名前を呼んで手を振りあった。
そんな時だ。ふと大講堂から『旅立ちの日に』が響いてきて、僕は早くも感極まってしまう。するとすかさず、隣に立つ玲音が呆れた風のツッコミを入れてきたのである。
「だって、先輩たち卒業しちゃうんだよ! 寂しいじゃん!」
「相馬先輩たち、たまに遊びに来るって言ってただろ。今生の別れじゃないんだぞ」
それはそう……だけど、寂しいものは寂しい。
栄成サッカー部は大所帯ゆえに複数のチーム編成で、ともすれば上級生との交流が薄くなりがちだ。
けれど、僕は選手権を通じてとても大事なモノを先輩たちから受け取った。
だから、どうしても気持ちが入ってしまう。今でもまだ、ふと『青森田山に勝っていたら』なんて思ったりするほどだ。
「まあ、気持ちはわからなくもないが……お、来たみたいだぞ」
言って、玲音は校舎の方を指差す。
同時に誰かが放った桜の紙吹雪がパッと舞い上がり、正門広場の賑わいが一段と増す。
『卒業おめでとうございます!』
拍手やお祝いの声が飛び交う中、卒業生たちが列をなして次々と校舎から出てきた。
ややあって、ひときわ騒々しい集団がこちらへ近づいてくる。誰あろう、うちの先輩たちだ。僕を含む1年生メンバーは、各自が握っていた桜の紙吹雪をこれでもかと降らせて盛大に出迎える。
「お前ら、見送りご苦労! サッカー部は人数多いから、あっちに移動しよう!」
合流してすぐ、主将を務めた荻原先輩から指示が飛ぶ。式に参加していた2年生たちも直にこちらへ来るそうなので、混雑を避けるべく正門広場の端にある空きスペースへ移動することになった。
『3年生の先輩方、ご卒業おめでとうございます!』
移動が一段落したら、在校生部員はいったん整列してお祝いの言葉を唱和する。すでに2年生たちも合流済みで、あまりの大音量に周囲の生徒たちが驚いていた。
以降、自然と別れを惜しむ輪がそこかしこに生まれていく。
僕はそれに少し遅れ、花束を2つ抱える。後輩みんなで協力し、卒業のお祝いと感謝の気持ちを込めて用意したものだ。
そのまま仲睦まじく寄り添う相馬先輩と遠山茜先輩の元へ向かい、お祝いの言葉を告げながら順に花束を手渡す。
「相馬先輩、遠山先輩、卒業おめでとうございます!」
「おう、サンキュー! 兎和からもらおうと思って、待ってたんだぜ!」
「わあ、兎和くん! ありがとう!」
サッカー部のエースと美人マネージャーのカップルは、揃って弾けるような笑顔で花束を受け取ってくれた。
対照的に、僕はまたも涙目。そろそろ堪えきれず号泣しそうなレベルだ。それでも、無理やり笑顔を作って雑談を交わした。
ほどなくして、他の部員に順番を譲る。2人は大人気なのだ。そこで僕は、荻原先輩や本田先輩たちにお祝いの言葉を告げて回ることにした。
しばらく経ち、ある程度場が落ち着く。すると今度は、3年生の先輩たちへ改めて『はなむけのメッセージ』を贈る儀式が始まった。多分、アドリブだ。
全員で輪を作り、2年生の主要な部員数人が順番で中心へ進み出て、それぞれ熱い言葉を紡いでいく。
「先輩方、本当にお世話になりました――」
そして、このアドリブの儀式が終わりに差し掛かった頃、相馬先輩が不意に「兎和、ラスト頼む!」と叫んだ。同時に、視線がこちらへ一斉に集まる。どうやら僕の番らしい。
ひとつ深呼吸して、ゆっくり輪の中心へ進み出る。
次いで、腹の底から声を振り絞った。
「来年、選手権の決勝に先輩たちを招待します! それで、絶対に、勝って……」
途中から涙がボロボロ溢れてきて、最後はもう言葉にならなかった。けれど、確かに思いは伝わった。相馬先輩たちは、朗らかに微笑みながら『楽しみにしてる!』と応えてくれた。
その後、荻原先輩が場を引き取り、見送りのセレモニーを締めくくる。
「お前たちは最高の後輩だ! 俺ら卒業生は全員、栄成サッカー部を選んで良かったと心から思っている! この3年間、全部丸ごと宝物だ! よっしゃ、いつもの合図で上着を投げるぞ!」
皆で制服のブレザーを脱ぎ、手に持って構える。その様子を見届けた荻原先輩は、元気よくこう続けた。
「準備オーケー? じゃあお前たち、明るい未来へ向けてキックオフだ! さあ、行くぞッ――」
『――ヨシ行こうッ!』
ぶわっ、と。
早春の青空に、ブレザーが一斉に翻る。
芽吹きの香りを孕む風に煽られ、桜の紙吹雪が舞い乱れる。
それからまた、部活の枠を越えて写真を撮り合ったりして、みんな思い思いに別れを惜しむ。教師に混じり豊原監督たちも見送りにやってきた――やがて、正門広場から少しずつ卒業生の姿が減っていく。
最後の最後に、ボウズ頭の林先輩とすれ違う。僕のせいで部活をまっとうできなかった先輩のひとりだったので、何か文句でも言われるのではと思わず身構えた。
「――全国の頂点に立てなかったら承知しねーからな。頑張れよ」
言って、筒型の卒業証書ケースを軽く掲げながら去っていく林先輩。
僕は即座に、「はいっ!」とその背中に向かって声を送る――こうして、高校に入って初めての卒業式はしめやかな終わりを迎えた。
***
栄成高校で卒業式が行われた、その日の夜。
僕は『東京ネクサスFCさん』のゲームトレーニングに参加すべく、大沢総合フィールドを訪れていた。いつも大変お世話になっております。
そしてピッチ端の空きスペースでアップしていると、春めいた柄のスポーツウェアを着ている美月が心配そうな顔で声をかけてきた。
「なんだか、今日の兎和くんはしょんぼりね。先輩たちの卒業がそんなに寂しかった?」
「うん……もっと長い時間、一緒にサッカーしたかったな」
選手権で敗退し、3年生たちが引退してからしばらく経つ。だが、今もまだ現状に慣れない。
実際、目を閉じれば鮮明に思い出せる……特に、朝練のときのウキウキと絡んでくる相馬先輩の声を。
「おい、兎和。『1対1』やろーぜ」
そうそう、こんな感じ……あれ、いま後ろからリアルに聞こえてこなかった?
目を開き、勢いよく振り返る。すると驚いたことに、見慣れたトレーニングウェア姿の相馬先輩が笑顔で佇んでいた。
「あ、え……? ええぇぇぇえええ!?」
なんでここにいるのか。しかもその格好は……高校卒業と同時に、サッカー自体やめると聞いていたはずだが。
「わはは、驚いたか! 実は、神園さんにこのチームを紹介されてさ。負けっぱなしで終わるのも癪だし、考え直して入団することにしたんだ。勉強優先だけどな。あと、オギとナオも一緒だぜ」
もういいぞ、と相馬先輩が合図を出す。
あ、ホントにいた……施設の柱の影から、荻原先輩と本田先輩がひょっこり姿を現した。同じく見慣れたトレーニングウェア姿で、「サプライズ成功!」と大はしゃぎだ。
落ち着いてから改めて事情を聞けば、僕にドッキリを仕掛けるためにわざわざ隠れていたという。思わず笑ってしまった。なんとも素敵なサプライズだ。
もちろん、美月も1枚噛んでいるのは間違いない。ジト目を向けると、やはり輝くような笑顔を浮かべていた。ますます惚れ込んじゃうからお手柔らかにね。
「それはともかく、やられたなあ……つーか、驚かせないでくださいよ! いいっすよ、まだまだ一緒にサッカーしましょう!」
どうやら、相馬先輩たちとの付き合いはこれからも続きそうだ。
なお、ネクサスFCの監督である安藤さんは、有力プレーヤーを紹介されてホクホクらしい。これで僕への勧誘も少し弱まるといいのだが。
しっとりとした柔らかな空気で肺を満たしてから、夜空に輝く半月を見上げた。
来週には、短く感じられた今学期が終わる――この春、僕は高校2年生になる。どのような青春が待ち受けているか、もう楽しみで仕方ない。
「よし。美月、いってくる」
「うん。兎和くん、いってらっしゃい」
高鳴る胸の鼓動を聞きながら、僕はナイター照明の灯るピッチを駆け出した。
Sec.4:完
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